バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

呉服業界の「後継者」問題(4) 加工職人の後継者難(後編)

2014.04 23

家内に言わせると、私は「スーツとデスクワーク」が全く似合わない男らしい。これは、「オフィス」という場所とはほど遠いところにいるという意味で、つまりは「組織」というものと「縁遠い」人間ということを言い表している。

北海道にいた頃に、「ホクレン」の「牛乳タンクローリー」の運転手になろうと考えた時期があった。「ホクレン」というのは、北海道農業共同組合連合会、つまり「農協」により組織された経済団体である。北海道では言うまでも無く、酪農は主産業であり、特に根釧地域(根室・釧路を中心とする道東地方)には、「パイロットファーム」を始め、広大な土地を使う大規模酪農家が多い。「牛乳タンクローリー」は、そんな「農場で搾乳された牛乳」を集めて廻り、「加工場」まで運搬する車である。

「バイク」で疾走しながらお客様の家へ伺い、仕事を貰い受けている今の仕事のスタイルは、この「牛乳タンクローリー」による配送を想起させるものがある。集めるものが「牛乳」ではなく、「しみぬきや寸法直しをするキモノ」であり、それを「加工職人」という「加工場」へ持っていく。つくづく、自分の発想が昔と変わっていないことを思い知る。

 

「職人」という仕事も「組織」を持たない。自分の腕だけを信じて、依頼を受けた仕事を誠実にこなしていく。だが、もしそれがなくなれば、「生活」に直結してしまい、たちまち追い込まれてしまう。そして、誰も助けてくれない。

今日は、呉服屋の下で仕事をしている「加工職人」の後継者問題の後編として、これまでどのように「職人」が育成されてきたかをご紹介しながら、将来この仕事が残るために何をしたらよいのか、を考えてみたい。加工職人の中でももっとも数が多い「和裁職人」に絞って話を進めてみよう。

 

うちの仕事を請け負ってくれている3人の和裁職人は、皆「既婚者」である。残念ながら、彼女らに満足してもらえるような「仕事の量」が出てこない、という現状がある。彼女らにとって、うちの「工賃」は「副収入」として、生活の足しになるという程度のものだ。

今は、小さな呉服屋の仕事だけでは、一人の女性の生活は賄えない。仕事を出す私の方としても、彼女らが「既婚者」であり、ご主人からの収入があることで、安心する。

職人の保坂さんに、「和裁士」という仕事のよい面を聞いてみた。彼女によれば、自分の家で、自分で時間を都合して、自由に仕事が出来るということが第一。もちろん「キモノ」という「日本の伝統文化」に携われるという誇りも持てる。昔から見れば、仕事の絶対量が減り、物理的にそれだけで生活が成り立たなくなった。これは、「仕方の無いこと」。けれども生活の「副収入」という、すこし楽な立ち位置で仕事を受けている方が、長く続くような気がするという。

私が、「職人さんの現状認識」に助けられている形だが、このままでは、このような状況を変えられず、「和裁士」の仕事は「本業」ではなく、「副業」として位置づけるものにしかならない。

 

このような現状は、すでに「和裁職人」を目指す人達にも認識されている。「和裁士」が「国家資格」であることを、以前お話した。「プロ」としてこの仕事に携わるためには、「1級」あるいは「2級」の「和裁技能士国家試験」、あるいは「日本和裁士会」が行う「職業和裁技能検定」に合格する必要がある。

昨年度、この国家試験の受験者の数を調べてみた。各県別に試験が実施されるが、これは東京都の場合。「プロ」になるための「2級」は34人(合格者16人)、「1級」は23人(合格者8人)。1,2級の検定は難関とはいえ、受ける人の少なさに驚いた。山梨県を調べてみたが、よくわからない。県内で、弟子を養成するところは、あることはあるのだが、この道に若い人が入ったという話は聞かない。

技能検定を受ける者が少ないということは、「和裁で身を立てよう」と考える若い人が少ない証拠である。工賃から収入を考えてみる。仕立て職人が手に出来る賃金は、小紋なら15000円ほど、付下げ・訪問着なら20000~30000円、振袖なら30000~40000円が平均的な値段だ。「直し」の場合、袖丈、裄、身巾直しなど、いずれも4000~7000円であろう。

月平均15万円の賃金を得ようとすれば、小紋なら10枚、付下げ等なら7,8枚、振袖なら5,6枚を縫い上げなければならない。しかし、これだけの仕事を毎月職人に出し続けることの出来る呉服屋は多くあるまい。仮に仕事があったにしても、月15万として、年収ベースだと180万円である。高い技術を身に付け、難しい検定に合格しても、この金額では、「自活」できるような見通しは立てられない。呉服というものの販売量が激減し、その上海外縫製が出現したことで、和裁職人の仕事量も激減した。先ほど書いた「副業」としてしか位置づけられない理由が、ここにある。「技能検定」の受験者がこれほど少なくなっているのも、和裁士を取り巻く環境を考えれば、無理なからぬことなのである。

 

現在「和裁士」の養成は、専門学校や職業訓練校などの「学校」によるものと、「職人である師匠」が内弟子を取り、教育していくという二通りの道がある。「専門学校」のうち目をひくのは、「和裁会社」が職人養成機関として、学校を併設するケースである。

