バイク呉服屋の忙しい日々

その他

バイク呉服屋女房の仕事着(5)江戸型染小紋と花喰鳥染帯

2016.04 03

全国に「銀座」と名の付く商店街は、幾つあるだろうか。バイク呉服屋が店を構える通りも、「甲府銀座商店街」である。日本有数の商業地として発展した東京の銀座にあやかり、その名前を頂戴した繁華街は数知れない。

本来、銀座とは銀を鋳造する場所であり、江戸期には、現在の京橋から銀座一帯にかけて、銀を取り仕切る役人や、生産に携わる多くの職人が居を構えていた。

 

江戸開府直前、覇権を握った徳川家康は、流通する貨幣・銀を一元化しようと考え、1601(慶長6)年に京都・伏見城下に銀座を設ける。5年後、家康の隠居とともに駿府(現在の静岡市)に移り、さらに7年後の1612(慶長17)年、江戸に移転した。この場所が、現在の京橋から銀座一帯にかけてであった。

江戸には、銀の他に金を鋳造する「金座」や、銅を生産する「銭座」もあった。金座は、日本橋本石町に置かれ、勘定奉行の支配下で江戸小判を製造した。京都から招いた後藤庄三郎光次という金匠を、「御金改役(ごきんあらためやく)」という役職に就かせて、鋳造の責任者とした。現在、この場所には日本銀行本店があり、江戸の昔と同じように、通貨の総本山的な役割を果たしている。なお、庶民の通貨として親しまれた「寛永通宝」などの銅銭は、浅草や芝に設置された銭座で鋳造されていた。

 

商業地として銀座が発展していくのは、明治期に入ってから。銀座一帯は、江戸末期から明治初期にかけて、二度の大火に見舞われる。これが契機となり、新政府は、大胆な区画整理と街作りを計画する。

任されたのは、明治政府の御雇人だった英国人・トーマス=ウォートレス。彼は銀座という街を、文明開化の象徴にしようと考え、街並をレンガ作りにして、ガス燈やアーケードを設置した。1873(明治6)年のことである。

新しい銀座は、古い住人を立ち退かせた上で建設されたものだったが、民間に払い下げられる時の価格が高額だったため、元の住人は戻って来れなかった。その代わりとしてやって来たのが、他の土地で商いに成功した者達であった。現在まで続いているこの界隈の老舗の多くは、この時に銀座に進出して来た店である。

1872(明治5)年9月、新しい銀座が作られるのと時を同じくして、新橋ー横浜間に鉄道が開通。当時、東京の中心になっていた日本橋と新橋を繋ぐ場所に銀座が位置しており、商業地として発展していく大きな要因になったと考えられている。

 

バイク呉服屋は若い頃、8年ほど東京に住んでいたが、その間一度たりとも銀座には足を踏み入れていない。高級品を扱う老舗が軒を並べるような敷居の高い街など、貧乏学生には全く縁のない場所であった。

それが、呉服屋になってからは、出張のついでによく寄るようになる。銀座には、一流の老舗呉服屋が何軒もあり、その店先を覗くことが目的だったのだ。呉服屋として頂点に立つ「きしや」や「ちた和」のウインドには、どのような品物が、どのように飾られているのか、いつも興味深々であった。

またこの店は、うちと同じ「北秀」や「紫紘」などから仕入れた商品を多く扱っていたので、価格も大いに参考にさせて頂いた。いつぞや、きしやの前を通りかかった時、北秀から仕入れたと思われる訪問着が飾られていて、その値段を見て「銀座価格」の凄さに驚いたものだ。当時、これらの店が潰れてしまうとは、夢にも思わなかったが、今となってはもう懐かしい思い出である。

 

先日、家内と連れ立って銀座へ行ってきた。家内は、草履を誂えるために、老舗履物店の「ぜん屋」と「小松屋」へ、私は、紙パルプ会館で開かれた、菱一の秋モノの新作発表会を見るためである。

二人揃って銀座を歩くことなど、滅多にない。今までブログで御紹介した女房の仕事着は、店の姿ばかりだったので、街歩きをするキモノをお目にかける良い機会と考え、着姿を画像におさめてきた。今日は、それをご覧頂こう。

 

キモノ:ちりめん薄クリーム地 松皮菱に雲取り桜模様 江戸型染小紋       帯:墨色たたき地 蔓唐草に花喰鳥模様 染名古屋帯

普段家内が、店で仕事をする時に着ているキモノは、ほとんど紬系の織物類なので、小紋などの染めモノを使うことは少ない。今までこのブログで御紹介した着姿も、浴衣を除けば紬ばかりであった。

このキモノを誂えたのは、10年ほど前になる。当時あまり小紋を持っていなかった家内に頼まれて、バイク呉服屋が探してきた品物。いつも使っている紬は、洗張りを繰り返した古いモノなので、外出用の小紋くらいは、新しいモノが欲しくなったのだろう。

私が、家内に似合うキモノを探すことは、ほとんどない。たまに作っている紬類も、私が仕入れに失敗して棚に残っている品物ばかり。普段のそんな負い目があったために、家内の要望に答える気になったのだ。

 

