バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

バイク呉服屋への指令(4) 校長先生の紫袴に合う、キモノの色を探せ

2018.03 05

昨年、内閣府が公表した「男女共同参画白書」を見ると、生産年齢にあたる20~64歳の人口は減っているものの、就業者数は増加しており、その過半は女性である。

男女雇用機会均等法が施行された1986(昭和61)年の女性就業率(20~64歳)は、53.1%。これが昨年では、66%に上昇している。また、子育て世代である25~44歳の就業率には、これがより顕著に現れており、昭和61年の57.1%から15ポイントも上がって、現在72.7%となっている。

つまり、この世代の女性の、4人のうち3人は働いていることになる。この結果からは、共働き世帯の増加や専業主婦の減少、さらに結婚年齢や出産年齢の上昇、未婚率の増加など、様々なことが見えてくる。現代社会における女性の生き方そのものが、数字となって表れているように思う。

 

さて、女性の職業を考えてみた時、家の外で働いて給料を得る「働く女性」が生まれたのは、明治維新以後のことである。それまでの女性労働は、家の中の仕事・家事や育児が中心で、後は、農家の女性なら農作業の手伝い、自営業の女性なら商いの手助けなどに、限られていた。

いわゆる「職業婦人」の仕事を振り返ってみると、まず思い浮かぶのが製糸女工の姿である。10代前半の貧しい農家の娘が、家の生活を支えるために、工場に働きに出た。その後、女性への教育熱が高まると、高度な知識を身につけた知的な女性が、専門職として働くようになる。

その代表的な職業が、医師や教師、看護師である。これは、戦前の男尊女卑で窮屈な日本社会では、仕事の内容において、数少ない男女差の少ない職業であった。中でも教師は、社会貢献を果たす花形職業であり、教壇に立つ袴姿に憧れる若い女性も多かった。

 

明治から大正期の女性達にとって、袴姿は、ある種のステイタスシンボルと言えるのではないか。矢絣御召に海老茶袴で通学する女学生は、海老茶式部と呼ばれていたが、1985(明治28)年に中等教育・女学校へ進んだ女性は、全体の僅か1.3%であり、1915(大正5)年でも、5%に過ぎなかった。

このことからも、教育の機会を与えられた女子は、限られた家の娘=裕福で教育に理解がある親を持つ子、と判る。だからこそ、多くの女性は、袴姿に憧れたのである。そして、学生だけでなく、教える教師も袴姿であった。無論、教師になるということは、教育を受けた女性ということになり、プライドも高かった。

 

現在、卒業式の式服として受け継がれている袴姿は、そんな時代への憧憬のようにも思える。大学の卒業式では、多くの女子学生が袴姿で参列し、女性教師たちは、生徒を送り出す卒業式には、袴を付ける。

そこで今日は、この春、ある小学校の校長先生がバイク呉服屋に依頼してきた、袴にふさわしいキモノの色選びについて、お話することにしよう。

 

紅藤(ライラック)色 一越ちりめん無地紋付・紫紺色 ウール無地行灯女袴

1月末の日曜日、一人の女性が店を訪ねてきた。年の頃は、バイク呉服屋と同じくらいである。用件を尋ねると、紫色の袴に合う無地のキモノを探していると言う。最初私は、この方の娘さんが大学の卒業式で着用するものと思い込み、「お母さんの若い時のキモノでも、良いのですが」と答えてしまった。

けれども、「いいえ、私が使うキモノです」と話されたのを聞き、この方が学校の先生だと判った。失礼を詫びた後によく話を伺うと、この方は、甲府市内の小学校に勤務する校長先生。親しい教員仲間の先生から、うちの店の評判を聞き受け、この日わざわざ訪ねてくれたのであった。

 

「実は、3月の卒業式が、校長として最後の勤めになります。子ども達と一緒に、私も仕事から卒業ですね。」ということは、今回のキモノと袴は、教師生活最後の晴れ舞台で着用するものとなる。

校長になってからは、卒業式に袴姿で臨むことは無く、黒か濃グレーの地味なスーツを使っていたと話す。それは、袴姿で式に参列する卒業学年の先生より、校長が目立ってしまったらいけないと考えたかららしい。

「今度の卒業式は、私にとっても特別な日であり、自分に似合う色のキモノを誂えて、思い出にしたいのです。袴を付ける機会も、もう二度とありませんから。やはり袴姿は、教師のシンボルかも知れませんね。」としみじみ話される。

ということで、校長先生の思いは理解出来た。では、最後を飾るキモノはどうすれば良いのか。品物は無地紋付と決めているので、問題になるのは色と生地である。そこで、先生と相談しながら、一番ふさわしい品物を考えていくことにした。

 

無地染めに使用した、一越ちりめんの白生地・四丈モノ

最初先生は、すでに染め上がっている無地モノの中から、似合う品物を選ぶと考えていたようで、生地や色を自由に決めて、自分だけの一枚を誂えれば良いのでは、という私の提案には大変驚いていた。

校長先生にとっても、特別な日となる卒業式。そこで着用する品物には、思い入れのあるものを、ぜひ使って欲しい。そんなことを話しながら、誂の素晴らしさを説明する。色無地は、自分の希望する色に染めて、作ることが出来るということを、知って頂く良い機会でもある。

予め染めてある無地の中から選べば、顔の映りが判りやすく、失敗は少ないと考える方が多いが、「自分だけの色」を自由に選ぶからこそ、品物へのこだわりを持つことが出来る。特別な日に着用するキモノの色だからこそ、ふさわしい色を選びたい。

