バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

江戸庶民のファッション事情(後編) 長板中形に江戸職人の技を見る

2015.07 05

「形通り」とか「形に嵌まる(かたにはまる)」とは、常識的、または標準的という意味であり、無難だが面白みに欠けるような時に使われる熟語。一方、「形破り」や「形に嵌まらない」は、規格外で個性的なことを表す言葉である。

人生に例えるならば、「形通り」な生き方は、平凡だが堅実さが感じられ、「型破り」は、不安定ながらも起伏に富んだ面白い生き方ということになろうか。いずれにせよ、「形」は「基準」という意味で使われている。

 

キモノを作る時の「形」は、大変重要な役割を果たしている。江戸小紋や浴衣は「形紙」が模様の全てである。また「形友禅」に使われる「形」は、その出来不出来で、品物の質が変わる。

以前、江戸期の大名達の裃の模様に端を発した「江戸小紋」についてお話したことがあったが、(2015.2.28 江戸小紋五役の稿)各々の藩主は、お抱えの形彫師を持ち、競うようにして趣向を凝らした模様の品物を作らせていた。

この小紋柄は、遠目には無地に見えるほど細かく精緻な文様。特権階級である武士が好んで用いていたものだが、模様そのものは華美ではない。だからこそこの文様が、庶民にも使うことが出来たのである。

今日は、厳しく色や模様を制限された江戸庶民たちが、それに負けずにどのようなお洒落を楽しんでいたのか、「長板中形」という技法を通して作り出された品物をご紹介しながら、話を進めてみたい。

 

「奢侈禁止令」は、農民や町人のキモノの素材や、中であしらわれている模様の技法にまで制限を加えていた。その目的は、贅沢を排除すること。華美な装いを遠ざけ、身の丈に合ったものを身に付けることを強制したものだった。

そんな中で、庶民達のささやかな洒落心は、お上の目には触れることのないような、地味で目立たないデザインに目が向けられた。それが武士が使っていた渋い文様の裃小紋柄=江戸小紋である。

これならば、決して華美なものとは意識されず、咎められることはない。江戸小紋にあしらわれる模様は実に多彩だ。鮫小紋を始めとして、通し模様と呼ばれる角通し・丸通し、霰などの幾何学模様、さらには、万筋などの縞柄。多種多様に細かく付けられた柄行きを、渋く小粋なモノとして認識したのである。

この小紋から発展したものが、中形であり、さらにもっと大きい大紋がある。中形というのは、細かい江戸小紋の形紙より、少し大きく形が起こされた品物=中くらいの大きさの柄ということで付いた名前である。大紋は大柄とも呼ばれ、中形よりさらに大きい模様が形起こしされているが、キモノよりも半纏やはっぴなどに使われている。

中形は、小紋よりも大きい模様なので、多くは木綿生地を使って染められた。浴衣が庶民に普及したのは江戸に入ってから。これを考えると、この技法が浴衣の原点と言うことになる。

竺仙では現在も、この江戸時代から続く伝統技法を忠実に守りながら、浴衣が染められている。それが「長板中形浴衣」なのである。

 

(本藍染 長板中形浴衣 牡丹に御所車模様 竺仙)

中形は、江戸小紋同様に様々な技法を使って彫られた形紙が使われる。当然のことながら、何度も繰り返して使うことが出来るように、形紙の紙質には耐久性が求められる。使われる紙は、堅牢度の高い美濃和紙などを三枚重ねて、柿渋を使って張り合わせてある。

形紙が破けて使えなくなってしまえば、いくら染め出したくても品物は作れない。手彫りで模様付けされた形紙は、本当に高価なものである。品物の単価や染屋の儲けは、一枚の形紙でどのくらいの反数を染められるかに関わっている。一枚の形紙で100反染めることが出来た時と、20反しか染められなかった場合とでは、価格は大きく変わる。なるべく廉価で求められるようにするためには、形紙を維持し続けなければならない。

それと同時に、形紙が破けたら、その柄はもう生み出されず無くなってしまい、求められても応じることは出来ない。売れ筋の柄だからと言えども、永続的に作り出すことは不可能である。もしどうしても染め続けたいというのであれば、新たに同じ形を起こすしかないのだ。

 

牡丹模様を拡大したところ。一つ一つの点が丸みを帯びているのがわかる。これは、錐(きり)彫りという技法を使って形が起こされている。この方法は、刃先が半円形の彫刻刀を使い、これを地紙の上に垂直に立て、回転させながら彫り進めていくもの。上の画像でわかるように、よく見ると一つ一つの丸の形が不揃いである。また、模様の遠近感を出すために、丸の大きさが変えられている。人の手でなされた仕事ということがよくわかる。

車輪模様の拡大。模様のひと目ひと目を彫り抜く手間を考えれば、形紙の貴重さというものが理解されるだろう。だからこそ、使われる地紙には高い耐久性が求められる。

 

「長板」と付いているのは、生地に型付けをする時に貼られる板が長いことを意味する。使われる板の材質は、樅(もみ)の一枚板で長さは約6.5m、巾は45cm。まずここに、米を煮出して作った澱粉糊・姫糊を引いて乾かした後、水を含んだ刷毛で板を湿らす。そして、その上に生地をのせていく。この作業は単純に思えるがかなり難しく、慎重を期さなければならない。もし万が一にも、型付け作業中に生地がずれるようなことがあれば、仕事が台無しになってしまうからだ。

