今年に入り、都心郊外や地方デパートの閉店が続いている。そして来年にかけても、三越・伊勢丹、そごう・西武、阪急・阪神といった大手資本の中の7店舗が、店を閉じるそうだ。
車が生活の足になっている地方では、郊外に大型ショッピングセンター(モール)が出来ると、人の流れは一変する。それは、バイク呉服屋が店を構える甲府でも、同様だ。
うちの店の近くには、地元資本の百貨店があり、ここを中心にして商店街が広がり、街が栄えてきた。だが、20年ほど前、郊外型店舗が増え始めるに従って客足が落ち始め、数年前に進出した大型モールにより、止めを刺された。老舗デパートは業績が悪化し、それとリンクするように、商店街は寂れた。
市の中心なので、役所や事業所が多く、平日にはまだ「働く人」が行き交う。しかし、土日になると、ゴーストタウンと化す。この現象は甲府ばかりではなく、多くの地方都市で同じことが起こっている。
また、首都圏近郊では、交通アクセスが発達しているばかりに、地元ではなく、都心に人が吸い寄せられる。
例えば、来年3月に閉店が予定されている、千葉・三越を考えてみよう。もし、千葉市周辺の方が、三越で買い物をしようと考えれば、地元ではなく、日本橋か銀座まで足を伸ばすだろう。同じ三越でも、品揃えが違うと考えるからだ。
これは、三越・伊勢丹に限らず、他のデパートでも同様で、採算の取れない東京近郊の店を閉じ、都心の旗艦店に経営資本を集約しようとしている。もしかすればデパートは、都心の一定の場所にしか残らないかもしれない。
リアル店舗を持つ小売業を苦しめるのは、こればかりではない。もっとも大きく影響しているのが、インターネットを利用して商品を購入する消費者の急増である。
店舗に出向かず、家にいながら24時間買い物が出来る。購入ボタンをポチっと押せば、翌日には品物が届く。自分の望むモノを自由に探し、いつでもどこでも買い求められる。こんな便利なツールは、他に無い。
ネット販売は、売る側も人件費や販売費を削減することが出来るので、リアル店舗より安くモノを売ることが出来る。買う側だけでなく、店側にとっても、現代の商いでは欠かすことの出来ない手段である。
もちろん、呉服屋とて例外ではなく、現在多くの店がネットでの販売に注力しており、中にはネット専業の業者もある。以前ならば、消費者には敷居が高かった呉服屋の品物も、自由に見て、簡単に購入できる。それまでの閉塞的な呉服屋の商いを、飛躍的に変えたという点では、ネットの力は大きい。
だが、呉服屋が扱う品物は、画一的でなく流通量が限られるものが多い。すなわち、ネットにはほどんど流れない品物が存在する。もともと流通経路が複雑で、旧態依然としているために、扱う店が限られる。そして、生産される絶対量が少ない。
今日は、そんなネットに出て来ない品物とは、どんなモノなのか、うちで扱う品を例に取りながら、お話してみたい。ここには、リアル店舗として残っていくヒントも隠されているように思う。
そもそも、ネットで求めやすい品物というのは、消費者がある程度の情報を持っているモノ、つまりは「よく知られたモノ」になるだろう。例えば、竺仙の浴衣などは、有名デパートへ行けば現物を手に取ってみることが出来る。実際の品物を見ておいて、後はネットで価格比較をし、一番廉価な店で購入する。
質の確認をリアル店舗でした後、ネットで品物を探す、この「双方をうまく使いながら消費行動を起こす」というのが、一番手堅いモノの買い方になる。これは何も呉服に限ったことではなく、どんなモノも同じであろう。
また、ネット内に多くの情報が溢れている品物ならば、実店舗へ行かずとも、ある程度の質を知ることが出来る。消費者にとっては、情報を得やすい品物ほど、購入へのハードルが低くなる。
例えば、龍村や捨松などの帯は、ネットの中で簡単に探すことが出来る。両方の織屋とも、少し呉服に関心のある方ならば、品物がすでに認知されているため、扱いやすい。また、ネット販売専業に限らず、多くの呉服専門店が扱っているので、自分のHPなどでの紹介記事も多い。
ただ、難しいのは、龍村や捨松が織る帯のアイテムは、膨大なもので、ネット上に表れてくるのは、ほんの一部に限られるということ。ある程度、本数を作りやすいもの、龍村の光波帯や、捨松の機械機の名古屋帯など、価格が10万円を切るような品物が、それに当たる。けれども、龍村が手を尽くした100万円を越えるようなフォーマル用の袋帯や、捨松の手織りのすくい帯などは、扱う店が限られ、ネット内での情報はかなり少なくなる。
