夏の声を聞き始めると、ビールのCMが目に付くようになる。夕暮れ時、浴衣掛けで縁側に座り、喉を鳴らしながら一気に飲む姿を見れば、下戸のバイク呉服屋でも、「あ~うまそうだ、飲んでみたい」と思ってしまう。だが、実際に飲んでしまったら最後で、おそらく救急車の出動を要請しなければならないだろう。
「暑ければ暑いほどビールの消費量は上がる」と言われているが、実際に出荷量は、6~9月にピークを迎える。気温が一度上がれば、消費量は1%上昇するとの調査もあり、ビール会社ではひたすら暑い夏に期待をする。
各ビール会社の市場占有率を見ると、首位をアサヒとキリンで争い、次いでサントリー、サッポロの順。この4社で、国内ビール市場のほとんどを占めている。
現在、サッポロビールの市場占有率は約12%で、4大メーカーの後塵を拝しているが、会社の歴史はもっとも古く、1886(明治19)年の創立である。しかもこの会社は、もともと民営ではなく、官営であった。
札幌にビール会社が設立されたのは、1976(明治9)年。主導的な役割を果たしたのが、明治新政府が北方開拓のために設置した官庁・北海道開拓使である。当時の開拓使長官・黒田清隆は、隣国ロシアに対抗するために、北海道での産業育成に力を注ぐことを決意し、開拓使十か年計画を策定する。石炭の採掘や船舶や倉庫事業などと共に、ビール製造もこの一環であった。
1881(明治14)年、開拓使十年計画が終わりに近づくと、政府は北海道での官営事業を民間に払い下げることを決定する。当初の予定では、事業に詳しい官吏を退職させた上で新会社を設立し、事業を継続させていくというものであったが、いかんせん官吏には会社を作る資本・金が無い。
そこで長官の黒田清隆は、自分と同郷(薩摩出身)の政商・五代友厚に、法外な安値で、官有施設を払い下げることに決めてしまった。施設設立には、当時の貨幣価格で1400万円も投資したというのに、五代に提示した値段は、たったの39万円。これは実勢価格の僅か2%であり、実に98%も値引きされた価格である。その上に支払いは、30年の年賦払いで無利息という条件も付いていて、これは「タダ同然」の払い下げであった。
この不可解な払い下げの件は、新聞社にリークされて、世間の知るところとなり、政府は窮地に陥った。これが、開拓使官有物払い下げ事件のあらましである。結果、五代への払い下げは中止となり、黒田は閑職へ追いやられたが、1888(明治21)年には、第2代の内閣総理大臣に就任し、大日本帝国憲法を発布する役割を果たした。
国の所有物を、権力者の意に沿う人物に、安値で譲り渡すという構図は、この事件から130年以上を経た今も、変わらない。国有の土地ばかりでなく、国の政策を悪用して、大学を作らせてしまうというのも、同じ意図があろう。
しかも、この工作に関わった官僚は一人として、法的には何のお咎めも無く、さらに首相はおろか、閣僚が誰一人として辞職もしないというのは、明治の世に起きた払い下げ事件より、性質が悪い。本来なら、事業は全て白紙に戻してやり直し、関係を疑われる政治家も、潔く職を辞すのが普通の感覚と思うが、そんな気配は微塵も感じられない。
このように政治家や官僚は、物事を御破算にしてやり直すことは出来ないが、呉服屋の仕事では、それが出来る。まず、これまで使っていた品物を解いて色を抜き、白生地に戻す。これが御破算にあたるだろう。その上で、色を染め替えたり、紋を入れ替えたりし、さらに胴裏や八掛けの色を替えて、最後に仕立てをやり直す。一点の品物を、新たに使う人のために作り直すことは、呉服屋として大切な仕事の一つである。
そんな訳で前置きが長くなってしまったが、今日は、あるお客様から依頼された、異なる状態にある三点の品物を染め替え、新たな無地紋付のキモノとして誂えた仕事を、見て頂くことにしよう。
今回、新たな無地紋付への誂えを依頼された三点の品物。左から八千代掛け・パロットグリーン色無地・古い紋綸子白生地。
