バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

美しい紋デザインを、文様として堪能する  紋尽し(狂言の丸)文様

2021.01 15

昨年12月、政府が策定した第五次男女共同参画基本計画の最終案の中で、選択的夫婦別姓の文言が削除された。コロナの情報一辺倒となっている今、この報道に気を留めた方は少なかったかも知れないが、この改悪案からは、男女が性別に関係なく平等であることを拒み、多様な家族のあり方を否定すると読み取れる。未だにこんなことがまかり通るとは、時代錯誤も甚だしい。決めた政治家の方々は、一体どのような「人権感覚」をお持ちなのか、と疑いたくなる。

民法750条には、「夫婦は婚姻の際に定めるところに従い、夫または妻の氏を称する」と規定されているが、すでに5年前、夫婦別姓を求めた裁判の際、最高裁は婚姻制度や夫婦の姓のあり方を、国会で議論するように促している。今回もこれに基づく議論なのだが、世論の70%以上は別姓制度に賛成しているのに、自民党内に存在する「伝統的家族観」の継承を推進する一部の議員が、この制度変更を頓挫させてしまった。

世界を見渡しても、法律で夫婦同姓を義務付けているのは、日本くらい。家族形態は変化し、人々のライフスタイルも変わりゆく。そして当然、家族観も変わる。制度に反対する保守派は、「別姓を導入すると、家族の絆が失われて、子どもに悪影響を与える」などと、まるで説得力のない言い分を繰り返しているが、家族の幸せがどこにあるのかは、家族を構成する人それぞれの価値観で変わる。そのあり様は、決して政治家が決めて良いものでは無い。国民一人一人の尊厳を守り、多様な価値観を尊重することこそが、政治を司る者の役割かと思うが、今回のことは全くそれに反する。

 

夫婦同姓の民法が定められたのは、1898(明治31)年のこと。120年も前の法律が今に続いているのだから、制度疲労を起こすのも無理はない。だが明治以前、もっと厳密な封建制度下の江戸時代において、夫婦は別姓であった。そして驚くことに、嫁いだ女性の権利は、現在よりもずっと法律で守られていたのだ。

江戸の世にも、現在と同様に離婚する夫婦は大勢いた。その別れの際において、調停の基となる法令が「離婚法度(りこんはっと)」である。今も、「妻から夫へと三行半を突き付ける」などと使われるが、三行半とは、離縁状を意味する。江戸時代の離婚には、夫から妻へ、あるいは妻から夫へと交付するこの書状が必要であった。これを「三行半(みくだりはん)」とするのは、字が書けない者が大勢いたので、それを助けるために、三本の線とその半分の長さの線を一本書くだけで、離縁状と認められたとか、元々この離縁状が、三行半と短いものだったからとも言われている。

離縁状には必ず、「この後、どこに縁付いても、当方は構いません」と書かれており、女性はこの三行半を持ってさえいれば、即日他の人と結婚することが出来た。現在の法律のように、半年を待たなければということは無く、かなり柔軟な扱いである。

そして法度には、こんな一文もある。「女の所有物を勝手に持ち出して紛失すると、生涯離婚はまかりならぬ。」これは、嫁入りした女性の財産を侵害する者に対して制裁を加える決めであり、女性の立場に寄り添う法令であることを、端的に示している。

 

こうした取り決めに基づき、嫁ぐ女性は実家の財産を誇示すると同時に、私有財産権を主張する証左として、嫁ぎ先(夫の実家)で調達したモノと、自分が実家から持参してきたモノを、日常生活の中できちんと区別しておく必要があった。

その区分けの目印として使われたものが、「実家の紋」なのである。江戸期に紋を持てたのは、武家と一部裕福な商人や町人だったが、その娘たちが嫁ぐ際に持ち込む数々の花嫁道具には、尽く実家の家紋が施されていた。

この習慣は現在も続いており、結婚前に無地や黒留袖などの「紋付キモノ」を誂える場合、実家の紋を入れることが多い。母から娘、そして孫へと、女系で継承する紋のことを、「母系紋(ぼけいもん)」と呼ぶ。

 

家紋は家の象徴であり、またそれは封建制度の象徴とも言えるだろう。時代は変遷し、家族制度も変容を遂げている。しかしながら、紋だけは残る。すでに形骸化しており、過去の遺物なのかも知れない。けれども、紋にあしらわれているデザインには、日本人の文様に対する美意識が、そのまま表れているように思う。

いつにも増して前置きが長くなってしまったが、今日は、今年最初の「にっぽんの色と文様」の稿として、紋をそのまま文様とする「紋尽し文」についてご紹介することにしたい。

 

紋尽し(狂言の丸)文様の姿。紋散らし文、あるいは丸尽し文の別名がある。

デザインとして、家紋と文様の違いを考えた時、家紋の図案というものは、家のシンボルとして使う大切な印なので、その図案は代々継承され、たとえ線一本、点一つでも変えることは出来ない。けれども、文様は参考となる原型があったにせよ、描き手の意思で、いくらでも自由にアレンジすることが出来る。

