ごく稀に、衝動的に仕入れてしまう品物がある。モノを見た瞬間に、引き込まれてしまい、どうしても欲しくなる。まさに、「一目惚れ」である。
店に置くモノを選ぶというのは、仕事の根幹であり、経営に直結する。本来ならば、様々なことに思いを巡らせ、慎重に行動しなければならない。だが、この「自分のツボに入った状態」の時には、そんなことは簡単に忘れてしまう。
「仕入れをする」と言っても、出掛けていく時の心構えは、その時々で、かなり違う。例えば、個性的な付下げを見つけたい時とか、フォーマルに使う重厚な袋帯を少し買い足しておこうか、という場合などは、単純に「品物を見つける仕入れ」となる。
こういう時は、かなり冷静にモノ選びが出来る。何も緊急を要することでは無いので、じっくりと自分の意に沿った品物を探せば良い。問屋の新作発表会へ出掛けてみたものの、欲しいものは無かったので、何も買わないで帰る、ということも珍しくない。
毎回、このように気持ちに余裕を持って、仕入れをすれば間違いは少ないが、時には、取り急ぎ品物が欲しい時もある。例えば、振袖向きの黒地帯が在庫になくなってしまった時とか、柔らかい色の飛び柄小紋が切れてしまった時など、である。
この辺りの品物は、急に探しに来られる方がいるので、在庫を切らす訳には行かない。うちは「展示会」のような、ある期間だけ特別に品物を集めて、商いをすることは、ほとんどない。つまり、お客様が店に来られた時が、最大の商いの機会となる。だから、その時奨める品物が在庫に無かったら、アウトである。
この、「どうしても買わなければならない仕入れ」をする時は、選び方が甘くなる。品物に100%納得出来なくても、80%くらいなら良しとして、買ってしまう。それは、何がしかを仕入れておかなければ、商いに差し支えるという切迫感が、妥協に繋がってしまうのだ。
仕入れをした時の心理状態の違いは、後々まで響く。納得して選んだモノは、なかなか売れなくても、あまり気にはならないが、妥協して選んだモノが残っていると、後悔する。品物を見る基準は、いつも同じでなければいけないが、それが難しい。
「自分のツボに入る」という事態は、突然起こる。これは仕入れという仕事の中の、突発的な事故なのだ。そんな品物は大概、その日仕入れる目的のアイテムからは、かけ離れているモノである。
例えば、あるお客様から依頼を受けて、色留袖に向くような引箔の袋帯を探しに行ったのに、個性的な紬の名古屋帯に惹かれてしまったり、絽の付下げを見に行ったのに、春先に限って使うような小紋を買ってしまったりする。
こうなると、仕入れの理念も目的も関係なく、自分が好きなモノを、思うがままに選んでいるだけである。もう、売れようが売れまいが、そんなことはお構いなしであり、店に置くだけで、満足する。経営者としては、失格であろう。
今日ご紹介する染帯も、バイク呉服屋がツボに嵌った品物の一つ。どのようなコーディネートになったのか、ご覧頂きたい。
(黄土色紬地 ペイズリー模様・九寸染名古屋帯 松寿苑)
突発的にツボに入る品物というのは、ほとんどがカジュアルモノ。中でも一番多いのが染帯で、次が小紋。特に太鼓腹の染帯(前とお太鼓だけに模様を付けたもの)は、描かれる図案も多様であり、個性的な品物が多く、それだけに引きこまれやすい。
バイク呉服屋には、ある程度「ツボに入る条件」が備わっているように思う。図案は、古典とモダンを融合したようなもので、植物模様ならば「唐花・唐草系」に弱い。色目は、やはり柔らかくて優しい色が主体だが、上品さだけでなく、メリハリのあるもの。
上手く表現出来ないが、「大人しい雰囲気だけれど、一癖あって個性的」というような品物になろうか。
ペイズリーといえば、真っ先に浮かぶのが、独特の円錐形図案。この模様は、ゾウリムシや勾玉、水滴などを思い起こさせる。大概、この帯と同じように、円の中や周囲には唐花があしらわれている。
文様の起源は、諸説あるようだが、その一つをお話しておこう。南シベリア・アルタイ共和国にあるパジリク遺跡からは、ペイズリーの原型となる模様が見つかっている。それは、紀元前4~2世紀頃、この地を支配していたスキタイ王・マッサダイの墓から発見された、皮製の水筒に装飾されたもの。
この文様を画像で見ると、丸みを帯びた唐草の蔓が二つ、左右対称に付けられ重なっている。この丸い形が、ペイズリー独特のゾウリムシの形に良く似ている。このことから、現在あるペイズリーの原点が、唐草だと理解出来る。
