先週、仕事を休んで、10年ぶりに北海道・十勝三股へ行ってきた。東大雪の麓の小盆地、人家は僅かに二軒。携帯電話の電波も届かない、世間からは隔絶した場所。
三股のことは、ブログの「むかしたび」の中でも、紹介しているので、詳しくはそちらをお読み頂きたいが、私にとっては、自分を取り戻すことが出来る大切な場所である。
日常生活の中で、誰とも話をしない日はない。もちろん呉服屋として仕事をしていれば、人と関わることは当たり前だ。だが、私は、時折無性に「一人」になりたくなる。
時間を忘れ、関わりを忘れ、ただ風の音を聞く。すべての情報を断つことで、心が甦る気がする。三股を初めて訪れたのは、もう35年も前のこと。年齢を重ね、自分を取り巻く環境も変わった。そして、この国の社会も、大きく変化した。だがここには、変わらぬ静寂がある。一日中佇んでいると、全てのことが瑣末に思えてくる。
ここに長く留まると、社会復帰が危うい。私も、もうしばらくは、世間さまとお付き合いしなければいけないので、帰らなくてはならない。だがいつか、プツっと心が切れて、日々の生活を投げ出さないとも限らない。やはりバイク呉服屋は、突然店を閉めかねない、「危ない店」である。皆様も、なるべく近寄らない方が良いかもしれない。
さて、そんなひとときの夢から醒めた最初の稿は、色付き始めた秋を、モダンな図案で描いた品物を、ご紹介してみよう。植物を、自分の感性で図案化する、女性作家の優しい模様である。
(一越ちりめん 銀杏模様 手描友禅付下げ・黒地 西洋王冠文 袋帯)
今年の秋は、雨ばかり続いた9月に続き、今月も、抜けるような空からの陽射を感じないまま過ぎている。ここ数年感じることは、一番心地よく過ごせる春と秋の時間が少なくなっていること。いきなり寒くなり、いきなり暑くなる。四季が美しい日本も、地球環境の変化から逃れることが出来ず、気候は極端化している。
10月も半ばを過ぎると、各地から、初霜・初氷・初雪の便りが届く。私が先週過ごしていた大雪山周辺では、すでに紅葉は終わりに近く、多くの葉は褐色に変わっていた。気温が7℃を下回ると、葉が色づき始める。都心で見頃となるのは、ひと月ほど先。
さて、過ぎ行く秋の色を愛でる代表的な植物と言えば、楓と銀杏であろう。
楓は、キモノや帯の図案となる秋植物の中では、菊と並んで、もっとも良く使われるものだ。そもそも、楓の葉が色付いたものが、紅葉(もみじ)であり、それは、紅葉(こうよう)の代名詞でもある。
楓の葉は、緑から、赤、黄と色を変え、秋の深まりを教えてくれる。こんな季節ごとの色の多様さに加え、葉の形状は写実的に描いても、図案化しても面白いため、文様の中に組み込まれることが多い。
中でも、桜と併用された「桜楓(おうふう)文」などは、春秋に使える意匠として重宝され、赤く色づいたもみじが、川に流されていく風景を描いた「龍田川文」などは、秋を代表する文様である。
都会の街路樹として、多く植えられている銀杏は、むしろ楓よりも、葉の色付きが人々に意識されているように思える。緑の葉の一部が、黄色く色づき始めると、秋の気配を感じ、それが濃くなるにつれ、季節が深まる。いつしか褐色に変わり、風に飛ばされて地面に落ちる頃は、街はすでに初冬の佇まいとなる。
だが銀杏は、キモノや帯のモチーフになることが少ない気がする。葉の形状などは、楓に劣らずユニークで、図案化しやすいように思える。ただ、基調になる色が黄色であることや、色の変化が単調なことなどが、意匠として使い難い理由なのかも知れない。
今日ご紹介するものは、銀杏だけをモチーフに取り、それを現代感覚でデザインした、珍しい品物である。どんな雰囲気に仕上がっているのか、見て頂こう。
(一越ちりめん 白茶色地 銀杏模様・手描き友禅付下げ 湯本エリ子)
湯本エリ子さんは、京都北部の亀岡市に工房を持つ、友禅作家。独立したのは、1988(昭和63)年なので、すでに30年近いキャリアを積んでいる。先頃、日本工藝会の正会員となったが、これまで日本伝統工芸展などに、多数の入賞作品を持つ。
湯本さんは名古屋市の出身だが、染の世界に入ったのは、父が悉皆屋から仕事を請け負う友禅師だったことが、大きく影響している。小さい頃は、身近にあった友禅の仕事には、あまり興味が持てなかったが、社会人となり外へ働きに出てから、改めて家の仕事を見直し、この道に進もうと決めたと言う。
22歳の時、父のツテを辿って、大正元年生まれの友禅作家・初代山科春宣氏の下へ弟子入りし、友禅の基本を学び始める。山科氏は、日本画を礎としていたために、モチーフを写実的に描いた作品が多かった。
湯本さんの作品には、対象物を抽象化し、デザインとして作り上げたものが多いが、やはりそれはきっちりとした写実が出来た上でのこと。モダンな意匠も、基礎が身についていなければ、模様に力が感じられない。
模様の中心、上前の身頃とおくみの柄を合わせたところ。
黄色く色づいた銀杏の葉と実、それに樫の葉とどんぐりが描かれている。湯本さんの特徴でもある、墨色やグレーを基調とした配色。僅かに挿された、銀杏の実の黄色と、どんぐりのピンクとブルーが印象的で、女性らしさが感じられる。
