バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

呉服価格の問題点(1) 消費者側が知るべきこと

2013.11 03

寸法やしみぬき、補正などの「直し」の仕事だけは、年々増えている。お預かりする品の中には、当然他店で買われた品も多く含まれている。預かる際のお客様との会話の中で、買った時の値段のことを教えてもらうことがよくあるが、その購買価格と実際の品物の「適正」な価格が「大きくズレている」と思わざるを得ない場合が多々ある。

「手描きなので高かった」という品物がどこをどう見ても「捺染」としか思えない品。「インクジェットで作られた振袖」に数十万円を支払ったケース。はたまた「作家モノなので大変な値段だった」といわれる品が、「いい加減な作者の落款」を付けた、プリントモノだったもの。そして、「著名な女優や役者・歌手などが監修(デザイン)した」とされる、いわゆる「冠商品(かんむり=品物に付加価値がついたように見せかけるためのかぶりもの=かんむりが被せられたという意味)」、があまりにも法外な値段であること。

だが、私がお客様に、本当の話(つまり、高い値段で買ってしまったものが、不適正な値段であること)をすることはない。ただ、「そうなんですか」と聞いているだけだが、「品物」をみれば、「品物の質」は嘘をいわない。

あからさまに、その商品を売った店の批判をすることはしたくないし、何よりも「高い値段」で買ってしまったその方を傷つけることにもなる。また、過去のことを悔やんでも、戻らないことだ。だからなおさら、「やるせない」気持ちになってしまう。

 

今日から三回、このカテゴリーで、この難しい呉服の「価格」とそれにまつわる話をしたいと思う。

マトモな呉服屋が考える価格の基準は、その品にどんな仕事が施されているか、そしてそれが「正しく」価格に反映されているかどうかということである。一昨日の「江戸小紋」の見分け方でもお話したが、「型紙で手染め」したものと「ローラーで機械印刷」してしまったものとでは、その価格差が十数倍にもなる。

 

今、ネットで「買い物」をする消費者は、まず買いたいものを実際の店舗(デパートなり専門店なり)で、手にとって色や柄を確認し、同時にその価格も見ておく。そして、その商品が「一番安く」売られているところを「ネット上」で探し、購入する。やはり「ネット画像」だけで、商品情報を得るのは限界があり、「自分の目で確かめてから」ということになるようだ。

消費者がモノを購入する際、重要なのは「どんな品物」であるか知ることであり、その上で「価格の比較」ということになる。このことは、品物のアイテムを問わないだろう。

では、「呉服」という商品はどうか。「よい手仕事の品」を「少しでも安く」手に入れようとする人たちは、「情報を得る」ことに努力をいとわない。それと同時に、「品の良し悪し」を理解し、「自分の好み」もそこに含めながら品物を探す。

ネットの普及が、消費者の「情報を得る手段」となったことが、価格の「適正化」を考える上で、一つの契機になったことは間違いない。ただ、呉服の価格というものは、それだけでは理解できない複雑なものがある。それは、呉服というものの「作られ方」や「流通のしくみ」が旧態依然としたものであり、消費者には「わかりにくい経路」を辿って、小売屋の店頭に並ぶからである。

最終的に消費者に品物を届けるのは、「小売屋」であるが、その店が「どのような仕入れ方」をしているのか(取引先が、どのような形態の問屋やメーカーか)、また「どのような売り方(経営の方針に拠る)」をしているのか、が大きく「価格」を左右する。この、「流通」に関する問題点、いわゆる商品のながれ、しくみの話は次回にして、今日は、この「小売屋」の姿勢というか「あり方」による価格の違いについて話を進めてみよう。

 

私は、「振袖に特化」して商売をしている店や業者を「呉服屋」とは呼ばない。あれは「振袖屋」である。その理由は以前にも書いたが、「呉服屋として持つべき知識や智恵」がまったく必要ないこと、商いの仕方が「手管(てくだ)」にまみれたやり方なこと、扱う商品があまりにも違いがあること、そして「価格」が品物の価値に「比例しない」こと、などである。

一般にこの「振袖屋」の販売のやり方は、「セット販売」というやり方で、品物ばかりか、着付け代や写真代、その他にも色々なサービスまで全て含まれた価格ということで提示されている。ここに、まず「知識の薄い消費者」を誘導する「手管」が隠されている。

このセット販売では、「個別」の値段がわからない。それぞれ「19万8千円」とか「39万8千円」とか、およそ10万円区切りに分けられて様々なセットが提案されているが、セットの中身の「振袖」や「帯」、そして「長襦袢」から「帯〆、帯揚げ」などの小物類、また、「伊達締めや足袋」など細部の小物に至るまで、「個別のそれぞれの値段」がまったくわからない。それが、どこでどう組み合わされていて、提示している価格になっているのか不透明である。つまり、どこがどう違って高いのか安いのかわからないということである。

モノの見方が少しでもわかる「普通の呉服屋」ならば、送られてくる「パンフレットやカタログ」の画像を見れば、およその「原価」に見当がつく。まことに言いにくいが、ほとんどのセットものに組み入れられている「振袖」は、「インクジェット」の量産品であることから、せいぜい3万円ほど(それ以下のモノも沢山ある)だろう。帯も1万円前後のものがいくらでもある。小物(帯〆や帯揚げ)に至っては千円以下のものも含まれていると思われ、裏地類は「正絹」を付けていないケースもあるだろうし、仕立てに至っては、「海外縫製」ならば、値段は知れている。