これまで何回かブログの中で、生地と色を自由に選んで作る「誂え色紋付」の話をしてきたが、今日は新しい品物としてではなく、既存の品物を元の白生地にリセットして、再度色染めを施すという、「作り替る品物」について。
この三点はいずれも、一人のお客様の所持品。家の箪笥に眠っていた品物を、娘さんやお嫁さんが使う色無地紋付に再利用出来ないかと、相談にやって来られた。新しい白生地を購入することも考えつつ、「もしかしたら、これが使えるのでは」と思われて、持参されたのだ。
品物は、白生地で誂えた子どもの産着・八千代掛け、パロットグリーン色の無地キモノ、それに、かなり以前から箪笥の中に残る古い白生地。いずれも形態が異なり、それぞれの品物の状態も違う。
新たな色で無地紋付を作るためには、一度品物を「御破算=元の白生地の状態」に戻すことが、前提となる。それぞれの品物が「別モノ」であれば、リセットする工程も、それぞれに異なる。では、一点ずつ品物を見ながら、方法を考えることにしよう。
白生地で誂えた八千代掛け。
赤ちゃんの初宮参りの掛け着・八千代掛けに使う品物は、多様に考えられる。一般的には、女の子はかわいい小紋を使ったり、男の子ならば鷹や兜模様の「熨斗目(のしめ)」を使う。だが、一昔前には、このような白生地で誂えることが多かった。白い掛け着は、どんな色にも染まっていない「赤ちゃんの無垢な姿」を意味する。この白生地八千代掛けは、男女どちらでも使うが、男の子の場合は、紋(切り付け紋)を施す。
この白無垢八千代掛けには、紋が入っていない。おそらく、娘さんが生まれた時に使ったものと思われる。ご承知の通り、八千代掛けは鋏を入れずに仕立てる。すなわち、生地が裁たれていないことになる。つまり、これを解けば、そのまま一反の生地に戻ることになる。
花筏(いかだ)文様・地紋織の生地目。
生地全体を見ると、白の色が僅かにくすみ、褪せたようにも見える。八千代掛けとして使ってから、30年以上は経過しているので、この程度の生地の変化はやむを得ない。
ということで、この八千代掛けを白生地にリセットする工程は、次のような方法を取ることにした。まず、縫い目を全部解いて、洗張りをする。そして、長い時間が経っているために、縫い跡には汚れやヤケがあると予測出来る。ここは、洗張りをしただけではきれいにならないので、しみ抜きや地直し補正により、出来る限り直す。また、八千代掛けには胴裏が付いているので、これも一緒に洗張りをしておく。
パロットグリーン色の無地キモノとして、使っていた品物。
次の品物は、すでに色無地として使っていたものを、新たに違う色を掛け直して、再度同じ無地キモノに誂えるというもの。このように、一度キモノの形になっている品物は、まず最初に、新たに使う方の寸法を聞いた上で、仕立て替えることが可能か否かを、見なければならない。
つまりは、このキモノを直すことに当たって、まずバイク呉服屋がやらなければならないことは、現在の寸法を測ることである。染め直したキモノに対して、今の状態より大きい寸法が必要であれば、中上げや袖先、袖付や肩付にどれくらいの縫込みが入っているのか、確認する必要がある。もしこれを怠って仕事を進めてしまうと、たとえ上手に新しい色に染め直されてきても、最後の仕立ての段階で、着用する方の寸法の通りに仕上がらない事態に、なりかねないからだ。
幸いなことにこのキモノは、新たに着用する方の寸法に仕立てることが可能な縫込みが十分にあり、このまま仕事を進めても良いことが確認できた。
観世流水文様・地紋織の生地目。
すでに色が染まっている状態の無地モノを、新たな色に染め替える場合には、必ず元の色を抜いて、白生地の状態に戻さなくてはならない。「今の色の上に、新たな色を掛けるのでは無いのですね」とお客様が驚かれることがよくあるが、一度染めた色をそのままにした状態で、希望する新しい色に染め替えることは、どう考えても不可能である。
