先頃あるお客様から、「松木さんの書き物は、体調が良くないと読むことができない」と言われた。横書きブログの画面は、かなり下までスクロールしても、なかなか終わらない。そして、内容が一回が読み切りになっているので、中途半端な所で止めてしまうと、また最初から読み直さなければならず、時には読み通すのに、二度三度と掛かる。稀に、有意なことを書いているので、読みたくはなるらしいのだが、このブログは、読者が気合を入れないと読み通せない、とても厄介な代物になっている。
とかく今のご時勢では、簡明に情報を伝えることが求められるので、発信者もその趣旨に従って、内容を判りやすく凝縮しようとする。そうでないと、なかなか読んでもらえないからだ。ブログやサイトは、まずは人の目を自分に向けることが肝要であるから、最初から長ったらしく読み難い文章など、誰も書きはしない。
確かにこのバイク呉服屋ブログは、「気軽に読んで頂く」という配慮が全くなされていない。けれども毎回、自分の言葉で懸命に書いている。そして、「日本の伝統衣装について知識を深めて頂く」というコンセプトは、8年半の間で一貫しているように思う。
付合い難いブログではあるが、時折読者の方から、掲載した品物や紹介したアイテムに対して、ご質問やご照会を頂くことがある。稿の中では、一切価格の標示をしていないので、お客様の方から、メールや電話等でコンタクトを取って頂かない限り、実際の商売には発展し難い。
そんな中で、お客様が「当たりを付けて、私に品物探しを依頼する」ことが稀にある。「当たりを付ける」とは、予測するとか、見当を付けるという意味だが、何の当てかというと、「ここならば、自分が望む品物を見つけてくれるだろう」という期待である。それは、具体的なメーカーの色柄を指定する場合、例えば、「紫紘帯の横笛文様・銀引箔を見つけて欲しい」などという依頼の一方で、市場にほとんど出回っていない、いわば希少品を捜索する依頼も来る。
実は先日、ある方から難しい品物の捜索依頼を受けた。そこで、久しぶりに「バイク呉服屋への指令」として、その時の様子を皆様にご紹介することにしよう。今回の探しモノは、草木染による縞木綿・舘山唐桟(たてやまとうざん)である。
貴重な舘山唐桟の柄見本・縞帳。これまで織った布見本が、140枚ほど貼ってある。
キモノを趣味とする人が、それぞれ何を好むかは千差万別だ。着用する人が、いつどこで、どんな場面で使うのかにもよるが、それぞれの好みは、他人が測れるものではない。そして、フォーマルモノを毎日使う方はほとんどおられないだろうから、こだわりを持つ品物は、やはりカジュアルモノが中心になる。
大島や結城などの高級な紬類に凝る方もおられるだろうし、精緻な型紙を使う小紋がお好きな方もおられる。そうした方は、自分の意に沿う図案や色目の品物を探しつつ、ご自分のキモノライフを楽しんでおられる。「何着持っていても、好む品物に出会うと、つい手が出てしまう」との声を聞くが、カジュアルモノ選びにはキリがないので、困ってしまうらしい。
こうした正統的なキモノファンがおられる一方で、最もコアな趣味を持つ人と言えば、「木綿フリーク」になるだろうか。長いこと木綿は、庶民の日常着として愛用されてきただけに、全国に産地があり、その土地ごとに特徴ある織物を作ってきた。だから、木綿を極めるというのは、染織品の「奥の細道」へ入り込むようなものだ。
日常から和装が姿を消した今、綿モノはほぼ浴衣しか着用されなくなった。だがそれでも、細々と織られている木綿が、まだ日本各地に僅かに残っている。この限りなく少なくなった綿モノを探す方が、木綿フリークなのだが、今回の依頼は、まさにそんな方から頂いた難しい指令である。
舘山唐桟織の四代目・斎藤裕司さんからお借りした、縞帳の表紙。
今回の指令は、いきなりだった。依頼された方が、突然店を訪ねて来られて、探している品物の話をされたのである。無論、これまで一度もお会いしたことは無く、当然仕事をお受けしたことも無い。探す木綿は、舘山唐桟。それも、すでに織り上がったものではなく、縞帳から柄を選び、自分の納得のいく唐桟織を作りたいという希望だった。つまりそれは、オリジナルな誂え品を製作するという話である。
