バイク呉服屋の忙しい日々

その他

わが家のマリッジ・フォト  三姉妹で装う、最後の振袖姿

2021.07 05

「念ずれば、通ず」とは、何かを成し遂げようとする時、己の気持ちが強ければ強いほど、思いは天に届いて願いが叶うという、古来から言い伝えられてきた成語だが、心で願ってはいても、なかなか物事は上手く運ばないのが、人生というものだろう。

人によっては、思い描いた通りの道を歩んできたという方もおられようが、おそらくそんな人生は稀である。多くの場合は、自分の希望とは違う道を進むことになったり、時には、思いもよらぬ方向へ導かれてしまったりする。けれども、どんな立場に置かれたとしても、自分らしさを失わず、懸命に生きることこそが、何より尊いのだと思う。

 

バイク呉服屋も、若い頃に思い描いた生き方とは、全く違う道を歩むことになってしまった。そもそも呉服屋になったことが、自分としては想定外である。けれども曲がりなりにも40年近く、この仕事を続けてこられた。そして幸い家庭にも恵まれ、振り返ってみれば、決して悪い人生では無かった。

もちろん、これまで思い描いていた希望は幾つもあった。だが、ほとんど実現していない。そんな60年の中で、唯一「念ずれば、通ず」を実感したことがある。それは何かと言えば、娘を三人授かったことである。

 

実は私は、かなり若い頃から(具体的に、誰かと結婚云々を考える以前)、もし運よく結婚出来たら、娘が生まれて欲しいと思っていた。それも、一人や二人でなく、最低でも三人。そして何故か、男の子は一人も欲しくないと思っていたのだ。どうしてそんな、偏った考えになったのかは、自分でも説明が付かない。だがとにもかくにも、自分の人生において、娘の存在は欠かせないと考えていた。

とはいえ、結婚しても必ず子どもが授かるとは限らない。そして生まれても、女の子とは限らない。その上、三人立て続けに女の子が生まれる確率は、八分の一。いくら神様にお願いしたところで、そう簡単なことでは無い。

 

しかし恐ろしいことに、バイク呉服屋の熱意は、家内の体の中に不思議な力を生み出したようで、結婚二年目に長女、四年目に次女、六年目に三女が誕生し、ついに私の野望はコンプリートするに到った。実は次女が生まれた時、もうこれでいいかなと思ったのだが、翌日になって「やはり初志貫徹」と思い直し、入院中の家内に「あと一人、お願いします」と頼んだ。奥さんは、そんな私を見て、呆れてモノが言えなかったらしい。

願い通り三人の娘の父親にはなったものの、ほとんど親らしいことをしないまま、今に至る。だが娘達からは、「適当で自由に育ててくれて、それがとても良かった」と言われている。実は先日、そんな我が家に育った娘の一人が、結婚していった。式も披露宴も挙げないと決めていたのだが、家内のたっての希望で、写真だけは残すことにした。

そこで今日は、我が家で初めての「マリッジ・フォト」で、三人の娘が揃って装うことになった、三様の最後の振袖姿をご覧頂くことにしよう。

 

娘達三人の振袖姿。真ん中の波に青海波模様が、結婚した長女。右の枝垂れ桜模様が、次女。左の松竹梅模様が、三女。

我々親世代が経験した三十年前の結婚とは、それが恋愛婚であれ見合い婚であれ、個人同士よりも、むしろ家同士が結びつく意味合いが強かった。だから式は自ずと親主導となり、その形態は形式ばった画一的なもので、個性はあまり感じられなかった。

呉服屋にしてみれば、形式に則ったありきたりの式をやってもらう方が、都合が良い。仲人がいて、親戚縁者がうち揃って出席し、披露宴への参加者もある程度人数が見込める式となれば、フォーマルな和の装いは必需となり、品物はごく自然に売れていく。実際、平成の初めころまでは、黒留袖や色留袖を求める方は、まだかなりおられた。

 

けれどもバブル崩壊後、人々の儀礼に対する考え方は徐々に変わり、簡素化の一途を辿る。中でも結婚式は、仲人の消滅に代表されるように、以前の形式に捉われることは、ほとんど無くなった。それは、結婚に対する意識が、家同士から個々の結びつきへと変化したことが、大きな理由である。

当然式も、親主体から結婚する当人が考える方式となり、その形式はバリエーションに富むものとなった。出席者の数も少なく、カジュアルで気軽な結婚式も増えた。そして、そもそも式も披露宴も不必要と考え、特別なことは何もしないカップルも珍しくない。当人同士が納得出来れば何でも良く、ほとんどの場合、親は蚊帳の外である。

 

私も家内も、娘たちの結婚については、「すべて本人たちが決めること」と考えていた。だから式の形式などに、特に希望は無かった。けれども長女から、結婚を決めたものの、式らしいことは何もしないと聞いた時、家内は「写真だけでも撮っておいたら」と、提案した。

それは自分が披露宴で着用した振袖を、わが娘に着せたかったからである。この振袖は、私の両親が家内のために誂えた、それこそ「飛びきり」の品物。あまりにも重厚過ぎたので、成人式にも着用させることは出来なかった。つまり、「結婚式でなければ、装うことの出来ない代物」である。

長女は、結構「親思い」の子なので、そんな母親の希望を素直に受け入れ、マリッジ・フォトを撮ることとなった。二人の妹たちも、姉の晴れ姿に寄り添うことを大いに喜び、三人の振袖姿が揃った。そしてついでに、家内は黒留袖、私は紋付袴を着用し、長女の良き日を祝うことにした。では、その日の姿を、画像でご紹介していこう。

 