この「会社組織」になっているところは、主に「百貨店」の仕事を請け負ってきた所である。百貨店は仕立てを、「個人」の和裁職人ではなく、「和裁会社」に出す。「和裁会社」は何人もの「和裁職人」を抱えている。ここで働く人達は、職人であっても「会社員」ということになる。百貨店としても、売れた品物を「一括」して加工に回すことが出来、仕事の効率もよい。

「和裁会社」は、取引相手が「百貨店」なら、「個人店」よりも、安定した仕事の量が見込めるが、そのためには、「職人を確保」しておかなければならない。だから、新しい「縫い手」の養成が必要になる。このような理由で、「和裁の専門学校」が併設されたのだ。以前は、「就職」の場が確保されている学校ということで、「1、2級の技能検定」を取るためのカリキュラムや、指導も充実していて、和裁士として仕事を身につけるには絶好の場所であった。

しかし、百貨店とて、販売量の減少と、海外縫製の波の影響は大きく、「和裁会社」へ依頼する仕事量は以前とは比べ物にならない少なさだ。会社も抱える職人の数を考えなければならず、それが、「新しい職人の養成」ということにも影響を及ぼす。

昔ながらの、「内弟子」による職人の養成はどうだろう。「弟子を取れる」というのは、その師匠のところに「仕事があればこそ」出来ることだ。うちの職人達の話でも、弟子入りした頃、その師匠に依頼される仕立物の数はヤマとあり、仕事が途切れることなど考えもしなかったと言う。これは、「生きた教材」としての品物で、仕立てを学ぶことが出来たということだ。現在個々の呉服店が扱う量は、百貨店の比にならぬほど少なく、いかに優れた腕を持つ職人であるとしても、「弟子を取ろう」とするような余裕はない。

 

では、和裁職人として生きる道はあるのか、ということである。現在HPを持ち、自ら仕立てを受けるような職人はかなりある。これは、もう仕事は「呉服屋」から貰い受けるものではなく、自ら依頼人を探し出すということに他ならない。

これまで、仕立て職人は、「呉服屋」なり「百貨店」なり「NCのような量販店」などを通して、仕事を請け負ってきた。そして、「キモノを着る本人」から直接仕事を依頼されるようなケースはほとんどなかった。だが、仕事の介在者である店が当てにならないことで、自分で仕事を探す必要を迫られたのだ。

近年のITの進歩が、これを可能にした。職人自身が、自らの技術と仕事振りをHPやブログの上で公開し、個人客を獲得しようと試み始める。そして、それは人々が呉服を購入する際の「ツール」の変化という、時代の変化とも重なる。

どういうことか、と言えば、ネット販売やオークション、またリサイクルショップなどで呉服を購入する人達が急激に増えたことだ。これまでのように、呉服屋や百貨店で品物を買えば、当然そこで「仕立て」も依頼する。だが、ネットなどで買い入れた品物では、「呉服屋」には仕立てを依頼しにくい。そこで、購入者自身が、「仕立て職人」を探す必要が出てきたのである。どのようにして「探すか」、それはやはり「ネット上」でということになれば、そこで仕事を探している職人と出会うことになる。

「寸法の知識」ということになれば、やはり「呉服屋」より「仕立て職人」のほうが一枚上手をいく。直接依頼人に会って採寸することが出来れば、正確に寸法を割り出すことが出来る。これまでは、モノを売った「呉服屋」が採寸して職人に寸法を伝えてきたが、これは「間接的」な仕事の受け方である。

実際に「縫う」職人が「着る方」の体格を見れば、寸法の間違いなど起こりようもなく、依頼人も自分の希望を直接伝えることが出来る。「着やすいキモノ」を作るという点において、このやり方は絶対の強みだと考えられる。

 

これからの時代、職人自身がいかに自分で仕事を見つけていくかということが求められる。そのためのツールは、やはりHPやブログなどを使うことが有効であり、ツイッターやSNSなどで情報発信をして、自分の仕事を伝えていく方法もある。

ITを使うことにためらいのない「若い職人」ならば、決して難しいことではなく、すでにこの方法で仕事を軌道に乗せている人もいる。どんな時代になろうとも、自分の寸法に合った、「着やすいキモノ」を求める人は必ずいる。また、品物にこだわりを持つ人ほど、「仕立て」にもこだわりを持つ。今こそ、職人自らがその「技術」を消費者に向かって発信するべき時だと思う。それこそが、優れた手仕事を残す道であり、職人として生きることが出来る道となりうるだろう。

 

「職人の腕を消費者に伝える」ということは、本来なら呉服屋がしなければならないことだ。しかし、今までそのことを置き去りにしてきたばかりか、「職人」を仕事から排除しようとするに至っては、「呉服屋」が「職人」の方から「三行半(みくだりはん)」を突きつけられてもやむを得ない。これは「仕立職人」に限らず、「しみぬきや補正」あるいは「紋」などの職人にも同じことが言える。

将来、今より職人と消費者の距離が縮まり、「仕立」や「しみぬき」や「紋入れ」を直接依頼出来るようになれば、その時「呉服屋」の存在価値は限りなく薄くなるだろう。

 

「職人の技術」を守る、「職人の生活」を守る、というのは、ある意味呉服屋に課せられた「責務」だったはずです。それを放棄してしまったツケは、必ず回ってきます。「職人」が、自ら仕事を探さなければ、生きていけない厳しい時代ですが、裏を返せば自分の工夫と努力で、技術を生かす場を見つけることも出来る時代でもあり、まだまだ生きる場所はあると思います。

 

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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