バイク呉服屋の忙しい日々

出張ひとりメシ

昭和のとまり木で、懐かしいハンバーグサンドを味わう 日本橋・芳町

2015.11 20

喫茶店には、沢山の想い出がある。待ち合わせによく使った店や、学生時代に通った店。街を訪ねた時には、必ず立ち寄った店。

店とともに、一緒にいた人のことも思い出す。そしてその時、店の窓から見えていた外の風景さえも、ふと思い出すことがある。

 

旭川の「ちろる」は、駅前の買い物公園を7,8分歩いたところにあった。レンガ造の外観や、店の中の太い梁、煮詰めたような色の木の床。ほの暗い店の窓から、降り続く雪を見ていた記憶。一杯の珈琲で、体の芯まで温まったように感じたものだ。

網走駅のすぐ横にあった「あんじろ」も、懐かしい店。若い頃よく働きに行っていた知床半島のウトロへは、釧網本線の斜里でバスを乗り継ぐ。釧網線は本数が少なく、どうしても乗換駅の網走で、長い列車の待ち合わせ時間が出来てしまう。狭い階段を上がって、カウベルの付いたドアを開けると、店内の壁一面に、旅人が残していった定期券が貼られていた。当時は、若い人が憧れを持って、北海道を旅していた時代だった。

この他、会津・喜多方駅前の「煉瓦」や、もう名前は忘れてしまったが、東北線の好摩や一ノ関の駅近くにも、降り立った時には必ず寄る店があった。

 

呉服屋になってから、歩くようになった人形町界隈。昔は、一日で十軒近くの取引先を回ったものだが、今は限られた問屋やメーカーにしか行かなくなった。というより、行っていた所が次々と消えてしまった。

歩き疲れると休みたくなる。そんな時は、出来るだけゆったりと落ち着ける店が良い。30年前には、「スタバ」も「ドトール」も「タリーズ」もなかった。あるのは、昭和の喫茶店だけである。

人形町には、昔の「純喫茶」のおもかげを残す店が、何軒か残っている。今日は、そのうちの一つ、昭和48年創業の「レモン」さんを御紹介しよう。煙草が世間から厳しい目で見られる昨今、愛煙家のバイク呉服屋が、心置きなく紫煙をくゆらせることの出来る店。私にとっては、まさにオアシスである。

 

ハンバーグ・サンドとソーダ水(400円・350円) 芳町・喫茶 レモン

純喫茶という名前を、不思議に思われる若い方も多いだろう。日本にカフェーが生まれたのが、明治の終わり頃。最初は上流階級の社交場だったものが、大正から昭和にかけて数多くの店が開店し、庶民の憩いの場となっていった。

当時のカフェーには、昼営業で喫茶を中心とする店と、夜営業で酒類を提供する店の両方があった。夜営業の店には、客をもてなすための女性も存在し、現在のバーやクラブのような形態になっていた。

純喫茶とは、酒類を提供する店と区別するために、「純粋にお茶を満喫できる店」という意味で付けられた名称である。その後は、単純に「喫茶店」と呼ばれるようになったが、純喫茶と名前が付く店には、どこか昔のカフェーの名残があるような気がする。

もちろん、今残る純喫茶の店は、長い歴史があり、店ごとに個性がある。ほとんどが、昭和の時代に開かれ、多くの常連客に愛され続けている店ばかりだ。今日は、そんな昭和の雰囲気をも、感じとって頂きたい。

 

地下鉄日比谷線・人形町駅A2階段を登ると、甘酒横丁の交差点の前に出る。信号を東へ渡ると甘酒横丁の通りになり、うちの仕事を請け負っている、洗張り職人の太田屋・加藤くんの仕事場がある。