色を染め替える場合にポイントとなるのは、元の色をどれだけ完全に抜いて、白生地に戻すことが出来るかということに尽きる。色が思うように抜けず、元の色が残ってしまうと、希望する新たな色に染める際に、不具合が出てしまう。あくまで、白い生地の状態にしておかなければ、求める色に染めることが出来ない。
「色を抜く」工程は、色染めをする職人が兼務するが、特に色が濃いものや、抜き難い染料を使用している場合には、色染め職人の手に余ることもある。このような場合には、専門の「色抜き職人」に依頼するより他にない。この、難しい色抜きのことを「本抜き」と呼ぶ。
ということで、この色無地キモノを直す工程としては、まず品物を解き、洗張りを施す。また八千代掛けと同様に、洗張りで落とせなかったしみや、縫い跡の汚れやヤケがある時には、補正で直す。それが終わってから、問題の元の色を抜く作業に入る。思うように色が抜けるか否かは、色染め職人に託さなければ、まだわからない。
最後の品物は、長い間家の箪笥で眠っていた古い白生地。
お客様の話では、いつからこの白生地が箪笥に入っていたのか、わからないとのこと。かなり古い反物であることは、間違いないらしい。状態を見ると、先ほどの八千代掛けと同様に生地の色にくすみがあり、白というより薄いベージュのような色をしている。また、カビと思われる独特なにおいもあり、黄色く変色した小さなしみも飛んでいる。
確かに、経年劣化した点も見受けられるが、この生地が使えない品物ではないと判断する。今までの仕事の経験から、うちの職人さんならば、この程度の不具合は修復出来ると、判っているからである。
生地の所々に付いている黄色の変色。カビが原因と思われる。
この品物は、まず最初に丸洗いをして、カビを完全に落とすことが肝要。その上で、変色した汚れがどこまで補正できれいに直るのか、それがポイントとなる。補正職人・ぬりやのおやじさんの「腕の見せ所」であり、その補正後の生地の状態で、仕事の進め方が変わる。
生地そのものにしみがある場合、色を掛けても、そのしみが浮き上がって表面から見えてしまうこともある。だから、完全に落とせないまても、出来る限り薄くなっていないと、色染めに不安が残る。また、どうしても汚れが残ってしまう場合には、仕立をする際に、汚れの残る箇所を排除して生地を裁つ工夫が、和裁士には求められる。
今日は、色染めをする前の準備段階として、それぞれの品物にどのように対処し、仕事を進めていかなければならないのかを、お話してきた。既存の品物の状態は千差万別であり、それにより手を入れる方法も変わってくる。
呉服屋がお客様の希望を聞き、品物の状態を理解した上で、それぞれの職人に、適切に仕事を依頼する。この過程で呉服屋が判断を誤ると、うまく事は運ばない。「新しいモノとして生まれ変わる」というのは、お客様と呉服屋と様々な職人達との共同作業の結果であり、その成否は、仲介者である呉服屋の手に大きく関わっていると言えよう。
次回は、この三点の品物が新たな色紋付のキモノとして、どのように生まれ変わったのか、その姿をご覧頂きながら、工程をお話したい。
「覆水盆に返らず」という諺は、一度こぼれた水は、元には戻らない、物事にやり直しは出来ないことを意味しています。権力者には、嫌疑をかけられたことに対して、納得のゆく説明を果たす責任があるように思います。
素直に非を認め、これまでのことを御破算にして、最初からやり直すことが出来る政治家や官僚であれば、度量が備わっていると、むしろ人々からは認められるでしょう。諺には、「雨降って地固まる」とか、「撚りを戻す」というものもありますから。
けれども、もう期待することはやめにしました。もうバイク呉服屋は、「あっし(私)には、関わり合いのないことでござんす」と呟く、木枯し紋次郎状態ですね。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。