行く夏に なごる暑さは夕焼けを 吸って燃え立つ葉鶏頭 秋風の心細さは コスモス
70年代中頃に作られた荒井由実の楽曲・「晩夏(ひとりの季節)」の冒頭のフレーズ。夏の終わりになると、必ず聞きたくなる小佳曲。お盆休みが終わり、夏の高校野球が佳境に入る頃、少しずつ季節が移ろいだす。
この歌の中には、ほんのわずかな色の移ろいが、美しく切り取られている。空色は水色に 茜は紅に 藍色は群青に 薄暮は紫に と描いている。
季節がすこしずつ落ち着いていくさまを、色で表現する。ユーミンの絵画的で、写実に富んだセンスを伺い知ることが出来る。さらにこの詞が「七五調」で書かれているところが実に和歌的で、とりわけ心に響くように思える。
ということで、今月のコーディネートでは、過ぎ行く夏の彩りを水色系の小紋と名古屋帯を使って、表現してみたい。
極薄水色(甕覗色)絽小紋 水色(雫色)紗九寸名古屋帯
バイク呉服屋のコーディネートには、藍や水色系の濃淡合わせが多い。今年5月の、久米島格子紬と藍無地帯の合わせもそうである。確かに、爽やかさや涼やかさを感じさせる色ではあるが、なんとなく当たり前すぎて、芸がないような気もする。
薄物は、淡く薄い地色のものが多いので、使う帯次第により着姿が変わってくる。そこで、品の良さを前提にして考えると、どうしても同系色の濃淡でまとめたくなる。特に藍や水色系のキモノ地色の場合、その傾向が強い。白やベージュ系の帯でも良いが、帯だけが浮き上がるように見えることがある。
(薄水色 飛絞り流水に蜻蛉模様 絽小紋・菱一)
水色にややグレーが掛けられたような地色。色は極めて薄く、甕覗色のように白に近い。水の透明感を感じられる色と言えようか。絽目が縦に付けられていることで、よりすっきりと見える。
模様は、小帽子絞りが間隔を広く空けて点々と付けられる、いわゆる「飛び絞り」模様である。また小帽子の中には、手で模様が挿されている。無地感覚に近い小紋であるが、それなりに少し手が掛けられている。
小帽子絞りに挿された模様。流水に蜻蛉。
帽子絞りは、その大きさで小帽子(直径3~4cmまで)・中帽子(20cmくらいまで)・大帽子(20cm以上)に分けられる。この技法は、柄を白く残して模様付けをする際に用いられるもので、絞った時に帽子をかぶったように見えることから、この名前が付いた。
小帽子の場合、白く残す部分に染液が入らないようにするため、布地をビニールなどで覆い、麻糸で巻き上げる。大きく残す中帽子や大帽子の時には、裏側に芯を入れた上で表面を竹の皮などを使って覆い、糸で巻き上げる。芯を使うのは、生地の裏から染液が浸み込まないようにするためである。この芯は、以前には木や新聞紙などを丸めたものがよく使われていたが、最近は樹脂製のものが多いようだ。
模様が付けられていない小帽子絞り。この技法は、柄の中で花を表現する時などによく使われる。例えばこの小帽子を幾つかの花弁として使ったり、花芯として使ったりする。どちらもその模様からは、優しい印象を受ける。
飛び柄小紋の模様の配置が厄介なことは、以前にも何度かお話した。基本は模様が均等になるようにすること。無地部分が極端に広がっている箇所がないように注意する。特に背とおくみ部分は、模様の間隔がほぼ一定になるようにしておかなければ、バランスが崩れる。
この小紋の場合、小帽子絞りの中に、無地のものと模様が挿されているものの二種類の模様がある。この二つの柄を交互に、しかも一定の間隔になるように合わせていく。それを考えると、上の画像のような模様の配し方になる。
(水色地 インダス花文様 紗九寸名古屋帯・帯屋捨松)
少し蛍光的な水色地が、いかにも捨松らしく個性的。模様はインダス花と名付けられているが、桔梗の花弁を図案化したようにも見える。模様の織糸は青と薄水色と金糸だけなので、クールで爽やかさが残るような帯の印象だ。
これは、夏帯の涼感を最大限に引き出すような、色の配色と言えよう。また、面白いのは模様の配置。上の画像は太鼓部分を写したところだが、横に並んだ三枚の花弁が、太鼓の上部と下部に付けられ、真ん中が無地になっている。中心に柄を置かないというのは斬新で、地色の雫色がいっそう強調されている。
花と花とを繋ぐ蔓があることで、模様が立体的になる。また濃淡のある金糸部分がアクセントになっていて、この帯のモダンさを引き立てているようだ。
花模様部分の下部に使われている織り糸。藍と青の二色のほか、数種類の金糸で構成されていることがわかる。単純な模様だけに、糸の色をどのように決めるかが、なおさら難しいと思われる。
さて、このキモノと帯をコーディネートしたらどのようになるのか、ご覧頂こう。
前の合わせから。同系統と思われた色だが、ご覧のようにキモノと帯のコントラストが出てくる。どちらも水を想起させる色で、見る者に涼感を呼び起こさせるような彩りになっている。
帯の前の模様は、一枚の花弁だけが出てくるので、なおすっきりとする。キモノも、無地場が多いあっさりとした柄付けなので、余計なものを排除した同士の組み合わせということになろうか。
キモノと帯の地色の相違を見て頂こう。これだけ濃淡が付いていれば、着姿がぼやけた感じにはならないと思える。同系色でも、濃淡の付き具合により雰囲気が変わる。どの程度が一番バランスがとれているか考えるのは、難しい。
お太鼓部分。紗で織り上げられているので、光の当たり方により、帯の蛍光的な水色が自然に変化しているように見える。小物合わせをしなかったが、帯の花芯に使われている濃い藍色の帯〆を使うと、全体が引き締まるだろう。
水色や浅葱色は、やはり夏に相応しい色であり、これを濃淡で組み合わせることができるのは、薄物なればこそだと思う。淡い色同士なだけに、いかに着姿をぼやけさせないかということが、大切になる。
このような場合、キモノよりも帯の地色をどのように考えるかが問題で、キモノ地よりも濃くするか薄くするかで、雰囲気が変わる。今日は、キモノよりも濃い同系色の帯地を使ったが、逆により薄い帯地、例えば白地などを使えばまた違ってくるだろう。
どちらにせよ、絽小紋のようなカジュアル着のコーディネートに、決まりなどなく、使われる方が自由に、涼感あふれる着姿をご自分で探されれば良い。皆様が、残り少なくなった夏キモノの季節を、少しでも楽しんで頂ければと思う。
ユーミンが持つ色に対する繊細な感性は、もしかしたら呉服屋の娘として生まれたその環境に拠るのかもしれません。多摩美術大学で日本画を専攻し、染色を学んだことも、大いに影響があるでしょう。
この「晩夏」という楽曲は、1976(昭和51)年の11月にリリースされた「十四番目の月」というアルバムの中の最後の曲として、おさめられています。この中には、「中央フリーウェイ」のようなメジャーな曲も含まれていますが、この「晩夏」や「さみしさのゆくえ」、「グッド・ラック・アンド・グッド・バイ」など、叙情感に溢れた名曲が並び、今聞いても全く古さを感じさせません。
バイク呉服屋も、ユーミンと同じ中央線沿線(八王子と甲府)の呉服屋の子として育ちましたが、途中でひどく道を踏み外しているので、色に対する感受性がどれだけあるのか、甚だ疑問ですね。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。