この一帯の旧町名は芳町。江戸元禄期までは、吉原があった場所であり、昭和50年頃までは、艶やかな芳町芸者がいる花街として知られていた。

「玉ひで」に並ぶ人たち。最初の画像で、ひときわ目立つ「しゃも鍋・玉ひで」の看板にお気づきの方もいたであろうが、ここは、江戸・宝暦年間開業の老舗軍鶏(しゃも)鍋店で、親子丼発祥の店としても知られている。

昼は1時半までの営業だが、列に並ぶ人たちのお目当ては、親子丼である。30年近く、人形町へ通っているが、この昼間の行列が途絶えたことがない。

芳町界隈には、花街の名残を残すような、老舗料理店が幾つもある。大正元年創業の、懐石料理・「玄治店(げんやだな)濱田家」は、明治の元勲達が贔屓にした名芸妓・貞奴がいた「濱田家」の伝統を受け継いでいる。また昭和2年創業の「よし梅」も江戸情緒豊かな店。鮪を使う「ねぎま鍋」は、多くの食通の舌をうならせている。前の画像で看板が少し見える「小春軒」は、明治45年創業。元老山県有朋が足しげく通った、洋食の草分け。

 

レモンは、玉ひでの行列をすり抜け、最初の路地を曲がってすぐ左手にある。小奇麗な店の外観だが、これは昨年直したばかり。以前は、一枚板の木の枠になっていて、店の歴史を感じさせていたが、東日本大震災の揺れでガラスが壊れ、外枠そのものが危なくなったのでリフォームされた。建物は、戦後すぐに建てられたものらしい。

目印は、何とも昭和的な「Dr Pepper(ドクター・ペッパー)」の看板。この飲料には、馴染みのない方も多いだろう。もしかしたら、関東・中部・沖縄以外の方は、見たことがないかも知れない。

これは炭酸で、コーラ類と同じくアメリカ発祥のもの。1973(昭和48)年から、東京圏・名古屋圏・沖縄に限定して、販売されていた。バイク呉服屋も飲んだことはあるが、「ドクター」と名付けられているように、少々薬くさく感じる。何種類ものフルーツフレーバーを組み合わせているようだが、何とも不思議な味の飲み物。

この看板、なかなかアメリカナイズされている。そして瓶のイラストが良い。レモンが開店したのは、1973(昭和48)年。まさにDr Pepperが発売された年である。当時とすれば、売り出されたばかりのめずらしい飲み物を扱う店として、流行の先端を行っていたのだろう。

 

迎えてくれるのは、何とも上品なおばあちゃん。もとい、美しいマダム。レモンは、この方と息子さんの二人で切り盛りされている。店内のメニュー看板は、開業当時のものをそのまま使っている。

看板を見ると、最初この店は、ハンバーガーやホットドッグを食べさせる、いわばアメリカのハンバーガースタンドのような店だったことがわかる。当時の純喫茶とは違う雰囲気があり、Dr Pepperの看板にふさわしい、アメリカ的な店だった。

マクドナルドの日本1号店が銀座・三越内にオープンしたのが、1971(昭和46)年。その頃まだ日本人は、ハンバーガーに馴染みが無く、ハイカラなアメリカの食べ物と考えていただろう。おばあちゃんマダムの品の良さ、あるいはモダンさは、昭和40年代からアメリカのファストフードを提供してきたことと、大いに関わりがあるように思える。

 

この店には、二人掛け・四人掛けのテーブル席がない。「コの字」に区切られたカウンターにイスが並ぶ。問屋を歩き回った後、疲れた体を休める場所にふさわしい「止まり木」なのだ。

席に座ると同時に、マダムが灰皿をコトッと置いてくれる。肩身の狭い愛煙家にとって、これだけで感激する。世間様からは、疎ましく思われ、忌み嫌われている煙草を、ここでは心ゆくまで楽しむことが出来る。

 

この日頼んだのは、この店の看板メニューだったハンバーガーの味を受け継ぐ、ハンバーグサンドと懐かしのソーダ水。いつもは、おばあちゃんが鍋で暖め直してくれる珈琲(これもなかなか美味しい)を頼むのだが、ブログに載せることもあって、昭和メニューのソーダ水にしてみる。