舘山唐桟に関しては、以前本の中(「きもの紀行」立松和平著 家の光協会発行)でリポート記事を読んだことがあったので、その存在を知ってはいた。けれども、これまでに扱ったことは無く、もちろん作り手との縁も無い。扱いが無いというのは、扱っている問屋もわからないことになる。
唐桟とは、桃山から江戸草創期、南蛮船で運ばれてきた木綿の縞織物を指す。別名、桟留(さんとめ)縞・奥島と呼ばれる縞モノだが、西インド諸島のSt.Thomas(セント・トーマス)の港から運ばれたことに由来し、その名前が付いた。江戸・寛永年間から流行し、天保の頃には庶民の冬着としてすっかり定着していた。
この縞モノの流行を見て、各地で「舶来縞」に対する「和縞」が生産されるようになるが、その代表が、武州・川越(現在の埼玉県・川越市)で生産されていた「川唐(かわとう)」である。そしてこの流れを組み、明治初期から織り始められた縞木綿が、「舘山唐桟」なのである。
舘山唐桟の特徴は、細い木綿糸に植物染料を使って色を染めて、手機で平織すること。縞の色調は、藍色や茶、赤、黄、水色などだが、この色糸は、藍や楊梅、椎、五倍子、矢車の実などの植物から抽出した液に、媒染剤を入れて作っている。木綿と言えども、徹底した天然染料へのこだわりがあり、モノづくりにはかなりの時間を要している。
私の「舘山唐桟」に対する知識など、かように知れたもので、もちろんこれまで、ブログで紹介記事を書いたこともない。それどころか、この品物については、一度たりとも記載がない。それなのに何故、この方は私に仕事を依頼したのだろうか。何とも不思議だったので、直接聞いてみた。
すると、意外な返事が返ってきた。「私が、バイク呉服屋さんを見込んで、舘山唐桟の依頼をしたのは、あなたが書いた『丹波布』の記事をブログで読んだからです。丹波布のような希少木綿について、詳しい知識がある人なら、きっと舘山唐桟についても理解があり、品物を探す手がかりもあると思えたからなのです」。
丹波布も舘山唐桟も、稀代の民藝運動家・柳宗悦と関りが深い。丹波布のブログ記事で、柳についても触れているので、それも目に留まった理由かも知れない。つまりこの方は、「私に当たりを付けた」のだ。この人ならば、自分の願いを実現してくれるのではないかとの、期待である。
こうして、何の前触れもなく下された指令ではあるが、自分のつたない稿を読まれた上で、見込んで頂いた依頼である。手を尽くして、何とかお役に立ちたい。そう考えて、早速行動を開始することにした。
舘山唐桟の色調は、藍・赤・茶・黄・白の五色が基調となる。
品物探しを始めるにしても、何を手掛かりにすれば良いのか、まったく見当も付かない。そこでとりあえず、どのくらい世間で流通しているのかを、ネットで調べることにした。画像検索をすると、扱っている店やネット販売をしている店の掲載商品が真っ先にヒットするが、こと舘山唐桟に関してはかなり少なく、確認出来たのは数反だけ。もとより、作り手は四代目の斎藤裕司氏一人であり、その生産工程を考えても、月産は数反に留まると考えられるので、この流通数の少なさは当然であろう。
けれども、唐桟縞に関する紹介記事は、結構ある。実際に斎藤さんの仕事場を訪ねて、植物染のことや製織について取材をし、話をまとめたものがほとんど。呉服屋の主人や個人のキモノ愛好家、さらに手仕事の職人を紹介するエッセイストなどが、記事を書いている。
これを読めば、「舘山唐桟はいかなる木綿織物か」は、大概理解できる。しかしこれだけでは、実際の仕事にほとんど役立たない。いかにして作り手とコンタクトを付け、誂えの仕事を引き受けて頂くかという、今回の依頼に対応するヒントは、ほとんど得られないのだ。
そこで、とにかくまずこの品物との引っ掛かりを得るために、織物を専門に扱う問屋に相談することにした。もし、そこで舘山唐桟の扱いがあれば話は早いし、現在なくても過去に繋がりがあれば、紹介してもらえるはずだ。
希少な木綿を扱う問屋は限られるのだが、真っ先に思い浮かんだのが、丹波布を扱っている廣田紬。廣田君は、商品に対しては大変研究熱心であり、魅力的なHPを作って、消費者にも判りやすい情報発信をしている。彼に相談すれば、何かしらヒントを頂けるのでは、と考えた。
