バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

夏の日盛り、軽やかに「紅梅」を着こなす

2018.07 22

7月も下旬近くなると、取引先からは、夏季休業の日程を知らせる通知が届き始める。この時期の呉服業界は、浴衣メーカーなど一部を除き、閑散期に当たるため、どこの問屋・メーカーもお盆の前後に一週間ほど休みを取る。そして、休み明けには一斉に展示会を開き、秋冬モノ商戦のスタートを切る。

そんな中、京都の問屋では、8月の盆の他に、7月の祇園祭に合わせて商いを休むところが多い。ご存知の通り祇園祭は、八坂神社の祭事であり、5月の葵祭(上賀茂・下鴨神社祭礼)、10月の時代祭(平安神宮祭礼)と並ぶ三大祭りの一つで、代表的な京都の夏の風物詩でもある。問屋の祭礼休みは、葵祭や時代祭には無く、祇園祭に限られるのだが、これには理由がある。

 

何と言っても祇園祭のハイライトは、豪華な装飾があしらわれた山車・山鉾が市内の大通りを巡る「山鉾巡行」であろう。この豪壮な行列を主催しているのは、八坂神社ではなく、社の氏子である山鉾町の人々。現在山鉾の数は33基だが、各々の町で管理保存され、祭り当日には鉾の引き回し役を担う。

八坂神社の氏子・山鉾町の地域は、それほど広範囲ではない。南北は、四条通と御池通の間、東西は烏丸通と堀川通の間。ここは古くから「室町」と呼ばれ、多くの呉服問屋が軒を並べており、我々呉服屋にとっては、仕入れのメッカである。

山鉾巡行が、現在のような形式を採るようになったのは、室町中期頃から。すでにこの時代には、室町一帯に有力な商家が集まり、「町衆(まちしゅう)」が組織されて、自治的に町が運営されていた。この時代、それぞれの町では、競うように贅を尽くした山鉾を製作し、祭礼の際に町を廻ったが、これが今に続く巡行の始まりとなっている。

 

室町に居を構える多くの呉服問屋が、これまで八坂神社の氏子として、また山鉾町の一員として、祭りを担う役割を果たしてきたことは言うまでも無いだろう。だからこそ、祇園祭には商いを休むのである。

連日37℃を越える猛暑の中、ひと月にわたって続く祇園祭。京都の夏を彩る祭りであり、これほど浴衣や夏キモノ姿が似合うイベントも少ないように思える。そこで今日は、夏の日盛りを優雅に過ごせる「紅梅」を、何点かご覧頂くことにしよう。

 

(江戸紫色 更紗文様 絹紅梅・竺仙  薄水色 涼花文 夏八寸帯・帯屋捨松)

紅梅の良さは、何と言っても、格子状に畝の付いた織生地による、独特の軽やかな着心地だろう。そしてそこに意匠を凝らした型紙を使い、染め上げている。これは、浴衣ではなく夏キモノであり、盛夏に限定して楽しむことが出来る贅沢な逸品と言えよう。

この品物の着姿を一見すれば単純に小紋であるが、その質感は着用している本人にしか判らない。薄物の素材には、絹、麻、綿、そして材質を掛け合わせた混紡があり、しかも織糸の細さや織り方により、風合いが変わる。多様な生地を自由に使い分け、それぞれの着心地を感じ取ることが、薄物の大きな特徴であり、これが着手の楽しみとなる。

 

絹15%・綿85%の紅梅。薄物には珍しい紫系の地色を使っているが、暑苦しくならず、爽やか。挿し色に多色を用いず、薄い若草色に限定しているからかと思える。

竺仙ではこの絹紅梅小紋を、江戸小紋を染める時と同じ「しごき染」を使って作っている。この技法は、まず生地に模様の型糊を置いた後で、染料を混ぜた色糊を、ヘラでしごきながら生地全体に塗りつける。そして、地色の糊をしごき終えると、生地の表面におがくずをまぶし、反物を蒸し箱に入れて乾燥させ、染料を定着させる。

生地を拡大してみると、表面に付いている凹凸した畝の様子がよく判る。この生地の段差=勾配が、さらりとした着心地を生んでいるのだ。

間隔を空けた縦縞の中に、蔓を持った更紗模様をあしらう。うねりながら上に登る流線的な模様は、着姿も伸びやかにする。更紗はどちらかと言えば密な模様が多いが、この図案はすっきりとしたモダンさが感じられる。洒落た模様の型紙と、薄物にふさわしい生地を使い、伝統的な技法で手染めをする。江戸の昔より染仕事を請け負ってきた、竺仙の技術が如何なく発揮されている品物と言えよう。

