2020(平成32)年に開催されることになった、東京オリンピック・パラリンピック。多額に膨れ上がった新国立競技場の整備費用や、酷似したエンブレムのデザインなど、このところ問題が噴出しているのは、ご承知の通りである。
昨年、9月7日の国際オリンピック委員会(IOC)の最終プレゼンテーションで、滝川クリステルさんが、日本人が伝統的に持っている「おもてなし」の心をアピールし、ついでに安倍首相が、福島原発は完全にコントロールされていると、胸を張ったことで、招致に成功した。
原発の状態が安全と言い切れるかどうかは、意見が分かれるところだが、「おもてなし」に関しては、多くの日本人が頷いたのではないだろうか。
しかし、アトキンソン氏は、この「おもてなし」という言葉について、疑問を投げかけている。
そもそも「おもてなし」は「お持て成し」であり、お客様を大切に扱うとか、歓待するという意味で使われる。この、日本人が古くから持っているお客様への対応の仕方を、アトキンソン氏は「押し付け」のように感じると言うのだ。
そして、日本人が考える「おもてなし」には、「上から目線」の発想が見えていると語る。それは、もてなす側の主人だけが自己満足し、客人の意を酌んだものになっていないということ。もてなしの本質とは、相手がどのようにして欲しいか見極めて、それに適切に対応するもの。つまり、通り一遍のサービスではなく、人によって違いがある要望に、臨機応変に答えられることなのだと。
滝川クリスタルさんは、「おもてなし」を「ホスピタリティ」と英訳したが、ホスピタリティとは、もてなす側(主人)と受ける側(客人)の双方が相互に満足するものでなければ、成立しない。これは、主人のもてなしに対し、客が感謝の気持ちを持ち、喜びを共有することだ。
つまり、アトキンソン氏は、日本人側のもてなし方が、外国人には響いておらず、喜びの共有にはなっていないと、指摘しているのである。それは、「おもてなし=ホスピタリティ」という図式が成り立っていないことになる。
このような傾向は、伝統工芸品の中にも顕著に見られると言う。GLOBE(3.1 朝日新聞・日曜版)の中で語っている「供給者の理屈だけで、消費者の目線がない」というのは、おもてなしが「主人の理屈だけで、客人の目線がない」ということと、完全にリンクしている。
彼は日本の工藝について、さるところでこんな発言をしている。「モノを作り出す側が、自分の技術だけを誇示し、見る側に技を説明したり知らせたりする努力がなされていない。」「優れた職人が生み出す優れた品物なのだから、価格は高くて当たり前と思わせている」のだと。
彼がこのように考える原因のほとんどは、作り出す職人よりも、扱う流通の者に負うところが大きい。中でも、もっとも重大な立場にあるのは、客人(消費者)と直接相対をする小売屋である。
前回は、呉服の価格というものを、モノ作りの現場から考えてみたが、今日と次回は、流通現場における様々な要因を取り上げてみよう。まず今回は、流通現場と生産現場の関係(メーカー・問屋と実際にモノ作りをしている職人)をお話することで、どのような過程で品物が流れているのかを、理解して頂こう。これを知って頂くと、何故呉服が高くなっているのかという、その姿が垣間見えてくる。また、この古くからの商慣習を変える事が容易ではないことも、わかるかと思う。
アトキンソン氏のインタビュー記事 3.1 朝日新聞・日曜版 GLOBE
我々呉服屋は一部を除いて、モノ作りの現場から直接品物を仕入れることが出来ない。
例えば、加賀友禅の振袖を自分で買い取って店に置きたいと考えても、作家から品物を買い入れることは出来ない。それは有名作家であろうと、そうでなかろうと、加賀友禅の落款がある品物(加賀染振興会の証紙が貼ってあるもの)は、必ず問屋を通って流通する。
この問屋も、一軒だけでは済まない。加賀友禅の落款登録者名簿の最後に、「加賀友禅産元卸商社」の名前が記載されている。この商社=元売(産地)問屋である。この元売問屋から、品物を買い入れるのが買継ぎ・大手問屋である。さらにこの買継ぎ問屋から品物を仕入れるような、いわゆる地方問屋を経由する場合もある。
図式にして見よう。作家→産地・元売問屋→大手・買継ぎ問屋→(地方問屋)→小売 当然ながら、品物が問屋を通る度に、価格が上がっていく。それぞれの流通の現場で、利益を取るからだ。
以前、加賀友禅作家・上坂幸栄さんを御紹介した時の稿でも書いたが、作家と元売問屋の関係は、対等ではない。元売問屋は、それぞれ何人かの作家を抱えていて、その人の製作した品物を買い入れる。つまり、品物に対してリスクを背負うことになる。もし買い入れた品物が捌けなければ、利益は見込めない。
だから元売では、モノ作りをする作家達に対して、様々な要望をする。例えば、すぐに捌けた品物で、この柄はまだ売れると判断すれば、同じ模様、同じ色のものを、二枚、三枚と作家に作らせることがある。
以前私は、自分が扱ったある加賀友禅作家の訪問着と、全く同じ地色、さらに全く同じ図案の品物(もちろん同じ作家)を見つけたことがあった。作家にとっては、品物は買い取ってもらえるので、問屋の意に沿うようにモノを作るだろう。
さらに、元売は色目や図案に対して、意見を述べることがある。作家のオリジナリティも大切だが、いかに「売れる品・売りやすい品」を作らせるかを考えるのである。もちろん、全ての作家がという訳ではなく、大御所と言われるような有名作家であれば、当然元売問屋より力が上と思われ、作られた品物に対して問屋が口を挟むなどということは、出来ないだろう。ただ一般的には、問屋が主導してモノ作りが進められている。
これと同じような構図が、紬産地にも見られる。今はかなり少なくなったが、以前大手問屋では、産地の機屋に「留め機(とめばた)」というものを置いた。