唐草のモチーフとして、忍冬(スイカズラ)やナツメヤシ、蓮などが考えられているが、スコットランドにあるペイズリー美術館では、ペイズリーの起源はナツメヤシだと位置づけている。
スキタイ族は、イラン系遊牧民として、アッシリアやアケメネス朝ペルシャなどと幾度と無く戦火を交え、影響を強く受けていた。それゆえに、ペイズリーの原型となる文様が、王墓の副葬品から発見されたのである。なお、この原型文様のことは、「ボテ文様」と呼ばれている。
スキタイ文様のことは、同じマッサダイ王の墓から出土した絨毯にあしらわれていた文様、「バジリクの午」について書いた稿があるので、そちらも参考にご覧頂きたい(2013.10.22 コプト文様とスキタイ文様 異文化が伝えるもの・2)
お太鼓の中心に、三つ並んだペイズリー。このゾウリムシ形の原点がナツメヤシと判ると、周囲に唐花があしらわれている意味が理解出来る。
唐花や唐草文様は、ペルシャからシルクロードを通り、中国やインドに伝わって多様にアレンジされ、より装飾性の強い宝相華(ほっそうげ)文様などとなって、日本にもたらされたが、ペイズリー(ボテ文様)は、ギリシャやペルシャから東方へ移民にする者によって、アジアに伝えられたとされている。そして、この文様を今のような形にアレンジし、広めたのはインドである。
カシミアは、今も毛織物の高級素材として知られているが、その名前はインド・カシミール地方から取られている。この地は、17世紀頃からショールを織リ始めており、そこに使われていたのが、ペイズリー文様であった。インドでは、この文様をショールだけでなく、木綿生地にも染め付けていく。これは後に、インド更紗文様の一つとして、日本にも伝わることになる。
質の高いカシミアショールは、当時インドを支配していたイギリス・フランス・オランダなどのヨーロッパ諸国から大いにもてはやされ、需要が高まっていった。各国では、インドから輸出されてくる品物だけでは、供給が追いつかず、イギリスでは自国での生産に踏み切った。
その生産地の一つが、スコットランド・グラスゴー西郊の町、ペイズリーであった。ここでは、18世紀半ばから、生産が始まったが、その品物は、本場のカシミール・ショールを真似たものであり、質の違いは明らかであった。そして、ジャガード機が開発されたことで、大量生産が可能となり、価格は低下。一挙に、ペイズリー柄のショールが世に広まることになる。そして、ペルシャを発祥の地とする独特な文様は、生産地の名前を取って、「ペイズリー」と呼ばれるようになったのである。
前部分の模様。まるで指輪のように蔓を丸めた唐草と、小さなペイズリーの組み合わせ。描いている唐草は、ナツメヤシを図案化したものにも見えなくは無い。お太鼓では、ペイズリーが主役だが、前は小さな唐草が主役になっている。
染帯では、お太鼓と前部分で、模様が変わるものが多いが、これも自由に模様を描ける染技法ならではのこと。これが織帯ならば、模様を替えれば、新たに紋図を起こす必要があり、手間と経費がかさむ。
ペイズリーのルーツを辿れば、古代メソポタミアやペルシャで「聖なる樹木・生命の樹」として崇拝されていたナツメヤシに行き着く。日本では、古代の装身具・勾玉に良く似ているが、この形は、「母親のお腹の中に眠る胎児の姿を模している」という説がある。何とも不思議なペイズリー文様は、「生命の力そのものを表現している」と言えるだろう。
そして、唐草や唐花とは密接な関係があり、いわば同じ係累を持つ文様である。一見、キモノや帯で使う図案としては、西洋的であり意外な感じを受けるが、文様の世界から見れば、伝統的な古典文様の範疇にあることが判る。
では、この個性的な染帯は、どのようなキモノに合わせると、より着姿を特徴付けることが出来るのか、コーディネートを考えてみよう。
(十字蚊絣 菱立て縞模様 泥染大島紬・奄美 川口織物)
単純な蚊絣を菱型に配列し、それを縦に並べて縞のように見せている大島。男モノなどによく見られる一般的な蚊絣は、生地全体に均等に並んでいて、遠目から見ると無地のように見える。この絣は、模様を形作るものではなく、それ自体が一つの模様として存在している。
