連なる山の狭い間を通り抜けた川は、平地に出た所で、運んだ土砂を堆積させる。このような地形のことを、扇状地と呼ぶ。山間部では急峻だった川の流れは、土地が平らになると弱まり、そこに砂や礫が積もる。この山の出口を起点として、扇状に堆積物が広がる場所が扇状地である。
バイク呉服屋の住む甲府盆地は、周りを山に囲まれ、多くの河川が流れ込んでいるので、盆地の山縁には至る所に扇状地が見られる。この土地の山側には勾配があるものの、平地では山からの多量の伏流水を含み、地下水も豊富で土壌の質も良い。日本一の桃やブドウ生産は、こうした果樹栽培に適した扇状地が、数多くあるからなのである。
扇状地については、中学校の社会科や高校の地理で学ぶが、典型的な扇状地として、多くの教科書に地形図が掲載されている場所がある。それが、笛吹市一宮町にある「京戸川扇状地」。おそらくこの図は、誰もが一度は目にしたことがあるだろう。
ここは、御坂山塊の蜂城山(はちじょうやま・標高734m)を流れ下る京戸川の下流に形成されているが、山の出口・扇の中心部から平地にかけては、沢山の桃の木が見られる。現在、一宮町は笛吹市に合併されてしまったが、この町は以前から日本一の桃の生産地であり、扇状地だけでなく、山の傾斜地にまで桃畑が広がっている。
山から麓まで広がる桃畑は、春になると、まるで絨毯を広げたように、一面ピンクに染まる。桜より一週間ほど遅れて咲き始める桃の花は、四月上旬に盛りを迎える。
これまでブログで、桜と楓の色について、実際の花や葉と照らし合わせて考えた稿を書いたが、今回は山梨に春を告げる桃の花色について、見ていくことにしたい。桜と比べて鮮やかなピンクの色が目を惹く桃。果たして本当の色はどんな色なのだろうか。
そして読者の方々には、その色と同時に、画像で甲府盆地の春景色も、楽しんで頂きたい。今は誰もが、自由に外出することもままならず、抑制された生活を強いられている。おそらく今年は、桜の花さえゆっくり眺めることが出来なかったのではないか。画像は、以前に撮ったものだが、桃の花で少しでも和んで頂ければ嬉しい。
桃の花と菜の花と大菩薩の山々(笛吹市・一宮町国分地区)
桃の里・一宮町は、私にとってなじみ深い場所である。それは、上の画像を写した、同町の国分地区に母の実家があったからだ。小学生の頃は、毎年夏休みにここに来ることが楽しみだった。だから元々土地勘があり、どの地区にどんな風景が広がっているのか、おおよその見当が付く。
国分地区は、かなり下に位置しているので割と平坦だが、蜂城山や京戸川扇状地は町の南端で、傾斜地に桃畑と集落がある。この標高の高い山際から、盆地を見下ろした風景が、特別に美しい。では早速、ここにご案内しよう。
甲府市内から一宮町までは、バイクで約40分。温泉の町石和を抜けて、笛吹川を渡ると、すぐに花を付けた桃の木が見えてくる。町の入口は標高が低いが、山の方を見渡すと一面がピンク色に染まっている。バイクでは広い道を走らず、畑と畑の間の細い道を通り、山に向かう。道の両脇には、桃畑が広がっているので、走りながら桃の花を堪能することが出来る。
時折、畑でピンク色に膨らんだ蕾や花を摘んでいる農家の人を見かける。これが、「摘花(てきはな)」で、花粉を採取するために、花を摘んでいる。桃は種類によって、人工的な受粉を必要とする品種があるので、どうしてもこの作業が欠かせない。
これで、だいたい五分咲きくらいか。蕾も多く、花の多くは開き切っていない。
満開の花を付けた桜の小木。道の向こうには、桃色の畑。桜と桃、春の競演。
道はなだらかに、山へ向かう。京戸川扇状地の扇にあたるところ(一宮町・金沢地区)
道を上りながら後を振り返ると、こんな風景となる。道の両側は、桃畑。画像の中ほどに中央高速が通り、遥か彼方には、春霞に煙る甲府の街が遠望できる。
さらに上へ行くと、花はまだ2分咲き。同じ町内でも、見頃に一週間の差がある。
蜂城山の登り口近くから、南斜面にある桃畑を写す。ここもまだ3分咲き。遠く霞む山々は、南アルプス。
かなり高台に上がってきたが、ずっと斜面に沿って桃の木が植えられている。
桃の花は、その年の気候にもよるが、咲き始めから散るまで、およそ二週間ほど。そして、僅かな標高の差で見頃が変わる。つまりは時差があって、花を楽しむ時間が割と長いということになる。私はいつもバイクを使ってしまうが、桃の花を愛でながら、ゆっくり山の道を歩くのも良いだろう。
この扇状地の上にある蜂城山は低山で、40分ほどで登ることが出来る。頂上には蜂城山天神社があり、ここからは甲府盆地全体を見渡せて、眺めが良い。天気が良ければ、JRの勝沼駅から、ハイキングがてら歩くのも楽しい。いずれにせよ、このウイルス騒ぎが終息しないことには、誰もどこにも出かけられないが、こんな山梨の美しい春の景色は、多くの方に見て頂きたいと思う。