例えば「丸に橘」という家紋があるが、紋と全く同じ図案のまま、文様として使うことがある。けれども家紋として使う場合は、常に同じ形状であるが、文様の場合には、他の文様とコラボして変化したり、時には原型を止めないほど図案化させて使用することも珍しくない。要するに、家紋は普遍的産物であり、文様は芸術的産物なのだ。

 

よく日本の家紋とヨーロッパの紋章が比較されるが、貴族が中心となって使用した欧州の紋と異なり、日本では隅々の家まで、家紋が普及した。そのため紋の数が圧倒的に違い、日本の家紋はゆうに二万を超えている。紋数が多いのだから、それだけ図案とするモチーフが多く、当然その多くは、文様と重なっている。

日本の紋も西洋の紋章も、戦場や楼閣で敵と味方を識別するために生まれたものだが、その形は西洋は複雑で細密、日本の家紋は単純で素朴と言えよう。ヨーロッパの多くは、多民族国家で厳密な階級があり、権威を維持する必要があるために、鷲とか獅子などの「強さを象徴するモチーフ」を精緻に描く。一方、日本はほぼ同一民族で、天皇から庶民まで同族だったために、階級意識は欧州ほど無い。だから紋のモチーフも、権力者である天皇家が菊や桐、将軍家でも葵で、実に優しいデザインになっている。

 

身の回りに咲く植物や花が、日本の家紋のテーマであり、それは同時に文様の基礎でもある。誰にでも親しまれ、愛されてきた花鳥風月が、家紋と文様の中に息づく。それはまさに、日本人の美の心が内包されていると言えよう。

今日の「紋尽し文」は、家紋の形式をそのまま使い、中の図案を様々にアレンジして文様化したものである。では、その面白さと多彩な姿を、見て頂くことにしよう。

 

紋尽し文様 金引箔袋帯・紫紘

家紋に用いられるモチーフは何かと問えば、人々の日常生活の中にあるもの全てと言えるだろう。例えば、山・霞・雲・流水は天地自然に基づくものだし、松・竹・梅・菊・桜を始めとする植物類は、枚挙に暇がないほど多種多彩。動物では、虎や獅子から実在しない龍や麒麟まで、また蜻蛉や蝶などの鳥類、蟹や貝類もある。

さらに、家具や神仏具、武器や車・船など、生活に根付く道具も図案となり、建物にまつわる鳥居や五重塔、垣根や杭の姿も見える。そして特殊なモチーフとしては、文字をそのまま紋としたり、源氏香図のような図符を使うこともある。二万種の紋バリエーションの豊富さには驚くばかりで、紋帳を開けば、その壮観さが一目で理解できる。

この帯にあしらわれている紋をみると、家紋をそのまま使っている図案と、花鳥をアレンジしたオリジナルな文様とか混在している。このように、実在の家紋と、植物や鳥、器物などを丸紋の中に納め、それを交互に散らして文様とする、いわゆる「紋散し」の形式は、江戸中期ごろから見られるようになった。

丸に三階松紋をモチーフとしているが、一般的な三階松は、三つ並んでいる松の真ん中が、この図案のように左に寄るのではなく、右に寄っているものが多い。また、三つの松が行儀よく並んでいる紋(行儀三階松)や、松にヒゲのような枝が付いた紋(荒枝付三階松)もある。

これは、丸に亀甲花菱紋をそのまま使っている。紋にはこのように、二つの図案を組合せて一つの形を作っているものが沢山ある。丸紋の中に亀甲紋が入り、さらにその内側に花菱紋をあしらっている。つまりは、紋図案の三重奏という訳である。このように、亀甲を輪郭として使っている紋は、花菱だけでなく、片喰(かたばみ)や柏、鷹の羽、並び矢、巴など、様々なものがある。

こちらは巴波(ともえなみ)紋を、少しアレンジした図案。通常の三つ巴紋には勾玉を使うが、それを波で代用したもの。これも融合紋と言えよう。

少し判り難いが、モチーフは揚羽蝶。紋でも文様でも、蝶と言えばほとんど揚羽蝶を使っている。この帯の蝶図案は珍しいが、紋帳を調べて見ると、驚くことにほぼ同じ図案の紋(浮線鎧蝶紋・うきせんよろいちょうもん)が存在する。蛇足だが、揚羽蝶紋は平家一族の紋としてよく知られている。滅亡後全国各地に一族が落ち延びていくが、その落人集落には、この揚羽蝶紋を家紋とする家が、必ず何軒か残っている。

 

白地紋綸子 丸文尽しに花筏模様 京友禅振袖 (東京 世田谷区・W様所有)

この特徴的な紋尽し文様は、別名「狂言の丸」の名前があり、むしろこちらの呼び名のほうが知られているだろう。先述したように、この図案が文様化したのは江戸中期以降だが、紋を装飾的にあしらう面白さや、その豊富なバリエーションから、能や狂言の衣装図案として用いられるようになった。

