「立春大吉」と、縦書きされた符が貼ってある寺や家がある。これは、何を意味するものかご存知だろうか。「立春」とあるので、何やら節気に関わることと考えられよう。
1247(寛元5)年の立春、曹洞宗の開祖・道元が、仏法の広まりや寺の繁栄を祈願した法話、「立春大吉文」の中には、15箇所に「大吉」の文字が見える。これにより曹洞宗の寺では、立春にあたり、社会や人々の安寧と幸福を祈る意味で(つまり厄除けと家内安全)、この立春大吉符を檀徒や信徒に配布している。
この札は、立春貼符と呼ばれ、寺の山門や家の玄関の右上に貼り付けられる。立春大吉と縦書きになっているのには意味がある。この四文字を良く見ると、左右対称である。ということは、裏から見ても全く同じに見えている。
節分といえば、豆まき=鬼は外・福は内だが、この符にも鬼退治の意味が込められている。もし、鬼が貼られている符を見て、家の中に入ったとしよう。けれども、入った家の中で、全く同じに見える符を見たら、家に入っていないような錯覚を起こし、外へ出て行ってしまう。つまり、この表裏一体の立春大吉符が鬼除け・厄除けの役目を果たすことになるのだ。
節分には、豆まきや恵方巻きの丸かぶり以外にも、こんな厄除けの習慣が残されている。なお、曹洞宗には、もう一枚の符がある。4月初めの節気、「清明」に貼られる「鎮防火燭(ちんぼうかしょく)」。字面で判るように、火を鎮める符である。春になり、強い南風が吹けば、火災に注意しなければならない。清明に貼り付けられるのは、その意味もある。立春大吉符を右に貼るので、この鎮防火燭符は左に貼られている。
さて、立春にふさわしい花を考える時に、まず思い浮かぶのは椿であろう。木偏に春と書くこの花こそ、春を告げる花。しかも、椿は日本原産の代表的な和花の一つ。赤・ピンク・白と寒風の中でも、鮮やかな色を付けるこの花は、かじかむ季節の中に彩りを与えてくれる。
今日は、キモノのモチーフとしてもポピュラーな、椿の花を取り上げることにしよう。
(椿文様 小千谷地織紬・椿模様 塩瀬染め名古屋帯)
椿が咲く季節は、12月から3月なので、春告花というより、むしろ冬が旬の花である。原産は日本なのだが、中世以前の文献にはそれほど多く登場することはなく、世間にこの花が広まったのは、室町期以降である。
公家や武家の庭花として植えられ、園芸を楽しむ花となったことで交配が始まり、多種多様な花が生まれた。花の色は、単色だけではなく、斑状に混ざったものや、絞りのように色が飛んでいるものがある。また形や大きさも異なり、一重に花びらを付けるものから、八重に重なる大輪のものまで、変化に富んだ姿を見せている。
椿は、その多彩な姿から、キモノや帯の意匠として、どちらかと言えば写実的に付けられることが多い。特に、加賀友禅などでは、モチーフとして使いやすい花になっている。では、品物で御紹介してみよう。
(墨桜地色 椿絣模様 小千谷地織紬・菱一)
優しい春霞のような印象の墨桜地に、椿の花だけを絣で表現している。小千谷といえば、縮のほうが知られているが、以前はこのような絣紬が沢山作られていた。
小千谷絣は、花をモチーフにしたものが多く、菊や牡丹などの大ぶりの花びらだけを、大胆に織り上げたものも見られたが、カジュアルモノの需要減に伴い、かなり生産は少なくなっている。この椿のような品物は、もう貴重品かも知れない。
小千谷紬は、経糸には生糸、緯糸は紬糸(双方ともに、真綿を紡いだ手紬糸のこともある)が使われ、手摺り込みで緯糸一本ずつに色を染めて絣を作っていく。そして、柄を合わせながら経糸と一緒に織り込んでいく。
この絣は、緯糸だけで模様が織り出されている「緯総絣(よこそうがすり)」。呉服屋では、このような品物のことを、簡単に「よこそう」と呼んでいる。上の椿絣を見てわかるように、グレーとベージュピンクで付けられた椿の糸と、墨桜地色の糸が織り合って、霞がかかったような色合いになっている。小千谷紬はこの織り方により、全体の色調が柔らかくなっている。
