バイク呉服屋の忙しい日々

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バイク呉服屋女房の仕事着(2)藍大島と栗山紅型小紋長羽織

2015.02 20

初対面の時、相当怪しかったらしい。風貌奇怪にして、年齢不詳。何を生業にしている人物なのか、想像も付かない。今まで、出会ったこともないような人。どちらかと言えば、あまり関わりを持ちたくない類。

沢山の偶然の重なりの末、ある人を介して家内と出会った。バイク呉服屋23歳、家内は21歳。大学4年生と2年生の初夏のことだ。私への第一印象は、冒頭に書いた通りである。もちろん、将来の伴侶になるなどとは、想像も付かなかったようだ(想像したくもないこと、と言い換えたほうが良いかも)。

もちろん私も、大人しくて真面目そうな女性という印象しか持たず、この後、特にこの女性と関わることはないだろうと思っていた。しかし数年後、思いもかけない事が契機になり、距離が縮る。詳しい話は出来ないが、紆余曲折の末、最初の出会いから6年後にパートナーとなった。

私は、自分の経験から、人と人が出会うことには、何か不思議な力が左右しているように感じる。自分の力では、どうにもならないことが介在しているということ。縁(えにし)とは、運命(さだめ)なのだと。こう書けば、何かを信仰しているように思われるかもしれないが、私自身には全く宗教心というものがない。

家内にとって、この縁が吉だったのか、凶だったのかわからない。黙して語らず、「コメントはさし控えさせて頂きます」とのことである。

今日は縁あって、怪しいバイク呉服屋の女房になった家内の仕事着を、久しぶりに紹介してみよう。

 

(鬼シボちりめん栗山紅型長羽織・藍地椿模様大島紬・山吹色無地名古屋帯)

真冬になれば、キモノだけではいかにも寒々しい。もちろん家内がバイクに乗るようなことはないが(店までの通勤は、私がバイクで、家内は車)、外へ用事を足しに行くときには、どうしても上に羽織るものが欲しくなる。その上、甲府は寒い。結婚したばかりの頃、東京との温度差に驚いていたものだ。

羽織は、道行コートと違って、室内に入っても脱ぐ必要はない。店内に暖房は入ってるが、着脱の手間もなく、着たまま一日を過ごすことが出来る。また、家内の仕事着のほとんどが、紬を中心とした織物類。それも、どちらかと言えば地味めな地色のモノが多いので、羽織の模様で着姿にアクセントを付けようとする。

 

家内の身長は166cm。背の大きな人なので、短い丈の羽織では着姿がアンバランスになる。もちろん、戦前の羽織のような、長い丈へのあこがれもあった。丈の寸法は2尺6寸。丁度、膝の後ろ・ふくらはぎのやや上あたりに、羽織の下端がくるような感じで仕立ててある。

 

長羽織なので、小紋の着尺生地から作ったもの。丈の短い道行コートや羽織ならば、羽尺(はじゃく)地と呼ばれる尺の短い反物(2丈6尺程度)で作ることが出来るが、長い丈にするならば、最低でも3丈以上の反物の長さを必要とする。(背が高く、羽織丈が長い人ならば、長さがもう少し必要になる) この反物は3丈4尺以上あったので、十分の長さだ。

戦後から昭和40年代までは、羽織の丈が短いものが流行しており、ほとんどの羽織が、尺の短い羽尺地で作られていた。中には、一反の着尺地から二枚の羽織を作るようなこともあった(このような羽織を半反羽織と言う)が、この時の羽織丈は2尺前後と、大変短いものだった。

この小紋は、京都の栗山工房で作られた京紅型小紋。先月のコーディネート(1.21の稿)で、同じ栗山工房の紅型振袖をご紹介したが、模様の付け方や挿し色も違い、同じ紅型といっても全く雰囲気が違う。

生地は、ぽってりとした大きいシボのある縮緬。地色は薄墨色で大変地味な色だが、散りばめられている模様は大胆。梅・橘・鉄線・楓という四種の大小の花で表現されている。挿し色の基調は、藍や紺系なのだが、わずかに黄や茜が使われ、所々に施された型染め疋田がアクセントになっている。

この小紋は着尺分の長さがあるので、もちろんキモノとしても使うことが出来るが、家内が使うとすれば羽織にするしかない。キモノで使うには、すこし派手すぎるだろう。このように、キモノにするには派手だが、羽織なら使うことが出来るようなモノがある。羽織の場合、年齢的には大胆な柄でも、使い回すことが出来る。

 

家内が実家から持ってきた、藍地の大島紬。ということはすでに30年近く前の品物だ。7マルキほどの経緯絣で、錆朱色の椿の花模様。派手といえば派手だが、着ることを憚るような柄でもない。仕事着として使うのだから、あまり気にすることはないだろう。もともと、どちらかと言えば、地味なものは似合わず、大柄の方が映りが良い。やはり、身長が高いからだろうか。

この帯も若い頃のもの。山吹色一色という、あまりにクセのある帯だったので、長い間店の棚に残っていた品である。織ったのは紫紘。昭和50年代の品物だが、帯そのものは軽くしなやかで、とても締めやすいらしい。紫紘の帯としては、珍しい無地モノ。

羽織を着てしまえば、前に見える帯部分はほんの少しである。だから、このようにクセのある鮮やかな色の無地帯を使うことが出来る。キモノが日常着だった昔、羽織の下には、名古屋帯ではなく、半巾帯を使う方が大勢いた。

 

前から写した着姿。少し派手な椿模様の大島と大胆な色の無地帯も、見える範囲が狭ければ気にはならない。むしろ地味なものよりも映りは良いと思われる。帯〆と帯揚げは、キモノの椿の色と同じ系統の艶紅(つやべに)色が入ったもの。羽織紐はごく薄い鶸色。なお、羽織の裏地は胡桃地色に瓢箪の柄。

これは、数日前の合わせ。ごく薄い紫の紬小紋のキモノと、前回の合わせにも登場したエジプト模様の紬地の帯。この羽織の地色・薄墨色は、一緒に使うキモノの地色を選ばない。今日着ているような濃い色でも、上のような薄地色のものでも合わせることが出来、使い勝手の良い色と言えよう。

羽織を近接して写してみると、生地のシボ感がよく出ている。織りのキモノにゆったりと着る長羽織の風合いが、見て取れるのではないだろうか。

 

 

私も家内も血液型はB型。ついでに3人の娘達もみんなB型。一家5人全員がB型という家も珍しい。他人にこれを話すと大体笑われます。鉛筆でも「5B」というのは、普段ほとんど使うことのない濃さの代物。よって、かなり「キワモノの家」ということが言えましょう。

オールBの家庭は、良く言えば自由で、悪く言えばバラバラ。みんな干渉されることを嫌うので、自分の好き勝手に生きようとします。また、物事を楽観的に考えるのが特徴で、要するにノー天気ということになるでしょう。

家内は本当に真面目な性格ですが、思い詰めるということはなく、最後はどうにかなると思っているフシが見てとれます。私は、最初から何も考えず、常に「出たとこ勝負」状態。これでは、娘達が気ままになるはずです。

そんな家庭の現状を家内が顧みて一言。「掛け合わせたDNAが悪かった」。怪しいと感じた第一印象は、やはりその通りでしたね。ご生憎様、もうやり直しは効きません。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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