キモノにせよ帯にせよ、一点の品物として出来上がるまでには、多くの工程を経なければならない。そして、この過程において、どれだけ人の手を施したかということで、質が決まる。もちろん価格も、質に比例する。つまり、手間と価格は、必ずリンクしなければならないのだ。
糊置きや色挿しなど、ほぼ全ての工程を機械で済ませてしまうインクジェットの染モノは、人手のコストが掛かっていない分、原価は安い。しかし、それが小売価格には反映されていない。「キモノは高いものだから、これくらい仕方が無い」との消費者の思い込みと、質を判断する知識の薄さから、本来ならもっと安くなるはずのインクジェット品の価格が、高止まりしている。
その最たるものが、振袖である。多くが、帯から小物までセットにした上、着付けや写真まで含めた価格を提示して売られているため、品物個々の価格が非常に判り難い。一見、和装に不慣れな消費者には、「全部まとめて、この価格」という提示は、親切な販売方法のようだが、実はそこには、質に目を届かなくさせる仕掛けが隠されているように思える。
現在、こうしたセット販売は、振袖を商いの主力に据える呉服屋の常識となってしまったが、この結果として現れたのが、インクジェット製品の増加である。今や、流通する振袖の8割以上が、インクジェット品。そして残る1割ほどが型友禅で、手描き手挿しの本格的友禅など、コンマ以下である。
振袖を、「成人式だけに使うその場限りの衣装」と考え、利便性を重視する消費者の意識を上手く利用するこんな商いは、今の時代に沿うものかも知れないが、それは、和装の形骸化を助長することに繋がっている。多くの呉服屋が、このことに気付いているのか、はたまた見て見ぬふりをしているのか、まったく理解していないのか、それはわからない。けれども、職人を必要としない品物に席巻されてしまえば、未来における和装の価値は確実に下がるだろう。
今の母親世代が二十歳の頃と言えば、昭和の終わりから平成の始めになるだろうか。まだこの頃は、今ほどインクジェットモノが流通されてなく、型友禅が主流であった。ということは、質に関しては、母親の着用した品物の方が上になる。
もし、手持ちとしてこの品物があるなら、使わない手はないと考えるのが、質を重視する呉服屋の常識であろう。こんな時は、母の品物の良さをきちんと娘に伝え、受け継いで頂くようにすることが、仕事となる。
今日は、前回に引き続き、手持ちの品物を生かしながら、どのように新たな振袖姿を演出したのか、もう一つの事例を見て頂くことにしよう。
露草色 衣桁に四季花模様・京型友禅振袖(手持)白地・狂言の丸文様 袋帯(手持)
このブログの読者の方々は、様々な経路を辿って、ここに辿り着いておられる。特に多いのが、品物や呉服屋にまつわる事象を検索する中で、このつたない書き物を見つけて下さるケース。今回仕事を依頼されたお客様も、そんな中のお一人である。
面白いのは、この方が、あるメーカー問屋の名前を検索したことで、このブログを探し当てたこと。その問屋とは、「北秀商事」である。この会社は、今から20年前に潰れてしまったが、日本で一番上質な品物を扱う染モノメーカーとして、業界にその名前を轟かせていた。
大彦や大羊居、大松、大定、千代田染繍といった手描き手挿し友禅の品物を多く手掛け、他のメーカーには真似の出来ない斬新で垢抜けた図案のモノを、数多く扱っていた。そして取引先は、銀座の高級専門店や、三越、高島屋といった一部の百貨店、そして質にこだわる地方の専門店だった。
呉服屋にとって、北秀と取引することは、上質な品物を扱っている証であり、この会社はある種のステータスシンボルでもあった。私も、この会社が健在であった頃は、高級店として知られた「きしや」や「ちた和」のウインドに飾られた北秀の絵羽モノを見るために、よく銀座へ足を運んだものだ。そして、付けられた価格の高さに驚き、「銀座が特別な場所」であることを実感した。
