花束を作ってもらうと、メインの花と一緒に「かすみ草」が添えられることが多い。花の見映えが引き立つように、あるいは色のアクセントとして、使われる。かすみ草は、白い小さな可憐な花で、自己主張しない。だからこそ、脇役として役割が果たせるのだろう。
秋の七草の一つ「薄(すすき)」も、文様の中では、かすみ草と同じような役割を果たしている。キモノや帯の中で、すすきの花を単独で描いた品は、ほとんどお目にかからない。だいたいが、菊や女郎花、桔梗などとともに使われ、その存在はあくまで脇役に徹しているようだ。
そのススキが、主役に近づく日がある。十三夜と十五夜のお月見。この日ばかりは、この花が飾り物の中になければ、格好が付かない。月見団子や栗、里芋などと一緒に、窓辺に供えられる。
月を愛でる優雅な習慣が始まったのは、平安中期・10世紀頃。世は、延喜・天暦の治と呼ばれた天皇親政の時代で、国風文化が大きく花開いていた。宮廷内で、花や月を愛でる行事が季節ごとに催され、和歌を詠み合い、弦に耳を傾け、酒肴に興じるという、雅やかなものであった。今に続く年中行事である、ひなまつりや端午の節句、七夕、そして月見なども、この時代には始まっていた。
今年の十五夜は、今度の日曜日の27日。十三夜は来月25日。ススキの穂の色はまだ小麦色、後の月と呼ばれる十三夜の頃には、少し白くなるだろう。こんな些細なことでも、季節のうつろいを感じることが出来る。ススキの別名は「尾花」。伸びる穂を、動物の尾に見立てて名付けられたものだ。皆様も、月や団子だけでなく、ススキの様子にも注目して頂きたい。
前回のコーディネートでは、京繍の品物を御紹介した。そこで今日は、様々にほどこされる縫い取りの技を見て頂こうと思う。基本的な技法は15種類であるが、代表的なものを幾つか選んで、どのように品物の中であしらわれているか、お話してみたい。
大陸から伝わった染織技術は、律令制度下においても重要視され、711(和銅4)年には、錦や綾、羅などの高級な織物を製作する国家機関・織部司(おりべのつかさ)が設置された。この役所は二官八省の中の大蔵省(内蔵寮)に属していたものである。その後、808(大同3)年に、中務省(朝廷職務の全般を把握する機関)の中に置かれている縫殿寮に、大蔵省の縫部司を合併したことで、後宮(天皇の妃)や朝廷の役人達の衣服製造が本格的に始まった。
縫殿寮というのは、元々は女官人事と縫製を監督する役所であった。これは、後宮十二司という天皇・后の家政機関があったので、ここに勤務する女官や製造される衣服について、取り仕切ることが必要だったからである。平安京に遷都した際に、この縫殿寮も移される。これが、京都へ染織技術を持つ多くの職人が集まる契機になったのである。
では、染織技術の中で、「繍」はどのように日本に伝わってきたのか。最初に入ってきたのは、仏画を刺繍で表現した「繍仏(ぬいぶつ)」という、信仰対象の掛け物であった。これは、刺繍そのものに価値があるのではなく、あくまでも、描かれている仏を拝めるものであり、いわば仏像などと同じように扱われたものだった。
繍仏は、飛鳥から白鳳、天平期にまたがり数多く製作されたが、現存している最も古いものが、「天寿国曼荼羅繍帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)」である。
この帳(とばり)は、推古天皇が聖徳太子を偲ぶために作らせたもので、極楽にあるとされる「天寿国」の様子を描いたもの。甲羅に四文字の字文を背負った亀と、踊るような兎の姿が楽しげに描かれている。
もちろん全ての模様が刺繍で表現されており、「返し縫い」という技法が取られている。これが、日本最古の刺繍となっている。なお、この天寿国曼荼羅繍帳については、以前このブログで詳しく解説したことがあるので(2013.11.10・聖徳太子と飛鳥文様 中宮寺編)、よろしければそちらの方も、ご一読願いたい。
平安時代以後は、繍が装飾の意味を持って使われ、貴族の装束にあしらわれる技法として、役割を果たすことになる。これは、時代を追って豪華に華やかに表現されるところとなり、江戸初期に流行した寛文小袖には、競うようにして、贅沢な繍が模様としてあしらわれていたのである。
では、京繍の様々な表現を、具体的に見ていくことにしよう。
(菅繍・すがぬい)
キモノにおける刺繍には、模様のほぼすべてを繍で表現しているものと、友禅の中の一つの技法として、染や箔、絞りなどと併用して使われている場合とがある。前回のコーディネートで御紹介した品は、柄の全てを繍で表現したものだったが、今日も、出来るだけ繍だけで模様が付けられているものを選んで、その技法を見ていくことにしたい。
最初の技法は「菅繍(すがぬい)」。これは、前回の白鼠地色の付下げにほどこされた技法と同じである。前の品では、同色の上にその糸の色が薄かったため、どのような縫い方がなされているか、判り難かったように思える。
