バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

誰が、技を継いでいくのか(前編) 西陣織職人のツイートに思うこと

2017.04 03

「西陣の手織機は、三代続くのが、難しいとも言われている。つまり、手機は工芸のたぐいだからであろう。親がすぐれた職工、いわば技芸の腕があったとしても、それは子どもに伝わるとは限らない。息子が親の芸のおかげで、怠けるのではなく、まじめにはげんだとしてもそうである。」

作家・川端康成は、代表作の一つ「古都」の中で、このように西陣の織技術を高く評価し、同時に後を継ぐことの難しさを記している。

 

先日、西陣の織職人がツイッターに「求人」を投稿したところ、多くの人から批判を受け、「炎上」してしまった。

どのような内容だったのか、かいつまんでご紹介すると、「西陣織を習い、将来仕事にしたい方を募集。ただし半年間給料は出せず、後の仕事の保証はない。西陣織職人は減リ続けているので、技術を習得したい人には、無料で伝授する」というものだった。

雇う人を半年もタダ働きさせ、その上、将来仕事があるかどうかも保証しない。このことが、「ブラック労働」とか「やりがいを搾取するだけ」と批判され、「こんな仕事は滅んでも構わない」などと、痛烈な意見まで返されてしまった。

 

短いツイートの文面だけを読めば、西陣の現場を知らない人からは、「ブラック」と非難されてもやむを得ないだろう。見習い期間は無給で、技術を習得しても将来仕事としてやっていけるかどうかもわからない。普通の会社求人募集では、「ありえない条件」だったからだ。

だが、これを発信した織職人のSさんは、求人ではなく、「習い事の生徒募集」ようなつもりだったそうだ。つまり、ツイートした内容が、多くの人に「仕事の求人」と捉えられるような文面だったことが、そもそもの誤りだったのだ。「西陣の織仕事を、無料で教えます。興味のある若い方は、ぜひ!」とでも書けば、決して炎上することなどなかったはずである。

 

Sさんは40代。何代も続く織屋に生まれた息子。家の仕事を受け継いだものの、経営は厳しく、織仕事だけでは生活出来ないために、新聞配達をして稼ぎを増やしている。自分の給料さえままならず、苦境にある中でも、何とかして「織の技術」だけは守ろうとする気持ちが強かったのだろう。ツイッターという手段を選んだのは、若い人に目を向けて欲しかったのだと思われる。

心ならずも、今回アダになってしまったが、図らずも世間に広く、西陣の厳しい状況が知られるところとなった。Sさんのところには、厳しい非難ばかりでなく、伝統技術を守るには厳しい環境下にある職人の仕事について、理解を示す声も届いているようだ。

 

業界の仕事の現状が、これだけ世間で話題になっているというのに、呉服業界や西陣の人からは、この件についてのコメントなり、意見がほとんど出て来ない。

そこで、今日から二回に分けて、西陣という町でどのように帯が作られてきたのか、そして、なぜ織屋は苦境にたっているのか、その現状をバイク呉服屋なりに考え、これを踏まえた上で、将来に技術を繋げる方策があるか否か、探ってみたい。

 

手機機で、熟練した技を駆使する西陣の織職人(紫紘の仕事場から)

まず、伝統工芸士として、腕を認められたSさんが、どうして生活もままならぬほど苦しいところに追い詰められたのか、その辺りから話を始めてみる。そのためには、現在の西陣がどのような生産状況にあるのか、知って頂く必要がある。

 

西陣で織っている帯の証明として、西陣織工業組合が発行しているメガネ型証紙がある。そこに記されている番号によって、どこのメーカーが製作したのかが、わかるようになっている。現在番号は、2500ほどあるが、倒産・廃業・組合離脱などで使われなくなったものが、かなり多い。現在の組合員は、298社(平成26年現在)。今から40年前の昭和50年には、1074社だったことを考えると、約四分の一に減少している。

メーカーが減れば、生産数も減る。袋帯・名古屋帯・袋名古屋帯・黒共(喪用)帯・綴帯・丸帯・小幅帯など、現在の全ての帯を合わせた生産数は、約60万本。昭和50年には、約733万本だったので、8.2%にまで落ち込んでいる。合わせて売り上げ高で見てみると、1340億から、159億まですべり落ちている。

