バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

静かな成人の日に思うこと

2014.01 12

暦の上では、明日が成人の日。甲府市をはじめ近隣の自治体では、今日式典が催されている。地方都市では、東京を始め他県に出ている新成人にも、帰ってきて参列しやすいように、連休の一日目に式が設定されている。

着付けをサービスに付けている「振袖屋」などは、今朝の3時頃から店を開け、次々にキモノを着せ付けていくようだ。誠にご苦労様という他はない。

 

毎年、うちで成人式のお世話をするお客様は多くない。10人程度だろうか。それもすべてを新しく揃える人は2人いるかいないかであり、ほとんどがキモノはお母さんのもの、帯だけ変えるか、また帯揚げや帯〆を違う色にするか、草履やバックだけ新調するか、使う人により様々だが、基本的にはできるだけそのまま使う。

およそ25~30年前の品で、私が若い頃お勧めしたものだ。品物に施されている仕事は、今以上に丁寧なものばかり。それもそのはずで、当時は今と違い、職人の数も多く、様々な意匠が工夫されて作られていたからだ。

 

我々が考えるキモノや帯の柄行きというものは、その使われる文様に変化はあまりない。今のインクジェットの普及品のように、「洋花」であるバラの花が乱舞したり、「無茶苦茶」と思えるような幾何学的な模様の配置は「あり得ない」のである。

これは、「キモノ」の柄行きの「基本」がわかっていない人間が、作ったもの(印刷したもの)としか思えない。「振袖」の格好にはなっているが、内容は「文様を完全に無視」した代物と言える。

成人式に集まる振袖を見れば、およそ9割近くがこの手のものである。だから、何をまとっていようが、「皆同じ」にしか見えない。着ているものもだが、「髪型」や「不思議な造花」の付け方、帯〆や刺繍半衿の使い方など、押しなべて「同じ」だ。「カタログ」を使い「トータル」に見せることから関心を引く、その商いの手管の影響であろう。

カタログや「振袖ブック」などに掲載されている、「モデル」の格好が基本であり、その姿が「かわいい」し「私も同じにしてみたい」と思うのだろう。このような品物を扱う「振袖屋」にしてみれば、振袖対象者に「振袖とはこういうものですよ」と印象付けることが、第一の狙いであり、商売のスタートなのである。

私のように、今主流とされている「振袖」並びにそれにまつわる「商いの方法」を傍観している者には、「まったく別世界」の話になる。批判をするというより、「おやりになりたければどうぞ」である。

ただ、「別世界」のものであるが、「今風」の振袖で満足している方は、それで結構だ。当人が「着たい」ものならば、私はいいと思う。それを決して「いけない」とか「間違った」と否定はしない。「振袖」をどのように考えようが、お客様の自由である。そのこと自体を「批判」することは不適当であろう。

 

うちの振袖に対するスタンスは、「母の思い出」を着ることのお手伝いである。ここを基本とすれば、おのずとお客様との接し方は変わる。別に振袖を売ることに特別な意味を持たず、他のアイテムと何ら変わりはない。「よい施しの品を、世代を越えて使う」ことを意識されているお客様にどのように対応するか、ということでは、「振袖」も「留袖」も普段使いの「紬類」でも同じことになる。

うちのお客様達によれば、着付けはなじみの「美容院」だし、写真は「家族のことをよく知る写真館」にお願いするという。いくら「セットで付いてくる」としても、その場で初めて会ったような人にすべてお任せ(丸投げ)のようなことは、できる訳がないと言われる。

このことは、「利便性」や「効率」より「気持ち」を大切にしたいという思いの表れであろう。そんな家族にとって、「着付けや前撮り写真」のサービスなど「余計なお世話」と言えるかもしれないとつくづく感じる。

 

さて、そんな現代の「振袖」の話はさておき(あまり書きたくないことが多い)、今日の日に思い出したことを少しお話したい。

このブログを書き始めた頃、「成人式を考える」というタイトルで話をしたことがあった。その中で、「亡き妻」の振袖を娘に着せたいという思いでうちに来店したお父さんのことを書いた。

実は昨年11月、このことを、改めて思い起すようなことがあった。

 

彼は、私の小、中学校時代からの友人で、「幼馴染」と言える存在だ。大学は東京と大阪に分かれたが、その間もよくお互いの下宿を「行き来」していた。山梨に戻って高校教師になり、大学時代から付き合っていた人と結婚した。

仲間うちでも、一番早く子どもが生まれ、上から男、男、女と三人の父になった。私も、家内を他県から無理矢理引っ張ってきたので、うちの家内と彼の奥さんとは、「他県から来た嫁同士」で仲良くなった。

最近は、近くにいてもお互い忙しく、会うこともままならなかったが、その日の夕方突然電話をかけてきた。話は「家内の振袖を娘に直すにはどのくらい時間がかかるか」というものだった。

「奥さんから聞いて欲しいと頼まれた」にしては、腑に落ちない。別に知らない人でもないので、直接頼んでくるはずである。その上娘さんはまだ高校一年生のはず。

娘さんは奥さんより小さいので、寸法直しの手間が少なくて済む。急げば二週間ほどで出来る。「そんなに急ぐのか」と聞けば、今すぐの話ではないという。ただ、奥さんが入院しているので、代わりに電話したとのこと。いずれ頼みにいくのでよろしく、ということでこの時の話は終わった。

だが、翌日の夜7時すぎに彼から再び電話。奥さんが亡くなったのだという。昨日の電話のあと容態が急変したのだ。まさかそんなにすぐに別れがくるとは思いもしなかっただろう。私もあまりに突然のことで、しばし呆然となった。

葬儀の後、前日の電話の話を彼に聞いてみた。おそらく自分の最期が近いと彼女は思っていたのだろう。ただ、昨日の今日亡くなるとは思っていなかっただろうが。「振袖」のことは、娘が自分の振袖を着た姿を目に焼き付けたかったからではないだろうか。もちろん娘が二十歳になるまで生きることは無理だから。

「遺言」だから、その時はきれいに直して着せてくれ。改めて、そう頼まれた。

 

娘を思う母親の気持ちが、「振袖」というものの中に凝縮しているように思えた。まだ高校生の娘さんは、葬儀の時にずっと泣いていた。末っ娘でただ一人の女の子である。

私に出来るせめてものことは、二十歳になったこの子に母親のキモノを丁寧に直して、着せることだ。「思い出」をまとうには、「振袖」はまたとない品である。母の最期の望みは叶えられなかったが、五年後の墓前にその姿を見せてあげたい。あまりに「人生の機微」にふれるような出来事だった。

 

呉服屋は「節目」の仕事です。結婚、出産、お別れなど、様々な人生の節目で使われる「道具」としての役割が「キモノ」にはあります。そこで使われたモノには、様々な思い入れと懐かしい思い出が凝縮しているように思えます。

「受け継いで着る人」の思いや「使っていた人」の思い入れを含めて、手を入れさせて頂き、時を越えて使うことが出来るようにしなければなりません。

「成人の日」の今日、このことを改めて再認識しました。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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