バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

本当の「桃花」の色は、どんな色  山梨春点描・京戸川扇状地

2020.04 10

連なる山の狭い間を通り抜けた川は、平地に出た所で、運んだ土砂を堆積させる。このような地形のことを、扇状地と呼ぶ。山間部では急峻だった川の流れは、土地が平らになると弱まり、そこに砂や礫が積もる。この山の出口を起点として、扇状に堆積物が広がる場所が扇状地である。

バイク呉服屋の住む甲府盆地は、周りを山に囲まれ、多くの河川が流れ込んでいるので、盆地の山縁には至る所に扇状地が見られる。この土地の山側には勾配があるものの、平地では山からの多量の伏流水を含み、地下水も豊富で土壌の質も良い。日本一の桃やブドウ生産は、こうした果樹栽培に適した扇状地が、数多くあるからなのである。

 

扇状地については、中学校の社会科や高校の地理で学ぶが、典型的な扇状地として、多くの教科書に地形図が掲載されている場所がある。それが、笛吹市一宮町にある「京戸川扇状地」。おそらくこの図は、誰もが一度は目にしたことがあるだろう。

ここは、御坂山塊の蜂城山(はちじょうやま・標高734m)を流れ下る京戸川の下流に形成されているが、山の出口・扇の中心部から平地にかけては、沢山の桃の木が見られる。現在、一宮町は笛吹市に合併されてしまったが、この町は以前から日本一の桃の生産地であり、扇状地だけでなく、山の傾斜地にまで桃畑が広がっている。

 

山から麓まで広がる桃畑は、春になると、まるで絨毯を広げたように、一面ピンクに染まる。桜より一週間ほど遅れて咲き始める桃の花は、四月上旬に盛りを迎える。

これまでブログで、桜と楓の色について、実際の花や葉と照らし合わせて考えた稿を書いたが、今回は山梨に春を告げる桃の花色について、見ていくことにしたい。桜と比べて鮮やかなピンクの色が目を惹く桃。果たして本当の色はどんな色なのだろうか。

そして読者の方々には、その色と同時に、画像で甲府盆地の春景色も、楽しんで頂きたい。今は誰もが、自由に外出することもままならず、抑制された生活を強いられている。おそらく今年は、桜の花さえゆっくり眺めることが出来なかったのではないか。画像は、以前に撮ったものだが、桃の花で少しでも和んで頂ければ嬉しい。

 

桃の花と菜の花と大菩薩の山々(笛吹市・一宮町国分地区)

桃の里・一宮町は、私にとってなじみ深い場所である。それは、上の画像を写した、同町の国分地区に母の実家があったからだ。小学生の頃は、毎年夏休みにここに来ることが楽しみだった。だから元々土地勘があり、どの地区にどんな風景が広がっているのか、おおよその見当が付く。

国分地区は、かなり下に位置しているので割と平坦だが、蜂城山や京戸川扇状地は町の南端で、傾斜地に桃畑と集落がある。この標高の高い山際から、盆地を見下ろした風景が、特別に美しい。では早速、ここにご案内しよう。

 

甲府市内から一宮町までは、バイクで約40分。温泉の町石和を抜けて、笛吹川を渡ると、すぐに花を付けた桃の木が見えてくる。町の入口は標高が低いが、山の方を見渡すと一面がピンク色に染まっている。バイクでは広い道を走らず、畑と畑の間の細い道を通り、山に向かう。道の両脇には、桃畑が広がっているので、走りながら桃の花を堪能することが出来る。

時折、畑でピンク色に膨らんだ蕾や花を摘んでいる農家の人を見かける。これが、「摘花(てきはな)」で、花粉を採取するために、花を摘んでいる。桃は種類によって、人工的な受粉を必要とする品種があるので、どうしてもこの作業が欠かせない。

これで、だいたい五分咲きくらいか。蕾も多く、花の多くは開き切っていない。

満開の花を付けた桜の小木。道の向こうには、桃色の畑。桜と桃、春の競演。

道はなだらかに、山へ向かう。京戸川扇状地の扇にあたるところ(一宮町・金沢地区)

道を上りながら後を振り返ると、こんな風景となる。道の両側は、桃畑。画像の中ほどに中央高速が通り、遥か彼方には、春霞に煙る甲府の街が遠望できる。

さらに上へ行くと、花はまだ2分咲き。同じ町内でも、見頃に一週間の差がある。

蜂城山の登り口近くから、南斜面にある桃畑を写す。ここもまだ3分咲き。遠く霞む山々は、南アルプス。

かなり高台に上がってきたが、ずっと斜面に沿って桃の木が植えられている。

桃の花は、その年の気候にもよるが、咲き始めから散るまで、およそ二週間ほど。そして、僅かな標高の差で見頃が変わる。つまりは時差があって、花を楽しむ時間が割と長いということになる。私はいつもバイクを使ってしまうが、桃の花を愛でながら、ゆっくり山の道を歩くのも良いだろう。

この扇状地の上にある蜂城山は低山で、40分ほどで登ることが出来る。頂上には蜂城山天神社があり、ここからは甲府盆地全体を見渡せて、眺めが良い。天気が良ければ、JRの勝沼駅から、ハイキングがてら歩くのも楽しい。いずれにせよ、このウイルス騒ぎが終息しないことには、誰もどこにも出かけられないが、こんな山梨の美しい春の景色は、多くの方に見て頂きたいと思う。

