バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

異なる三点の品物を、別誂・色紋付のキモノに作り直す(後編)

2018.06 08

先日、久しぶりに相撲の中継を見ていて、気付いたことがある。それは、力士の廻しの色が、以前にも増してカラフルになったことだ。茶色や紫、グレーなどはおとなしい方で、金銀、黄色、コバルトブルー、臙脂、緑、赤と、色の系統も多岐にわたっている。

廻し(締め込みとも言う)には、稽古用と本場所の取組用、そして十両以上の関取が土俵入り用に使う豪華な「化粧廻し」の三種類がある。稽古用の素材は帆布木綿で、色は一人前と認められる関取が白、幕下以下の取的(とりてき・番付下位にいる修行中の力士)が黒と決まっている。取組用の素材は、関取が絹で、取的は木綿。

 

相撲協会では関取の取組廻しの色を、黒あるいは紺と規定しているが、現状ではそんな原則が、ほとんど守られていないようだ。カラー廻しの先駆者は、昭和30年代前半に関脇を張った・玉乃海代太郎。1957(昭和32)年、「荒法師」の異名を持ち、怪力の四つ相撲力士として大関目前だった玉乃海は、マラリアを発症。休場を数場所繰り返すうちに、幕内の下位にまで番付を落としてしまう。

この年の11月・九州場所。この場所を最後と決めて土俵に上がった玉乃海に、出身地・大分の後援会の人々は、金色の廻しを送り、激励した。この当時、黒や茄子紺色以外の廻しは認められていなかったが、玉乃海は協会理事長の時津風親方(元双葉山)に、「この場所で引退するので」と話し、特別に取組で使用する許可をもらった。

そして、金の締込み姿で久しぶりに土俵に上った玉乃海は、初日から連戦連勝。ついに千秋楽まで一度も負けることなく、十五戦全勝優勝を飾ってしまう。当時NHKの大相撲中継は、すでに始まっていた(1953・昭和28年夏場所から)が、当然白黒でカラー化されていない。金の廻しで奮闘する玉乃海の姿は、視覚的には人々の目には映らなかったが、この逸話は相撲ファンの間で、長く語り継がれている。

その後、テレビがカラー化するとともに、カラー廻しも徐々に普及し始める。やはり、鮮やかな色の廻しを付けて躍動する力士の姿は、テレビ映えするということだろうか。外国人力士の先駆け・ハワイ出身の高見山が、生まれ故郷・マウイ島に降り注ぐ灼熱の太陽をイメージするような、オレンジ色の廻しを締めた姿は、今も印象に残る。

 

現代のお相撲さんたちは、廻しの色も一つの個性としてこだわりを持ち、工夫を凝らす。それは、土俵上で組み合う姿を彩る、パフォーマンスの一つなのであろう。キモノも、地の色に着る人の個性が表れる点では同じだ。特に、色そのものをまとう無地モノには、色の好みが着姿の前面に出てくる。

今日は前回の続きとして、お客様から依頼を受けた三点の古い品物が、どのような色に染まり、新しく生まれ変わったのか、その姿を見て頂くことにしよう。

 

新しく生まれ変わった、三点の色紋付無地キモノ。

前回は、お客様から預った品物の現状を確認し、この三点を御破算にする、つまり白生地の状態に戻すためには、それぞれにどのような施しを必要とするのかを考えてみた。これはいわば、新しく誂えるための準備作業に当たる。では、どのようになって職人から店に戻ってきたのか。そこから話を再開しよう。

 

キモノや八千代掛けだった二点は、解いて洗張りをし、古い反物は、汚れやカビ落し、さらにヤケ直しといった補正作業を終えて、店に戻ってきた。洗張りでは落ちなかった箇所も、補正が施されていて、かなり良い状態になっている。パロットグリーンの無地に付いていた胴裏・八掛、また八千代掛けに付いていた胴裏も、洗張りできれいになっている。これなら、これまでの裏地を、新しく替える必要は無いだろう。

では、これをどのような色に染めるのか。色見本帳と突合せながら、一点ずつ見ていくことにする。

 

まず最初は、光琳流水模様の無地キモノを染め替える色から。藤色に青と鼠を忍ばせて、薄くした感じの色だが、日本の伝統色の中からは、相応しい色名が見つからない。ブルーサルビアやルピナスの花を連想させる色、とでも言おうか。

