バイクの終焉は、あっけなく訪れた。先月25日の朝、お客様の所へ直し依頼の品物を預かりに行く途中、走行しながら「ふ~っ」と止まってしまったのだ。その後、キックスターター(足でエンジンをかけるところ)を何度踏みしめても、一向に動かない。
やむなくバイクを引っ張って、主治医の井上モータースへ連れ込んだ。井上さんは、エンジン部分を分解して故障を直すことは可能かもしれないが、全ての部分が劣化しているので、またすぐに動かなくなると言う。
さすがの私も、もう諦めざるを得ない。26年もこのバイクを直し続けてくれた人が、無理と言うならばそれは無理だ。走りながら最後を迎えるとは、矢折れ、刀尽きての大往生であろう。昭和のバイクとの別れは寂しいが、あっぱれと褒めてやりたい。
今日は、男子の第一礼装を依頼されて準備した品物の後編、黒紋付のキモノ、羽織以外のモノについてお話しよう。
(男子礼装用袴 米沢平 米沢・神尾織物)
黒紋付と共に用いられる袴は、縞文様平袴(半袴)である。一般には、「仙台平」が男子の礼装袴の代名詞になっているが、実際に生産されている量はわずかである。今、残る織屋は、合資会社・仙台平一軒のみ。この会社を運営する親子二代の無形文化財保持者・甲田榮佑・綏郎両氏により、伝統的技術が忠実に受け継がれている。
現在、礼装用男袴の95%近くが、山形県米沢市で生産されている米沢平である。この他に、白生地産地でもある新潟県五泉市でつくられる五泉平があるが、数は少ない。私が準備した袴地も、米沢の神尾(かんお)織物で織られた品物である。
織り出されている縞の色は、鼠色を基調にしたものが多く、他に茶や濃緑、濃紺などが見られる。若い方ならば紺系統、年配の方ならば鼠系統をお勧めするが、使う方の好み次第で良い。
細縞と太縞を組み合わせた柄と、二本の縞が均等に付けられた柄。
この袴に使われている糸は、経糸が撚糸で、緯糸が撚りのないものか半練したもの。撚りのない緯糸を濡らして打ち込むことで生地の密度が上がる。仙台平は、この精度が特に高く、また糸が植物染料で染められているために、独特のしなやかな風合いが生まれる。米沢平は一部に糸染めを植物染料を使ったものがあるが、多くは化学染料で染められたもの。仙台平ほどの高級感はないが、十分生地に張りがあり、しなやかさもある。価格も仙台平に比べれば求めやすいことが魅力だ。
仕立て上がってきた米沢平。お求め頂いたのは鼠に濃紺の縞。黒紋付の上にに乗せてみると、落ち着きのあるシルエットになっている。礼装袴の場合、通常は「馬乗り袴」という襠(まち)のある形に仕立てる。女性の行灯袴との違いは、中仕切りが付いているところ。
このような袴は平袴または半袴と呼ばれているものだが、江戸時代に位の高い者が付けていたのは、長袴。浅野内匠守が、吉良上野介に斬りかかる元禄赤穂事件(忠臣蔵)の有名な場面を思い起こして頂きたい。両者とも地面を引きずるような裾の長い袴を着けているはずだ。
江戸期の武家社会において、使われる装束は階級ごとに厳しく決められていた。位階ごとに着装するものが異なり、正式な場で使われる時ほど厳格であった。吉良上野介は旗本であるが従四位上の位、浅野内匠守は赤穂藩主・大名なので従五位下。城内や朝廷内の正式な場で着用するものは、四位が狩衣(かりきぬ)、五位は大紋(だいもん)と異なるが、袴はどちらも長袴である。
江戸北町奉行の遠山の金さんが、裁きの場であるお白州に、長袴で登場する場面をテレビで見るが、これは見映えがするため勝手に付けさせたもので、本当はあり得ない。金さんにとって、奉行所は正式な場ではなく、仕事場である。
(みじん縞 爪掻き綴れ角帯 西陣・石川つづれ店)
礼装用に使う角帯は、色目や柄について決まりのようなものはない。一般的には、博多献上帯や紋織になっているものが選ばれるが、無地モノやそれに近いものは品が良く、正式な場で使うとすれば無難なものだろう。