煙草をくゆらせながら、出来上がるのを待つ。ここでは、どんな手順で調理されているのか、すべてわかる。完全なオープンキッチンなのだ。

マダムは、まず冷蔵庫からハンバーグのパテを取り出し、フライパンで焼く。そして8枚切りのパン二枚をオーブンで焼く間に、キャベツをマヨネーズとカラシで和える。パンが焼きあがったところで、パテとキャベツを挟んでそれぞれを半分に切り、四切れのハンバーグサンドが完成。

ソーダ水は、冷蔵庫からシロップを取り出し、それをコップの四分の一程度入れ、瓶入りの炭酸水を注いだら完成。

 

手際よく、およそ7,8分で完成。早速頂いてみる。ハンバーグはかなり肉厚で、ジューシーさがあり、何より作り立てで暖かい。キャベツのマヨネーズとカラシの比率も、程よい酸味と辛さになっている。焼きたてのトーストに挟み込まれたハンバーグの味は、手作りの味。マダムの愛情が込められている味でもある。

ソーダ水は、ただただ懐かしい。子どもの頃、デパートの上にあった大食堂で飲んだ「クリームソーダ」そのもの。昭和40年代の子どもにとって、贅沢で特別な飲み物だった。

ゆっくり味わって食べようとしたのだが、いつものは早食いの癖を変えられる訳もなく、5分ほどで間食。見た目よりボリュームがあるので、これで十分満足。

空になった皿とコップを置いたカウンターの前には、きれいに整頓されている厨房が見える。テレビで昼のニュースを見ながら、食後にもう一服付ける。

食べ終わったところで、少しマダムと話をする。呉服業界が華やかだった昭和の時代には、近隣の呉服問屋の社員達も常連客だった。「北秀さんや市田さんが無くなって、何年も経ちますよね」とマダムが言う。

北秀はこのブログで何度も取り上げているように、日本一の高級染物問屋であった。市田とは取引がないが、呉服問屋としてはめずらしい上場企業だった。業績が伸び悩む中、同じ上場問屋の塚本商事に吸収される形で合併した。

 

レモンが開店して、40年。この町とともに、呉服業界の変わりゆく姿も見てきたのだろう。マダムが好きなレモン色のカーテン、その向こうに見える人形町という街は、彼女の目には今、どのように映っているのだろうか。

しばらくすると、息子さんが奥から出て来て、母をいたわるように仕事を交代した。「もう年だから無理しないように話してますが、やっぱり店が好きなんですね。もう本人に心ゆくまで、仕事を続けてもらうしかないと思っています」と話す。その眼差しは、とても暖かかった。

いつまでも、この街の止まり木であって欲しい。マダムと息子さんの二人三脚がこれからも続くように祈りながら、店を後にした。

レモンさん、本当にごちそうさまでした。

 

昔、問屋を回るときには、まず日本橋の東のはずれ・浜町にあった北秀から始めて、徐々に人形町へ向かって歩いたものです。最後は、当時日本橋郵便局のそばに店を構えていた紫紘。

全ての仕事を終えて、人形町の駅へ向かう途中に、レモンがありました。外観は変わりましたが、今でも貴重な癒しの場所であることに変わりはありません。

やはり、店は人なのだと改めて思いました。心からくつろげる場所というのは、そこにふさわしい店主がいるからなのだと。昭和という時代は、身近に人の温もりが感じられた時代であったような気がします。

今日も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

(レモンさんの行き方)

定休日 土・日・祭日   営業時間 7時頃~17時頃まで

最寄駅 地下鉄日比谷線・人形町駅 A2出口より80メートルほど 徒歩1分

 

 

 

日付から

  • 総訪問者数:385279
  • 本日の訪問者数:586
  • 昨日の訪問者数:575

このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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