この状態は、洗張りをしただけで、元の鮮やかなパロットグリーン色は抜けていない。色染職人の近藤染工さんは、まずこの色を抜いて白生地に戻した後、新しい色に染め替える作業をする。近藤さんが、「この色が思うように抜けきらない」と判断した場合は連絡があり、仕事が一時止まる。

前回もお話したが、色染職人は色抜きと色染めの双方を受け持つ。しかし、色抜きが色染め職人の手に余る場合には、他の色抜き職人に依頼をしなければならない。そして、そこでも色抜き不能、または元の色が残ってしまうとなると、ここでこの仕事は中止になる。染替の場合、色を完全に抜くことが、新たな色を誂える上で、大変重要な前提になるのだ。

 

八千代掛けだった生地は、裁ちを入れていないために、一反の白生地に戻った。新しく染める色は、いわゆる青磁色の系統。この色は、無地に限らず、訪問着や付下げ、色留袖などのフォーマルモノに、幅広く地色として使われている。抹茶色は、上品で優しいだけでなく、深みも感じられる。元を正せば、緑と青は自然を意識する色。空と樹木に囲まれて生活している人間にとって、もっとも身近な色である。

八千代掛けには、胴裏が付いているが八掛は無い。通常、色無地を誂えで染める場合、生地は四丈モノを使う。この長さだと、表生地と八掛分を一枚で一緒に取ることが出来る。だから当然、表生地と八掛は、全く同じ色に染まる。つまり色の齟齬が無くなる。

八掛用の白生地。長さは一丈ほどで、紬生地とチェニー生地とがある。

けれども、この八千代掛けは三丈モノで、八掛は別に用意しなければならない。このような場合、すでに染まっている八掛けを使うのではなく、八掛用の白生地を用意し、表生地と一緒に染屋に渡す。こうすると、表裏一体の色として、間違いなく染め上がる。

色無地の八掛は、表裏が共色でなければならず、八掛見本帳からだと、表の別染色と同色のものを探すことが難しい。だから、裏地も一緒に染めてしまうのが、理想的だ。なお八掛けは、表が薄い色の場合には、裏地が透けてしまわないように、暈かし染めにしておく。また、表との生地目を揃えるために、染モノの時はチェニーを、織物の時には紬生地を使う。

 

最後の品物は、家の箪笥で眠っていた古い白生地だが、カビ汚れと思われる黄色い変色に関しては、補正でほぼきれいになった。ただ、生地表面の色は、全くの白ではなく、どことなくベージュが掛かっている。経年による影響だが、この変化を直す手段はなく、これは致し方ない。

この生地の染色は、柿色を淡くして少し赤みを抜いたような、とても柔らかな色にする。これだと、ベージュに変化してしまった生地色であっても、色の系統が同じなので、上手く染まってくれる。この反物も三丈モノなので、八掛用の白生地を添付して、同時に同じ色でぼかし染めを施す。

 

近藤染工さんへ、生地と見本帳を一緒に付けて一ヶ月ほどが経った頃、染め上がった三点が、同時に送られてきた。この間、パロットグリーンの色が抜けないとの連絡が無かったので、順調に仕事が進んでいるものと思っていたが、それでも意外と早く仕上がってきた。では、どのような染姿になったのか、見て頂こう。

(光琳流水紋織・パロットグリーン色無地→同ブルーサルビア色無地)

(花筏地紋織・白地八千代掛→同抹茶色無地)

(小花散し紋織・白生地三丈反物→同薄柿色無地)

三点とも、希望した見本染色のイメージに添うものとして、仕上がっているように思う。色染めの仕事は、「見本帳の色と寸分違わずに」ということは不可能である。大切なのは、色の雰囲気を違えないことだ。その意味では、十分上手く出来ている。

 

 

新しい白生地を使って、表地と同色に染めた青磁色と薄柿色の八掛。どちらも、表裏遜色のない共色になっていることが、画像からも判る。ブルーサルビア色無地の八掛は、表地と同様、最初にもとのパロットグリーン色を抜き、一度白生地に戻してから、改めて色を掛けたもの。

こうして三点とも、新たな無地反物として甦ってきた。なお、左のブルーサルビア色の八掛けは、反物の中に巻き込んである。

この後は、それぞれに紋入れを施す。ブルーサルビア色の品物は、すでにキモノとして使っていて、裁ちが入っているため、当然紋位置は決まっている。以前の紋は、色抜きの際に消してあるので、新たな紋を入れれば良い。

