皆様は、「日本工芸会」をご存知だろうか。この会は、日本を代表する芸術家達の手で運営されている、わが国唯一最大の、伝統工芸に対する技術保護・育成・啓蒙組織と言っても良いだろう。正式名称は、公益社団法人・日本工芸会で、設立されたのは1955(昭和30)年6月。現在の総裁は、秋篠宮眞子さま。本部事務局は、東京国立博物館内に設けられている。
この会は、文化財保護(人の手による工芸技術を残すこと)の観点から、様々な活動を行っている。中でも、1954(昭和29)年から、年に一度だけ開催されている「日本伝統工芸展」は、現在最高レベルの公募展の一つであり、日本を代表する芸術家達が、技を競い合い、自らの腕を磨く場となっている。
日本工芸会は、技能別に陶芸・染織・漆芸・金工・木竹工・人形・諸工芸の7部門に分れ、地域別に9つの支部がある。全部門を集めた公募展・日本伝統工芸展(本展)のほかに、部門別と地域別の展覧会があり、折に触れて、技術研究会や研修会を開き、工芸技術の伝承と研鑽に努めている。
現在工芸会には、約1300人の芸術家・作家が所属しているが、その中心となっているのが、重要無形文化財保持者=人間国宝と認定された方々だ。この人たちは、これまで何度もこの伝統工芸展に作品を出品し、入賞を果たし続けた。
この展覧会で入賞することは、すなわち、技術が秀でていると正式に認定されたことに他ならず、それが最終的に、「人間国宝」との称号を受けることにも繋がっている。それだけにこの会には、ある種特別な権威がある。
1300人もの芸術家が席を置いてはいるが、そこには厳密な格付けも存在する。まず、ここに所属するためには、この会で「正会員」と位置付けられる作家・二名の推薦が必要となる。この新人達が、「研究員」である。
そして、次の段階が「準会員」だ。この位置に昇るためには、伝統工芸品展で入選することが求められる。そして、「正会員」だが、この称号を得るためには、工芸展で4回以上の入選を果たさなければならない。
毎年継続して作品を出品し、さらにそれが複数回にわたって評価されなければならないのだから、「正会員」として承認されるハードルは、かなり高い。だからこそ、価値がある。
我々呉服屋は、「作家モノ」と呼ぶ品物を扱うことがよくあるが、やはりその「作家」の基準は、日本工芸会の「正会員」であるか否かが、大きなポイントとなる。先月のコーディネートの稿でご紹介した、「メジロにサクラ」の染帯の製作者・水橋さおりさんは、準会員なので、「作家として認められつつある方」。今後は、努力を続けて、正会員を目指すことになる。
正会員となった作家の品物には、やはり独特の個性があり、技術の高さも十分に伺えて、魅力的だ。無論、作家自身の手の仕事であるから、量産出来るものではなく、「一点モノ・稀少品」であり、その価値は高い。そのため、呉服屋の売り場に並ぶと、どうしても高額になってしまう。市場に出回る数が限られるため、仕方のない面がある。
今月初め、そんな中のお一人、日本工芸会・正会員の友禅作家が、バイク呉服屋を訪ねて来られた。作家の方が自ら、小売屋にまで来られることは大変珍しい。そこで今日から二回にわたり、この作家さん・四ツ井健さんのことを、皆様にご紹介してみよう。
日本工芸会・正会員 友禅作家 四ツ井健(よつい けん)さん。
昨年暮れ、突然一通のお手紙を頂いた。差出人を見ると、「四ツ井キモノデザイン研究所」で、住所は金沢市の隣、石川県・野々市市。新規取引開拓の一環として、知らない問屋やメーカーから案内を頂戴することはよくあるが、「デザイン研究所」とは一体何なのだろうかと、不思議に思いながら封を開けた。
読んでみると、日本工芸会正会員の「四ツ井健」という作家さんからの便りと判り、少し驚いた。作家モノを扱う問屋からならば、特段珍しくは無いが、作家本人が直接小売屋へコンタクトを取ってくることは、ほとんど無い。もちろん、これまでも無かった。
老舗デパートや規模の大きな有名専門店では、「○○作家展」などと銘打って、一人の作家さんの品物を集めて、特別な展示会を開くことがたまにあるが、そんな時には、作家さん自らが会場に赴いて、品物の説明をしたり、講演をすることがある。作家が小売の現場に姿を見せるのは、そんな時だけだ。そしてそもそも作品は、問屋を通して小売屋へ流れてくるため、直接的な接点はほとんど無いのである。
しかもこの方は、「日本工芸会・正会員」である。作家としての地位が十分に固まっており、当然ながら実績もある。本来であればとても、地方の小さな呉服屋風情では、望んでも繋がりを持つことなど出来はしない。
では、そんな方が何故、「バイク呉服屋」へコンタクトを取って来られたのか。手紙を読み進めて見ると、四ツ井さんは自分の作品を、金沢の産地問屋や東京・京都の問屋に流すことは無く、ほんの一部の小売店だけと、直接取引をしていることが判った。