これは、図案や色目などを大手問屋が主導する形で考えられ、産地の機屋で織らせる。そこで出来上がった品物は、全て問屋に買い上げられる。大島や結城、十日町などの主な紬産地では、古くからこの商い慣習に基づいて、モノ作りがなされてきた。
しかし、カジュアル着である紬の需要が落ち込み始めると、大手問屋は商品を全て買い上げなければならない「留め機」方式を止めてしまう。つまりは、作った品物が売れ残って損失を出すという、リスクの回避である。これにより、「作れば買って貰える」という安心感はなくなり、機屋の経営は、不安定で先の見えないものになった。
以前の流通の図式は、産地機屋・留め機→大手問屋→(地方問屋)→小売だったものが、現在では産地機屋と大手問屋の間に、買継問屋が入り、ここを経由して品物が流通するようになっている。流通の段階が一つ増えれば、それだけ価格が上がることは言うまでもない。このような現象は、価格の問題ばかりでなく、オリジナリティに富んだ品物が作られず、ありきたりな図案や色ばかりに偏るという、モノ作りの本質にも大きな影響を与える結果となっている。
江戸友禅や京友禅のように、多くの職人と様々な工程を経て作られる品物も、問屋がプロデューサーの役割を果たしている。
数多くの優れた染絵羽モノを生み出していた北秀(倒産して十年以上が経つが)は、千ぐさとか千代田染繍とか大松(大彦や大羊居などの本家筋にあたる)といった優れた職人集団に品物作らせ、それを扱っていた。
北秀という会社は、何よりも質を重視し、その上独創的なデザインを取り入れていたために、職人の技が随所に散りばめられているような、いわゆる上物(じょうもの)と呼ばれる高級品を多く生み出した。このような品物が生まれたのも、北秀という会社が「モノ作りへの情熱」に溢れていたからこそ、なのである。
北秀は、品物に対してのリスクを背負っていたことにもなり、会社の利益よりも上質なモノを作ることを優先させていた、稀有な問屋であった。もうこの先、こんな会社は出てこないだろう。潰れてしまったことが、何とも惜しまれる。
北秀における流通の図式は、職人集団←北秀→小売。品物に対しての責任というものがよく表れている。本来の問屋の機能は、このようなものだ。
最後に、帯メーカーにおける流通の流れを御紹介しておこう。帯の場合、以前にもお話したように、メーカー→小売と直接品物が流れることもあれば、メーカー(どちらかと言えば小さな織屋)→買継問屋→小売と、ひとつ問屋を挟んで間接的に流通する場合とがある。
帯のメーカーは、モノ作りのリスクを減らすために、「賃機(ちんばた)」という独特の経営方法を生み出してきた。これは、メーカーが自分で織機を持って帯を織るのではなく、出機(でばた)という下請職人に、織を委託することである。
なぜ、自分の所で織らずに、わざわざ他所へ持ち出すのか。これは何よりリスクの回避である。全ての帯を自分の所だけで織って、もしそれが売れなければどうなるか、当然在庫の山となり、経営には大打撃だ。織機の設置費用はもとより、糸代や、織り手の人件費などを全て被ることになる。
これを外注に出せば、織機は持たずに帯を生産することが出来る上、出機(外注)へ出す本数を自由に調整出来る。経費が削減出来るばかりでなく、過剰在庫からも、ある程度回避出来るのだ。つまりこれは、帯メーカーのリスク回避として考えられた「智恵」であった。
仕事を請け負った側の出機職人の家は、ほとんどが夫婦二人で二台の機を持ち、もくもくと帯を織っていたようなところだが、需要減に伴い、メーカーから受ける仕事の量が減らされ、次第に機を止めてしまう。
以前、ほとんどの出機は西陣にあったのだが、最近は白生地産地の丹後に多くの仕事が出されている。先日、インクジェットの振袖とセットにされている帯が、丹後の出機で一本数百円などという、考えられないような安さで織られていることを耳にした。これは極端な例かも知れないが、メーカーと外注先の職人との関係がどのようなものなのか、よく表れている。
染・織・帯と、一通り流通の現場を見てきた。もちろん、これが流通の全てではなく、一端を御紹介しただけである。けれども、問屋というものが果たしてきた役割というものが、少しはお判り頂けたのではないだろうか。
我々が扱っている品物は、問屋の介在なしには、我々のところへ行き着かない。これは今に始まったことではなく、長い時間をかけて形作られてきたことであり、しかも需要の落ち込みとともに、その流れが歪んで変容している。
特に、モノ作りに対してリスクを回避しようとする姿勢が、問屋本来の役割を消し、そのしわ寄せが生産現場の職人達に、大きく及んでいる。何とかこの業界で飯を喰うため、「背に腹は変えられない」手段なのであろうが、とても消費者のことまで考えるような余裕など無い現実が、そこにある。
品物に対するリスク回避という問題は、問屋ばかりではない。多くの小売屋にも見られることだ。そしてこれが、価格が高騰する最大の原因にもなっている。次回は、もう一つの流通現場である小売屋の現状を、改めて検証してみたい。
アトキンソン氏の語る、「供給者の理屈しかない」というのは、その通りだと思いますが、今の流通現場の姿を見れば、「供給者は自分の理屈でしか仕事を考えられない」ということになるでしょう。
稿を進めていくと、消費者の目線に立つということに対し、何と難しい現実の姿なのかと、感じざるを得ません。
モノを供給する側と、消費する側、この双方が喜びを分かち合えるような、「ホスピタリティ」。この理想に少しでも近づくために、何をするべきか。この仕事を続ける限り、考えて行かなければなりません。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。