あけましておめでとうございます。年末から年始にかけて曜日の並びが良かったので、9連休となった方も多かったと思いますが、バイク呉服屋も便乗して、少し長く休みを頂きました。
今朝、店に来て久しぶりにパソコンを開いてみると、お客様から画像付きのメールを何通か頂いておりました。初詣の装いとして、家で迎えるお正月の姿として、また中には、ニューイヤーコンサートへキモノで出かけてきたという方もおられました。皆様、思い思いのキモノや帯で、初春を迎えられたようでした。
画像を送って頂くと、自分が提案したコーディネートがどのように着姿として映っているのかを、改めて確認することが出来ます。キモノと帯がうまく調和しているか、小物とのバランスはどうかなどは、着用した姿を見なければ、はっきりとは判りません。幸いなことですが、拝見した画像はどれも、初春に相応しい姿になっていたので、少し安心致しました。
年が明けましたので、このブログも、8年目を迎えることになりました。今年も、皆様に楽しみながら読んで頂けるように、様々な視点から品物のこと、あるいは職人のこと、そして呉服屋の日常をお伝えしたいと思いますので、どうぞ、お付き合いのほどよろしくお願い致します。
さて今日は、年の初めにあたりますので、今年どのように仕事を進めていくのか、呉服屋としての所感をお話しようと思います。ですが、堅苦しい内容ではつまらないので、「今年扱う品物は、何か」ということを中心に考えてみましょう。とりとめのない話になりますが、どうかお許しのほどを。
年初めのウインド。変わり松葉模様付下げ・狂言の丸袋帯・雪持ち南天染帯
四季を通して緑を絶やさない松は、生命力を持つ神聖な植物として、古来から尊重されてきた。年神様を家へと迎え入れる依り代・「門松」の原型は、平安中期の宮廷儀礼・「小松引き」に遡る。これは、貴族たちが正月初めの子の日に、外へ出て小さい松を引き抜いてくる遊びだが、すでにこの時代には松が、健康長寿のシンボルとされていたことが判る。
狂言の丸は、能装束の意匠としてあしらわれたことから付いた文様の名前。紋にも丸付きがあるが、狂言の丸では、植物や幾何学文、あるいは有職文など様々なものを丸の中に納めこむ。飾った金地の帯では、波や三階松、下り藤、亀甲の姿が見える。なお正月の能演目では、祝言曲・「翁」を演じることが多い。
正月に飾る花として知られる南天。「難を転じる」という名前の由来からも判るように、おめでたい花・吉祥文様として使われてきた。南天には赤と白があり、その色からも縁起の良さが窺える。また、元来この植物は生薬として使われており、咳止めや健胃薬となっていた。のど飴に「南天」が付くのは、こんな理由からだ。
ということで、今日ウインドに飾った三点は、いずれも年の始まりを意識している。
以前にも書いたことだが、呉服専門店として店を構える時には、「旬を意識すること」が、とても大切になる。キモノや帯の文様には、様々なものがあるが、植物文にせよ動物文、あるいは器物文にせよ、どのモチーフにも相応しい季節がある。文様は、いずれも昨日今日に生まれたものではなく、長い歴史の中で息づいたもの。つまりは、四季のある日本の美意識が、そこに表れているとも言えよう。
こうした文様を身にまとうことは、ほぼ和装に限られる。格子や縞はチェック・ストライプと名前を変えて洋装にも使われるが、それは幾何学的な図案であり、洋の東西を問わない文様である。
昨今では、季節を前面に出す意匠が、どうしても敬遠されがちになっている。特にフォーマルモノではその傾向が強いが、お客様としては、春秋どちらの季節でも着用できる意匠の方が、使い勝手が良い。品物の中には、使うモチーフに季節を限定する意識(例えば、桜や梅の春花だけを使った図案など)が感じられるものがあるが、こうなると着用の機会がある程度狭まってしまう。これを避けたいのである。
キモノや帯は高価なものだけに、それぞれの季節分だけ品物を準備することは難しい。それも十分に理解できる。けれども、あえて着用する時期に適う品物を選ぶ余地があっても良いように思う。着用機会が限られるフォーマルでは難しい面があるが、自由度の高いカジュアルモノならば、それは可能であろう。
