バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

「キモノ終い」について、考えてみる

2018.08 18

お盆の前日、父と家内とを連れ立って墓参りを済ませた。我が家の墓は、甲府市北部・武田神社にほど近い市営霊園の中にあるが、家からは車で10分ほどの近さである。菩提寺は、祖父の出身地・身延町にあるが、甲府からだと一時間以上はかかる。遠い墓は何かと不便ということで、祖父が昭和40年代に、この市営霊園の分譲を申し込んで墓を建てた。価格は公営だったこともあり、かなり安かったようだ。

墓の掃除や管理はほとんど父が行っていたが、最近は私と家内に任せることが多くなった。この霊園は高台にあり、周囲は木々が鬱蒼と繁って落葉も多いため、ほんの数ヶ月訪ねていないうちに、石塔の周りにはゴミが溜る。掃除だけでも30分はかかるので、高齢の父には負担が重かった。

 

墓参りを終えて、霊園の中を歩いてみると、もう何年も手を入れていない墓があちこちに散見される。雑草は蔓延り、石塔や花差しは汚れ、塔婆は傾いている。おそらく、長い間誰も来ていないのだろう。墓に縁のある者が、遠く離れてしまったのか、はたまた墓を受け継ぐ者が、誰もいなくなってしまったのか、それは判らない。

荒れた墓を見ると、家族の一員として生まれ育った者が、「義務」として先祖の墓所を守っていた時代の終わりを、改めて感じさせてくれる。国は今、盛んに「家への回帰」を唱えているが、こんな些細なことからでも、難しいことが判る。

 

骨を納めた墓は、残された親族や友人の「心の拠りどころ」だが、バトンを手渡す相手、つまり将来墓参りをしてくれる人が誰もいないとなると、今墓を管理している人が、亡くなる前に家墓を整理する必要が生まれてくる。これが「墓終い」だ。

墓は、石塔や塔婆を片付けて更地にし、寺や霊園の管理者に返却する。そこで問題になるのは、遺骨をどこに引っ越すのかということだ。多くは、菩提寺や公営墓地に合祀して永代供養してもらうが、散骨や、手元に置いて自分で管理することもある。いずれにせよ、選択は「墓を終う役目」を負う者に任される。

 

家を象徴する墓ほど重くはないものの、箪笥に残るキモノも、その「終い方」に苦慮する人は多い。確実に受け継ぐ人が決まっているならば良いのだが、そんなケースはかなり少ない。そして、残す人が「家族の誰かに着用してもらえる」と考えたとしても、残された人にとっては「ありがた迷惑な品物」にしかならないことも、よくある。家族の節目に着用した大切なフォーマルモノ、そして日常の姿を彩ったカジュアルモノ。それぞれのキモノや帯の行く末を、どのように考えたら良いのか。

今日はそんな「キモノ終い」について、話を進めてみたい。残す人、残った品物を受け継ぐ人、双方の参考に少しでもなると良いのだが、異なる個々の事情が関わるだけに難しく、まとまりが付かないかも知れない。

 

先日、あるお客様からキモノの手入れを請け負った。品物は喪服二組。おばあちゃんのお葬式に、姉妹で着用したという。電話で名前を聞いた時に、私は数年前のことを、「あっ」と思い出した。

この二組の喪服は、亡くなったおばあちゃんがお孫さんのためにと用意したものだった。当時この方は、体を不自由にしていたため、依頼を受けた私が、品物をバイクの荷台にくくり付けてお宅まで運び、商売をさせてもらったのだ。しかも、6年前、9年前と年を空け、二度にわたって用意されたので、特に印象に残っている。

連絡を頂き、まだ遺骨が家に安置されているとのお話なので、ご焼香させて頂きながら、品物を預りにお伺いした。喪服は、二組の箱にそれぞれ納まっているので、そのまま持っていって欲しいとのことである。

 

お客様のお宅に着くと、電話をしてきたお孫さんが待っていて、すでに玄関先には、着用した喪服を入れた誂え箱二つが用意してあった。そしてそれぞれの箱には、画像のようなシールが貼り付けられていた。

シールには、誂えた日と誂えたうちの店名、そして着用後の手入れの方法が記載されている。私とこのお孫さんは初対面であり、品物を選んだ時には同席していなかった。つまり、私が着用後の対処方法を伝えたのは、今回亡くなったおばあちゃんだけである。

おそらくこの二組の喪服は、「キモノを使ったら、何もせずにそのまま渡せば、松木さんが全部してくれるよ」と、おばあちゃんが二人のお孫さんに話して、渡していたのだろう。そして、伝えられたことを忘れないようにと、そのまま彼女達が箱の上に記しておいたに違いない。