板に生地が貼られたら、形紙をのせて型付けの作業に入る。防染剤を塗るのであるが、表面ばかりでなく、裏面にも同様の型付けがなされる。長板中形は、完全な表裏一体のリバーシブル仕様になっているので、表地と裏地の柄がずれることなく、形が付けられている。表裏を別々に型付けをしておきながら、ピッタリと両面の模様が重なっていなければならない。ここが、この仕事の極みとも言えるところだ。

左側が表・右側が裏。両面の模様が同じ位置で完全に重なる。この表裏一体の柄合わせが出来ていることを「裏が返る」と言う。型付けの時に、完璧に裏が返っていなければ、染めた後で模様がぼやけてしまう。両面を型付けするということは、単純に考えても、通常の倍の手間、その上両面の柄を寸分違わず重ねる技には驚きというより、凄みさえ感じる。

 

型付けがされた後は、乾燥させて糊を乾かしてから、本染の作業に入る。この長板中形は、ひといろ・藍だけで染められる。それも化学染料ではなく、天然藍が使われる。

まず生地の耳に伸子を張り、手に持ちやすいように掴み手を作る。それを藍を発酵させた藍甕の中に浸す。およそ3回から5回ほど、生地を浸しては引き上げる作業を繰り返すうちに、深く発色していく。(この、浸しては空気にさらす作業のことは「風を切る」と呼ばれる) 藍の染料は空気に触れて酸化することにより、色が段々と深まっていく。染め終わった後は、糊を完全に落とすために水洗いがされ、乾燥させたところで仕上がりとなる。

綿絽生地が使用された長板中形。綿絽を使うと、いっそう浴衣らしく涼やか。

長板中形は、精緻な形紙を使い、それを「裏が返る」と呼ばれる表裏一体の型付けがなされ、さらには天然藍を使って浸し染をすることで、はじめて完成させることが出来る。最初から最後まで人の手だけでなされる仕事であり、手間の連続である。

この品物の存在は、江戸中期から守り続けられている技法を頑なに変えず、今に伝えている証でもある。浴衣は、明治20年頃に考案された「注染(ちゅうせん)」という技法で、飛躍的に仕事の効率が上がった。これは、生地を形紙の大きさに折りたたんで糊置きをし、その上からじょうろで染料を注げば、一気に生地の上から下まで浸透して染め上げることが出来るというもの。注ぐという染め方=注染である。

これは、長板中形のような手間をかなり省くことが出来、生産反数を上げることに繋がった。当時としては画期的な方法であったこの注染さえ、現代では人の手の掛けられた品物として位置づけられている。それは、プリント浴衣が大半を占める現状を、よく表していることの裏返しと言えよう。

 

最後に、せっかくなので長板中形を使ったコーディネートをお目にかけよう。

(能登上布・八寸織名古屋帯 幾何学模様 山崎仁一)

今では、山崎織工場一軒となってしまった能登上布。麻織の独特な風合いが涼やかである。(昨年8.31の稿で能登上布を取り上げているので、詳しくはそこをお読み頂きたい)

この長板中形浴衣は、柄が込み入っている総模様。使われている形紙もかなり精緻なものだ。この柄と藍の色を生かすためにも、帯は生成地に幾何学模様を配したもので、すっきりと爽やかな着姿を表現してみた。浴衣の古典的な模様と、帯のモダンな柄付けは対照的であり面白さもある。帯の中の色は藍だけなので、より涼感を出すことが出来る。

手の掛けられた品物同士、とても贅沢で大人の浴衣姿である。

 

江戸時代、庶民が愛した長板中形は、今となってはとても贅沢なものとなってしまった。贅沢を排除する奢侈禁止令に触れぬように、お洒落を楽しむことを目的として行き着いた先が、江戸小紋であり、長板中形だった。

贅沢とは無縁の庶民が、普通に普段着や浴衣として使われたものが、現代では特別なもの、贅沢なモノとして位置づけられるとは、何とも皮肉なことだ。これも、効率やそれに基づく経済原則からすれば、致し方のないことであろう。

形紙が破れれば、品物は消えるというお話を最初の方でしたが、今や、形紙が破れるより前に、形付けする職人や浸し染をする職人がいなくなる危機を迎えている。この品物の技を繋いでいる職人達のためにも、多くの方にこの品物について知って頂きたいと思う。

長板中型には、江戸庶民と江戸職人の心意気が込められている。

 

「形通り」にモノを作ることがどれだけ大変なことか、長板中形は教えてくれます。形を彫るのも、形を貼るのも、型付けするのも、染めるのも、全て人の仕事。出来る限り完璧にしようと思っていても、人間がすることなので、微妙なブレや個性が出ます。

浴衣の模様の中に微かに残る形紙の痕や、少し掠れたような染め痕は、職人達の努力の証。尊いのは、良い品物に近づけようとする努力を惜しまない姿勢でありましょう。完成したものの素晴らしさはもとより、その作業の過程を思い巡らせば、もっと品物に愛着が持てるように思います。

我々が生きる毎日の生活は、時として平凡で面白みに欠けるような、「形通り」のものと感じられることもありますが、より良い明日になると信じて、淡々と歩いていくことが一番大切なのでしょうね。

 

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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