帯は、蓮花にも見える大胆な花弁を織り出した捨松の八寸を使ってみた。帯地色は、白に近い薄水色。キモノ地色の紫と同系色を、花の蘂に使っている。そして帯模様の配色としては、この色以外目立つ色がない。キモノが総模様的な更紗だけに、帯を少し大胆な図案にすることで、着姿を印象付けたい。

 

(縦菊花菱模様 絹紅梅・新粋染  南風原花織 紗九寸帯・手織工房おおしろ)

型紙が無ければ、模様を表現することは出来ない。これは紅梅に限らず、中型や他の浴衣、そして江戸小紋に代表される「小紋」も同じである。型紙こそが命であり、模様の出来が品物の価値を左右すると言っても、言い過ぎではないだろう。

だから浴衣を染めるメーカーにとって、型紙は特別なものだ。定番として毎年染めなければならない浴衣の型紙は、一年でも長く使えるように、本当に大切に扱う。そして、新しいモノ作りの際は、図案の研究を重ねに重ね、熟慮の末に新たな型紙を起こす。いつぞや竺仙の担当者が話していたが、万が一、店が地震や火事に見舞われた時、真っ先に持ち出すものが「型紙」だそうだ。型紙さえ残れば、何が無くとも品物を作ることが出来るからである。

新粋染は、竺仙に比べると小さい染屋だが、こと型紙に関しては、特別のこだわりを持つ。創業者の伊藤弥良は、伊勢型紙・縞彫の人間国宝、児玉博の従兄弟にあたり、その仕事ぶりを身近で見ていたことが契機となって、店を起こす。

模様には、染屋によって個性がある。竺仙の品物は、オーソドックスな古典的な模様を大切にしつつも、現代感覚に溢れた図案も数多く見られる。その一方、新粋染が染める図案には、意外性というか、虚を衝くような斬新さを感じる。今日の品物も、その一つである。

 

絹52%・綿48%の紅梅。白地に形の異なる二つの菊花菱を連続させ、立体的な模様に仕上げている。花菱文様は、菱形を横に向けて並べて表現することがほとんどだが、この紅梅の菊菱は縦に並んでいる。そして模様を連続させることで、反物を規則的に割付る役割も果たしており、これが独特の模様の姿となって表われている。

花菱文そのものは、決して珍しくはないが、既存の図案を回転させるという、ほんの少しの工夫で、斬新な模様となる。こういうところが、新粋染の「意外性」である。

先ほどの更紗紅梅より絹の比率が高いため、もっと軽い着心地となる。おそらく、風が通り抜けるように感じられるのではないだろうか。

画像を見て頂くと判るが、花それぞれは同じように見えても、花弁を構成する一本一本のスジは、微妙に違いがあり不規則。その上、揺らぎも見える。型紙を起こした職人の息使いが、模様そのものに感じられるようだ。これこそが、型紙小紋の醍醐味である。

南風原・おおしろ工房が製作した、手織の紗花織帯を合わせてみた。縦花菱が連続している個性的なキモノだけに、帯は単純な格子模様で控えめに。花織のあしらいは目立たないが、仰々しくないのがまた良い。帯地色の優しい若草色と花織の黄色、そして青い格子のバランスが良く、上品な装いとなる。

沖縄を代表する花織は、読谷と南風原だが、織機の綜絖(そうこう・経糸を開き、そこに緯糸を通す道をつくる道具)の数に違いがあり、仕掛けも異なる。南風原花織は、読谷よりも綜絖数が少ないために、シンプルな模様が多く、その分早く製織出来る。そして織手は、緯糸の色を自由に変えながら織ることが出来るため、帯の配色には職人の個性が表れる。

 

(本藍染 市松模様 綿紅梅・古庄紀治  生成色 唐花模様 八寸博多帯)

江戸以来の伝統技法を受け継ぐ「長板本染中形」は、大変難しい技術を必要とする。まず長い板の上に生地を張り、そこに小紋型を置いて糊型付けをする。この時、表裏両面で同じ位置に同じ模様が揃うように注意を払う。もし少しでもずれると、模様がぼやけてしまう。表裏同じ模様が重なることを、「裏が返る」と言うが、これが出来るか否かが重要であり、品物の肝である。

