バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

アトキンソン氏の提言について考える(2)供給者の理屈・流通現場編1

2015.09 29

2020(平成32)年に開催されることになった、東京オリンピック・パラリンピック。多額に膨れ上がった新国立競技場の整備費用や、酷似したエンブレムのデザインなど、このところ問題が噴出しているのは、ご承知の通りである。

昨年、9月7日の国際オリンピック委員会(IOC)の最終プレゼンテーションで、滝川クリステルさんが、日本人が伝統的に持っている「おもてなし」の心をアピールし、ついでに安倍首相が、福島原発は完全にコントロールされていると、胸を張ったことで、招致に成功した。

原発の状態が安全と言い切れるかどうかは、意見が分かれるところだが、「おもてなし」に関しては、多くの日本人が頷いたのではないだろうか。

 

しかし、アトキンソン氏は、この「おもてなし」という言葉について、疑問を投げかけている。

そもそも「おもてなし」は「お持て成し」であり、お客様を大切に扱うとか、歓待するという意味で使われる。この、日本人が古くから持っているお客様への対応の仕方を、アトキンソン氏は「押し付け」のように感じると言うのだ。

そして、日本人が考える「おもてなし」には、「上から目線」の発想が見えていると語る。それは、もてなす側の主人だけが自己満足し、客人の意を酌んだものになっていないということ。もてなしの本質とは、相手がどのようにして欲しいか見極めて、それに適切に対応するもの。つまり、通り一遍のサービスではなく、人によって違いがある要望に、臨機応変に答えられることなのだと。

 

滝川クリスタルさんは、「おもてなし」を「ホスピタリティ」と英訳したが、ホスピタリティとは、もてなす側(主人)と受ける側(客人)の双方が相互に満足するものでなければ、成立しない。これは、主人のもてなしに対し、客が感謝の気持ちを持ち、喜びを共有することだ。

つまり、アトキンソン氏は、日本人側のもてなし方が、外国人には響いておらず、喜びの共有にはなっていないと、指摘しているのである。それは、「おもてなし=ホスピタリティ」という図式が成り立っていないことになる。

 

このような傾向は、伝統工芸品の中にも顕著に見られると言う。GLOBE(3.1 朝日新聞・日曜版)の中で語っている「供給者の理屈だけで、消費者の目線がない」というのは、おもてなしが「主人の理屈だけで、客人の目線がない」ということと、完全にリンクしている。

彼は日本の工藝について、さるところでこんな発言をしている。「モノを作り出す側が、自分の技術だけを誇示し、見る側に技を説明したり知らせたりする努力がなされていない。」「優れた職人が生み出す優れた品物なのだから、価格は高くて当たり前と思わせている」のだと。

彼がこのように考える原因のほとんどは、作り出す職人よりも、扱う流通の者に負うところが大きい。中でも、もっとも重大な立場にあるのは、客人(消費者)と直接相対をする小売屋である。

 

前回は、呉服の価格というものを、モノ作りの現場から考えてみたが、今日と次回は、流通現場における様々な要因を取り上げてみよう。まず今回は、流通現場と生産現場の関係(メーカー・問屋と実際にモノ作りをしている職人)をお話することで、どのような過程で品物が流れているのかを、理解して頂こう。これを知って頂くと、何故呉服が高くなっているのかという、その姿が垣間見えてくる。また、この古くからの商慣習を変える事が容易ではないことも、わかるかと思う。

 

アトキンソン氏のインタビュー記事 3.1 朝日新聞・日曜版 GLOBE

 

我々呉服屋は一部を除いて、モノ作りの現場から直接品物を仕入れることが出来ない。

例えば、加賀友禅の振袖を自分で買い取って店に置きたいと考えても、作家から品物を買い入れることは出来ない。それは有名作家であろうと、そうでなかろうと、加賀友禅の落款がある品物(加賀染振興会の証紙が貼ってあるもの)は、必ず問屋を通って流通する。