今回撮影を行った場所は、東京神田・神保町駅近くのレトロなホテル・学士会館。1928(昭和3)年に建てられたネオ・ロマネスク様式の外観は、重厚で伝統の重みを感じさせてくれる。学士会とは、旧帝国大学卒業生の交流を図る目的で結成された団体だが、会館は1913(大正2)年に創建された。後に関東大震災で被災したため、現存する耐震・耐火の鉄筋コンクリート作りの建物として再建された。現在は、国の有形文化財にも指定されている、実に由緒正しきアカデミックホテルである。

娘が4年間通った大学は、この会館の目の前。卒業写真も、ここで撮っているので、彼女にとっては、馴染み深い思い出のある場所。そんなこともあって、今回のマリッジ・フォトを依頼した。

 

歴史ある建物だけに、何処でも絵になる。担当してくれた若い女性カメラマンは、重厚な雰囲気の中で、娘の自然な表情をうまく引き出してくれた。横顔なので、ブログに画像を掲載しても許してくれるだろう。髪に飾った白い花は、生花。

今回娘達が着用した三点の振袖は、すでにブログで紹介しており、品物の仔細は説明済みなので、詳しい内容はぜひそちらをご覧頂きたい。この振袖については、2014.1.19「呉服屋へ嫁ぐ日」の稿で掲載している。

朱の丸ぐけ帯〆、絞り帯揚げ、筥迫(はこせこ)など、小物全ても、33年前に家内が使ったものを、そのまま合わせている。

帯結びは、やはり格式のある福良雀。本金箔と刺繍を、余すことなくキモノ全体にあしらっているので、見た目はかなり重そうに見えるが、実際は驚くほど軽い。家内と長女はほぼ同じ体格なので、今回の着用時に、特に寸法直しの必要はなかった。また、厳重に保管していたので、シミ汚れやヤケはどこにも見られない。

着姿を見ると、大きく結んだ帯の金地部分が、キモノの中に埋没している。家内は、亡くなった私の母から、黒い地が前に出る帯の方が良かったと聞いていたと言う。確かにもっと黒を強調した方が、豪華絢爛たる振袖が、なお引き締まる気がする。

この帯に見られる、桜と菊を斜めに切り込んで連続させた図案は、織田家の家臣・山口盛政の夫人が着用した小袖文様・天文小袖の意匠に類似。今あしらわれているキモノや帯の図案はほとんど、参考にした古典図案がどこかに存在する。

(緋色 青海波模様 友禅振袖・北秀 黒地 天文小袖文 袋帯・紫紘 1988年)

 

妹たちの振袖姿。次女は朱霞に枝垂桜、三女は黒地に松竹梅。長女の青海波模様ほどではないが、スタンダードな古典図案を、振袖らしい大胆で華やかな意匠として描いている。右の枝垂れ桜は、三人とも成人式で着用し、松竹梅は臙脂色のウール袴を合せて、大学の卒業式で使った。

学士会館の正面玄関で。帯図案はどちらも大胆で、大きい七宝と太陽のような大菊花。帯結びは福良雀の変形で、両方とも家内が着付けた。三人は、普段でも仲の良い姉妹なので、こうして一緒に振袖を着る機会が出来て、嬉しそうだ。

なお、この二点の振袖については、枝垂桜が2013.9.1の「娘たちの振袖」の稿で、また松竹梅が2017.3.19の「娘たちの卒業式」の稿で、具体的な内容を記載してあるので、ぜひそちらもお読み頂きたい。

 

(朱霞地 枝垂桜模様 友禅振袖・北秀 銀地 ねじり大菊文 袋帯・紫紘 1983年)

(黒地 松竹梅模様 型友禅振袖・菱一 橙色 大七宝文 袋帯・梅垣織物 2017年)

三点の振袖のうち、二点は80年代の品物。製作した北秀と菱一は、東京を代表する高級な染メーカーであったが、すでに今は無い。帯は紫紘と梅垣だが、この二軒は、重厚な振袖をきっちりと抑えられるような、大胆でインパクトのある帯を作ることにかけては、双璧の帯屋。いずれにせよ、未婚の第一礼装として相応しい、華やかな衣裳。

 

最後に、娘を送り出す夫婦の画像を一枚。家内の黒留袖は、自分の母親から譲り受けた御所車模様。帯は、紫紘の変わり七宝文・太子御守袋文様。私は、自分の結婚式で使った黒紋付の羽織と仙台平袴を、久しぶりに着てみた。こうして二人並んだ姿を見ると、夫婦として過ごしてきた三十数年が、あっという間だったと、しみじみ感じてしまう。親として揃って、娘の良き日に立ち会えたことは、とても幸せなことだ。

残った二人の妹たちが、この先どのようなパートナーと巡り合うのかは、判らない。けれども、またいつの日か、家族揃ってキモノを装える日が来ることを、また気長に待つことにしたい。

 

娘たちは三人とも、高校を卒業すると、すぐに家を離れました。なので、共に暮らしたのは、生まれてから18年の間だけ。小学校を卒業するまでは、一緒にいる時間が長く感じられましたが、思春期を過ぎると、途端に「特別快速」となり、いつか知らないうちに大人になって、そのまま社会へ出て行ってしまったような気がします。

今それぞれが離れて暮らしており、しかもこのコロナ禍で、気軽に会うことも出来ません。世間的には、こうして集まってマリッジ・フォトを撮ることなど、憚られることかもしれませんが、家族には、その時でなければ出来ない「大切な時間」があります。

「どうしても、欲しい」と念じ、そして生まれてきてくれた、三人の娘たち。生んでくれた奥さんには、今はただ感謝するばかりです。私の運は、ここで全て使い果たしたような気がしますが、これ以上望むことは何もないので、それは「もって、瞑すべし」ということになるのでしょう。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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