そして型付けを終えた生地は、藍甕の中に浸して染められる。どのような色に染め上げるか、目途とする色の深さにより、浸す回数が異なる。生地を浸しては引き上げ、空気に触れさせては甕に浸す。繰り返すたびに藍の色は深くなり、生地が染まっていく。

今でこそ、ほとんどの浴衣を化学染料で染めているが、忠実に江戸伝統の技法に基づくのであれば、やはり天然藍を使った浸し染となる。最後の品物は、この天然藍を染料に使って染めた紅梅を、ご覧頂こう。

 

藍の生産が阿波(現在の徳島県)で盛んになったのは、藩主となった蜂須賀家政が、栽培を奨励した桃山期以降のこと。それまで藩を貫く吉野川流域は、度々洪水を起こし、人々に被害をもたらしていた。そこで家政は、氾濫する川の水を逆手に取り、水分の多い土地を好む植物・藍の栽培を奨励したのである。

藍は一年草であり、水に強靭で生育も早い。春先植えた苗は、収穫する夏には70cmもの高さになる。この葉を刈り取り、天日で乾燥したものが、藍染の原料・「すくも」となる。

すくもは、乾燥した藍葉に水を打ちながら混ぜ合わせることで、生まれる。この作業を5日ごと、20回行う。これを「切り返し」と言う。100日かけて切り返しを繰り返し、最後に莚を掛けて「寝込み」を行い、ようやくすくもが完成する。

そしてすくもは、灰汁と一緒に藍甕に入れられ、そこにふすまや石灰、日本酒、水を加えて攪拌し、一定の温度(20℃程度)を保ちながら、発酵させる。10日ほどで、甕の真ん中があわ立ち、「藍の華」が出来る。この華が、染料として仕上がったサインとなる。そして、甕に生地を浸し、思う藍の色になるまで、繰り返し染めていく。

この紅梅は、そんな阿波徳島で6代続く紺屋・古庄紀治さんの手で染められたもの。古庄さんは現代の名工に認定されている、阿波藍染の第一人者。徳島県庁の玄関には、彼が製作した暖簾がひるがえっている。

綿100%の紅梅なので、絹紅梅に比べると、やはりしっかりとした生地の質感を感じる。地の藍色は、天然藍ならではの、柔らかく深みのある色相。模様は市松文だが、切り取られた囲みの中に、青海波、麻の葉、竹、小桜の模様が付いている。そして模様の間隔が不規則であり、まるで「パッチワーク」のようだ。

このような図案は、仕立てる際の模様の位置取り如何で、仕上がる姿が変わる。つまりは、和裁士泣かせの品物であり、それだけに面白みもある。天然藍と美しいデザイン、色と模様の双方に見るべきものがある良品と言えよう。

市松の面白さを生かす意味で、帯は無地場の多いものを選んでみた。生成の地色と、明るい水色の唐花だけを使うシンプルさが、潔い。これに、藍ひといろの帯〆を組み合わせると、すっきり感がなお増すように思える。

 

型紙の面白さと、独特の生地感を兼ね備えた紅梅は、他の品物にはない爽快な着心地を持つ。そして、模様のあしらいや、染料には、頑なに伝統を守る職人の心意気を感じることが出来る。

暑い季節だけに限定される、とても贅沢な品物だが、ぜひ一度は袖を通して頂きたい。着用されてみると、皆様が持っている薄物への認識が変わるかもしれない。そしてその着姿は、見る人を思わず「振り返させる」に違いない。最後に、今日ご紹介した三点の紅梅を、もう一度どうぞ。

 

明後日に予定されていた、祇園祭の後半を彩る「花傘巡行」の中止が、八坂神社から発表されました。この日の気温は38℃と予想され、参加者の健康状態が憂慮されていましたが、この猛暑では中止もやむなしでしょう。

子ども御輿を先頭に、八坂神社を出発した行列は、四条・寺町・御池・河原町の各通りを練り歩いて、社に戻ります。花傘をかぶった女性や、武者行列、そして祇園や先斗町、上七軒の芸妓さんや舞妓さんを乗せた曳き車も列に続き、例年総勢800人以上の華やかな巡行になりますが、今回の中止は、子どもや女性が大勢参加することに配慮した結果かと思います。

祭りを中止に追い込むほどの、灼熱地獄。この際は、八坂神社の祀り神様・スサノオノミコトにおすがりして、何とか暑さを鎮めて頂くより他に、手はありません。どうぞ皆様も、くれぐれもご自愛下さい。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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