1割以下に落ちた生産数に比例するように、製造する織機の数も大きく減少している。帯の織機には、人の手を使う手機・綴れ機、そして動力による力織機があるが、現在動いているものは、手機が691台、綴れ機が125台、力織機が2319台、全部で3135台。40年前の総台数が、29491台だったことから、やはり機そのものも、十分の一程度になっている。

この生産概況を見ると、現在の西陣は、ピーク時の1割程度の規模でしかないことがわかってくる。この40年間で、これほどまでに縮小してしまうと、生産現場の軋みのようなものが、様々なところに現れてくるだろう。

 

箔糸や多色の糸を使う精緻な模様の帯は、手機でなければ難しい(紫紘の織職人)

一本の帯が出来上がるまでに、様々な工程があり、そこにはそれぞれの職人がいることを、以前お話した。図案を作成する職人、原料の糸を加工する職人、機を織る準備(整経や綜絖)をする職人、そして織職人。西陣の大きな特徴が、この分業システムである。

帯のメーカーは、製造過程の全てにわたり、職人を持っているのではない。例えば図案などは、規模の大きい会社だと、意匠部を持ち、独自に図案を作成しているが、多くの機屋では、外部の図案師に委託している。

西陣の職人は、会社の外でそれぞれ独立して存在しており、メーカーから仕事を貰い受けることで、生計が成り立っている。つまり、仕事の依頼が来なければ、たちまち行き詰まることになり、全ての鍵はメーカーに握られているという訳だ。

 

分業の中でも、製織に関わる仕事は、古くから外部に委託するしくみが使われてきた。このことを、出機(でばた)あるいは賃機(ちんばた)と呼ぶ。

出機は、自宅に機を持ち、メーカーから依頼された帯を織る。必要な糸やその他の材料は全てメーカーが持ち込み、模様と本数が指定され、期日までに織り上げる。工賃は、織りの種類や模様などにより違いがある。また当然のことだが、機の種類(手機・綴れ機・力織機)で大きく変わる。

自分で紋図(模様の設計図)を作るようなメーカーだと、社員として織職人を抱えている場合が多い。特に、手機でなければ織り出せないような、精緻で多配色の高価な帯を作るメーカーでは、それが顕著である。例えば、上の画像の紫紘は、会社の三階に手織機がずらりと並んでおり、熟練した職人が仕事をしている。このように、会社自らが織工場を持って製織することを、内機(うちばた)と言う。帯のメーカーは、会社により、内機だけを使うところ、出機に任せるところ、さらに双方を兼用して製織するところに分かれている。

 

西陣では、なぜ、このような出機のしくみが長く続いてきたのか。それはひとえに、メーカー側の都合に合う方式だったからだ。メーカーが全ての帯を自社製織すると、売れる売れないに関わらずリスクが生じる。これを出機に外注することにより、生産数の増減が容易になり、経営が安定する。つまり、出機というのは、メーカーの生産調整弁として役割を果たしていたことになる。

帯の需要が多い時代では、この出機システムが有効に機能し、メーカー側も職人側も、得る所が大きかった。しかし、統計からも判るように、地すべり的に需要が落ちたことで、メーカーは生産量を絞りに絞った。そして当然のことながら、出機に発注される帯の数も、激減し、職人の生活は追い詰められた。

 

先ほど、機にも、人の手を使う手機・綴れ機と、機械に任せる力織機があることをお話したが、出機の多くは、力織機を使う織屋である。力織機は、手機とは異なり、短期間に大量生産が可能だ。機械で織る帯は、どちらかと言えば、単純で色使いが少なく、価格が安い品物が多い。だから、メーカーが提示する織代金も抑えられる。数多く発注を受けなければ、割りには合わない。需要が落ち、高価な手織帯が売れなくなったため、現在作る帯は、ほとんどが機械機になったのだが、それでも、出機の経営が潤うような仕事量にはならなかった。