よく使われる図案としては、鶴の丸や鳳凰の丸、巴などの吉祥的性格の有職模様が多かったが、特に狂言の袴には、伝統的な文様以外にも、器物や道具などをアレンジした遊び心を持つ多彩な図案が使われ、「特徴的で個性あふれる紋尽し文」となっていた、そんなこともあって、この文様に「狂言の丸」の呼び名が付いたのである。

この振袖は、昨年小物合わせのために持参されたお客様の品物だが、大きな花の丸紋と花筏が、所狭しとあしらわれている。豪華さと清潔さ、さらに第一礼装たる重厚さも併せ持つ、とても良い品物。

この丸紋は、先ほどの帯の紋尽し文とは少し異なり、家紋をほぼそのまま使うのではなく、依拠はしているものの、かなりデザイン化されている。

これは前の帯で取り上げた同じ図案・丸に三階松をモチーフにしているが、織と染の違いで、かなり図案の雰囲気も違って見える。この振袖三階松は、写実的で模様に柔らかさがある。つまりは、帯図案が家紋そのもので、こちらの振袖図案はアレンジした文様であるということ。双方を比較して見ると、その違いがよく判る。

丸の中に、そのまま菊の花と葉を入れ込んだ図案。こんな紋は無いだろうと紋帳を調べてみたら、そっくり同じ紋があった。紋名は葉敷鬼菊の丸(はじきおにきくのまる)。紋デザインの多彩さには驚くばかりで、私が知っている紋の数など、ほんの一部に過ぎないことを思い知らされる。

模様の中心・上前おくみにあしらわれた菊の丸と牡丹の丸。菊は金糸の駒詰め刺繍、牡丹は銀糸の駒詰め刺繍。豪華な繍で、二つの大きな花の丸文が強調されている。この二つの花の丸は、特定の紋をモチーフとせずに円形に花弁を図案化したもので、文様としては「花の丸文」と位置付けられる。

上前に描かれたもう一つの図案は、丸に根笹紋がモチーフ。ただし笹の上には、半分に切った雪輪が金箔であしらわれ、通常の紋とは異なるデザインになっている。このように、家紋を自由にアレンジして模様化出来るところに、この紋尽し文の面白さと多彩さが、最もよく表れている。

 

丸い文様は、日本に存在する幾何学文の中で、最もスタンダードな形式である。今日取り上げた紋尽し文は、能や狂言の衣装にあしらわれる以前、矢を携帯する時に使う道具・矢籠(しこ)の革文や、インドから日本へ渡ってきた古渡更紗にも見ることが出来る。おそらく紋尽し更紗は、交易が盛んだったインドに発注した「日本向けの図案」であり、参考にしたものが家紋であったことは想像に難くない。

またこの文様は、1667(寛文7)年に発刊された友禅のデザインブック・「新撰御ひいながた」に、紋を散らして不規則に配置する小袖図案が掲載されていることから、これ以降に流行したと見ることが出来よう。なおこの紋尽し文には、紋が整然と並んでいる図案もあり、その場合は文様を分けて考えているようである。

今日は今年最初の文様紹介の稿として、家紋をモチーフにしたデザイン・紋尽し文を取り上げてみたが、如何だっただろうか。紋所は、どの家にも必ずあり、それにまつわる歴史も必ずある。ぜひ皆様には、その豊かなデザインに一度注目して頂きたい。そして図案のルーツを探れば、文様への理解はもっと深まると思う。

 

2015年、国連サミットにおいて、2030年までに世界の国々が目指す17の課題・SDGs(エスディージーエス 持続可能な開発目標)が設定されました。その内容には、飢餓や貧困を無くすことをはじめ、国家や人の間での不平等を無くすことや、クリーンエネルギーの開発、気候変動に対する対処など、世界規模で解決しなければならない諸課題が網羅されています。

そうした中の一つに、「ジェンダー平等の実現」があります。これは、言うまでも無く男女格差の解消であり、「この問題の解決なくしては国の成長もあり得ない」と、位置付けられています。そこで、国ごとの男女格差がどれくらいなのか測る指標・「ジェンダーギャップ指数」があるのですが、日本は153か国中120位。先進国としては、とても恥ずかしい順位になっています。

最近では、本人たちの意思で婚姻届けを出さずに共同生活を営む「事実婚」も増えています。そしてまた、同性同士の結婚を打ち明ける方が多くなってきましたが、G7(先進7か国)の中で唯一、日本では同性婚が法制化されていません。結婚の形式による差別や、性的指向による差別を無くしていくことは当然であり、人間の心とそれに連なる人権に対し、為政者は敏感であるべきです。そうでなければ、いつまでたっても本当の平等社会とはなり得ません。

コロナ禍により格差が進み、人の間で心の分断も始まっているように思いますが、こうしたときにこそ、人それぞれの権利に、深く思いを寄せるべきではないでしょうか。

今日も、長い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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