早速電話をかけたところ、以前唐桟縞の扱いはあったが、現在は無いと話す。けれども「伝手を辿って、何とかこの作家とコンタクトを取ってみましょうか」と言ってもらえた。こうした話は小売屋には限界があり、やはり様々な作り手や産地と付き合いがある問屋の方が、相手に行き着く手段は沢山持っている。なので、一にも二にも、彼にお願いすることとして、連絡を待つことにした。
藍をメインにした、紺系濃淡の縞柄。微妙な青の色は、繊細な色糸作りの賜物。
廣田君への依頼から小一時間ほど経ち、店の電話が鳴る。出て見ると、「舘山の斎藤と申しますが・・・」。驚くことに、唐桟織の作家・斎藤裕司さん本人からだった。「廣田紬さんから、お話を頂きまして。何か誂えの依頼があるそうですね」と話を切り出される。私としてはこんなに早く、作家の方から直接連絡を頂けるとは思ってもみなかったので、戸惑いつつも、今回お客様から受けた依頼について話をする。
すると斎藤さんは、「縞帳を送りますので、そこから柄を選んでください。使う木綿糸の番手(細さ)によっても、価格が違います」とすぐに具体的な話をしてくれる。 「出来上がるまでに2年間、時間を頂きますが、それでもよろしいですか」。誂えの依頼には早々と動いてくれるのだが、モノ作りの方はかなり時間が掛かる。そのギャップが実に面白い。
私は、斎藤さんが直接連絡を下さったことに感謝しつつ、縞帳の送付をお願いした。そして3日後に、年季の入った柄見本・縞帳が届く。そこで早速お客様に連絡をし、数日後この貴重な縞帳を見ながら、誂えを考えて頂けることになった。
今回、お客様から誂えを頂いた舘山唐桟。藍濃淡だけの細縞が、とても清々しい。使う綿糸は80番手の細糸。織り上げた反物が、しっとりとした風合いになるように、砧(きぬた)打ちをして仕上げる。
斎藤さんから連絡を受けた後、橋渡しをしてくれた廣田君へ電話をかけて、お礼を述べる。そこで彼は、「今回は一点モノの誂え仕事なので、松木さんと斎藤さんとの間で、直接話を進めて頂いて結構です」と話す。普通問屋は、作り手と小売屋の間に立って品物を売買し、利益を得るのが仕事。今回のように、品物を扱わずに、口利きだけをすることはあまり無い。しかも、タダである。
問屋を飛ばし、作り手と小売屋が直接やり取りをすれば、価格は下がる。取引の間に入る者を減らせば、それだけ安くなるのは当たり前。依頼するお客様にとっては、願ってもないことであろう。口銭無しで便宜を計ってくれた廣田君には、感謝の他は無い。
こうして、難しいと思われた舘山唐桟・別誂の依頼を、無事完了することが出来た。二年先にならないと反物は織り上がらず、キモノとして、お客様にお届け出来ていないが、とにかく仕事は無事端緒に付いた。
今回のキーマンは、廣田紬の廣田君。彼の存在が無ければ、これほど早く斉藤さんと縁を繋ぐことは出来なかっただろう。彼の持つ情報力と人脈が、私の仕事を繋いだ。また斉藤さんの、作家としての仕事に対する真摯な姿勢も、大きな推進力になった。いくら名前が通っている織問屋の照会とはいえ、全く面識のない小売屋に、作家の方から直接声を掛けるというのも、なかなか無いことである。
希少な品物を探すことは、小売屋一人の力では、どうにもならない。そこに強力な助っ人が存在するから何とか形になるのであり、それにはやはり普段からの人間関係がモノを言う。いかに「キーマンとなり得る人物」とコンタクトを付けるか。これが最大のカギになろう。そして誰がキーマンなのか、「正しく当たりを付ける」必要が生じる。
お客様は、希望する品物を探す時、店に当たりを付けるように、小売店主も、難しい依頼に対応できるように、取引先や作家に当たりを付けている。誰に頼めば、上手く事が運ぶか。人を見抜く力が求められるのは、買い手も売り手も同じことであろう。
さて2年後、依頼した舘山唐桟がどのような仕上がりになるか、とても楽しみです。作家の斉藤さんからは、仕事の経過を随時報告して頂けるようですが、もし可能であれば、私も仕事場へお邪魔したいと考えております。
頑なに植物染の伝統を守り、一反ずつ丁寧に織りなされていく舘山唐桟。近いうちに、染料の採り方や染め方、使用する糸など、綿織物としての特徴を、もう少し具体的にご紹介する稿を書く予定です。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。