品物に取り付けられている、今は無き「北秀商事」の商品札。札の左端に黄色で囲われた中に、北秀の会社ロゴマークが見える。倒産してからかなり時間が経っているので、ご覧のように札も折れ曲がっている。この札の付いた色留袖は、うちの棚に残っている貴重な北秀の品物の一つ。
さて、何故このお客様が、北秀のことを知りたいと思われたのか。それは、家の箪笥に眠っていた未仕立ての振袖に、上の画像と同じ問屋札が付いていたからである。ロゴマークは、非常に判り難い字体なので、よく北秀と読み取ったものだと感心するが、ともかくこの古い振袖が、どのような品物なのか、その出所を探ろうとしたのだ。
すでに破綻から20年が過ぎ、この会社のことを知る呉服屋も少なくなった。ネットの中でも、北秀に関わる話を書いている店は、私の知る限りでは、うちを含めて三軒だけ。あとの二軒は、青梅市の白木屋呉服店さんと、銀座の泰三さんで、どちらもとびきり上質な品物を扱い、呉服に関する知識が傑出したご主人が営まれる名店。バイク呉服屋とは、そもそも格が全く違う、雲の上のような存在の店である。
こうしてこの方に、バイク呉服屋を知って頂いたのだが、昨年の春、ご主人と娘さんを伴って、店にやって来られた。現在千葉・市川にお住まいだが、ご主人の故郷が甲府だったので、里帰りしたときに立ち寄ってくれたのだった。北秀を検索して見つけた店が、主人の実家に近いとは、本当に偶然のことだったと話される。そして、話を伺ううちに、ご主人は私の高校の後輩と判り、またまた驚いてしまった。
そして一年後、今年の春になってから、うちの店を知るきっかけとなった北秀の振袖を携えて、再び店を訪ねてきた。大学生の娘さんは、来年成人式を迎えるので、何とかこの品物を着用させたいと話す。そして、手持ちの帯で使えるものがあれば、それも使いたいという希望があった。
依頼を受けた私は、未仕立ての北秀の振袖と、手持ちの帯を使い、お母さんにも娘さんにも納得した着姿を作らなければならない。早速、持参された品物を拝見しながら、小物や襦袢を含めたコーディネートを、提案することにした。
(紋綸子 露草色地 青海波に衣桁連ね 京型振袖友禅・北秀商事)
特に近頃の振袖には、朱赤や黒などはっきりした原色系の地色を使ったものが多いが、この品物は、色目を極力抑えた優しい露草色を使っている。お母さんも娘さんも、この振袖を最初に見た時、華々しさに少し欠ける地味な印象だったらしい。
しかし私は、とても懐かしくなった。というのも20年前には、この品物と雰囲気の良く似た北秀の振袖を、うちでも扱っていたからである。それはこの振袖と同じように、地色に薄水色やおとなしい藤色、鼠色を使い、貝桶や御所車、糸巻きなどをモチーフにした、極めてオーソドックスな古典模様ばかりであった。
裾に、型糸目をそのまま模様に使った青海波を置き、模様の中心には掛け衣桁を段々に連ねる。衣桁の内側には箔を使い、牡丹や菊、桐、橘などの春秋の花々をあしらう。楚々とした中でも、十分に華やかさがある。
「地味過ぎませんか」と心配されるお母さんに、「確かにおとなしい印象はあると思いますが、模様は格調高く、この地色だからこそ醸しだせる上品な雰囲気を持っています。これはありきたりな品物ではありませんよ」と説明する。そして、検索された北秀という会社が、どのようなモノ作りをしていたのかもお話させて頂く。
こうして、この振袖が「確かな品物」であることを理解され、娘さんに着用してもらうことを決められた。そして有難いことに、「娘には、松木さんの話をそのまま伝えて、私が納得させます」とも話されたのだった。
