「色は思案の外(いろはしあんのほか)」ということわざがある。
色というのは、恋愛沙汰という意味の代名詞としてよく使われるが、この言葉は、人間というのは、こと色事(恋愛事)になると、冷静さや理性を失い、常識が通用しなくなるという意味である。
つまり、恋愛は理屈では割り切れないもの、ということなのだろう。傍から見れば、どこが良いのかわからないような相手でも、当人にとってはかけがえのない人に思えてしまう。
また、どのように客観的に見ても、似合うとも思えないカップルが存在する。そんな中には、思わず付き合うことを止めたくなるような場合もある。これを私は「敏いとうカップル」と呼んでいる。昭和のムード歌謡・敏いとうとハッピー&ブルーの代表曲と言えば、「よせばいいのに」。色事を、他人にとやかく言われたくないだろうが、それにしても人の好みというのは、「十人十色」なのだと思う。
さて、色事ばかりではなく、色彩の好みも十人十色である。人は、自分の好む色を持っている。また好きな色の傾向というものも、ある程度はっきりあるようだ。
それは、明るい色であったり、パステル系の色であったり、中には黒やグレーなどの無彩色ばかりを選ぶ人もいる。なぜ、自分がその色を好むようになったのか、その理由をはっきり語ることの出来る人は多くない。おそらく、その人に備わっている、持って生まれた色彩を見る感覚のようなものが、大きな要因であろう。
キモノや帯を選ぶ場合、色は最大の要因となる。もちろんほどこされている模様も重要なのだが、まず地色に目が行く。また、キモノだけ、帯だけではなく、双方の合わせを考えた上で、うまくコーディネート出来る色でなければならない。その上、それに合わせる帯〆や帯揚げもある。
色を選ぶということは、大変難しいことではあるが、楽しいことでもある。以前、白生地から自分色の無地キモノを作るお話をしたが、先日、無地の帯を染める仕事を頂いたので、今日はそのことを書いてみよう。
キモノには、模様の入らない無地モノ・すなわち「色無地」と言われているアイテムがあり、紋を付けて、フォーマル用として用いられる。しかし、帯の無地モノというのは、一般的な品物ではない。もちろん商品化されているようなことはないので、ほとんどの方は見たこともない品物だと思う。
柄が何もない帯というのは、どことなく間が抜けていて、着姿が決まらないように思える方も多いだろう。しかし、使うキモノによっては帯の模様が邪魔になることもある。フォーマルではなく、紬や小紋のようなカジュアルモノを個性的に着こなすような方は、わざと無地っぽいものを選ぶ場合がある。この考え方が進むと、柄を排除し、色だけの着こなしをしてみたいと思うのだ。
今日の無地帯も、そんなお客様の要望があって、別染したものである。とはいえ、全くの無地だけにいっそう色が問題になる。依頼される方は、自分が持っているキモノを想起して、どんな色を染めるのかを考える。あらかじめ希望する色の系統は決められているのだが、系統だけでは、仕事にはかかれない。
単に紫系と言っても、濃地の古代紫から薄い浅紫まで、それこそ数限りなくあるだろう。例えば、杜若の紫と菖蒲の紫では紫の色が違う。また同じアヤメでもその品種により、微妙な色の違いが出てくるだろう。
お客様自身が、すでにご自分で合わせるキモノを考え、着姿をイメージされているだけに、より以上に微妙な色の選択が難しくなるのである。
別染帯に使われる生地は「塩瀬」。染帯に使われる生地として、もっともポピュラーなものである。塩瀬には独特の厚みと張りがあり、これを帯として使うと、きっちりとした締め心地を感じることが出来る。
今回使った白生地は、新潟・五泉で織られたもの。五泉は、京都・丹後、滋賀・長浜と並ぶ、三大白生地産地の一つである。丹後や長浜はちりめん生地の生産地として知られるが、塩瀬生地は五泉が主流である。
塩瀬という生地は、単純に言えば、羽二重をより厚くしたもの。羽二重は、二本揃えた細い経糸を、緯糸と交互に織る平織。糸には当然撚りがかけられていないので、織りあがりの風合いは鳥の羽のようにしなやかさがある。この「鳥の羽」と「二本そろえる経糸」から「羽二重(はぶたえ)」の名が付いた。
五泉の羽二重は、緯糸を濡らしておいて織り込む、「ぬれ緯」という製法が取られているが、これにより生地の密度を上がり、染色時には生地組織が締まることで、後の織質の変化を防ぐことが出来る。羽二重は胴裏や比翼生地としてそのまま使われることが多いが、後の加工のことまで考えて、仕事がなされている。
塩瀬生地は、その羽二重に厚みを持たせるために、経糸を細く、緯糸を太くして織られたもの。羽二重以上に太い緯糸を使うことにより、しっとりとした重みと張りのある生地に仕上がるのだ。