 

白生地は、長浜(滋賀)ちりめんの一越。撚りの浅い糸で織るため、シボが小さく、フラットな生地の質感が残る。

演壇に立って話をしたり、証書を渡す際に、照明が当たって光る生地は避けたいと話されるので、この一越生地を使うことにする。紋綸子では、光が当たると生地面が浮き立つ。一越では、光に映っても生地の表情は変わらず、目立つことが無い。前に立つ時に、出来るだけキモノの色を抑えたいとの配慮が伺える。

この白生地は、裏地・八掛も一緒に取ることが出来る長さ(四丈モノ)があることを説明する。三丈白生地だと、八掛は別生地・別染となり、表と裏地の間に、色や生地質で齟齬が出ることがある。同じ生地で全く同じ色に染まる四丈は、表裏の関係を考えても理に適っている。

 

生地が決まったところで、最大の問題・染める色に話を進める。

菱一の色見本帳・芳美。まずこの見本を使って、色を探してみる。この中に思うような色が無ければ、違う見本帳で探す。

先生が持っている袴の色は、紫紺色の暈し。これに合うキモノの色を、探さなくてはならない。無論、キモノの色を自分で決めるのは、初めてのこと。

洋服では、濃い地味な色ばかり選んでいると話す。とにかく、「目立たないこと」がこの方の基本になっているようだ。けれども、キモノ地色を濃くしてしまうと、袴の色と差が無くなり、着姿が沈んでしまう。つまり、キモノに主張が無くなるのだ。

 

そこで、私から二つの提案をさせて頂いた。それは、袴より明度の高い色にすること。そして、袴と同じ色の系統を使うこと。

これは、校長先生のお顔立ちや体型から、私が判断したことである。この方の表情は柔らかく、子ども達に対する優しい眼差しが、すぐに思い浮かぶ。そして、少しだけふくよかな体型からも、明るい印象を受ける。

出来るだけこの雰囲気を、キモノの色にも出したい。そして、袴を合わせた時に、着姿全体が自然に映るようにする。こう考えると、袴と同系の紫、あるいは藤色系の明るい色に行き着く。色を提案する時に何より大切なのは、着用する方の個性を見極めること。ここを見誤ると、確かな着姿にはならない。向かい合ってお話させて頂くと、その方の持つ雰囲気を感じることが出来る。これが色のイメージに繋がるのだ。

 

こうして選んだ色が、9930番の紅藤色。藤の紫色に、少し赤みを含ませたような、明るさを持っている。札幌の木として知られるライラックの花は、こんな赤紫色の小さな花びらが幾つにも重なり、芳しい香りを放つ。この色は、可憐で清々しい花・ライラックの色でもある。

当初、明るい色を着たことがないので不安が残る、と心配していた校長先生も、この色に対するバイク呉服屋の熱意を感じ、お任せを頂いた。そして2月末の仕上がりを約束し、私は仕事に掛かることにした。

 

清澄白河の近藤染工さんに依頼して、2週間。生地が染め上がってきた。色見本帳と比較してみると、イメージ通りの色に仕上がっている。

以前近藤さんの仕事場へ伺った時、「見本色と100%同じ色に染めることは、不可能だが、色相を同じにすることは、可能である。感覚を磨き、色を合わせる。勝負は一瞬で決り、迷いがあると思う色にはなってくれない」と話してくれたことを、思い出す。

こうした優れた職人さんがいてくれるからこそ、誂えの仕事を受けることが出来る。そしてお客様にも、自分だけの色を選んで頂くことが出来る。

 

紋章上絵師・西さんの手で入れた、「丸に抱き茗荷」の染め抜き一つ紋。先生は退職後、出来る限りこのキモノを冠婚葬祭の場で使いたいと話す。この色ならば、金・銀地の帯でお祝いの席に、喪用帯で仏事に、それぞれ使うことが出来るだろう。

 

和裁士の保坂さんが縫い上げた、ライラック色無地紋付のキモノ。反物で見た時と同様、優しく明るい色に仕上がっている。私には、穏やかな春の光をも、感じさせてくれる色に思えるが、如何だろうか。

袴を合わせてみた。この袴は、うちで持っている品物なので、実際に先生が使うものは、もう少し紫色に偏る。なお、御紹介している画像で、キモノの色が違って見えるのは、写す際の光の当たり方に原因がある。何卒、ご容赦願いたい。

 

先週の土曜日、校長先生が品物を取りに来られた。仕上がったキモノをご覧に入れたところ、柔らかくて優しいこのライラック色に、大変満足して頂けた。色は、着る人のイメージを映す。子ども達にも、父兄の方々にも、校長先生の着姿は、印象に残るはずだ。

一人の教師の、人生の節目となる大切な場面で使うキモノ。そのお手伝いが出来たことを、私は嬉しく思う。やはり袴姿は、教師のステイタスシンボルですね、校長先生。

 

春は、人それぞれの思いが交錯する、旅立ちの季節。そして、多くの人と別れ行くのが、この3月です。私は幾つになっても、街で卒業式の袴姿を見かけると、鼻がツンとなるような甘酸っぱい学生時代を、思い出します。

教師ほど、人との出会いと別れを繰り返す職業は、無いでしょう。その限られた時間を子どもや生徒と共有し、共に喜び、共に悲しむ。そしてそれぞれの子の成長を実感する。これほど深く人と関われる仕事は、他にはありません。

難しい時代ですが、先生方には、誇りを持って、子ども達に向き合って頂きたいと、切に願います。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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