もう一方の箱にも、同じ内容のシールが貼り付けてある。誂えた日から今まで、この喪服が、どこでどのように管理されていたのかはわからない。けれども、キモノに不慣れな若いお孫さん二人が、おばあちゃんのためにきちんと着用し、言葉通りに手入れ依頼をすることが出来たのである。

キモノ、長襦袢、帯とひと揃えにして箱に入っているのは、納品したその時のままだ。手入れを終えて、また同じように箱に戻しておけば、次に着用する時に、品物のありかを探す手間は無くなる。おばあちゃんは、手入れの方法だけでなく、管理の方法までも伝えていたように思う。

 

キモノや帯を、縁のある人にどのように受け継いでもらうのか。今回の喪服の例は、自分の品物を譲るということではないが、祖母や母の気持ちを、次世代の娘や孫にどう伝えてゆくかと言う意味においては、参考になることが多い。

大切なことは、やはり品物を目の前に置いて、譲る人と譲り受ける人との間で「よく話す」ということであろう。特にフォーマルモノに関しては、着用する場所や、相応しい季節(夏モノ、単衣、袷の違い)なども説明する必要があろう。そして最も重要なことは、何故この品物を受け継いで欲しいのか、その自分の「思い」を伝えることだ。「キモノ終い」の第一歩は、まずここから始めなければならないだろう。

無論、受け継ぐ人が全く見当たらないケースもあろう。また譲りたいと考えている自分の娘や孫、さらにお嫁さんには、全然和装への関心が無く、着用したのを見たことも無い場合もあろう。それでも縁者がある場合には、一度きちんと話をしておくことが肝要である。最初から「誰も着用しないだろう」と、諦めてしまわないで欲しいのだ。

 

そして譲り受ける方々も、母や祖母の「キモノ終い」を手伝って頂きたい。「キモノなど絶対に着用しない」と無下に断るのではなく、とにかく話だけは聞いてみるという姿勢が望まれる。

バイク呉服屋は、キモノというモノは、何が何でも次の世代が受け継がなければならないなどとは、考えていない。お互いが向き合って話をした上で、やはりキモノは不必要ということになれば、それは仕方の無いこと。そう結論が出されたのであれば、今度は処分の方法を相談するとよいだろう。お互いが納得した中での「処分」は、わだかまりを残さず、すっきりとした気持ちで、品物を見送ることが出来るように思える。

 

現代は、家族関係が希薄になりつつあると言われている。我が家もそうだが、親と子と孫とがそれぞれ別の地域で暮らしていて、離れ離れになっていることが多い。世代が一堂に会して話をする機会は、今や盆と正月くらいのものだろう。

そんな時に、家族みんなで「キモノ終い」の話をされたらどうだろうか。息子や娘の誕生や成長を見つめた八千代掛け(産着)や七五三の祝着、入学式・卒業式に着用した色紋付の無地や付下げ、晴れがましい結婚式での黒留袖等々、家族の歴史を彩ったそれぞれのキモノたちが、そこにはある。

箪笥の中のキモノを前にすれば、否応無く、家族の思い出に触れることになるだろう。ぜひ、懐かしい時間を語り合いながら、楽しく「キモノの行く末」を考えて頂きたい。これは、品物が繋がるか否かは別にして、和装に縁の無い次世代の者が、関心を持つ一つのきっかけにもなるだろう。

 

キモノを終うことは、確かに面倒であり、相当な労力も必要とする。だから、「見て見ぬ振り」をして手を付けないというのも、理解出来る。けれども、何もせずに残ったままになれば、次世代の悩みの種になる。極端なことを言えば、家の「厄介モノ」にもなりかねない。

そこで鍵になるのは、「終いは一人ではなく、家族みんなで考える」ことと思う。家には、それぞれに事情があって、一概には当てはまらないだろうが、譲る人も受け継ぐ人も、お互いが納得出来る形になることを、ぜひ願いたいものだ。

 

うちでも、家内との間で「将来、墓をどうするか」と話すことが多くなりました。私の家墓と家内の実家墓、双方の後継役を担うは我が家の三人の娘ですが、いずれにせよ、かなりの負担を背負わせることになってしまいます。その上、結婚したとなれば、嫁ぎ先の墓も守らなければなりません。

そうした娘達のことを思えば、出来るだけ負担を軽くしたいと考えるのが、親心ですよね。結論は、私達夫婦が二人とも元気なうちに出す必要がありますが、一筋縄では行かないように思います。

そして後継者が見当たらないバイク呉服屋には、「店を終う」という大きな仕事も残されています。こちらも、自分の年齢を考えながら、目途を付けなければなりません。親としても、経営者としても、「どのような終い方をするか」が、最も大切で難しいこと。「終わり良ければ、全て良し」とは、よく言ったものだと実感しています。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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