この、小千谷紬に付いていたラベル。画像では判り難いが、この品物は「菱一の別製」。別製とは、菱一が小千谷の産地問屋に作らせたオリジナル品という意味である。この柄は、菱一が自ら起案し、一定の反数を決めて織り上げさせたもの。つまりは、「留め柄(とめがら)」と呼ばれる誂え品であり、菱一がリスクを承知で作ったものということになる。
キモノが日常着として売れている時代には、問屋はそれぞれに、各織物産地でオリジナル品を作らせたのだが、時代と共に、リスクを背負ったモノ作りが出来なくなり、ひいてはそれが産地の衰退にも繋がってしまった。
この椿絣は、昨年の秋に菱一へ行ったときに、「以前作らせたオリジナル品の中で、最後まで残ってしまった柄なので、安くするから」と言われて仕入れたもの。通常の半値以下にしてもらったが、よくよく考えてみれば手に入り難い品物である。
いかにも春らしい、やさしい紬なので、誰かの目に止まるだろうと考えていたが、暖かくなる前に売れてしまった。安く仕入れたので、もちろん安く売ってしまったが。
(白地色 光琳椿模様 塩瀬染め名古屋帯・千切屋治兵衛)
椿の花のかわいらしさに惹かれ、思わず仕入れてしまった染帯。バイク呉服屋は、顔は怖いが、意外にかわいいモノ好きなのだ。
花びらを極端に図案化してあるが、輪郭で椿とわかる。染帯で使う時も、写実的に描かれることが多い花だが、ここまで図案的になることは珍しい。もしリアルな椿の花が描いてある帯ならば、仕入れることはなかっただろう。
帯の前部分の模様。紅白五枚の椿が、不規則な横並びで付けられている。帯地が白なので、清楚な感じが良く出ている。また、模様の配色に赤と白以外の色はなく、よりすっきりした印象を受ける。
尾形光琳の描く花は、徹底して花を省略している。自分の印象に残った一部分だけを意匠化する。大概の花は、丸みを帯びて描かれ、蘂などは簡単な線か点になっている。この椿も、そんな「光琳椿」を意識して図案化したものである。
この帯は、売れるか売れないか、ということを全く勘案せずに、自分が好きだから仕入れてしまったモノ。バイク呉服屋には、たまに、こういうものがある。
最後に、写実的に描かれた椿の花を見て頂こう。
(「春の訪れ」加賀友禅振袖・成竹登茂男)
匂い立つような春の息吹が感じられる振袖。椿を写実的に描かせたら、成竹登茂男氏の右に出る者はいないように思う。それほど美しく、優しく、鮮やかだ。
紅白それぞれの椿。花びら一枚一枚はもちろん、内側の蘂の一本一本まで、忠実に写しとっている。糸目の精緻さと、ぼかしを使った彩色は、見事という他はない。同じ椿を描いても、先ほどの図案化した帯とは、まさに対極にある品物であろう。
もちろん、どちらの描き方が良いというものではなく、写実的であっても図案化していても、椿という花に優しいイメージがあることに変わりはない。
立春を迎えても、まだまだ春は名のみの寒さ。文様としてキモノの中で様々に表現される椿に、少しでも春を感じとって頂きたく思う。
木偏に春と書くのが椿。夏は榎(えのき)、秋は楸(ひさぎ)、冬は柊(ひいらぎ)。不思議なことに、全部最後に「き」が付きます。どの花も、あまりその季節を代表するような、ポピュラーな花ではないところが良いですね。
ところで、木偏ということになると、わが家の三人の娘達の名前は、全て木偏プラス「子」。一人は木の一部分、他の二人は植物そのものの名前です。うちの姓は松木なので、彼女達の名前には、木が三つも並ぶことになります。どの娘も、森林状態のような名前ですね。ただし、変な親の趣味を押し付けて、申し訳ないとは思っていませんが。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。