「松木さん、うちの孫を説得して下さいな」。突然先月上旬、古いお客様から、こんな電話を頂いた。この方とは、このところ10年以上はご無沙汰になっていたが、以前は娘さんの振袖など、フォーマルモノを中心に、上質な品物を求めて頂いていた。
バイク呉服屋は、積極的な営業活動を仕掛ける訳ではないので、お客様から声が掛からなければ、ついぞご無沙汰になってしまう。また、振袖に関しては、他の呉服屋のように、パンフレットや案内状を送りつけることなど、何もしていないし、展示会も無い。だから、昔付き合いのあった方でも、現在の家族構成はわからず、この方のような馴染みのお客様でも、孫娘さんが存在することを、知り得ない。
けれども、ひと世代前に、上質な振袖を求められた方で、着用される娘さん・お孫さんがおられる場合には、必ずといって良いほど連絡が入る。もちろん、手持ちの品物を直し、改めて使う相談である。
私も、現在振袖に関わる仕事は、「ほぼ直すこと」と弁えているので、慣れている。とりあえず、着用されるお嬢さんと一緒に品物を持参して頂き、振袖・長襦袢・小物類の状態を見せてもらう。それと同時に、娘さんの寸法を測り、直しが必要か判断する。
保管状態が良ければ、手入れの手間も少なくて済み、娘さんと母親の寸法が似ていれば、全て品物を解くような、大仰な仕立直しをする必要も無くなる。最近は、身長は同じくらいでも、裄の長さが違うことが多いが、この場合は、袖付と肩付だけを解き、前の縫い跡を消して、寸法を直す。これだけなら、直し代は数千円で済む。
さて、「説得する」とは、どういうことか。よく話を聞いてみると、手元にある振袖一式を孫娘に見せたところ、「何だか昔っぽくて嫌だ」と、良い顔をしなかったそうだ。理由は、配色と模様が大人しく、単純に絵を描いたみたいとのこと。帯の色も、ほとんど見かけない鮮やかな緑色で、こんなの見たこと無いと、かなり不評だったらしい。
おそらくお孫さんは、毎日のように送り付けられてくる、振袖のパンフレットやカタログの類に掲載されている品物を見て、「今の品物との違い」を敏感に感じ、手元にある一式を、古くさいと思ったのだろう。そしてこれを、「現在の流行ではない」と、考えたのかも知れない。
そこでこの方に、「とにかく品物を持ちながら、お孫さんを店に連れてきて欲しい」と、お願いした。まず一度、本人に着せ付けてから、この振袖一式がどんな品物であるか、説明する。こんな時は、着た感じを自分で確認することが、何より大切だからだ。
その上で、品物を一つずつ説明する。どのように作られ、どのような質のモノなのか。今流行の振袖や帯と、どんな違いがあるか。また、何故このようなコーディネートがなされているか。
無論、二十歳のお孫さんには、私の話は難しく、簡単には理解されないだろう。しかし、質の良さを判って頂くという「熱意」は、心に届く。そして、話を聞きながら、改めて自分の着姿を見た時には、品物に対して、今までに無かった視点が生まれる。
そして、あれこれと話をさせて頂いているうちに、お孫さんの心が動き、この一組の振袖を使うことに納得された。
今日は、問題になったこの振袖を、皆様にご紹介しよう。品物をご覧頂けば、バイク呉服屋がムキになって、「この品物を使わない手は無い」と説得したことを、判って頂けるように思う。
(桜色暈し 椿梅早春文様 加賀友禅振袖・成竹登竹男 甲府市・M様所有)
これまでも、何回かブログの中で登場している、加賀友禅作家・成竹登茂男の手による振袖。成竹氏が得意とする椿と梅をモチーフに取り、あくまで優しく写実的に描いた逸品である。
この娘さんが話すように、確かにこれは「単純に絵を描いたような品物」であり、加賀友禅とは何たるものかを知らなければ、そんな印象を持ってしまうだろう。また、送りつけられてくるカタログの中の、インクジェット振袖だけを見ていれば、違和感を覚えることも、理解出来る。
成竹登茂男の作風は、加賀友禅の中でも特に写実性が高く、描く模様は、まるで一幅の日本画のように見える。その彩色も、加賀五彩を基本として、あくまで上品で繊細。花や枝葉の暈しも、一つ一つが異なり、丁寧な手仕事が伺える。
品物の価値が、どこに置かれているのかを知らなければ、質の判断は出来ない。だがそれは、作り手の仕事を説明していくことで、理解が生まれる。若い方は、それまで「ホンモノ」に出会ったことが無いのだから、質を弁えて品物を見ることは、出来なくて当たり前である。
地色は、はんなりとした優しい桜色。袖下や裾など、所々に僅かな濃淡を入れて、暈かしてある。成竹氏が描く振袖の一つのパターンでもある、紅白椿と梅花の組み合わせが、この作品にも見える。これまで同氏の振袖を、このブログで二点ご紹介したが、図案の雰囲気はいずれも似ている。後で比較してみよう。
模様の中心・上前身頃にあしらわれた、紅白の椿。成竹氏が振袖に挿す赤は、真紅と呼ぶのに相応しい強い色。それは、この花を模様の中心と決めて、存在を強く表現する工夫かと思える。そして、一方の白椿は、真紅の椿とは対照的に、楚々とした姿に描く。花弁の開き方も、赤はほぼ完全に開いた姿だが、白は僅かな蕾感を残している。