とは言うものの、当たり前に新しい品物を仕入れるような探し方はしたくない。お客様に対する品物ならば、迷い無く仕入れるものでも、使う人が女房と決まっている場合は躊躇する。そこには、何とか値段を安く済ませようとする、バイク呉服屋のケチな性格が透けて見える。

ちょうどこの頃、少しだけ取引のあった東京のある小さな問屋が、店をたたむことになり、品物を安く売りさばくので見に来て欲しいという話が舞い込んだ。ここで良い品物が見つかれば、安く済む。これは渡りに船だと考え、急いで出掛けて見つけてきたのが、この小紋である。

いくら値段の安さを一番に考えるとしても、作り方がインクジェットでは話にならない。ある程度、きちんと仕事がなされているものの中から、見つけたい。小紋ならば、しっかり型紙が使われて染められているもの、あるいは模様の色を手挿しした「加工着尺」と呼ばれるような品物になる。その上で、家内に似合うモノとなる。そこで何点も買い入れて自由に選ばせるということはなく、あくまで一点だけを買い取る。まさに、一本勝負である。

 

長いこと一緒に仕事をして着姿を見ていれば、似合う模様や色を自然に理解することが出来る。もちろん彼女が好きな色合いも判っている。一般的な夫婦ならば、キモノであれ洋服であれ、夫が妻の着るモノを選ぶことは難しいように思うが、この辺りの理解力は、呉服屋なればこそであろう。

家内の好みは、柔らかい色目でやさしい着姿に見えるもの。この小紋の乳脂のようなクリーム色も、そのイメージを考えて選んでいる。街着に使うこと考えると、無地に近い飛び柄より、総柄の方がふさわしいが、この地色を生かすような、模様付けや色挿しのものでなくてはならない。

この小紋には、紅型風の型が使われており、中の配色も淡い色調。松皮菱の薄水色、雲の薄墨色、それに所々にある桜の色には、それぞれ濃淡が付けられて染めてある。着姿を見ると、全体的にふんわりとした印象が残る。上の画像は、一休みした喫茶店で写したものだが、地色のクリーム色が、店内の灯りによく映えているように見える。

 

この小紋を作ってから数年後、合わせる帯を頼まれたが、二年ほどはそのまま聞き流して放置してしまった。そしてある時、家内がこのキモノを使う段になって、持っている帯の中にはピタッと納まるものがないことに気付いた。

せっかく苦労して探し、誂えた品物なのに、着てもらえないのは困る。そこでようやく思い腰を上げて、真剣に探し始めた。それから、あちこちの問屋で品物を見たのだが、自分が納得出来るような帯が見つからなかった。

 

帯を探す時、まず考えなければならないのは、織帯にするか、染帯にするかということ。使うのは当然名古屋帯だが、このキモノの雰囲気を考えれば、柔らかい印象を残せる染帯を使う方が良いように思えた。

帯の地色は、着姿を引き締めるためにも濃い地色を使いたい。模様は、キモノが総模様なので、出来るだけすっきりしたものを、そしてなるべくなら花模様は使いたくない。その上で、少し個性的な印象を出せるようにもしたい。こう考えてみると、なかなか難題である。

 

探し始めてから数年経った四年前の正月、京都の取引先・松寿苑で品物を見ているときに、この帯に出会った。私は、一目見て「これしかない」と感じた。たたき加工が施された深い墨地色は、キモノのクリーム地色との相性もピッタリ合う。

模様は、図案化した蔓唐草と花喰鳥の正倉院模様。伝統的な模様でありながら、堅苦しくなく遊び心のあるデザイン。古典モダンを得意とする、いかにも松寿苑らしい染帯である。

前の模様は蔓唐草だけ。挿し色がほとんどないので、すっきり感が増している。キモノの模様が密なだけに、帯に余計な模様や色が付いていないほうが良い。使っている帯〆は、柔らかい橙色と白の二色組で春らしく。

ようやく探し当てた帯、家内も納得出来る品物だったようだ。もちろん、バイク呉服屋が、「女房が使うモノなので、安くしてね」と、思い切り値切り倒したのは言うまでもない。松寿苑も根負けしたようで、破格の値段で分けて頂けた。

 

この日は、あいにく雨の予報が出ていた。銀座に着いた9時頃には、今にも泣き出しそうな空模様。家内は、道行コートと雨コートの両方を用意していた。一時間も歩かないうちに、雨が降り出してコートの出番となってしまう。最後に、コートを着用した姿もお目にかけておこう。

カラシ地色 椿飛び模様小紋・道行コート。まだ、雨は落ちてきていない。銀座8丁目「ぜん屋」のウインドウの前で。

黄土色 格子模様・大島紬雨コート。横緯大島に防水加工をほどこしてから、雨コートに仕立てたもの。持っているバッグは、龍村の「糸屋輪宝手」模様の品。菱一の会場・紙パルプ会館のロビーで。

 

今月は、今日の女房の着姿に続き、東京取材編として、家内が訪れた二軒の履物店、ぜん屋・小松屋の様子や、菱一の新作発表会の様子などを、ブログの稿で御紹介したいと考えています。普段一般の方が、なかなか目にすることはない老舗の店内や、メーカーの催し物について、出来る限り詳しくレポートしますので、楽しみにお待ち下さい。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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