そして、力織機を使う出機織屋を苦しめたのは、導入した織機械が高額なこと。力織機の価格は、一台1000万もする。設備投資はしたものの、メーカーから仕事が来なければどうにもならない。出機のほとんどは、夫婦二人の家族経営であるが、それでも生活が覚束ない。行き着く先は、仕事に見切りをつけ、廃業する他なくなるのだ。

 

ツイッターが炎上したSさんは、この力織機を使う出機織職人である。現在40歳代、親の後を継いでから、20年ほどになる。考えてみれば、バブル崩壊後、需要が加速的に少なくなっていった時代と重なり、経営に塗炭の苦しみがあったことは、想像に難くない。

彼の話だと、現在の織工賃は、一越(機を一度動かして糸を織り込むこと)僅か20銭。しかも、工賃は、年金制度が勘案されて、決められていると言う。

何故、出機の工賃に、年金が関わってくるのか。それは、西陣で仕事をする織職人の平均年齢と関連している。現在職人の平均年齢は、75歳。ということは、ほとんどの職人が、すでに年金を受給していることになる。

メーカーは、出機職人が年金受給者であることをいいことに、工賃を下げているのだ。つまり、年金と言う収入があるのだから、安く仕事を請け負わせても構わないという、理不尽極まりない、自分勝手な考えがそこにある。もちろん、「断ることは出来ないだろう」という、不遜な見通しを持った上でのことである。しかも、職人達が受給する年金は、ほとんどが国民年金であり、金額は知れていることが判っているはずなのに、そんなことにはお構いなしだ。

 

本来工賃は、職人の技術に対して支払われるものであり、年齢など関係ない。年を取っても、優れた腕を持つ人は多い。むしろ、この仕事は年齢を重ね、経験を積んだ人ほど、技術が高い。それを、年金が入るからという理由で、工賃を下げるとは、呆れてモノが言えない。こんな下職イジメをしている西陣のメーカーは、ほんの一握りで、うちの取引先では考えられないが、それにしても酷い仕打ちである。

そして、そんな年金受給を当てにしたような安い工賃を基準にされては、年金収入などない4.50代の職人など、たまったものではないだろう。生活が覚束なくなるのも、当たり前である。

 

Sさんが、「給料は出せないし、仕事の見通しが立たない」と、ツイートしたのは、こんな背景があるからだ。それでも、彼は、誰かに技術を繋ぎたいと強く考えている。だからこそ、若い人の目に触れるツイッターという手段を選んだ。多くの人からは、「やりがい搾取」などと非難されたが、すでに彼自身が「やりがいを搾取」されている状態なのだ。こんな苦境の中でも、織りを教えたいというのは、職人の魂の叫びでもあろう。

 

本来、技術を未来に残すことは、一人の職人が、自分を犠牲にすることではなく、業界全体、そして帯という品物に関わる全ての人たちが、智恵を出し合い、協力して考えなければならないことである。

この工賃一つを見ても、メーカー自身もかなり苦しい経営状態と判り、未来を見つめ、職人を育てることなど考える余裕は、無いかもしれない。けれども、「こんな仕事は滅んでも良い」とは思わない人が、この国には少なからず存在しているように思う。また、いると信じたい。

 

消滅させないためには、どのようにして技術を繋げるか。これは、西陣だけに止まらず、友禅の仕事の現場や、染メーカー、さらに日本各所に広がる織物産地にも共通する、大きな課題だ。小さな小売屋であるバイク呉服屋が挑むには、とてつもなく大きすぎるテーマだが、次回は私なりに方策を考えてみたい。

 

ツイッターで、一つの投稿に入力出来る文字は、140字だそうな。これでは、文章をまとめる力が全くない私には、とても使えません。

ツイッターや、フェイスブックなどの、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が、簡単に情報を発信でき、大きな広がりを期待出来るという、効率の良い利便性は認めますが、人との対応能力に乏しく、モノグサな私の性格にはまるで向きません。

せいぜいブログに長々と稿を書くくらいが、良いのでしょう。あわてて、沢山の人と繋がりを持っても、仕方ありませんので。

 

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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