振袖と一緒に持参された三本の帯。青銅色に衝立模様・白地に小さな狂言の丸・銀地に松と少し大きめな狂言の丸。
さて次の課題は、帯をどう合わせるかである。持ってこられた帯は、上の画像の三本。振袖と見比べながら、考えてみた。青銅色の帯は、色、模様ともかなり地味なので、使えない。残る二本ならば、どちらでも良さそうだ。
模様はどちらも、能衣装のモチーフとして知られる「狂言の丸」で、双方共に唐織。模様の派手さを考えれば、丸の大きい右側の帯を選ぶところだが、あえて小丸の帯を選んでみた。理由は、清々しい白地が、キモノの露草色と相性が良いこと、そして余計な模様を付けない丸紋だけの潔さが、着姿をより生かすことになると、考えたからだ。
仮絵羽を解いて湯のしをし、ハヌイされた状態で戻ってきた振袖。帯も汚れを確認しながら、一度丸洗いをする。白地だけに、よく注意をしなければならない。
この振袖は、依頼された方のお母さんが求めたものだが、ご本人は着用しなかったため、仕立てをすることなくそのままの状態で箪笥にしまわれていた。当時は、日本橋の浜町に住んでおられたと聞いて、北秀商事も同じ場所に店を構えていたことを考え合わせると、この方が北秀の品物を選んだのは、何がしかの縁がそこにあったようにも思える。もちろん、常識的には、消費者が問屋から直接品物を購入出来はしないのだが。
振袖と帯ともに、手持ちの品物を使うことに決まったところで、襦袢と小物のコーディネートを任されることになった。こちらは、全て新しく購入されるので、バイク呉服屋の腕の見せ所でもある。
半衿は、ごく薄いピンク地色に、挿し色の少ない小花刺繍。衿元は、過度に目立たせずに、あくまでも上品にする。
襦袢は、大きな梅模様で、柔らかいサーモンピンクのぼかし。
帯が地の空いた白地だけに、帯〆は濃い色の方が引き締まる。そこで、金糸で小花をあしらった茜色を使う。帯揚げには、柔らかい橙色のちりめん地に、小花刺繍を散りばめたもの。伊達衿は、帯〆と帯揚げと同系色ながら、双方の中間色を使ってバランスを取ってみた。
今回のコーディネートに使った小物類。橙色系で統一されていることが判る。長襦袢・伊達衿・ちりめん帯揚げ・帯〆の四点全て、加藤萬の品物。
こうしてまた、手持ちの品物を生かしつつ、新たな着姿を作ることが出来た。今回は、箪笥の中で眠っていた振袖が、20年の時を越えて、出番を迎えることになる。おばあちゃんが見立てた品物を、娘さんが保管し、お孫さんが着用する。まさに「時を駆ける振袖」である。
昨日、依頼されたお客様に仕上がったことを連絡すると、本当に喜んでいる様子が伝わってきて、私も嬉しくなった。来月中旬、千葉までお届けに参上するが、家族皆さんで、待っていて下さると言う。私もぜひ、喜ぶ顔を拝見して、楽しいひと時を共有したい。だから、宅急便で品物を送るような無粋なことは、しない。
Aさまには、お届けより先に品物を公開してしまったことを、この場を通して、お許しを頂きたいと思います。最後に、ご紹介した品物を、もう一度どうぞ。
呉服屋の商いの中でも、振袖に関わる仕事は特別な感情が備わっているように思われます。それは、娘さんの成長を喜ぶ家族全ての思いが、その着姿に象徴されているからではないでしょうか。無論男の子でも、成人した喜びは同じですが、振袖と言う衣装の持つ力は、男子のスーツ姿を吹き飛ばしてしまうように思います。
思い入れのある手持ちの品物を生かした振袖姿は、それぞれの品物に新たな息吹を吹き込みます。着用される娘さんには、家族の思いと共に、次の世代にもまた、品物を繋げて行って欲しいものです。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。