デザイン化された銀杏の葉だが、黄色ではなく、モノトーンの色を使ったところに、彼女のセンスが感じられる。この配色によって、黄色い実が全体の模様の中で、アクセントとなる。
上前の身頃とおくみにまたがる、樫の葉とどんぐり。仕立ての際には、この部分の枝葉をきちんと柄合わせしなければならない。銀杏同様、葉と枝がモノトーン、実だけに明るい色を付けている。
最初の画像で判るように、胸には樫の葉とどんぐり、袖には銀杏。「秋の公園」というより、「オータムパーク」と呼びたくなるような、モダンな意匠。
上前の全体像。先月のコーディネートでご紹介した、加賀友禅・中町博志氏の作品「さざなみ」も、デザイン性に富んだ意匠であったが、中町氏は、一つのモチーフを見た時、心に感じたままを図案として表現している。つまりは、写実画ではなく、抽象画なのだ。どんなものでも、感じ方はその時々で違うから、同じ表現にはならない。
湯本さんは、作品のモチーフを、根気良くスケッチしていくと言う。そして、同じ対象物を何年も描き続け、その中から自分が感じたオリジナルなデザインを作り上げる。やはりそれは、「心の風景をそのまま表現したもの」と見ることが出来よう。
さて、こんなモダンで、優しい秋色のキモノに合う帯は、どのように考えれば良いか。早速、コーディネートしてみよう。
(黒地 西洋王冠文 袋帯・梅垣織物)
日本の伝統文様と、西洋の文様とを繋ぐとした、梅垣織物のKaraori・Nouveau(唐織ヌーヴォー)シリーズの一つ。「西洋王冠文」と名付けられたこの文様は、英国の伝統文様をモチーフにして、アレンジされたもの。
9月のコーデイーネートでご紹介した、紫紘の「ウイリアム・モリス」シリーズといい、この梅垣織物のシリーズといい、老舗織屋には、西洋文様を積極的に取り入れる姿勢が見られる。
英国王室に伝わる王冠をモチーフにしたものだが、王冠部分は銀杏の葉のようにも見える。また、王冠を囲んでいる文様は、七宝文に良く似ている。
梅垣織物のブログに、この図案の基になっている英国のデザインが掲載されているが、一つ一つの文様は少し離れていて、この帯のような連続模様にはなっていない。重ねて付けたことで、七宝文のような見え方になっているが、これは、日本の伝統文様と融合させようとして、意図的にこのような図案構成を考えたのだろうか。その辺りは不明だが、西洋文様でありながらも、あまり洋っぽくなく、合わせやすい図案になっている。
この西洋王冠文には、黒地に金、黒地に白という、二種類の配色違いの帯があるが、上の画像は、黒地に白。浮き出ている柄は、地が黒のために、グレーのように見える。拡大画像では、写したときの光の当たり方で金に見えるが、実際はもう少し白っぽい。
では、デザイン性豊かなキモノと、和と洋を混合した帯を組み合わせてみると、どうなるのか試してみよう。
キモノの配色が、モノトーンを基調としているために、帯の配色もそれに合わせ、挿し色のない黒白のシンプルなものを考えた。キモノの地色が、柔らかい白茶色なので、黒系の帯は、締まりやすい。ただ、黒地と言っても、この帯には、黒特有のきつさが無く、浮き立つように見える模様の色が、印象に残る。
前の合わせ。銀杏と樫の葉のモノトーンと、帯のモノトーンがリンクしている。キモノも帯も、古典でありながら、現代の感覚を上手く取り込んでいて、見る者には和装特有の堅苦しさを感じさせない。
モダンな着姿とは言っても、そこで表現されている文様に、古典の裏づけが無ければ、納得したものにはならない。以前、デザイナーブランドのキモノが流行したことがあったが、その意匠には、キモノ本来の美しさを見出すことは出来なかった。
(薄グレーと水色 絞り模様帯揚げ・加藤萬 水色金通し 平組帯〆・龍工房)
帯に色が無いために、小物の色により印象が変わる。今日は、どんぐりの一つに挿されている水色を使ってみた。これだと、かなり大人しい色の合わせ方になり、雰囲気が優しくなる。秋を意識すれば、銀杏の実の黄色を考えても良いし、もうひとつのどんぐりの色・ピンクを使うと、もっとモダンさが広がるように思える。
モノトーンの帯だからこそ、小物を楽しめる。今日のコーディネートの大きな特徴と言えよう。最後にご紹介した品物を、もう一度どうぞ。
作家の持つ力は、モチーフを自分の心に投影して、図案や色に表現出来ること。その感性に基づくデザインが美しいと思えなければ、品物を扱うことは出来ません。やはり自分の心に響く品物は、お客様に伝えたくなります。
品物を見る目を養うには、自分の感性を磨くことが大切でしょう。バイク呉服屋が、十勝三股の風景を見つめ続けることも、少しは役に立っているのかも知れません。かなり無理のある「こじつけ」かと思いますが。
皆様のご参考までに、一枚だけ、十勝三股の画像をご覧に入れておきましょう。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。