キモノや帯の中には、お客様自身がモノ作りに参加し、自分だけの誂え・オンリーワンの品物を作ることが出来るものがある。織帯や型紙が必要なもの、さらに手を尽くした友禅の絵羽モノなどは、製作の工程や費用の面から考えれば大変難しいが、無地モノや染帯ならば、可能になる。
染帯ならば、白生地を購入し、地色とデザインを自分で決め、職人に依頼する。模様は、旬の草花でも、自分がお気に入りのモチーフでも、何でも良い。模様を施す部分が前とお太鼓だけで、嵩が少ないために、糸目を置いて手挿しをしても、手の届かない価格にはならない。また、友禅だけではなく、刺繍を駆使することも出来る。
もちろん、模様の嵩や仕事の手間により価格は変わるが、オリジナルな自分だけの一点となる。ただこんな誂品は、依頼される方にとって、希望する図案はあっても、どのようにデザインするか、中の配色をどうするか、それに伴って地色をどのように考えるかと、向き合う課題が多く、品物のプランを立てることがかなり難しい。
そしてまた、自分が思い描いていたように仕上がるか否か、不安も付きまとう。事前に、よほど緻密に図案や色を決めていないと、理想の品物には近づかない。こんな依頼を受けた時は、我々小売屋もさまざまな助言はするが、それが本当にお客様が望むモノと成り得るのか、不安がある。
新たな模様を生み出すことは、左様に難しいが、無地モノであれば、まだ何とかなるような気がする。ただそれでも、希望する色を染めるということは、単純なように見えて、生地の質、染め技法により、同じ色見本で見ても出来上がりに違いがあり、柄モノとはまた別の難しさがある。
そしてお客様にとっては、そもそもどのような色に染めるのかを決めることも、結構大変なこと。たとえ予め、この系統の色と決まっている場合でも、見本帳には似寄りの色は幾つもあり、その見本帳自体が何冊もある。そんな中から、ひと色だけを選び出さなければならないのだ。
無地モノは、染め上がった色が全てで、それがそのまま着姿に直結し、ごまかしが効かない。しかも見本帳でみる色見本は、ほんの小さな生地の切れ端でしかなく、キモノとして仕上がった時の色姿を想像し難い。
けれども、そんなリスクを乗り越えて、思い通りの色に染め上がり、仕立て上がった姿となったものを見た時の満足感は、ひとしおである。それこそ、「自分だけの色」をまとう心地がするように思う。
今日と次回は、そんな誂えの色の上に、さらに独創的な加工をほどこした無地モノを見て頂こう。色ばかりではなく、裏地や紋で「自分らしさ」を演出した品物として、参考にして頂きたい。
水色・葡萄唐草紋織無地誂えキモノ 八掛の返し 刺繍薬玉模様
この誂えを依頼された方は、小学校に入ったばかりの娘さんがいる、まだ若いお母さん。バイク呉服屋がブログを書き始めてまもなく、稿を読んで店に訪ねてこられた方である。だから、もうお付き合いを頂いて、三年ほどになる。
この間、すっかり着付けが上達して、太鼓柄の名古屋帯や二重太鼓の袋帯も、苦も無く結べるようになり、子どもの入卒や、七五三の祝い、さらにお茶会などで、自由自在にキモノを着用されるようになった。
今回、新しい無地紋付を作るにあたり、「出来るだけオリジナルな品物になるようにしたい」とのお話を伺った。それは生地の質や色ばかりではなく、裏地や紋でも「自分らしさ」を表現することである。
では、どのような工程を踏んで品物が誂えられたか、順を追ってお話してみよう。
葡萄唐草 紋織白生地 伊と幸・松岡姫 千切屋治兵衛
無地を染める時、まずは、どんな生地を使うかを決めなくてはならない。白生地を大雑把に分けると、模様のある地紋織の生地と、フラットな一越系生地になる。どちらを使うかは、お客様がどのような着姿として見せたいかにより、変わってくる。
紋織系は、光の当たり方などで地紋が浮き上がり、変化のある姿を映し出すが、一越だと、いつでも変わらない落ち着いた表情となる。
