老舗と称されるのは、100年以上続く会社や店舗であろう。その中で、現在最も長く続いている会社は、大阪・天王寺にある「金剛組」という建設会社。創業は、578(敏達天皇6)年というから、今から何と1438年前の飛鳥時代にまで遡る。これはもう老舗という域を超えていて、会社の存在そのものが、文化財みたいなものだ。
この会社は、道路を作ったり、マンションを建設するような普通の会社とは違う。主に請け負う仕事は、神社仏閣の建築や文化財の修復工事など、特殊な技術を必要とするものばかり。現在、100人もの宮大工が席を置き、日々の仕事に携わっている。
金剛組の創立は、593(推古天皇元)年に建立された四天王寺と関わりがある。この寺は、当時の崇仏派・蘇我氏との関わりにより、聖徳太子が建てたものだ。創建にあたって、太子は百済から三人の宮大工を招いたが、その中の一人が、この会社の創業者の金剛重光である。
四天王寺は、織田信長の焼き討ち(1576・天正4年)や、大阪冬の陣(1614・慶長19年)で建物が焼失したり、近代に入っても、室戸台風(1934・昭和9年)で五重塔が崩壊したりして、都合7回もの焼失や倒壊を繰り返す。
金剛組は、江戸時代まで寺のお抱え宮大工として、また、明治以後は文化財の修復業者として、四天王寺の再建に関わり続けてきた。それは、まさに寺とともに歩き続けてきた歴史であり、そこには、宮大工職人達の技術の伝承がある。ギネスブックには、世界最古の企業として登録されているが、老舗の名に相応しい仕事ぶりである。
呉服屋というのも、老舗が多い業態の一つであろう。商いの性質上、自分の顧客とは、代を繋いで長く関わり続け、扱う品物も特殊だからだ。現在ある老舗百貨店を考えても、そのほとんどが前身は呉服屋である。
三越は、1673(寛文13)年に、伊勢商人・三井高利が創業した越後屋。高島屋は、1831(天保2)年、飯田新七が京都で開いた古着屋が始まり。屋号の高島は、新七の義父・儀兵衛の出身地が近江の高島(滋賀県・高島市)だったことに由来する。
大丸は、1717(享保2)年、京都・伏見で下村彦右衛門が開業した古着商・大文字屋。スーパーやモールを日本中に展開している「イオン」でさえ、そのスタートは、1758(宝暦8)年に三重・四日市で開業した、伊勢木綿や麻織物を扱う太物商・篠原屋(のちに岡田屋呉服店)である。
歴史を長く繋ぐ店は、必ず後継者を育てている。会社や店の先頭に立つ経営者の仕事として、信頼の出来る跡継ぎを探すことは、最も重要なことになる。時代に応じた商いの形や、品物を提案出来る者か否か、その能力を見極めることは難しい。
日本の会社などは、ほとんどが同族企業であり、経営者は創業者一族の間で選ばれる。息子がいる場合など、小さいうちから経営者とするべく、英才教育を受けさせる。また、一昔前までは、有能な社員(昔で言うところの番頭)に目を付けておき、自分の娘婿に迎え入れるようなこともされていた。
跡継ぎが先代から引き継ぐものが、幾つかある。それは顧客であり、従業員であり、取引先であり、資金や建物である。受け継いだものを生かしながら、どのように発展させるか、その手腕が試される。
バイク呉服屋は、英才教育どころか、跡継ぎとして育てられた記憶は無く、期待もされてはいなかった。振り返ってみれば、小さい頃からほぼ放任されていたように思える。もちろん自分も、「呉服屋にだけはならない」と強く決めていたはずだった。だから、今のように様々なものを引き継いでいることは、思いもかけないことであった。
すでに、信頼して頂ける顧客や、自分の店舗を持っているということは、かなりの財産である。けれども呉服の需要が少なくなり、商売の環境が様変わりした今、残されたものだけでは仕事が維持出来ない。新たな顧客を作ることや、自分らしい商いの方法を考えて行かなければ、明日の飯を食べることも難しい。
そんな厳しい時代にあって、暖簾の有難さを強く感じることがある。それは優れた品物を扱う、店の取引先のことだ。先人が長い時間をかけて、上質な品物を作るメーカーや問屋との関係を築いてくれたおかげで、他の店では扱えないような品物を、今でも店の棚に置くことが出来る。