この問屋も、一軒だけでは済まない。加賀友禅の落款登録者名簿の最後に、「加賀友禅産元卸商社」の名前が記載されている。この商社=元売(産地)問屋である。この元売問屋から、品物を買い入れるのが買継ぎ・大手問屋である。さらにこの買継ぎ問屋から品物を仕入れるような、いわゆる地方問屋を経由する場合もある。

図式にして見よう。作家→産地・元売問屋→大手・買継ぎ問屋→(地方問屋)→小売 当然ながら、品物が問屋を通る度に、価格が上がっていく。それぞれの流通の現場で、利益を取るからだ。

 

以前、加賀友禅作家・上坂幸栄さんを御紹介した時の稿でも書いたが、作家と元売問屋の関係は、対等ではない。元売問屋は、それぞれ何人かの作家を抱えていて、その人の製作した品物を買い入れる。つまり、品物に対してリスクを背負うことになる。もし買い入れた品物が捌けなければ、利益は見込めない。

だから元売では、モノ作りをする作家達に対して、様々な要望をする。例えば、すぐに捌けた品物で、この柄はまだ売れると判断すれば、同じ模様、同じ色のものを、二枚、三枚と作家に作らせることがある。

以前私は、自分が扱ったある加賀友禅作家の訪問着と、全く同じ地色、さらに全く同じ図案の品物(もちろん同じ作家)を見つけたことがあった。作家にとっては、品物は買い取ってもらえるので、問屋の意に沿うようにモノを作るだろう。

さらに、元売は色目や図案に対して、意見を述べることがある。作家のオリジナリティも大切だが、いかに「売れる品・売りやすい品」を作らせるかを考えるのである。もちろん、全ての作家がという訳ではなく、大御所と言われるような有名作家であれば、当然元売問屋より力が上と思われ、作られた品物に対して問屋が口を挟むなどということは、出来ないだろう。ただ一般的には、問屋が主導してモノ作りが進められている。

 

これと同じような構図が、紬産地にも見られる。今はかなり少なくなったが、以前大手問屋では、産地の機屋に「留め機(とめばた)」というものを置いた。

これは、図案や色目などを大手問屋が主導する形で考えられ、産地の機屋で織らせる。そこで出来上がった品物は、全て問屋に買い上げられる。大島や結城、十日町などの主な紬産地では、古くからこの商い慣習に基づいて、モノ作りがなされてきた。

しかし、カジュアル着である紬の需要が落ち込み始めると、大手問屋は商品を全て買い上げなければならない「留め機」方式を止めてしまう。つまりは、作った品物が売れ残って損失を出すという、リスクの回避である。これにより、「作れば買って貰える」という安心感はなくなり、機屋の経営は、不安定で先の見えないものになった。

以前の流通の図式は、産地機屋・留め機→大手問屋→(地方問屋)→小売だったものが、現在では産地機屋と大手問屋の間に、買継問屋が入り、ここを経由して品物が流通するようになっている。流通の段階が一つ増えれば、それだけ価格が上がることは言うまでもない。このような現象は、価格の問題ばかりでなく、オリジナリティに富んだ品物が作られず、ありきたりな図案や色ばかりに偏るという、モノ作りの本質にも大きな影響を与える結果となっている。

 

江戸友禅や京友禅のように、多くの職人と様々な工程を経て作られる品物も、問屋がプロデューサーの役割を果たしている。

数多くの優れた染絵羽モノを生み出していた北秀(倒産して十年以上が経つが)は、千ぐさとか千代田染繍とか大松(大彦や大羊居などの本家筋にあたる)といった優れた職人集団に品物作らせ、それを扱っていた。

北秀という会社は、何よりも質を重視し、その上独創的なデザインを取り入れていたために、職人の技が随所に散りばめられているような、いわゆる上物(じょうもの)と呼ばれる高級品を多く生み出した。このような品物が生まれたのも、北秀という会社が「モノ作りへの情熱」に溢れていたからこそ、なのである。