今回は、最初からお客様の希望として、地紋織を使うことになっており、しかもその模様は、「葡萄唐草」と指定されていた。正倉院の代表的な文様であり、優美さという点ではまたとない模様である。もしかしたら、彼女がバイク呉服屋へ通っているうちに、私の「唐花好き」に洗脳されたのかも知れない。
使う白生地がはっきりと決まっているので、後はそれを、メーカーに依頼して取り寄せるだけである。白生地を探す場合には、モノ作りをしている染のメーカー問屋に依頼するのが手っ取り早い。小紋にしろ付下げや訪問着にしろ、自分で染め出しをしているメーカーでは、必ず白生地を仕入れておく。それも作る品物によって、生地の質や紋織の図案を変えていくので、多種多様の生地が用意されている。
ということで、染メーカー・千切屋治兵衛に連絡をして、葡萄唐花地紋のものがあるか聞いてみると、「フタカマモノですか、ミカマモノですか」と逆に聞いてきた。これは、図案の大きさを聞いているもので、フタカマの方が大きく、ミカマの方が小さい。
反物の生地巾の中に、葡萄唐草の模様が三つ入っている「ミカマモノ」。
同じ文様でも、大きさが違うと、染め上がったときの印象が変わってくる。大きくなると、当然地空きの部分が広くなり、小さくなれば、模様が密になり無地場が少なくなる。ミカマは、丁度中間くらいの「程よい」模様の大きさかと思う。
生地が決まったところで、次は最も重要な色の選択。この方の好みははっきりしていて、いつも優しくて明るいパステル系の色を求めている。暗い色や、濃い色を選ぶことは無く、自分でも似合わないと考えられている。私も、傍らでこの方の雰囲気を見ていると、同じように感じる。
これまで付下げや小紋で、薄いピンク地や、はんなりとした浅緑色の品物をお持ちなので、水色系を提案してみた。そこで考えたのが、空の色を連想させるような、爽やかで澄んだスカイブルー。
上の画像は、見本帳で選んだ色と、実際に染め上がった生地の色。ご覧になって判るように、100%同じではない。生地の方が、水の色が浅く、柔らかくなっている。だが、二つの色の持つイメージは、同じだ。以前色染職人の近藤さんの仕事場にお邪魔した時、どんな努力をしても、ピタリと完璧に見本帳の色と同じになることはない。大切なのは、「色の雰囲気」を合わせることと話していたのを思い出した。「雰囲気が重なる」というのは、このようなことを言うのだろう。
この生地は三丈モノなので、別生地を取って八掛を染めなければならない。無地モノなので、八掛の色は、キモノの地色と同じか、それに近い共色を使う。上の画像は、染め上がってきた紋織無地の反物と、別染した八掛。(品物の写し方が稚拙なため、御紹介する画像により、色の映り方が異なっていることを、お許し願いたい)
生地を決め、色を決めて無地モノを誂えるという、ここまでの仕事ならば、こだわりの品物ではあるが、独創的とまでは言えない。だが、このキモノには、染め上がった後、他ではなかなか見られない工夫がなされた。これが、この無地を個性的に仕上げている。では、どんな加工をしたのか。御紹介しよう。
八掛の返しにほどこされた、手刺繍による「薬玉(くすだま)模様」。
キモノ姿で歩くと、ごく自然に裾がひるがえり、裏地が覗く時がたまにある。見える位置は、上前おくみの裏で、だいたい裾から5寸ほど上がったあたりまでだ。この「裾裏地が見える」ことを想定して、予め八掛に模様が付いている品物がある。
加賀友禅の訪問着では、キモノのモチーフにした模様を、さりげなく八掛の裏にも描いていることが多い。また小紋には、わざわざ八掛用として、表地とは別の模様を染め出し、付けてあるものも見受けられる。いずれにしても、着姿から裏が覗くことを作り手が意識したほどこしと言えよう。
このお客様も、この隠れたさりげないお洒落を意識して、裏地の模様付けを依頼してきたのだ。最初は、染で模様を描こうと考えたのだが、これでは一般的であり、糸目を引いて色挿しをしなければならないという染仕事の性質上、手間と費用がかなり掛かる。また、図案や配色をどのようにするか、職人とのやり取りは煩雑となり、お客様の意図するほどこしを、そのまま実現することが出来るかどうかもわからない。