さてそろそろ、風景から桃花の色に、話を移してみよう。
ほぼ満開の桃の花。花弁よりも奥の蕊のほうが、ピンクの色が濃い。
桃は、花にせよ実にせよ、キモノや帯のモチーフになることは稀だ。昨年、依頼されてオリジナルの「桃小紋」を作ったが、元々桃をモチーフとした品物をほとんど見たことが無かったので、「桃柄で」と指定があれば、自分でデザインするより他に手が無い。
桃にあえて季節を求めるとすれば、花ならばもちろん鮮やかな色を付ける春で、実はピンクに色づいて収穫される夏。つまり、植物文としては、春か夏が旬になる。けれども、文様としての桃文の位置づけは、吉祥文=おめでたい文様の一つとされている。
中国に伝わる西王母(さいおうぼ)の伝説。漢代(紀元前2世紀頃)に存在した仙女・西王母。彼女が棲んでいた崑崙山中には桃の木があり、三千年に一度だけ実を付ける。これを食べると、不老不死でいられるという云い伝えである。また古代から、桃には邪気を払う力が宿ると信じられていて、桃の木や枝は、悪霊を祓う道具としても使われていた。こうした中国の思想に基づき、桃が吉祥文となったのである。
花弁ごとに僅かに色の濃淡があるが、総じて花の中心部にある蘂や顎の色が濃い。
桃が、色の名前として使われたのはかなり古く、日本書紀の天智天皇6年(667年)の条には、「桃染布(つきぞめのぬの)五十八端」と記述され、万葉集・巻12には「桃花褐(つきぞめ)の、浅らの衣浅らかに、思ひて妹に逢はむものかも・作者不詳」と詠まれている。「桃染を浅らの衣」とするこの万葉歌の内容で、桃の花色を浅い色と認識していたことが判る。
万葉集では浅い色と考えられている桃の色も、こうして見ると、実際の花色はかなり濃い。古代から桃は、「つき」と読まれてきたが、この色は「赤みの薄い赤紫色」と意識され、紅花を使って染め出されていた。
色見本帳で、桃染色を探してみた。桃の木全体から受ける色は、だいたいこの色か。
もう少し薄くなると、この色。桃染色とほぼ同系で、僅かに薄い色のことを「退紅(あらぞめ)」と呼ぶ。退紅は桃染よりも、使う紅花の量が少なく規定されているので、色が薄くなる。退とは褪と同じ意味で、この色は褪めた紅の色と位置付けられる。
おおよそ、桃染と退紅が桃の花色と思われるが、さらに薄い色や濃い色の桃花もある。
桃の花には、ピンクだけでなく白い花もある。ピンクと白の競演。
さらには、ピンクと白が入り混じったこんな木も。まるで、正月飾りの花餅のよう。この桃の木を源平桃と呼ぶが、遺伝子が変異したことで、こんなきれいな花姿となる。
この木は、普通の桃の木のようにくねらず、直立している。また花の色がかなり濃い。このような桃の木は、花桃と言って、食用ではなく観賞用。実は付けるが硬くて小さく、出荷できない。桃畑の周りには、こうした花桃の木があちこちに植えてある。
上の画像にある花桃の花弁を、さらに拡大してみよう。
白の中に、絞りのよう濃いピンクを混ぜ合わせた花弁。
通常の桃花と違い、花弁の形が八重になっていて、全体が濃いピンク一色。
一つの枝に、桃色と白の花弁が並んで咲いている源氏桃。
退紅よりさらに薄い色で、桜の色に近い。
桃染色に深く紅を足し入れた色・中紅色。
上の二色の見本色も、多彩な桃花を表現する色の中に入るだろう。こうして見てくると、桃の花色は単純にピンクと決めつけられず、木の種類により花色も花の形状も違い、また同じ木でも、遠望したところと近接して見たところでは、色の印象が異なる。
こうした植物の色を複合的に感じる感性は、日本人だけが持つものではないか。そしてそれこそが、古来から微妙に植物染料の調合を変えて、様々な「にっぽんの色」を作ってきたことに繋がっているのだろう。
今日は、山梨の春を彩る「桃の花色」について、お話してきた。桃は、古来より邪気払いをする縁起の良い木。今は、この霊木の力におすがりしてでも、何とか蔓延する疫病を退散させたいと思う。来年の春には、ぜひ多くの方を桃の里にお迎えしたいものだ。
今日ご紹介した京戸川周辺の農道沿いには、桃だけでなく、桜や菜の花が咲き誇り、歩く者の目を楽しませてくれます。最後に、私の印象に残る花の画像をご覧下さい。
正面の山が、蜂城山。画像の真ん中には、こんもりとした桜の森が見えますが、ここに曹洞宗のお寺・広厳院があります。隣接している保育園も、大きな桜の木で隠れてしまっています。ここは、桃と桜を同時に楽しむことが出来る、地元の人だけが知っている穴場です。
これは花桃と思われますが、とても鮮やかな花色。毎年、農道の脇で人知れず咲き誇っています。少し散りかけていますが、こんな花姿もまた趣がありますね。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。