バイクで仕事をする私は、割りと「季節の変化」には敏感だ。それは、乗っている時に受ける、「風や日差し」の微妙な違いを感じるからだろう。
日中の盆地の気温はまだ32,3度あるが、受ける日差しは盛夏に比べれば、「柔らかい」。もちろん朝夕に吹く風も、少し「冷気」を含んでいて、季節の変化を感じることができる。人口密集の都会では、「季節のうつろい」を実感することが年々難しくなっていると思うが、地方でだからこそわかる「贅沢」なのかも知れない。
今週の土曜日(7日)は二十四節気の中の「白露」。気温が下がり、草に落ちた露が白く光り出す頃という意味合いである。今日は、前回の続きで、今の季節に使う「絽紗袷」の品と、10月に入って使う「袷」の品に使われている「秋草模様の柄行き」を紹介しよう。
(青磁色絽紗袷 秋草模様 桔梗・撫子・藤袴・萩・小菊柄訪問着 北秀)
今、お召しになるのにふさわしい「絽紗袷」の訪問着。このキモノは、下が「絽」で上が「紗」という二重重ねになっているもの。この重ねが「上も下も紗」になっているものは「紗袷」。両方とも「無双のキモノ」と呼ばれ、二つの生地を重ねて着ている様に見える品だ。
今は、「絽紗袷」も一般的には「紗袷」とひと括りにされて呼ばれており、区分されていないことが多いが、正確には「絽紗袷」なのである。
この「絽紗袷や紗袷」を使う時期は実に短いものだった。袷と単衣の中間がそうで、以前は5月中旬以降の二週間ほどとされていた。だが、それでは、あまりに短いので今では「単衣」の着用時期と同じ(6月と9月)ように使えるという考えに変わってきている。
この変化には私も賛成である。「下に付けられている模様」を「上から透かしてみせる」ような、こんなおしゃれで、見るものに涼感を与えるようなキモノを「長く」使えるようにしない手はないと思う。わずか二週間しか着ることができないというのは、それはそれでとても「贅沢」な品だと感じられるが、実用的とは言えない。この辺の考え方は、以前「薄物をどう考えるか」ということでお話したが、着る時期はある程度「幅を持たせて」もよいような気がする。
上の「紗」から見た画像。下に描かれている「秋草」が透かされて見えている。上の「紗」の織り方も一律ではなく、「立て枠」の編みこみ模様が付けられているのがわかる。
下の「絽」に付けられた秋草模様。流水の下にあしらわれた秋草、萩・桔梗・撫子・藤袴・小菊の五つ。この模様の描き方に注意して頂きたい。見ていただければわかるが、「糸目」を置かないで描かれている。これも友禅の技法の一つで「無線友禅・または濡れ描き友禅」と呼ばれているものだ。「糸目=線」のない描き方と見ればわかりやすいかと思う。
上の品で言えば、「絽の白生地」に「糊」を置かず、直接筆で「絵を描く」ように柄付けされたものである。この技法は、柄描きの際、豆汁を混ぜた染料が使われていて、それにより「滲み」を抑えることが出来るという「隠れた工夫」がされている。糸目使いのものより、自由に伸びやかに柄を描くことができるのが、この技法の特徴であろう。
紗袷を単衣と同じ時期に着ることが出来る、と考えればこれは「9月」のお召し物にふさわしい品といえよう。同じ「単衣」の時期でもこれを「6月」に使うのは違和感のある柄行きだ。やはり「秋に限定」された「旬のはっきりした」品ということができる。それは、「秋草模様」を使うことで、使う時期を「意識」させているということだ。使う期間は9月のひと月、ということを考えればやはり、少し「贅沢」な品である。
柄の中の花を見ると「菊」がある。「菊」は「秋の七草」に入っていないが、この品に描かれている「小菊」は、「野の花」の風情を持たせる描き方になっている。だから「秋草」と言っても差し支えないと思う。この「菊」という花は、描き方一つで印象の持ち方が変わる花だ。次に紹介する「袷」の品でその辺の違いを見て頂こう。
(一越縮緬鼠色地 秋草模様 桔梗・光琳菊・女郎花・萩・撫子柄京友禅訪問着 米原)
