ひと月ほど前、突然パリから質問メールが届いた。ブログを書くということは、世界に情報を発信しているということ。当たり前のことだが、改めてこのことを実感して驚く。
名前は「マリーさん」らしい。フランス語で書くと、「mayishitar」。グーグルの自動翻訳では「マリー」と訳されていたが、本名はわからない。もとより私にフランス語がわかるはずもない。
さて、その質問の内容である。それは、彼女(彼?)が手に入れた「加賀友禅の黒留袖」と、私がこのブログで紹介した「加賀友禅の黒留袖」の柄が「酷似」しているのに、「落款」が違うのは何故かということである。
この品物は、昨年11月に「ノスタルジア」の稿でご紹介した、「毎田仁郎」製作、加賀友禅黒留袖「松竹梅に千鳥模様」。マリーさんは、これを読んだために私にメールをしてきたのだ。
「あなたのブログに紹介されている品物」と「私の手元にある品物」は「瓜二つ」。「兄弟のように思える品物」と書かれている。もちろん画像も添付されていて、「何故ほとんど同じ」に見えるのに、「作者」が違うのか、それを教えて欲しい。
これは、「手描き」か「型か」という問題に発展するのだが、「マリー」さんはもちろんその事に気づいていない。「一般の日本人」でさえ、その「見分け方」は難儀することなのに、それをフランス人にどのように説明すればよいだろうか。
「加賀友禅」に似せた、「京加賀」と呼ばれる「型友禅」が存在することはわかっているが、ここまで「作家」の品を「コピー」したものがあるとは、思わなかった。しかも、それに気づかせてくれたのは、「異国」の人である。
今日は、そんな「マリー」さんの品をご紹介しながら、どうして「コピー」された品物が存在するのか、またそもそも「加賀友禅」に描かれている図案というものは、本当に作家自身の「オリジナル」なものなのか、そのあたりを探り、読者の方々にご提示したい。
マリーさんという方は、ただの「キモノ好きなフランス人」という訳ではないらしい。彼女は、「CABINET DE CURIOSITES JAPONAISES・Trouvailles et artisanats du japon(日本工芸品の発見)」というサイトの主宰者である。ここを訪問してみると、「染織品」だけでなく、様々な日本の文物が紹介されている。しかも、一つ一つの記事はかなり「専門的」なものだ。ただ、どのような意図でこのサイトが立ち上げられたのか、またマリーさんの経歴がどのようなものかはわからない。今日の稿の最後に、アドレスを書くので、一度ご訪問頂きたい。
「マリーさん」がメールに添付してきた、手持ちの品物の画像
一見したところで、「毎田仁郎」の作品と酷似していることがわかる。「兄弟のような品」とマリーさんが言うのも無理なからぬ品である。「構図」「彩色」などほぼ全てが一致したもの、すなわち「コピー」されたものと見ることが出来る。
では、品物の細部を比較してみよう。「似て非なるもの」であることを「検証」してみる。
落款 「崇」 作者不詳 マリーさん所有の「型友禅」黒留袖 裾模様部分
落款 「仁」 毎田仁郎製作 「加賀友禅」黒留袖 裾模様部分
一見、かなり似ているように思えた二つの品物だが、こうして並べて比較してみると、かなり「違い」が鮮明になってくる。まず、全体の模様の付け方は、「道長取り」で同じように成されてはいるが、挿し色の違いと、中の図案に描かれている花の種類にも違いが見える。
例えば、マリーさんの品には、明るい「黄土色」で色挿しされた「小菊」の花模様が見えるが、毎田作品には「菊」が入っておらず、「松竹梅」だけである。そして、全体を見渡した時、模様の密度が違い、全体として「深み」がかなり違う。また、舞い飛ぶ「千鳥」は、マリーさんの品では、柄の中に埋もれてしまい、存在感がないが、毎田作では、はっきりとした印象が付けられている。
柄を拡大して、さらに「違い」を見る。「手描き」と「型」の違いも検証して見る。
マリーさんの品 柄の上部を拡大したところ
毎田作品 上前身頃上部を拡大したところ
単純にこの二か所を見ただけで、図案の立体感や、色挿しの重厚感の違いは明らかだろう。やはり、千鳥や花の一つ一つの構図を見ただけで、歴然とした「差」が見られる。「型糸目」を使っているものと、手で「糊」を置いた品の違いだ。
「型」が使われている品は、その「型」の精緻さにもよるが、手でなされた品に比べて、どうしても「平板」で「単純」な印象になる。つまり、「人の手」による細やかさに欠け、「柄の深み」や「奥行き」というところに行き着かないのだ。
この二つの品物のように、ほとんど同じ図案を描いたものであれば、なお一層違いがわかる。
「型」と「手描き」、それぞれの「糸目」の違いと「色挿し」や「ぼかし」の技法などを、もう少し詳しく見てみる。
マリーさんの品 「松」を拡大したところ
毎田作品 「松」を拡大したところ
「松」の中に付けられている「白い筋」=「糸目」に注目して欲しい。上の画像の「筋」は「均一」である。これは、「同じ型」を使って糸目を付けているからである。下の画像では、「松」の中に施されている「筋」=「糸目」一つ一つの形が全て違う。また、「少し筋のブレ」も見える。つまり「不均一」なのだ。人の手で糸目を引くと、自然に違う形になる。たとえたった一つの「松模様」でも、決して同じにはならない。「手描き」か「型」か見分けるのに、一番わかりやすいポイントでもある。
また、「松」の色挿しに注目してみると、上の品の色の挿し方や「ぼかし」の施し方は、「単純」である。「藍色」という色一つでも「単純」に濃淡を付けたものと、一つ一つの松に、「微妙」に濃淡の差を付けると同時に、「ぼかし」にも変化を付けたものでは、これだけの違いが出てしまう。つまり、卓越した技術を持つ「加賀友禅」の作家と、そうでない者との差は歴然としたものがあるということだ。