つまりセット販売には、個別の品物の価格を提示しにくい理由があるということだ。だが、「全部でいくら」にしてしまえば、個々の値段を付ける必要がなくなり、また、「呉服」のことがわからない「振袖」を購入する消費者(その親世代も)には、それがかえって「わかりやすい」価格提示にうつるのだ。

では、「原価的」には、その数倍もの値段で売られている(店側からすれば売らなければいけない)原因は何か、ということである。セットの品物の原価と売値の差益は常識の範疇を逸している。これは、大量のダイレクトメールやカタログの発送代や、製作費(このカタログ等は、何軒かの同じような振袖屋がグループを作り、品物を供給する問屋と組んで、共同制作することが多い)。また、勧誘の電話をかけまくったり、対象者の家へ訪問して歩く人、そして雇い入れている社員の人件費に当てられる。もちろん、セットの付属でついているような、「着付け」や「写真」もそれぞれ仕事を依頼した人へ「費用」を払わねばならない。そして、DMを送りつける相手先、18~19歳の女性の住所や電話などが記された名簿・個人情報を「名簿屋」から購入する費用、その他「展示会」をする会場費やそれにかかわる諸費用が加わる。

手広くこのやり方で商売をしている「振袖屋」には、原価の上にこのような諸々の経費がかかるため、通常の「品物の仕入れ原価」に上乗せするだけの小売値では、「採算」があわない。

つまり、「品物」本来の作り方や仕事の仕方で、モノの価値が決まり、それが価格に反映されるという、「普通の呉服屋の常識(価格の付け方)」にはまったくならないのである。このようなことが「呉服屋ではなく振袖屋」と呼ばざるを得ない理由である。

消費者には、「呉服」というわからない品物を選ぶ時、「効率や利便性」に目がむくのは、当然である。「何もわからなくても、ちゃんと娘が成人式に振袖を着て、出席出来るようになれば、それでいい」のだろうと思う。

そのためには、「原価」が想像以上に安くても、付加価値のサービス(着付け、前撮り写真)が充実していて、そのために「高い値段」を出すことになっても構わないというのなら、もはや何も言うことはない。

だが、呉服屋の商いの基本である、原価に対する適正価格としての小売の値段を考える時(品物の質に比例する価格でなければならないこと)、それをある意味「逸脱」しているものといえるのではないだろうか。

もし「振袖屋」がもう少しマトモな商いをするのであれば、せめて、各々の商品の価格を提示するべきであり(仕立て代や裏地代なども)、付加としてつけたサービスには、別途料金を消費者から頂いた方がはっきりする。「何もしなくてよい(何もわからなくてよい)」というのは、消費者に必要な情報を伝えないことに他ならず、それに気づかず(というより無視して)商いをすることの「異常さ」は、「呉服というもの」を利益の道具としてしか考えていない証拠であり、到底理解できない。

 

私は、このような安価な振袖セットでも、それが適正な安価な値段で提供されていれば、問題にはしない(ユニクロのように安く作ったものは安く売られるならば)。利便的な付加サービスを付けたはいいが、実際はそれまでも価格に「転化」されていることが問題であり、商いの競争の激化は、それになお、拍車をかけている。

 

今日も、来店した40代のお客様と話題になったのが、「呉服は何でも高いもの」という意識が消費者側に強く根付いているということである。その意識を変えなければ、安価な原価のものに法外な値段を付けられてもわからないだろう。

そのために「何をなすべきか」。それは、最初にお話したように、「知ること」「調べること」であり、「情報を持つ」ことである。それが、目先のサービスよりも「品物の質」を理解することにもなり、「賢い買い物が出来る消費者」になる道であろう。幸いにして「ネット」というツールもあり、昔よりずっと、それは簡単に調べることができるのだから。

今日は「振袖販売」の現状から、「価格」というものについて考えてきた。この「振袖」に限らず、「小売屋」の商いの仕方で、大きくその値段が左右することがあるが、それはまた、次回にする。

 

「餅は餅屋」という諺があります。写真は専門の「写真館」、着付けは「行き付けの美容院」、やはり、それ一筋に仕事をしてきた人たちには、プライドやポリシーもあり、また勉強も努力もしていると思います。それは「呉服屋」がサービスに付けるような仕事であるはずがありません。

また、その逆に、「写真屋」に「本来の呉服のこと」がわかるはずもなく、撮影とセットで貸し付けるような品は、「それなり」のものというしかないでしょう。

 

結局のところ、問題になるのは「面倒なことは任せてしまえ」という現代の消費者の心持にあるような気がします。「効率」や「利便性」の前では、肝心な品質というものが疎かになっているという事実。そしてそれを「承知で」、品物や仕事の「情報」を提供しない「売る側」にもっと問題があることはいうまでもありません。

このような「批判」は、「振袖屋」にとっては面白くないでしょうし、「反論」はあるでしょう。(何もやりたくてこの商売の方法をとってはいない、現代の消費者の求めている流れに沿ったものだという考え方)。でもそれが「モラル」というものに照らし合わせた時に、どういうものなのか思い起こしていただきたいと思います。

もし、数日後に「バイク呉服屋」の身に何かおこったら、それは、このブログを読んで「抹殺」にかかった同業者(振袖屋)の仕業とみて間違いないでしょう。もしかしたら「富士川」や「笛吹川」に浮いているかもしれません。でも私も若い頃北海道の仕事先で「熊を飼っていた」人間です。そう易々とやられませんが。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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