道の辺の 壱師の花の いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻は(万葉集巻11・2480)
道の傍らで目立っている壱師の花(彼岸花)のように、私の恋しい妻のことを、皆に知られてしまった。これは、万葉集第一の歌人・柿本人麻呂が詠んだ恋歌で、万葉4500首余の中で、唯一彼岸花を詠み入れた歌である。
道端に限らず、土手や寺院の墓地で見かける彼岸花。茎の先で湾曲した、鮮やかな赤い花を咲かせる。花の時期は秋のお彼岸前後で、丁度今頃が盛りとなる。この花の別名は、曼珠沙華(マンジュシャゲ)。梵語(サンスクリット語)で、「赤い花」を意味する。仏教に関わりの深い花と考えられるが、この花の球根が毒を有し、食べると彼岸(あの世)行きとなることから、この名前が付いたとも言われている。
彼岸花の咲く秋分の頃は、昼夜の時間がほぼ同じ。夜明けは朝5時半頃で、日没は夕方17時半頃。そして陽は真東から出て、真西に沈む。浄土教では、煩悩の無い世界・極楽は、西の彼方「西方浄土(さいほうじょうど)」に存在すると考えられている。そこで、一年の中で昼夜の長さが同じになる春分と秋分は、彼岸(あの世)と此岸(しがん・この世)の距離が最も近くなり、思いが通じやすくなるとされるのだ。
こうした「彼岸思想」が、春と秋のお彼岸には、お墓参りをして先祖を敬う時間を持つようになった基になっている。三途の川を境に、彼岸と此岸を分ける。彼岸は仏の住む浄土で、此岸は欲や煩悩にまみれた現世。墓地の周りで鮮烈な色を放つ彼岸花は、いちしろく(著しくとか、はっきりしている)という意味の通り、ご先祖さまが俗人たちの振る舞いを、見えない天界から見定めているようにも思える。
さて、「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り、今の時期は夏から秋へと空気が入れ替わる。9月の東京の平均気温は22.3℃。最高気温の平均は26.2℃で、最低気温は19.3℃。上旬には30℃近くの日も多かったが、このところ25℃前後まで落ちてきている。また、朝晩は20℃以下になる日もある。大体半袖から長袖になる目安が、20~25℃あたりと言われているが、和装にもこの基準は当てはまりそうだ。
基本的に9月は単衣だが、彼岸の頃までは夏帯が優先され、以後は冬帯の出番が多くなる。そして10月には袷を着用するようになり、帯は冬モノに限られる。前回、前編として夏モノ・絽綴れ帯を使ったコーディネートをご覧頂いたが、今日は三本立ての残り二本、単衣に冬袋帯を合わせた場合、そして袷として誂えた時の帯合わせを試すことにしよう。どのような視点で帯を選んだのか、説明しながら話を進めてみたい。
今回のコーディネートで使う、天平模様の袋帯(いずれも龍村美術織物)
今日の帯は冬モノから選ぶわけだが、合わせるキモノの形態が単衣と袷とでは、当然選ぶ観点が異なってくる。使う品物が、フォーマルな場面で装う付下げなので、一般的には袋帯を合わせることになるが、この正倉院装飾文の意匠はそれほど仰々しさが感じられず、帯次第で雰囲気が変わるような、自在さを併せ持っている。
そこで今回は、このキモノの特徴を生かし、単衣誂えの時は、季節に相応しい爽やかで軽やかな帯を、また袷誂えの時には、フォーマル感が強調される重厚な帯を探すことにする。帯で変化する「着姿の差」はどうなるのか。具体的に表現してみたい。
そして前稿の最後にも記したが、今回使う帯の図案は、天平模様に限定してみた。つまり付下げの図案と帯模様をリンクさせる訳だが、文様としてあしらわれる植物文が唐花主体であることから、双方に同じモチーフを使うことで、着姿全体に統一感が生まれてくる。それは、正倉院文様の背景にある外来性と、多様な文化の融合によって醸し出された「図案のモダンさ」を、コーディネートのコンセプトに置いたことに他ならない。
では、単衣と袷でどのような姿になったのか、各々ご紹介していこう。天平文様の多様性や個性を、二本の龍村帯の中で感じ取って頂ければと思う。まずは、単衣を想定した帯から、御紹介することにする。
(白地 楽遊鳥華文 袋帯・龍村美術織物)