この品物があるからこそ、専門店としてのプライドを保つことが出来るように思える。前置きが長くなったが、今日はその「品物」という観点から、ネットで販売されているものを読み解いてみよう。
西陣証紙番号・644番の龍村美術織物と48番の帯屋捨松。どちらもネットでの扱いが多い機屋。
バイク呉服屋がネットで販売されているモノを見る視点は、品物の価格よりもむしろ、どんな品物が扱われているかということに重点が置かれる。前回書いたような、竺仙の浴衣や、小千谷縮、博多献上帯など、流通量が多く品物の質がわかりやすいものは、ネットの価格が一つの目安であり、参考になる。
けれども、小売専門店の立場からすると、売られている品物そのものの方が気になる。見ていくと、ネットでは扱いやすい品物とそうでない品物があり、中には全く見掛けないものもある。そのことを、少し具体例を挙げてお話し、なぜそういうことが起こるのか、考えてみることにしよう。
まず、「帯」を見てみよう。西陣で織られているものは、証紙番号が付けられていて、どこの機屋のものかすぐ区別が付く。価格比較サイトの価格.COMなどでは、機屋の名前で検索すれば、ネット上で扱われている帯とその価格を即座に見ることが出来る。
この検索により、数多くネットで扱われているのはどこの帯なのか、またネットに流れていないのはどこの帯なのかを、知ることが出来る。
検索して、多くの帯が出てくるのは、龍村。今日の時点で、517点もの帯がネットで売られている(価格.COMの検索による)。これは高額な袋帯から、比較的求めやすい光波帯、さらには帯の形に仕上げられたプレタのものまでを含めた数である。また、個性的な色や図案で知られる捨松も多く、名古屋帯を中心にして312点もある。
前回の価格比較の稿で、捨松の八寸織帯を取り上げたが、これだけ本数が揃って出品されていると、模様の違いや織り方の違いはあっても、価格の比較がしやすい。
では何故、龍村や捨松の品物が数多くネットに出されているか、ということだ。そもそも帯と言うものは、まず紋図(デザイン)を作ってしまえば、糸の色を変えて色違いを作ることも簡単に出来、数多くの品物を流通させることが出来る。龍村や捨松など、名前の通ったメーカーのものであれば、消費者にもある程度の信用があることから、わかりやすく求めやすい品物になる。つまり、売り手側で「扱いやすいメーカーの帯」ということになる。
メーカーでも、一枚の紋図で沢山の帯を売ることが出来れば、それに応じて利益も上がる。だから、ネットであれどこであれ、扱ってくれる業者がいれば、どんどん追加で帯を織り出し、売っていく。機屋と言えども、利益を追求する企業であるから、必然的にそうなる。経営者とすれば、当たり前のことだろう。ネットでは、手の掛かる手機(手織り)は少なく、機械織で比較的安い帯が中心であることからも、そんな背景が伺える。
それとともに、流通の仕方によっても、扱う量が変わる。龍村や捨松などは、直接メーカーから小売に品物を流すことが少なく、間に買い継ぎ問屋や、大手問屋など、いわゆる「品物を流通させる業者」が挟まれている。問屋は、求める小売屋が多ければ、どんどん買い継ぎ問屋から品物を仕入れ、その買い継ぎ問屋は注文に応じてメーカーから品物を仕入れる。
龍村や捨松などは、「ブランド帯」と言える存在だけに扱う業者が多く、それに伴い、生産される数も多くなる。だからネットでもポピュラーな品物となる。
また、龍村の高額な帯の中には、極端な値引きをしているものも、たまに見かけることがある。例えば、本来価格の50%以下と提示されて売られているような品物だ。値引かれる価格の原因は、二つあるように思う。
一つは、売っている小売業者が在庫処分として、品物に見切りを付けて安くしてしまう場合。これは、あえて損を覚悟で売りに出したものであり、消費者にとっては、「得する品物」と言えよう。もう一つは、小売業者が従来の価格より安く仕入れることが出来たため、通常価格より下げて品物を売ることが出来るケースである。
