寸法やしみぬき、補正などの「直し」の仕事だけは、年々増えている。お預かりする品の中には、当然他店で買われた品も多く含まれている。預かる際のお客様との会話の中で、買った時の値段のことを教えてもらうことがよくあるが、その購買…
「人の手」による仕事は、やはりどこかに「温かみ」を残すように思える。以前「加賀友禅を見分ける」の稿の時にも書いたが、それは「かすかなズレ」や「色の滲みやかすれ」など、「自然な形」で残る「仕事の跡」であり、ある意味で「不均…
当店では、「展示会」というものをしない。催し物と言えるかどうかはわからないが、年二回のバーゲンセールを4月と11月に3,4日ほどするだけである。 「そのためにすること」、と言えばとりあえず顧客の皆様に案内の葉書を送るくら…
近年、「小紋」の存在感は薄い。その位置づけは「カジュアル」=「普段着」というのが一般的であるが、街着を選ぶ方は「紬などの織物」を好む方のほうが多く、小紋に目を向けることが少ない。紬は産地ごとに特徴があり、「着心地」も多様…
キモノというものには、それを着用する時の基本的な「ルール」というものが存在する。常識として知られているのは、例えば「織のキモノ=紬類」はいかに高価なものでもフォーマルには使えない。「式服」の場合など、当然着るアイテムが決…
「文様」の再現と言う点からみると、「龍村」の果たしている役割は大きい。特に「上代裂」という「正倉院・東大寺」や「法隆寺」に伝わる数々の「裂」の「うつし」は龍村の品を通してほとんど理解することができる。この「上代裂」は多く…
時間の制約がない旅というのが一番贅沢なことだと思う。自由に自分らしく、思うままに「時間」を使えることは、ある程度「若い時」でなければ難しい。 「むかしたび」は私が「自由に時間を使えていた頃」の話であり、私自身の「アーカイ…
「大学で日本史を専攻していた」というと、お客様から「やっぱり呉服屋さんらしいのね」などと言われることがある。 普通の跡継ぎであれば、「染織史」などを学んで、後々の仕事に役立てようとするだろう。しかし「呉服屋」になることを…
うちの娘達は一歳違いずつ三人である。だからそれぞれが「七・五・三」という年があった。一応「呉服屋の娘達」なので、その年には三人にキモノを着せた。もう15年も前のことだが、その時彼女等が着たモノは、次の代に受け継がれる。た…
牛首紬の故郷、白峰村を訪ねたのはもう30年以上前になる。福井県の勝山から京福バスで延々と辿った道が懐かしい。白山を眼前にして、藁葺きの家が散在する山深い里であった。「桑島温泉」に浸り、名物の堅い豆腐を食べた記憶が甦る。 …