最初の画像を見て頂くと、生地の地の目にそうようにして、繍われているのがわかる。そして、繍と繍の間には、わずかな隙間があるように見えている。
菅繍の繍目を拡大したところ。よく見ると模様の場所により、繍と繍の間隔が異なっている。金糸で付けられた一部の葉と枝の繍と、白い花の繍、さらに、橙色の小花の繍の違いに注目して頂きたい。
まず、金糸の一部の葉と枝の繍には、間隔がなくびっしりと並んでいるところがある。これは目詰めと呼ばれ、地の目を開けることなく繍をほどこす方法である。次に、白い花を見ると、わずかに隙間が出来ている。この、地の目を開けた菅繍技法を目飛ばしと言う。
目飛ばしには、地の目を一目置きに飛ばす方法と、二目置きに飛ばす方法があるが、一目より二目のほうが、繍と繍の隙間が広い。従って、上の模様では、白い花が一目飛ばし、それより少し広く見える赤い小花が、二目飛ばしで繍われていることになる。
また、繍糸の目を長い目と短い目に使い分ける場合がある。この長短不揃いに糸を渡す方法は、消し落としと言われるもの。これは、太さを半分にした糸を重ねて、針で継ぎ足しすことによって表現できる。
裏面から繍のほどこしを見てみた。繍と繍の間隔の空き方が、模様の部位により違うことがわかる。菅繍は、緯糸沿いに糸を引き渡し、それを繍閉じて押さえるという技法が取られている。繍目の間隔などは、よくよく注意して見ないとわからないが、模様を表現することに対して、繊細な試みがなされていることが理解出来よう。
菅繍がほどこされた品物(付下げ)の上前部分。最初の画像は、この模様を拡大したところ。途中の小花模様は、袖部分のあしらい。遠めに見ると、繍というよりも、織り込まれているようにも見える。これが、菅繍の特徴とも言えよう。
(相良繍・さがらぬい 鎖繍・くさりぬい)
仏教における7つの宝具の一つ、「宝輪」をモチーフにした図案。独特なこの輪模様の起源の元は、古代インドのチャクラムという武器であった。仏教では、教義を他人に伝えることを「転法輪(てんぽうりん)」と言うが、この武器を、世俗的なものを論破する道具に模したと考えられた。
千手観音や如意輪観音が持っているものが、この宝輪であり、また密教においては、中央に安置されるものである。仏教を象徴的に表現するような、大変尊いものだ。
宝輪をよく見ると、輪の中心から8方向に放射状に線が延びているが、これはインドにあった八つの部族を示している。つまり、インドの中の八方向に教義を広めるという意味だ。インドの国旗には、真ん中にこの宝輪が描かれているが、仏教の国のシンボルとして、いかに尊重されているかがわかる。
では、この宝輪模様にほどこされている繍を見てみよう。すこし判り難いが、丸いビーズの粒のように見える部分が、「相良繍(さがらぬい)」。この柄の中で「輪」を表現しているところは、全てこの技法が取られている。相良繍は、別名「玉繍(たまぬい)」と呼ばれ、生地の表面に結び玉を作って刺されるもの。数多い繍の中でも、特徴的で、わかりやすい技法の一つ。
模様を拡大したところ。丸い粒の相良繍で、丸い輪を描く。この繍の特徴が生かされたあしらい方。
そして、もう一つ。この輪と輪を繋いでいるのが「鎖繍(くさりぬい)」という技法。読んで名の如く、鎖のように線を表現するために使われるもの。繍技法の中でも、もっとも古くから使われている技の一つで、数多くの繍仏にこの繍が残されている。
この繍の特徴は、輪郭や模様を繋ぐ線を太くし、強調するために使われる。上の模様でも、九つの丸の真ん中に交差している菱型は、かなり太い線で表されていて、宝輪模様の「八方向に伸びるスジ」を意識的に印象付けている。
相良繍と鎖繍がほどこされた品物(付下げ)の上前部分。銀糸だけで繍われた宝輪文様は、控えめながらも仏教文様として独特の雰囲気を出している。繍糸が、銀と白だけを使っていることから、かなり個性的な品物に見える。
あと幾つかの繍技法を、御紹介しようと考えていたが、長くなりそうなので、次回にこの続きを書くことにする。次ぎの稿では、友禅の中で付属的・補足的にあしらわれた繍、つまり柄の一部に使われているものとしてどんなものがあるか、見ていくことにしたい。
どうやら27日は晴れる予報なので、十五夜お月さまを愛でることが出来そうです。今は、団子と一緒にススキを売っている店も多くなり、わざわざ自分で川原へ取りに行く人も、少なくなっているように思います。
ススキは、尾花という名の他に、「茅(かや)」とも呼ばれます。あの「茅葺き屋根」の材料の茅です。世界遺産になっている、岐阜・白川郷や富山・五箇山の合掌作り集落の近くには、茅を葺くためのススキ原があります。
秋が深まっていくごとに、穂は白くなり、晩秋の頃に風が吹くと、散らされて飛ばされていきます。日暮れの早まりと呼応するかのようなそのさまは、なかなか趣がありますね。
皆様も、十五夜のススキは、ご自分でご用意されたらいかがでしょうか。川原や野で採れば、それだけで季節を感じられますので。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。