椿と共にあしらわれる梅花は、模様中心から少し上に伸びるように描かれている。図案のメインはあくまでも椿で、梅は脇役を務めている。そんな小さな梅花は、己の特徴を生かした役割を、模様の中で十分に果たしている気がする。
茜、白、青暈しに彩られた梅花。模様には、橙色の花も見える。一色で描く花、縁に暈かしを入れて濃淡に描く花、花芯の図案を変えている花など、一つ一つに工夫が見られる。そして、脇役の花と言えども、どこにどんな色の梅花を置けば模様が引き立つのか、作者は推し量って挿している。そのバランスは絶妙と言えよう。
地色とメインの椿の挿し色、そして周りを彩る梅花の色。全てが整っているからこそ、見る者に、この振袖の優美な印象が強く残る。
縫や箔を使わず、染の力だけで描く加賀友禅。図案や挿し色には、それぞれの作者の感性が表れ、独特の品の良さや優しい雰囲気を醸し出す。そしてこの作品は、すでに物故してしまった作者のものだけに、なお貴重である。
ではこの作品と、これまでご紹介した二点の振袖を比較して、ご覧頂こう。
(橙色暈し・紅白椿に梅文様 2013.6.23)
(桜色暈し・紅白牡丹に尾長鳥文様 2015・3・5)
(今日の品物)
三点を比較した時、最初の橙地暈しの振袖と、今日の振袖の構図がよく似ていることに気付かれると思う。地色と暈しの置き方は違うものの、椿と梅をモチーフとし、枝ぶりや花の位置、挿し色の付け方などは、ほぼ共通している。つまりは、この二点が同時期に作られた、いわば「姉妹作品」となっていることが判る。
加賀友禅には、このように、共通した図案で配色違いの品物が存在する場合がある。地色が変わることで、微妙に挿し色も変わる。それにより、同じパターンでも、少し印象が異なる。
(パロットグリーン地色 南蛮唐花文様 袋帯・龍村美術織物)
帯地としては、かなり珍しいビビッドな緑色。鸚鵡の羽を思わせる鮮烈な地色と、大胆な配色の唐花。思わず、ポルトガルとか南フランスをイメージしてしまいそうな帯。このような図案と配色は、龍村でしか生まれないだろう。
この娘さんが、「こんな緑色の帯、見たこともない」と言うのも、無理はない。今、どこを探しても、これほどインパクトのある帯は、そうそう見つかるまい。
上品を極める加賀友禅振袖と、目にも鮮やかなモダンな龍村帯の組み合わせは、実に対照的ではあるが、20歳という若さが、その特徴を存分に生かしきって、着こなしてしまう。もちろん、帯地色が白や黒に変わり、図案が七宝や菱文のような古典文様ならば、全く着姿の印象は変わるだろう。
けれども、可憐さと華々しさを融合した、個性的な着姿という点では、これに勝るコーディネートは、なかなか見当たらない。
「女性として、一番輝いている今だからこそ、装える姿がある」。そう伝えると、そこで初めて、娘さんは納得されたようだった。そしておばあちゃんも、ようやく安堵の表情を浮かべた。
今年はどういう訳か、振袖に関わる仕事の依頼が多い。いつもなら、年に5.6件なのだが、先月だけで5件を数えた。但しそれは、いつものように、母から娘へと受け継ぐための手直しの仕事であり、お客様が求め直す品物は、ほぼ小物類に限られている。
おそらく今は、ひと世代前に求めて頂いた振袖を、次世代が受け継ぐ時期に当たっているのかも知れない。そして二十数年ぶりに、店に里帰りしてきた品物と対面してみると、改めて質の良さが伺える。
こんな振袖や帯を目の前にすれば、「参りました」と頭を垂れる以外になく、新しい品物を奨めることなど、あり得ない。バイク呉服屋に求められる仕事は、出来る限り良い状態で、次世代の方々に受け継いで頂けるようにするだけである。
そしてこれからは、「若い方を説得する」場面も増えてくるように思う。実はつい先日にも、今回と同様に、お母さんから娘さんの説得を依頼されたケースがあった。この時は、総絞りの振袖で、これまた上質な仕事がしてある。いずれこの品物も、ノスタルジアの稿でご紹介したい。
今、カジュアルモノを楽しんでおられる40代前後の方々に、今日の話をしてみると、「私も、若い時には、何も判っていなかった」と口を揃えます。つまりは、このお孫さんと同じだったのです。
そして、質を知り、自分の好むモノを見極めるには、時間が掛かるとも話します。経験を積み、知識を増やすことが、何よりも大切と気付くには、やはり、それ相応の年季が必要なのかも知れません。
キモノや帯に関わることなど、判らなくて当たり前です。若い方に少しでも理解を深めて頂くためには、丹念な説明が呉服屋には求められます。これは、和装への関心を未来にまで繋げるか否かの、一つの分水嶺とも言えましょう。そう心して、仕事に臨まなければなりませんね。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。