もうひとつ「千鳥」の模様を比較してみよう。ここはもっと「差」がわかりやすい。
マリーさんの品 「千鳥」を拡大したところ
毎田作品 「千鳥」を拡大したところ
それぞれの鳥の図案を比較してみよう。上の画像の鳥の輪郭や中の羽を表現するための「糸目」は大雑把で単純なもの。下の画像の鳥に付けられた糸目は細く、一羽一羽が異なるように施されている。作者が描く「絵心」というものの有る無しが、「鳥」の模様からもわかる。
「型」を使う場合、どうしても柄がありきたりになる。それは、友禅にとっての命ともいえる「糸目を引く」という工程が省略されているからだ。また、先ほどの「松」同様、「色挿し」の技術の差はあまりにも大きい。「鳥の羽」一枚にも、微妙に濃淡を付け、ぼかしをほどこし、アクセントが付けられている。この細やかな仕事が、柄全体となって仕上がった時に、改めて作品の奥行きとなって表れてくるのである。
このように、細部からも全体からも、「型」と「手描き」の違いは、やはり「均一」と「不均一」の違いということが出来るだろう。「人の手」によりほどこされている「糸目」は、同じように付けようとしても、決して同じようにはならないという、「自然な」仕事が、否応無くなく作品の上に表れてくる。それこそが、「手描き友禅である加賀友禅」というものの本質であろう。また、「色挿し」や「ぼかしの技術」の精緻さと、それをどのように柄の中に生かすかということは、「作家」としての生命線であり、ここを見ることで、作品の優劣がわかるように思われる。
「マリーさん」の質問メールのおかげで、改めて、「型」と「手描き」の違いというものを、このブログの上でお話することが出来た。今度のように、ほぼ「同じ」図案の二枚のキモノの比較だと、より一層その「差」は鮮明になり、「違い」というものが、読まれている方にもわかりやすかったのではないだろうか。
マリーさんへの返答は、この二枚は似ている図案であるが、その制作過程は大きく異なり、「似て非なる」作品であることを伝えた。但し、「型糸目」と「手描き糸目」の相違を、フランスの方にわかりやすく説明することは私の能力では難しく、単純に「コピーされたもの」としてお話しておいた。
だが、返事を送った後、マリーさんの品物が本当に「毎田作品」の「コピー品」と言い切れるだろうか、という疑問が湧いてきた。
というのは、あまりにも図案や挿し色が似ている、この落款「崇」の作品に関った者が、どこかでこの「毎田作品」に出会い、それを見ていなければ「コピー」は作りたくても作れない。果たして、そんな「機会」はあるのだろうか、という疑問である。
もちろん、「崇」という落款が加賀友禅の技術者名簿に載っている訳はない(手描き作品ではないのだから)。色挿しをした人間が、「便宜的」に付けてしまった「紛らわしい落款」である。いわゆる「京加賀」と呼ばれるような、「加賀に似せて作られている型友禅」の範疇のもの。
どこか、「流通の段階」で(もちろん金沢などではなく)、この「毎田作品」が目に留まり、「同じような構図と挿し色」でコピー品を作ろうと思い立ったと考えれば、合点がいく。おそらくその可能性が一番高い。だが、「毎田作品」そのものが、作られるときに何らかの「絵」や「モチーフ」が参考にされたということも考えられる。
つまり、この作品の図案や色は、「毎田仁郎氏」のオリジナルではなく、すでにあったもの(絵画などか?)を、毎田氏が自分の作品に取り入れたと仮定することも出来る。そうすれば、コピー品は、実際の毎田作品を見ないで、この参考にされた「別のもの」を見れば、作ることができるのだ。
先日、加賀友禅作家の上坂幸栄さんにこの疑問をぶつけて見た。「加賀の有名作家」は、自分の作品に描く図案や色について、すべて自分だけの「オリジナル」なものを使っているのかという疑問である。上坂さんによれば、品物によっては、何らかの「参考になるもの」をそのまま利用して、作品作りをするようなことも考えられると言う。
つまりは、この「毎田作品」は、その図案や色使いが、「毎田仁郎オリジナル」ではない「可能性」もあるということになる。もちろん何が真実かはわからない。しかし、「偶然」にもほぼ「同じ構図、色挿しのコピー品」が見つかったことで、「これまで考えられなかったような疑問」も生まれたのは事実だ。
もちろん、この作品における、糸目、色挿しを始めとする、毎田仁郎氏の「加賀友禅の技術」そのものの素晴らしさを否定するものではないことは、言うまでもない。これは、図案の「オリジナリティ」の問題である。
マリー(mayishtar)さんが、この自分の持っている品物を紹介しながら、「加賀友禅」について記述したものが、下記のサイトに掲載されています。その文の中には、参考サイトとして、この「バイク呉服屋のブログ」のURLも載せられており、協力者として私の名前も書かれています。
異国の方でも、日本文化に興味をもたれ、自分の持つ疑問を解決するために、労を厭わないという姿勢は、大いに学ぶべきでしょう。
それにしても、相手の言語が全くわからないということは、意志の疎通を図る上で大きな障害になります。「自動翻訳」がもう少しどうにかならないものかと、改めて思いました。「グーグルさん」には、もう少し頑張って欲しいものです。
mayishtarさんのサイトURL
https://curiositasjaponicae.wordpress.com/textile/kurotomesode-kaga-yuzen/
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。