帯は、しっかりとした高級な品をというお客様のご要望だったので、爪掻きの綴れ帯を御用意した。
一見無地に見えるが、ごく細い「みじん縞」になっている。爪掻き綴れは、経糸を綴機(つづればた)という織機にかけ、図案を見ながら杼で緯糸をくぐらせた上、爪の先で糸を掻き寄せて織り込んでいく。紋紙やジャガード機を使わず、人の手だけによる、もっとも古い西陣平織の技法である。
爪掻き綴れの織職人は、爪で糸を掻き寄せることが出来るように、先端を凹凸に刻んで置く。綴には紋型紙がなく、絵を見ながらの作業なので、織り手の個性がそのまま反映される。帯の技法としては、単純であるが、もっとも人の手の温もりを感じるものと言えよう。
また、手仕事の上、紋紙がない分、高価格でもある。紋紙を使う普通の帯ならば、図案の基になる紋紙は、一度だけ作ればいい。あとは、自由に何本でも同じものを機械で織り出せる。つまり同じ柄を量産すればするほど、一本あたりの価格は下がるということだ。綴れは、織り手が一本一本図案を見ながら作業をするので、その都度手間は同じだけ掛かる。だから値段がおのずと高くなってしまう。
お求め頂いたのは、渋いシルバーグレー色。米沢平の縞の色が鼠色なので、同系色で合わせてみた。最初の画像で判るように、元々この帯の巾は5寸5分(約20cm)と広く織られているので、通常の角帯の巾に仕立替える。それでも、普通の巾より若干広くなっていて、仕上がった帯巾は2寸7分になっている。この帯を男性の角帯としてではなく、帯巾をそのままにして、女性の半巾帯として使う場合もあるようだ。
この帯を製作した石川つづれは、昭和3年創業。北野天満宮の西隣に店がある。綴織専門店であり、帯の他にも、天龍寺で開催された能衣装や、日蓮宗の総本山である身延山久遠寺の水引を製作するなど、多角的に綴れの技術を生かした仕事がなされている。
長襦袢は、「富士山」のぼかしが入った絵羽襦袢と、無地のものを用意する。衿は白にしなければならないが、襦袢の色や柄に決まりはない。黒紋付の袖口からわずかに襦袢が覗くことがあるので、品の良い無地モノの方が無難だろう。
(左 丸組み紐・井登美 右 平打ち紐・龍工房)
どちらも礼装用の羽織紐として使えるもの。丸組みの方が少し仰々しい感じがする。
畳表の雪駄に白の鼻緒。鼻緒の素材は鹿皮のものと、織り生地のものを用意する。やはり竹の皮を編みこんで作る畳表の台は履き心地が良い。礼装用(祝い事)に使う場合、鼻緒は必ず白にする。あと、必要なものは白足袋と白扇。
最後に、仕立てあがった一式をご覧頂こう。
撮り方が稚拙なため、袴の色が白っぽく写ってしまった。
黒紋付のキモノ、羽織の他は、袴・襦袢・角帯の色を鼠色で統一した組み合わせになった。(帯を入れ忘れたが、上の角帯の画像を参考にされたい)
黒紋付羽織袴が、男子の第一礼装として定着したのは明治以後のこと。洋装化が進んだ現代では、式服として使用されることは少なくなっている。結婚式の衣装として使うにしても、ほとんどが貸衣装で済まされていて、誂えるような方は稀だ。
私にとっても、一式用意させて頂く仕事を請け負うのは、数年に一度くらいなので、納品の時には、思わず居ずまいを正してしまう。男子の第一礼装の品には、見るものを圧倒するような重厚感と威厳が漂っている、と言っていいだろう。
私自身も紋付袴は持ってはいますが、自分の結婚式以来着ていません。さしあたり今度は、娘達の晴れの席でということになるのでしょうが、さて何時になるのか、さっぱり当てにはなりません。
それに、もう20年以上虫干しさえしていないと思われ、これでは皆様に手入れが大切などと書くのは憚れることになるでしょう。まさに、「紺屋の白袴」そのもの、本当にカビが発生して白くなっていたら、恥ずかしい限りですね。近々、出して確認しておきます。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。