そこで、刺繍による模様付けを考えてみた。もちろん、メーカーを通して縫職人に仕事を依頼することが出来るが、これでは加工代が高くなってしまう。どうにかして、手軽な値段で縫いをほどこせないものかと、思案しているうちに、うちの紋章職人の西さんが、縫紋を入れていることに気付いた。ここは加賀紋を始めとする、多様な刺繍紋をほどこす技術を持っている。
刺繍で模様を作ることは、紋も裏地でも変わらない。しかも、同じ市内にあって、デザインや縫糸の色の相談も気軽に出来る。そして間にメーカーや問屋が入っていないので、口銭を取られることも無く、価格も安く抑えられる。仕事を受けてくれさえすれば、よい事ずくめである。
早速お客様が考える図案を持って、西さんを訪ねたところ、快く応じてくれた。西さんでは、加賀紋などの刺繍紋を依頼されると、ご主人の清春さんがデザインを描いて型を作り、実際の縫いは奥さんの弥生さんが担当する。これまで、今回のような八掛に刺繍を入れる仕事を請け負ったことは無いが、たぶん上手く行くだろうとのこと。
ここは、ご夫婦の気のあった連係プレーに、お任せする他ない。数日後に模様の雛形と、配色を提示するというので、しばらく待つことにした。刺繍のプランが決まれば、それをお客様にメールで送り、見て頂いた上で仕事に掛かれる。
お客様が希望する図案の見本。模様は、薬玉文様である。これは、子どもモノによく使われる文様の一つだが、邪気を祓う縁起モノとして平安期に伝えられている、由緒ある文様だ。見本そのままという訳にはいかないだろうが、何とか同じような雰囲気にしてあげたい。
なお模様をほどこす八掛は、予め裁ちを入れておき、刺繍を施す位置を確認して糸印を付けておく。左の八掛画像で、黒い糸で囲んだところが、デザインする場所。
数日後、西さんが提示した図案。生地を縫いつめることは、八掛生地が薄いため難しいが、技法を駆使し、なるべく模様に立体感が出せるようにする旨が記されている。明るい色糸を使い、房も工夫しながら、お洒落に仕上げたいとのことだ。すぐにお客様に提示すると、「お任せします」と快諾されたので、仕事に取り掛かってもらった。
出来上がった「刺繍薬玉」。薬玉は金糸と薄いグレー糸を重ねて周囲を囲み、中は赤・黄・緑・ピンク・紫の五色で模様分けしている。技法はすが縫い。生地質から、模様を縫いつめることは出来ないが、すが縫いを重ねることで、模様の筋が厚みを増し、玉を立体的に見せている。
薬玉の紐は、芥子色の糸で、技法はすが縫いと相良縫。特に目を引くのが、紐の先端にある粒状のほどこし。ここは、模様を点に見せる相良縫の特徴を生かしたもので、紐の姿がよりリアルに見える。
仕立て上がったキモノの裏を返してみた。裏地全体から見れば、模様は大きすぎず、さりげなく可愛く仕上がっている。染のあしらいとは違う、縫いの立体感も出せているように思う。
刺繍が仕上がった際に、西さんご夫婦からは、「とても楽しい仕事だった」と言ってもらえたことが、私にはとても嬉しかった。もちろんお客様も、この加工に満足され、喜んで頂けた。
このキモノには、紋にも独創的なあしらいをした。この、もう一つの西さんの仕事は、次回に御紹介することにしたい。
「八掛に縫で模様を付ける」という仕事は、私も初めて経験することでした。今回、お客様の希望に添える仕事が出来たのは、やはり前向きで優れた技術を持つ職人さんが傍にいたからこそ、だと思います。
小売屋の役割は、お客様と職人さんを繋ぐこと。それを改めて実感しました。「今までやったことがないから、無理だ」と、断ることは簡単です。けれども、何とかうまく形にしようとする意思を持たなければ、新たな発見や喜びには繋がりません。
職人さん自身も、自分の技術を生かせる新たな仕事を待っています。これからも、こんなモノ作りの喜びを、お客様や職人さん達と共有しながら、仕事を進めて行きたいと思います。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。