さてそろそろ、風景から桃花の色に、話を移してみよう。

 

ほぼ満開の桃の花。花弁よりも奥の蕊のほうが、ピンクの色が濃い。

桃は、花にせよ実にせよ、キモノや帯のモチーフになることは稀だ。昨年、依頼されてオリジナルの「桃小紋」を作ったが、元々桃をモチーフとした品物をほとんど見たことが無かったので、「桃柄で」と指定があれば、自分でデザインするより他に手が無い。

桃にあえて季節を求めるとすれば、花ならばもちろん鮮やかな色を付ける春で、実はピンクに色づいて収穫される夏。つまり、植物文としては、春か夏が旬になる。けれども、文様としての桃文の位置づけは、吉祥文=おめでたい文様の一つとされている。

中国に伝わる西王母(さいおうぼ)の伝説。漢代(紀元前2世紀頃)に存在した仙女・西王母。彼女が棲んでいた崑崙山中には桃の木があり、三千年に一度だけ実を付ける。これを食べると、不老不死でいられるという云い伝えである。また古代から、桃には邪気を払う力が宿ると信じられていて、桃の木や枝は、悪霊を祓う道具としても使われていた。こうした中国の思想に基づき、桃が吉祥文となったのである。

 

花弁ごとに僅かに色の濃淡があるが、総じて花の中心部にある蘂や顎の色が濃い。

桃が、色の名前として使われたのはかなり古く、日本書紀の天智天皇6年(667年)の条には、「桃染布(つきぞめのぬの)五十八端」と記述され、万葉集・巻12には「桃花褐(つきぞめ)の、浅らの衣浅らかに、思ひて妹に逢はむものかも・作者不詳」と詠まれている。「桃染を浅らの衣」とするこの万葉歌の内容で、桃の花色を浅い色と認識していたことが判る。

万葉集では浅い色と考えられている桃の色も、こうして見ると、実際の花色はかなり濃い。古代から桃は、「つき」と読まれてきたが、この色は「赤みの薄い赤紫色」と意識され、紅花を使って染め出されていた。

 

色見本帳で、桃染色を探してみた。桃の木全体から受ける色は、だいたいこの色か。

もう少し薄くなると、この色。桃染色とほぼ同系で、僅かに薄い色のことを「退紅(あらぞめ)」と呼ぶ。退紅は桃染よりも、使う紅花の量が少なく規定されているので、色が薄くなる。退とは褪と同じ意味で、この色は褪めた紅の色と位置付けられる。

おおよそ、桃染と退紅が桃の花色と思われるが、さらに薄い色や濃い色の桃花もある。

 

桃の花には、ピンクだけでなく白い花もある。ピンクと白の競演。

さらには、ピンクと白が入り混じったこんな木も。まるで、正月飾りの花餅のよう。この桃の木を源平桃と呼ぶが、遺伝子が変異したことで、こんなきれいな花姿となる。

この木は、普通の桃の木のようにくねらず、直立している。また花の色がかなり濃い。このような桃の木は、花桃と言って、食用ではなく観賞用。実は付けるが硬くて小さく、出荷できない。桃畑の周りには、こうした花桃の木があちこちに植えてある。

上の画像にある花桃の花弁を、さらに拡大してみよう。

白の中に、絞りのよう濃いピンクを混ぜ合わせた花弁。

通常の桃花と違い、花弁の形が八重になっていて、全体が濃いピンク一色。

一つの枝に、桃色と白の花弁が並んで咲いている源氏桃。

 

退紅よりさらに薄い色で、桜の色に近い。

桃染色に深く紅を足し入れた色・中紅色。

上の二色の見本色も、多彩な桃花を表現する色の中に入るだろう。こうして見てくると、桃の花色は単純にピンクと決めつけられず、木の種類により花色も花の形状も違い、また同じ木でも、遠望したところと近接して見たところでは、色の印象が異なる。

こうした植物の色を複合的に感じる感性は、日本人だけが持つものではないか。そしてそれこそが、古来から微妙に植物染料の調合を変えて、様々な「にっぽんの色」を作ってきたことに繋がっているのだろう。

今日は、山梨の春を彩る「桃の花色」について、お話してきた。桃は、古来より邪気払いをする縁起の良い木。今は、この霊木の力におすがりしてでも、何とか蔓延する疫病を退散させたいと思う。来年の春には、ぜひ多くの方を桃の里にお迎えしたいものだ。

 

今日ご紹介した京戸川周辺の農道沿いには、桃だけでなく、桜や菜の花が咲き誇り、歩く者の目を楽しませてくれます。最後に、私の印象に残る花の画像をご覧下さい。

正面の山が、蜂城山。画像の真ん中には、こんもりとした桜の森が見えますが、ここに曹洞宗のお寺・広厳院があります。隣接している保育園も、大きな桜の木で隠れてしまっています。ここは、桃と桜を同時に楽しむことが出来る、地元の人だけが知っている穴場です。

これは花桃と思われますが、とても鮮やかな花色。毎年、農道の脇で人知れず咲き誇っています。少し散りかけていますが、こんな花姿もまた趣がありますね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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