これは、作家モノの流通を考えた時には、大変稀なことである。問屋を通さず小売と直接となれば、どうしても、自分で品物を売り込む=営業をしなければならない。作家自身が営業を担うというのは、その労力を考えても大変なことだ。モノ作りと販売を両立させることは、時間的なことだけを考えても、並大抵な努力では出来ない。
そのため、ほとんどの作家達は「自分の品物を売ること」を、問屋に任せ、「モノ作りに専念するのが仕事」となる。ではどうして、四ツ井さんはあえて困難な道を選んでいるのか。まず、そこに興味を持った。
2014(平成26)年、日本伝統工芸染織展に出品された訪問着は、入選すると同時に、東京都教育委員会賞を受賞している。キモノを一枚のキャンバスに見立てて描いた水の流れが、印象的。大胆さと清涼感を兼ね備えた、とても個性的な作品。
同封して頂いた略歴を見ると、1962(昭和37)年生まれの55歳。バイク呉服屋よりも3歳年下だが、ほぼ同世代。出身は金沢市で、19歳で加賀友禅の工房に入っている。ということはこの方の作品が、加賀友禅の技術を基礎としていると理解出来る。
そして、10年の修行を経て、1991(平成3)年に独立する。それは、加賀の友禅技法だけに捉われない、独自の技法を駆使した「友禅染作家」として、であった。おそらく四ツ井さんは、加賀染に固執していては、自分の思い描く作品を製作出来ないと考えたからではないか。
けれども、落款登録された加賀友禅作家ならば、それで作家としてのお墨付きをもらえるが、オリジナルな友禅作家としてだと、自分の技術を認めてもらうために、実力を示さなければならない。その場が、日本工芸会が主催する「伝統工芸展」であった。
四ツ井さんは、独立した年・1991(平成3)年の、石川支部における伝統工芸展で、早くも入選を果たす。その後も入選作品が続き、独立して15年後の2006(平成18)年に、日本工芸会・正会員として認定を受ける。長い努力の末に、自分の腕一本で染織作家として一流であると、公に認められたのだった。
手紙には、作品の画像が添付されていたので、拝見する。四ツ井さんが描く図案は、亀甲や花菱、七宝などの伝統文様と、草花を融合させたモダンなデザインが多い。特に染帯は、配色にも独特な特徴があり、インパクトの強いもの、優しい雰囲気を醸すものと、様々な表情がそれぞれの帯に見受けられる。
小売屋の立場からすれば、いかに精緻で優れた技術を駆使した品物でも、図案や色が、店主の好みに合わなければ、求めて店に置くことは無い。けれども、四ツ井さんの品物は、バイク呉服屋のツボに入る雰囲気を十分に持っている。「実際に品物を手にとってみたい」と思わせてくれる作品である。
お会いしてから聞いた話だが、四ツ井さんの方でも、手描きの技術と独自のデザインを評価し、きちんと品物を見てくれる小売屋を探すことは、難しいと言う。質とセンスを見極めて、品物をきちんと買い取って仕入れるのは、やはり専門店であり、売る側にも知識や理解が必要となる。もちろん、品物を店に置くというのは、リスクを背負うことにもなる。
四ツ井さんが、バイク呉服屋を選んだきっかけは、このブログを読んだことと書いてあった。おそらく、掲載してある品物の雰囲気やコーディネートをご覧になって、「この店なら」と感じて頂けたからであろう。
日本工芸会・正会員の作家モノを扱う店としては、規模も小さく、格式も無い。けれども、選んで頂いたことは、とても光栄なことだ。そして、呉服専門店としての、自分の商いの姿勢にも共感されている。これも、私には嬉しかった。
ということで、作品を拝見するお約束をした。遠路はるばる金沢から来て頂くことは、申し訳ないので、仕事で東京へ来る機会に、お寄り頂くことになった。
次回は、品物をご覧頂きながら、ほどこされている友禅の技術や、デザインの基礎となるモチーフの選び方、配色の決め方など、自分の仕事全般にわたって四ツ井さんが話された内容を踏まえて、稿を進めてみたい。
以前、加賀友禅作家である上坂幸栄さんについて、このブログでご紹介したことがありましたが、この方は、加賀の作家でありながら、組合に落款登録をせず、これまでの流通の慣習や権威に捉われない生き方を模索し、今も、作品を世に出し続けています。
今日ご紹介した四ツ井健さんも、加賀友禅を基礎として学んだ後、自分らしい作品を描くために、加賀の技法だけに捉われない道を選びました。そして、作品を扱う店を自分で開拓するという、難しい道を選ばれています。
この二人の作家に共通することは、何事にも捉われず、自分の思い描く作品を自由に描くことを理想とすることと、私は思います。それは、とりもなおさず、「自分らしく生きることに他ならない」とも言えるでしょう。
しかし、自分の理想を貫くことは、あえて困難な道を選ぶこと。そこに踏み出す一歩には、大きな勇気が必要です。上坂さんや四ツ井さんとお会いして感じることは、まっすぐに前を見つめている姿勢です。作品とともに、そんな作家さんの生き方にも触れられることは、呉服屋冥利に尽きますね。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。