シルバーグレーといった方がよいような地色、いわゆる「銀鼠色」である。「鼠」系の色はその濃淡により、着る方の年合いや印象が変わりやすい色目と思える。この品の色はとても「上品」に映る色だ。「袷」のキモノなのだが、この色合いは、どちらかといえば「真冬の袷」の色ではない気がする。
これは、私個人の受ける色の印象なので、人によって感じ方は異なると思う。もちろん描かれている花が「秋草」ということもあろう。だが、この地色の少し「薄く明るい」感じによっても「秋」を想起させていると思うのだが。10、11月の「袷の始まる秋口」に使うのが、「ふさわしい」品ではないだろうか。
上前おくみと身頃の柄付け。菊、萩、女郎花の秋の花が見える。
この「秋草模様」の特徴は「菊」にある。この模様を正確に言えば、「光琳菊に秋草模様」なのである。前の品、「絽紗袷」に付けられた「小菊」は「秋草の一つ」に入る風情の柄付けなのだが、この品に付けられた「菊」はそれ自体が「主模様」としての存在感がある。周りの秋草の萩や女郎花は「菊」の引き立て役として付けられているようだ。
実は「菊」を「葛」と入れ替えて「秋の七草」の一つとする考え方もあるにはあるのだが、ともあれ「菊」は「もっとも秋を代表する花」ということに異論はない。「菊」が秋の代表的花として図案に扱われるようになったのは桃山時代とされている。以来様々な描かれ方をして、「秋の色彩り」を表現してきた。
この品の「菊」は「光琳菊」と表される描き方である。「光琳」とはもちろん「尾形光琳」のことである。彼によって描かれた「菊」の特徴を使ったものを「光琳菊」と呼んでいる。その描き方には普通にはない個性がある。
上の画像の「菊」を見て頂こう。普通の菊を描くとき「必ずあるもの」が省略されている。それは「花びら」だ。「菊の輪郭」だけを描き、中に何もない。それが「光琳」が好んで描いた「菊」の最大の特徴である。中には「花芯」だけを付けることもあるが、「花びら」はない。
光琳という人物の描く花は、彼の見たままの印象で花を図案化することであろう。「写実的」に描くとは正反対のもので、「感じたそのまま」を描いている。だから、それぞれの花の最大の特徴である「花びら」を略することに躊躇がないのだ。「菊」ばかりでなく「梅」も「椿」も同じように「抽象的」に表されている。そして、それぞれを「光琳梅」「光琳椿」と呼んで、他の模様と区別している。
この「光琳菊」をどのような友禅の技法で表しているか、それを見るとこの品の全体の雰囲気がよくわかる。「菊の色」に注目していただきたい。「白」と「金」である。「白」はもちろん「胡粉」を使って表されたもの。「金」は「箔」加工で表されたものだ。この箔は、わざと箔に亀裂を入れた「箔はがし」という技法が使われている。
菊の花に「色を付けない」ことにより、むしろ「花」が強調され、それが印象に残るようになっている。つまり、菊=秋を感じる、という目的を果たす役割である。「葉の色」の緑色はぼかし技法により濃淡が付けられ、さりげなく存在感がある。それを取り巻く秋草はいずれの花も「ごく薄く」色挿しされ、わずかに「萩」と「撫子」に淡い珊瑚色が付けられている程度である。
先に述べたように、この品が「菊」が「主役」であり、他の「秋草」が「脇役」であることが、色挿しのやり方からも伺える。
「秋草」の使い方は、その時々により違いがあることがおわかり頂けたでしょうか。また「花」の表現の仕方も様々であり、同じ「菊」、同じ「梅」を題材にしても描き方により印象は異なります。これからも、色々な「花」を取り上げていくので、その「違い」を楽しんで頂きたいと思います。
私が「秋」を感じる草花は「ススキ」です。この穂の色づき方や周囲の野の様子で、「秋の深まり」を感じることが出来るような気がします。ちなみに「春」は土手によく咲いている「白つめ草」と「れんげ草」でしょうか。どちらかといえば「目立たない小さい花」を好む傾向があります。これは、あっさりと小さい柄付けの品を好むことに繋がっているかも知れません。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。