なぜ、小売屋や安く仕入れることが出来たのか、といえば流通させる業者である「買い継ぎ問屋」が品物を見切ってしまったことによる。採算を度外視して、品物を売る業者が流通過程の中に存在すると、必然的に小売の価格は下がる。だがそんな、安く仕入れたから安く売るという良心的な小売屋ばかりではなく、安く仕入れたのに値を下げず、多くの利益を手にする店もある。
以前、龍村の担当者に、極端に値引きされてネットで流通する高額な袋帯について、どう感じているのか質問してみた。答えは、流通の最終段階である小売屋の価格まで、管轄することは出来ないとのことだ。
龍村がもし、直接小売屋に帯を提供しているならば、ある程度価格を指導することが出来るだろう。けれども大半は、流通業者である買い継ぎ問屋へ卸すことが商いの中心になっているため、その先の小売屋のことが把握出来ていない。つまり龍村は、どこの、どんな小売屋が自分の帯を扱っているのか、その店の情報をあまり持っていないことになる。だから、ネットで極端な価格を付けた帯を見かけたとしても、どうにもならないのだろう。
ただ、光波帯や元妙帯のような、安い価格帯のものは、ほとんど値が崩れていない。これは、元々仕入れ価格が統一して決められている上に、利幅そのものが少なく、極端な値引きをすれば利益を上げることが出来ないからである。
今日取り上げた龍村や捨松の帯は、ネットで多く扱われてはいるが、その品物の価値が下がるということはなく、むしろ消費者にとっては訴求力のある品物であり、魅力的な帯である証と言えよう。
もう一つ消費者に知っておいて頂きたいのは、そもそも帯というものが、その製造工程の性質上(特に機械機のもの)作りやすいもので、量産することも可能なこと。同じ図案のものは、沢山織れば織るほど儲けも大きくなるため、生産過剰に陥りやすい可能性も含まれている。そうなると、一点あたりの価格は下がり、値が崩れるという訳だ。
以前、中国に生産をシフトして作った絽綴帯が、最後は一本数千円で取引されるような事態となり、「綴帯」の価値を大きく下げてしまったことをお話したことがあったが、これはまさに「作りすぎ」の成れの果てであった。しかも、中には稚拙な技術で織られたような「粗悪品」が含まれていたことで、価格の下落に拍車がかかった。
だが帯には、量産しやすいものがある一方、上質な糸を使い、複雑で精巧な紋図を作り、それを手織りで織り上げるような「稀少品」がある。おそらくそういう品物は、ネットにまでは出回ってこない。そして、その価格さえ簡単に知ることが出来ない。同じ帯というアイテムでありながら、この辺が一筋縄ではなく、消費者には大変判り難いところでもある。
今日は、ネットであまり扱われていない機屋の話まで書き進めるつもりだったが、すでにかなり長い稿になってしまったので、次回に譲ることにしたい。このネット販売では探し難い機屋について、今日と同じように具体的な例を挙げてお話することにしよう。
また、帯ばかりではなく、キモノについても同じように、ネットで販売される品物と、そうでない品物がある。それも含めて書くことにしたい。
「瓢箪から駒」のような形でこの仕事に就いたバイク呉服屋には、譲られた商いを手広くしようとか、後継者を決めて未来にこの仕事を繋げて行きたいという気持ちが希薄です。
これは「経営者」としては、かなり重要な部分が欠落していることになり、今まで暖簾を築いてきた先人には、申し訳ないことかと思います。
けれども、自分らしい商いをして、自分らしく自由に生きること。それは、人を雇うことなく経営をしているからこそ、許されることではないでしょうか。自分で仕入れて、自分で売り、自分で手直しを受ける。自己完結で終わるこの方法で、呉服屋を全うしたいと思っています。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。