帯の幅いっぱいに枝を伸ばした唐草と、その間を楽しそうに飛び回る天平の鳥。唐草文と飛鳥文の組み合わせは、最もオーソドックスな正倉院文様で、収蔵されている品物の装飾モチーフには、この二つをアレンジした意匠が数多く見受けられる。
羊歯(シダ)かゼンマイのように枝先を丸めた唐草は、蔓に金と浅緑色を使い、花は白と橙、水色の三色で構成している。そしてこの花色が、飛ぶ鳥の羽色とも連動する。配色こそ少ないが、こうした規則的な色使いにより、模様全体がバランスの取れた彩りとなって表現されている。また白地で、しかも地に間隔の空いている唐草を使うことから、清楚ですっきりとした優しい帯姿となっている。
模様を拡大すると、蔓先に織り出されている緑のグラデーションや、唐花の色とニ羽の鳥色との連動がよく判る。白地だけに、図案がすっきりと明るく浮かび上がる。
天平の模様には、「瑞鳥(縁起の良い鳥)」としてあしらわれる鳥が幾つかあるが、この帯に織り出されているような、頭に冠を載せた、いわゆる冠羽(鳥の頭頂部に伸びた羽毛)のある鳥は、戴勝(ヤツガシラ)である。この他に、尾を長くなびかせる尾長鶏や、縁起の良い鳥として知られる鴛鴦(オシドリ)、さらに伝説上の霊鳥・鳳凰などが登場する。
また、この時代特有の図案として、綬帯(リボンのような紐)を口にくわえた「含綬鳥(がんじゅちょう)」や、花枝を口にくわえた「花喰鳥(はなくいどり)」が数多く描かれている。こうした愛らしく優美な鳥の姿は、最も天平文様を具現しているモチーフの一つと言えるだろう。
お太鼓を作ってみると、後の帯姿からも文様の清潔感が伺える。模様に流れがあり、堅苦しさを感じないモダンな印象を受けるが、柔らかな薄ピンク地の装飾文・単衣付下げに合わせると、どのようになるだろうか。
基本的に、薄いパステル系のキモノ地色と白地帯の組み合わせは、おとなしく上品な仕上がりになることがほとんど。今回もその例に漏れず、優しい着姿になっている。付下げが、薄ピンクの地が空いた装飾丸文の飛び柄なので、なおさらすっきりとした白い帯が映える。そして、蔓の間を飛び回る鳥の姿も目立つ。
遠目から見ると、その淡い雰囲気がなお判る。単衣だから、重苦しい着姿にはしたくない。そんなコンセプトには、そぐう合わせ方になっているだろう。単衣と言えば、寒色系のキモノや帯を使って涼やかさや軽やかさを前に出すことが多いが、こうした暖色でも、十分に対応することが出来そうだ。
帯の前姿を合わせると、伸びやかな蔓草と飛び回る戴勝の姿が否応なく目に入る。キモノ図案が孤立しているだけに、帯模様の自由な雰囲気が、装う姿の印象を変える。キモノは規則性の高い装飾文、帯は優美な曲線文。同じ天平文様でも、対照的な文様姿の組み合わせになっている。
小物は、帯蔓草文の枝先に付く緑系でまとめてみる。帯〆や帯揚げに、若草色やミントグリーンを使い、より爽やかさを演出する。キモノの設定が単衣なので、小物の色使いは自然にこうなる。(貝ノ口組帯〆・平田紐 波模様綸子暈し帯揚げ・加藤萬)
(黒地 彩花円舞文 袋帯・龍村美術織物)
円を切り取った輪を重ねて模様の境界とし、その中に蔓を巻いた唐草文と円を連ねた連珠文をあしらう。帯地色は黒地だが、模様の配色はほぼ金銀色の濃淡だけ。この、極めてシンプルな色の姿が、古代ペルシャ神殿の柱に施された装飾様式にも似た意匠と相まって、華麗で改まった印象を残している。
この帯に見られる唐草文は、最初の白地帯であしらわれている唐草とは、またイメージの違う文様の姿。先の唐草は写実的に見えるが、こちらはデザイン的な図案。それだけに、かなり重厚感がある。
円の中は規則的に切り込まれ、各々に違う形状の唐草を織り込む。そして円の間に連珠を置いて、アクセントを付けている。帯名に円舞文と付いているように、模様そのものにリズム感がある。そしてそれが、金・銀・黒の色のコントラストとも連動している。帯幅全体にあしらわれた唐草文様のインパクトが強いので、かなり目立った帯姿になることは間違いない。