また、このような紋付無地の色替えにおいて、元の紋をそのまま使う場合があるが、その時は、色抜きの前に紋の部分を糊で伏せて、消えないようにしておく。こうしておいて、新たな色を掛けた終えた後に紋糊を落とせば、以前の紋がそのままの姿で、生地上に再び表れてくる。

そして、裁ちが入っていない二点の品物(抹茶色と薄柿色)は、着用する方の寸法に合わせて紋位置を決める「紋積り」をし、紋章職人へと渡す。予め紋を入れる位置が染め抜かれている(上絵になっている)黒留袖や、絵羽になっていて、すでに裁ち位置が決まっている色留袖や訪問着、付下げなどとは異なり、無地や江戸小紋では、反物のどこに紋を施すのか、最初に決めておく必要が生じる。これは仕事の工程として、和裁士が鋏を入れる前に、紋入れをするがためである。

紋入れが終わると、和裁士に品物を渡して、着用される方の寸法通りに誂えられていく。こうして出来上がったものを、最初の画像でご紹介した。

 

二回にわたり、違う形状の三点の品物で、誂無地を製作する仕事の過程をお話した。

新たに着用する方のために、元の品物を御破算にして、品物を再生する。一言で言ってしまえば簡単に思えるが、一枚のキモノとして生まれ変わるまでには、何人もの職人の手が必要となる。それぞれの持ち場で技術が生かされ、集大成として品物が甦るのだ。

呉服屋は、再生を望むお客様に対して、元の品物の状態を的確に判断し、もっとも効率良く、費用が掛からない方法を探りながら、仕事を運ぶ手順を考える必要がある。すでにある裏地類で、使えるものはそのまま使い、生かせる紋は、そのまま使えるような方策を採る。ディレクターとして、的確な判断が求められるのは、言うまでも無い。

お客様にとって、最初から全く新しい品物を誂えることも楽しいことだが、キモノには、再生できるシナリオも、沢山用意されている。皆様にも、これをぜひ知っておいて頂き、ご自身のキモノライフに生かして欲しい。

 

調べてみると、相撲廻しを製作する会社は、全国に数軒しかありません。その中で、両国国技館にほど近い墨田区で、80年にわたって廻し製作に携っているのが、三福商事という会社です。ここは稽古用(アマチュア相撲用)・木綿廻しのトップメーカーですが、テントやトラックシートの製造メーカーでもあります。

稽古廻しは、硬くて厚みのあるものが求められるため、木綿糸は10番手の太糸を使い、50年も前に作られた年代モノの織機で、製作されています。古い織機なので、1時間に3mほどしか織ることが出来ず、大変手間のかかる仕事になっているようです。織機には代替機が無く、織職人の高齢化も進んでいることなど、これからの廻し作りには難しさも窺えます。

 

もう一つ、関取が使う絹製の本場所取組廻しを製作している会社が、京都にあります。会社と言うより織屋なのですが、ここは、我々呉服屋にとっても、大変馴染みのある帯メーカーです。その名前は、「おび弘」。

現在おび弘は、織場を西陣から琵琶湖の畔・長浜に移して仕事を進めていますが、デザインと手織にこだわる、高級帯メーカーであることに変わりはありません。バイク呉服屋の棚にも、一本だけおび弘の帯があるので、画像でご紹介しましょう。

(白銀地 七宝花菱文様・手織唐織袋帯)

この高級帯メーカー・おび弘が織る絹の廻しは、3万本の経糸に、糸質の違う4種類の糸を20本ずつ撚り合わせた緯糸を打ち込むという、気の遠くなるような作業の下で、製作されています。力が必要な仕事なので、織り手は男性なのですが、それでも1時間に8寸ほどしか織ることが出来ません。

廻しは、巾が2尺(約75cm)で、長さは、力士の体格によっても変わりますが、1丈6尺(約6m)以上は必要になります。こう考えると、織り手間だけでも相当な労力が求められると、理解できます。

観戦する側は、テレビに映る廻しの色だけが目に付きますが、力士にとっては、どのように織られているのか、その質が重要であり、それは勝負そのものにも、関わっています。廻しも帯も、製作される工程で質が異なるというのは、同じですね。

将来、廻しを作る貴重な織屋の技術が絶えないことを、祈りたいと思います。力士達が、国技館の土俵にパンツで上がる姿は、想像できませんので。

 

今日は後書きが、ついぞ長くなってしまいました。次回からは、三回にわたって、毎年この時期にご紹介している「浴衣コーディネート」の稿を予定しています。関心のある方は、ぜひご参考になさって下さい。今日も、長い話にお付き合いを頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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