上の品物のように、小さな蚊絣だけを組み合わせて、模様を形成しているのは、珍しい。単調な蚊絣でも、工夫次第で、面白い図案になるということだろう。
少し判り難いかも知れないが、一つ一つの絣をよく見ると、手裏剣もしくは風車のような形をしている。
これは、経緯2本ずつ、合計4本の絣糸を交差させて出来る絣で、一元式(ひともとしき)と呼ばれる絣の特徴。経1、緯2の合計三本で構成する絣は、片ス式(かたすしき)と言い、絣の形はT字型である。絣は、経緯の絣糸の本数が多くなればなるほど、絣合わせが難しく、高度な技術が必要となる。
伝統工芸品であることを証明する「伝マーク」や、奄美大島協同組合の検査証「地球印」が張られているが、左側の青いラベルに注目して欲しい。「古代染色・純泥染」という文字が見えると思うが、これが泥染糸を使って織られている証である。
大島の泥染めは、まず、テーチ木(車輪梅)をチップ状にして砕き、釜で煮るところから始まる。そこで抽出された煮汁を、染液として使う。この液に、糸を10~20回浸して染め付けたところで、泥田の中に漬け込んで、泥になじませる。一旦、水で洗い流したら、またテーチ木の染液に浸す。
この作業を4~5回繰り返す。だいたい、テーチ木染液で、5、60回、泥田では5,6回染め付けが行われる。これだけの手間を経て、ようやく独特の深い黒の色が得られる。このラベルは、泥染めの工程をきちんと踏んでいるという証明なのだ。
さてこの、単純な中にも斬新さがある泥染大島と、ペイズリー染帯を組み合わせたらどうなるのか、ご覧頂こう。
深く沈みこんだ泥の黒に、くっきり浮かび上がるペーズリー。画像でも判るが、大島の蚊絣は小さく、遠目から見える印象は黒無地に近い。キモノだけ見れば、やはりかなり地味である。
インパクトのあるペイズリー模様は、こんな単調で沈んだキモノだからこそ、よく映える。先日、おばあちゃんの地味な紬に、龍村の紅色系光波帯を使うことで、着姿のイメージを一変させる稿を書いたが、今日のコーディネートも、それに近い考え方になる。
個性的で、特徴のある帯姿を印象付けるのであれば、キモノそのものに主張が無い方が良いだろう。例えば、同じ大島でも、多色を使って絣模様を表現したようなものならば、逆に帯は主張が無く、控えめな模様の方が、しっくりくる。
ベージュの紬帯地が、深い泥大島の地色によく合う。黒とベージュの組み合わせは、やはり「鉄板」の色合わせかと思う。どんな地味なキモノも、帯次第でいかようにも着こなすことが出来る。個性的な名古屋帯は、そんな演出を楽しむときには、欠かすことの出来ない「主役」となる。
前の合わせ。お太鼓に比べると、かなりおとなしい柄の付け方。着姿を前から見たところと、後からでは、かなり印象が変わるだろう。こんなところにも、この染帯の面白さがある。
(藤グレーと青磁色 端絞り帯揚げ・加藤萬 鴇色 ゆるぎ帯〆・龍工房)
帯揚げは、少し控えめな藤グレーを使い、帯〆は、藤色を思い切り明るくしたような、鴇(とき)色の無地。いずれも、唐草の蔓の薄藤色に合わせた組み合わせ。帯〆に強く、明るい色を使って、より若々しさを印象付けてみた。
今日は、バイク呉服屋のツボに入った、個性的な帯を使って、コーディネートしてみた。文様の原点とも言うべき「唐草」には、たまらない魅力がある。実は、もう一点、ご紹介しようと考えていた帯があった。すでにかなり長い稿になっているので、その画像だけをご覧頂こう。
(白紬地 更紗模様 江戸紅型・九寸染名古屋帯 菱一)
この帯は更紗文様で、今日のペイズリー模様とは雰囲気がかなり違う。だが、やはりこれもある種の唐花系模様で、挿し色の紅色にインパクトがある。
おそらく、こんな衝動的な仕入れは、いつになっても止まないだろう。最後に、今日コーディネートした品物を、もう一度どうぞ。
案外、ツボに入って仕入れた品物というのは、早く売れていくように思います。最後にお目にかけた、紅型帯も、棚に置く間がほとんど無く、売れてしまいました。
私のツボと、お客様のツボが合致した瞬間は、大変嬉しいものです。そのうち、自分の好みで仕入れた品物しか、店に無いという状態になりはしないかと、心配しています。そうなると、棚にある品物の模様は全て、「唐草」になってしまいますね。
いつか、「バイク呉服屋」から「唐草呉服屋」へと、名前を変えるかも知れません。
今日も、長い稿にお付き合い頂き、ありがとうございました。