北秀は、品物に対してのリスクを背負っていたことにもなり、会社の利益よりも上質なモノを作ることを優先させていた、稀有な問屋であった。もうこの先、こんな会社は出てこないだろう。潰れてしまったことが、何とも惜しまれる。

北秀における流通の図式は、職人集団←北秀→小売。品物に対しての責任というものがよく表れている。本来の問屋の機能は、このようなものだ。

 

最後に、帯メーカーにおける流通の流れを御紹介しておこう。帯の場合、以前にもお話したように、メーカー→小売と直接品物が流れることもあれば、メーカー(どちらかと言えば小さな織屋)→買継問屋→小売と、ひとつ問屋を挟んで間接的に流通する場合とがある。

帯のメーカーは、モノ作りのリスクを減らすために、「賃機(ちんばた)」という独特の経営方法を生み出してきた。これは、メーカーが自分で織機を持って帯を織るのではなく、出機(でばた)という下請職人に、織を委託することである。

なぜ、自分の所で織らずに、わざわざ他所へ持ち出すのか。これは何よりリスクの回避である。全ての帯を自分の所だけで織って、もしそれが売れなければどうなるか、当然在庫の山となり、経営には大打撃だ。織機の設置費用はもとより、糸代や、織り手の人件費などを全て被ることになる。

これを外注に出せば、織機は持たずに帯を生産することが出来る上、出機(外注)へ出す本数を自由に調整出来る。経費が削減出来るばかりでなく、過剰在庫からも、ある程度回避出来るのだ。つまりこれは、帯メーカーのリスク回避として考えられた「智恵」であった。

仕事を請け負った側の出機職人の家は、ほとんどが夫婦二人で二台の機を持ち、もくもくと帯を織っていたようなところだが、需要減に伴い、メーカーから受ける仕事の量が減らされ、次第に機を止めてしまう。

以前、ほとんどの出機は西陣にあったのだが、最近は白生地産地の丹後に多くの仕事が出されている。先日、インクジェットの振袖とセットにされている帯が、丹後の出機で一本数百円などという、考えられないような安さで織られていることを耳にした。これは極端な例かも知れないが、メーカーと外注先の職人との関係がどのようなものなのか、よく表れている。

 

染・織・帯と、一通り流通の現場を見てきた。もちろん、これが流通の全てではなく、一端を御紹介しただけである。けれども、問屋というものが果たしてきた役割というものが、少しはお判り頂けたのではないだろうか。

我々が扱っている品物は、問屋の介在なしには、我々のところへ行き着かない。これは今に始まったことではなく、長い時間をかけて形作られてきたことであり、しかも需要の落ち込みとともに、その流れが歪んで変容している。

特に、モノ作りに対してリスクを回避しようとする姿勢が、問屋本来の役割を消し、そのしわ寄せが生産現場の職人達に、大きく及んでいる。何とかこの業界で飯を喰うため、「背に腹は変えられない」手段なのであろうが、とても消費者のことまで考えるような余裕など無い現実が、そこにある。

品物に対するリスク回避という問題は、問屋ばかりではない。多くの小売屋にも見られることだ。そしてこれが、価格が高騰する最大の原因にもなっている。次回は、もう一つの流通現場である小売屋の現状を、改めて検証してみたい。

 

アトキンソン氏の語る、「供給者の理屈しかない」というのは、その通りだと思いますが、今の流通現場の姿を見れば、「供給者は自分の理屈でしか仕事を考えられない」ということになるでしょう。

稿を進めていくと、消費者の目線に立つということに対し、何と難しい現実の姿なのかと、感じざるを得ません。

モノを供給する側と、消費する側、この双方が喜びを分かち合えるような、「ホスピタリティ」。この理想に少しでも近づくために、何をするべきか。この仕事を続ける限り、考えて行かなければなりません。

 

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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