こうした傾向を考えると、旬を意識した品物を扱うことは、店としてもリスクを伴う。それは、「季節感を重視する方」にしか、お求め頂けない可能性があるからだ。だが、どの季節でも無難に着用できる意匠の品物ばかりでは、ほとんど個性が出ない。それは、専門店と名乗ることに疑問符が付くことにも繋がるだろう。
呉服屋の店先には、季節の彩がある。ウインドを眺める人には、そう感じてほしい。それはたとえ和装を嗜まない人であっても。今年は、これまで以上に「旬」を重視しながら、商いをしてみよう。
店内の飾り台に置いた品物。薄萌黄色格子模様 大島紬・鶸色すみれ模様 染帯
最近、仕入れをする際に商品を見ると、どうしても斬新な色の品物に目が行ってしまう。バイク呉服屋は、基本的に薄地、それもパステル系の色を好むが、それはそれとして、これまでに扱ったことのない色に出会うと、つい手が出てしまう。
上の画像にある大島と染帯にも、その傾向がよく表れている。大島と言えば、泥、藍、白が基本だが、これはレモン色を基調としながら、僅かに緑が感じられる萌黄色。大島らしからぬ色だが、奄美の伊集院リキ商店で織られたれっきとした本場大島である。爽やかで明るい色調が、従来の大島にはないイメージを持たせる。
染帯は、友禅作家の四ツ井健さんの作品。モチーフはすみれだが、図案の切り取り方が斬新で、とても可愛く仕上がっている。そして何と言っても目を惹くのが、ビビッドな鶸色を使った地色。この色は、昨秋四ツ井さんが来店した際に、私が指定した色。鶸色は、薄色ならば地色として使うことがあるが、これだけはっきりとした色目はほとんど見かけない。どちらかと言えば、洋服感覚の色とも言えようか。
呉服屋として長く商いをしていると、どうしても色に固定観念が生まれてくる。キモノや帯に使う伝統的な色は、季節ごとに色を映し出す自然の中から生まれたもの。いにしえの万葉人、優美な平安人、鎌倉から江戸の武家、そして現代。それぞれの時代に生きた人々が感じてきた色が、今もなお受け継がれている。だからこそ、その伝統色から離れることが出来ないのだ。
もちろん、基本は変わらない。けれども、少し冒険することも必要である。モチーフを図案化し、これまでにない色を使ってみる。伝統と現代感覚を融合した、そんな新しい品物があっても良いと思う。今を生きる作り手のセンスが感じられる品物を、今年は多く扱ってみたい。
店内のケースに飾った品物。キモノは、それぞれ藍と桜を使った草木染米沢紬。帯は、読谷花織と緯糸に紙を使った紬八寸。
呉服屋の質という観点から考えれば、きちんと人の手が入った品物を扱うことは、専門店として当然であろう。インクジェットで染めた品物は、機械が生産したいわば「工業品」であり、人の手による「工芸品」とは全く別モノである。工業品を主力とする店なのか、工芸品を扱う店なのか、扱う品物によって、はっきりと消費者に店の質を認識して頂くことが、やはり大切になる。
工芸品を商う時には、お客様に、それがどのような工程を経て仕上がったものなのか、説明することが求められる。染織品それぞれの製作過程は、それこそ多様であり、売り手がすべてを網羅することは難しい。けれども、仕入をして店に置くことで、作り手の仕事を学び、理解することが出来る。それを怠れば、「説明」が覚束なくなる。
この仕事に就いて35年になるが、バイク呉服屋は、まだまだ知らないことが多い。職人が技を駆使し、心を込めて作った工芸品を一点でも多く扱い、少しでも自分の知識を深めていきたい。
旬を意識しながら、斬新な色や図案を求め、質にもこだわる。「言うは易く、行うは難し」で、この目標が、今年扱う品物にどこまで反映出来るのか判りませんが、年頭にあたりますので、この志を持って、仕事に臨みたいと思います。
なお、私も60歳となりましたので、これから先、体に無理なく、細く長く仕事をさせて頂くために、「働き方改革」を実施することに致しました。これまで、店の休みは第一、第三水曜日と毎週木曜日でしたが、今年1月より、毎週水・木曜日を休み(連休)とさせて頂きます。お客様には、ご不便をお掛けしますが、どうかよろしくお願い致します。
またブログの更新も、今月から月に4回と致します。こちらも、どうかご了承下さい。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。