例によって、色見本帳の中から色を選び、別染めしたもの。上の画像は、見本帳の色と染め上がった帯の色を合わせてみて、確認したところ。画像では、光の当たり方で少し見本帳より濃く見えているが、ほぼ同色に染め上がっている。
上の全体像を写した色と比較すると、近接したものは赤みが強く浮き出ている。これは私の画像を写す力が稚拙なためであり、どうかお許し頂きたい。それにしても、無地モノをその色通りに写すというのは、難しい。実際の色は、すこし赤みが感じられるような葡萄色である。
もう一つは、緑系の色をわずかに白くくすませたような微妙な色。緑色と抹茶色の両方を感じることの出来るような色合い。青葉が朽ちて黄ばんでくる時のような、そんな秋の気配が思い浮かぶ色になっている。
帯として仕立て上がったところ。名古屋帯には仕立て方が幾つかあり、一般的なものは、胴から手先まで折ってある名古屋仕立てと呼ばれる仕立て方である。この方法では、前巾が仕立ての時に決められてしまうことになる。折られている巾は帯巾の半分(4寸)であることが多いが、お客様の体型や希望により、1~3寸ほど前を広く折ることもある。
他の仕立て方としては、手先だけを折る「松葉仕立」や、たれから手先までまったく折られない、フラットな帯巾そのままの形にしておく「おそめ仕立」がある。この帯の場合は、画像からもわかるように、折目のないおそめ仕立である。この場合、締める方が自由に前の帯巾を決めることができる。
さて、この染め上がった帯は、どのようなキモノに合わせて使われるものなのか、それを少し見て頂こう。ついでに小物合わせもしてみよう。
やはり使うキモノは模様が前面に出てくるような、総柄的なものの方が、よく合うだろう。すっきりとした着姿にするためには、帯に主張を持たせないほうが良い。無地帯は、このような意図が使い手にある時に、重宝する。
また、キモノそのものが単色であること、しかも白地や色が付いてても薄地である方が使い勝手が良いと思われる。キモノが多色使いのものならば、無地帯としても、使える色が限られてしまうだろう。
一枚のキモノを、使う無地帯の色を変えて、自由に着姿を変える。上の画像のように、単純な市松文様の白地の紬などは、それこそどんな帯色を使っても良い。まさに帯の色そのもので着姿を変えられる典型のようなキモノであろう。
使う帯〆を変えただけでも、すこし印象が変わる。小物使いも自由に楽しめて、その都度工夫することも出来る。
こちらは、同じキモノを使ってもう一つの無地帯を合わせたところ。帯色と同系の帯〆と帯揚げを使ってみた。紫系の帯とは全く違う印象を受ける。帯に柄は無くても十分に着こなせ、また柄がないからこその、お洒落さというものも感じられよう。
どんな着姿にするかは、使い手の自由である。小物使いにしても、上のコーディネートのようなありきたりなものではなく、もっと個性的な組み合わせがあって良い。カジュアルモノの良さは、その都度着る方が、着てゆく場所や気分により、様々な着姿を考える楽しみにある。
帯の色を変え、使う小物の色を変えれば、一枚のキモノでも何通りにも組み合わせられる。柄の無い無地だからこそ、より多様な使いまわしが簡単に出来るのだ。
柄の無い帯というものは、見慣れていないだけに違和感を持たれるかも知れないが、こうして合わせてみれば、また違った斬新さが感じられる。色そのものが持つ力を、そのまま着姿の中に生かすような着方があっても良い。
柄に飽きた方は無地に戻ると言うが、色だけを楽しみながらキモノを着まわすということは、究極のお洒落なのではないかと思える。
皆様も一度「無地にこだわったおしゃれ」を楽しんでみたら、いかがだろうか。
カジュアルに使う帯というものは、既製のものだけでなく、自由に色々なことが考えられます。今日御紹介した、自分色の無地帯を染めることなどはむしろ単純なことで、模様そのものも自由に描いて染めることも出来ます。
また、まったく違う素材のものを使って帯にすることも自由自在。いつぞやご覧に入れたバティック帯などが良い例ですが、帯に必要な長さと巾さえあれば、どんな布であれ帯の素材になります。
皆様もモノを探すばかりではなく、モノを自分で作り出すということにも、少し目を向けて頂けたらと思います。
バイク呉服屋の女房が言うことには、「私は他人から一度も、お似合いの夫婦と言われた記憶が無い」そうです。まさにうちは「敏いとうカップル」の典型と言えましょう。そんな夫婦を見ている人は、将来別れることがないことを、「私、祈ってます」と思われていることでしょう。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。