連珠文はすでに、天平より前の飛鳥期に伝来している。法隆寺に伝来する染織品・法隆寺裂の中に見られる「紅地四騎獅子狩文錦」は、連珠を周囲に配した円文の中に、騎馬の上から獅子を狩る四人の王の姿が描かれている。このように、馬上から振り向きざまに弓を射る姿をモチーフとした文様を「パルティアンショット」と呼び、典型的なペルシャ式の狩猟文として伝えられた。
連珠と唐草が融合した文様装飾は、正倉院の収蔵品にも数多く見られる。中でも、螺鈿細工の八角鏡には、連珠文で区切られた円の内側に豪華な宝相華文を配し、その花の中心や花弁には琥珀があしらわれている。特に鏡には、連珠と唐花の輪に一定の規則性を持たせて文様としているものが多く、この帯の図案もその傾向が反映されている。
お太鼓姿からも、この帯の宝飾的な雰囲気がよく表れている。同じ宝飾正倉院文でも、付下げの図案とは異なる帯の文様。袷として誂えた時に、どのようなフォーマル姿になるのだろうか。
丸文系の宝飾文同士の合わせ方だが、図案の雰囲気は明らかに違う。華麗な帯文様だが、思ったより目立ち過ぎず、うまくキモノに溶け込んでいるように思える。付下げの地色も模様もおとなしいだけに、着姿から帯だけが際立ってしまうことを危惧されたが、合わせて見ると、そうでもない。正倉院文様には季節の概念が無いので、袷の季節ならいつでも使うことが出来る。同じ龍村帯でも、単衣合わせとはまた違う、重みを感じさせるコーディネートになっている。
付下げは、模様と模様の間に地を大きく開けており、帯は逆に、幅いっぱいの密な文様をあしらう。対照的な模様配置だが、合わせてみるとこれが、着姿に良いバランスをもたらす。装飾的な文様が、装いに恭しさを与えているようだ。
前姿は、連珠の付いた黒地部分の出し方で、印象が変わってくる。着姿の真ん中に一つ配するか、それとも脇に二つ見せるか。模様が密な六通の帯だけに、工夫の余地がかなり残されている。締め映えのする帯、どのように生かすかは装う人次第となる。
強い光を放つ帯だけに、帯〆にはそれに負けない色を使いたい。キモノ地と同系でインパクトのあるサーモンピンク。これなら品よく、そしてある程度きっちりと帯を抑え込める。帯揚げは、帯〆と同系色の薄暈しで色を統一させる。(貝ノ口組帯〆・龍工房 暈し帯揚げ・加藤萬)
タイプの全く異なる天平・正倉院文様の龍村袋帯で、単衣と袷それぞれのコーディネートを試してみた。前回の絽綴れと合わせて、帯を替えることで、着用時期が変わり、また着用する場面も変わっていくことを、理解して頂けたように思う。「一枚のキモノに、三本の帯」とよく言われるが、これはカジュアルだけではなくフォーマルな装いにも通用すること。様々な場面を想定しながら、そしてそこに自分らしい個性も含ませながら、装いを作る楽しさを見つけて欲しいものだ。
最後に、今日ご紹介した品物を、もう一度どうぞ。
(単衣コーディネート)
(袷コーディネート)
我が家の墓所は、市が管理している公営霊園の中にあります。甲府駅から二キロほど北で、武田神社にほど近い、緑豊かな閑静な場所。ここは高台に向かって墓地が並び、その数は数百基以上にも及びます。ですので、お盆やお彼岸になると多くのお墓参りの人で賑わい、入口近くには花屋が臨時出店して、供花を売ったりしています。
そんな霊園の中には、雑草が生えたままだったり、塔婆が傾いてしまったような「荒れたお墓」が散見されます。その数は、以前よりかなり多くなったようで、墓の管理が難しくなった「現代の家事情」を象徴しているように思われます。
墓の近くに管理するべき家族が誰も住んでいなかったり、事情があって墓参りに来ることができなかったり、もしくは関わりのある者が亡くなってしまったりと、荒れる事情は様々なのでしょう。弔いの形が変わり、家族関係も変わり、そして親戚との繋がりも希薄になる中、誰が、どのように墓を守っていくのかは、間違いなく、それぞれの家族間で大きな課題になっていきます。
それは、我が家とて例外ではなく、どのような形で次代の娘たちに引き継ぐのか、それとも私の代で墓仕舞いをするのか、これから決めなくてはなりません。そんな姿を、墓に眠る祖父母や父母と共に、傍らに咲く彼岸花が、静かに見つめています。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。