呉服の場合、高価で稀少なモノになればなるほど、ネットでの販売には向かなくなり、それとともに、品物に対する情報量が減っていく。もともとが、一部のコアなキモノ愛好者を除き、一般消費者には馴染みがなく、質の良し悪しが見分け難い。普通の方が、本当に上質な品物を求めようとする時、ネットの情報だけで判断することは、難しいかも知れない。
前置きが長くなったが、ネットであまり見かけなず、情報量の少ない品物とは、どのようなモノなのか。バイク呉服屋が扱う商品を例にとりながら、話を進めてみよう。
(紫紘・引箔手織袋帯 左から 花扇文・天正カルタ文・観世水に春秋花文)
グーグルを使い「紫紘・帯」と画像検索を入れてみると、バイク呉服屋がこのブログの中で載せた帯が、数多く見つかる。自分が載せた品物を自分で検索して見るというのも、おかしな話だが、それだけネット内には紫紘の帯が少ないということになろう。
また、業界最大手と呼ばれているネット専業の販売サイトで、紫紘の品物を検索してみると、扱っているのはわずかに一本の袋帯だけ。これは、この業者と紫紘の間に、取引がほぼ無いことを示している。
なぜ、紫紘の帯はネットで探し難いのか。その大きな原因は、取引の形態にある。ブログを読まれている消費者からは、全く見えないことなので、少し説明しよう。
紫紘は、モノの作り手であると同時に、問屋でもある。いわゆる「メーカー問屋」という形になる。取引先は、有力な一部の専門小売店と、三越・伊勢丹などの老舗デパートに限られている。そして、特徴的なのは、ほとんど問屋に品物を卸していないことだ。
例えば、菱一や千切屋治兵衛などの、染モノ・メーカー問屋で帯を扱おうとすれば、どうしてもよそから仕入れをしなくては、帯は置けない。この時には、帯メーカーから直接仕入れる場合と、買継ぎ問屋から仕入れる場合とがある。当然価格は、メーカー直よりも、間に挟まれた買継問屋からの方が高くなる。
大概の帯メーカーは、商品の販路を広げるために、直接問屋へ売ったり、卸業者である買継問屋へ売ったりもする。(このことを、「仲間卸」と言う)。龍村や捨松などは、小売店と直取引することは少なく、ほとんどが、問屋・買継問屋を相手に商いをしている。この結果、扱う店の数は増えて、品物の裾野は広がるが、自分の商品が、最終的にどこの小売屋で扱われているのか、その全体像はつかみ難くなる。
紫紘が、問屋に帯を卸さず、一定の小売屋としか取引をしていないということは、自分の品物がどこで売られているのか、ほとんど把握出来ることになる。ただこれだと、消費者に対して商品を紹介する場が限られ、売り先も広がらない。
ネットの中で、ほとんど紫紘の帯が扱われず、品物の情報が探し難いというのは、このような取引の形態があるからだ。
では、なぜ紫紘は、問屋にモノを卸さないのか。そのあたりの経営方針について直接聞いたことがないので、あくまで憶測だが、数多くの帯を売り、利益を上げることよりも、質にこだわったモノ作りをしているからではないだろか。
帯は、一度紋図(設計図)を作れば、何度でも製織することができるので、同じ柄を沢山売れば売るほど、利益は上がっていく。そして、量産された帯の価格は下がる。沢山売ろうとすれば、数多くの扱い先を確保しなければならないので、当然問屋へも品物を卸さなければならなくなる。そもそも量を重視するのであれば、紫紘のような取引形態では無理なのだ。
数を捌くことが目的ではないとすれば、重視されるのは、もちろん質になる。図案に凝り、一本一本の糸の作り方を精査し、熟練した職人の手で丁寧に織り上げる。一つの紋図を使って織りだす数は、せいぜい数本単位であろう。
先日、紫紘の京都本社で、これまで織り出してきた帯の織見本を見せて頂いたが、その数は数千柄に及ぶ。うちでは、半世紀近くこの織屋の帯を扱ってきたが、多くが今まで見たこともない柄であった。
このように手を尽くされた帯は、扱う側の店格も求められる。帯の価値をきちんと認め、消費者に伝えることが出来るような店でなければ、売ることは難しい。それが作り手である紫紘にわかっているからこそ、特定の小売店やデパートだけを取引相手に選んでいるのだろう。
稿が長くなってしまうので、ネットでの扱いが少ない他の取引先の品物は、画像で簡単にご紹介しておく。
(梅垣織物・振袖向き袋帯 七宝松文と松笹文)
ここの帯も、良質な品物として知られている。画像に載せた帯は、振袖向きの大胆な模様。この織屋の帯は、かっちりとした伝統文様を多く使っているので、古典を重んじる正統的な振袖には真向きな品。帯の雰囲気は、紫紘と共通するところがある。
うちの梅垣の帯は、西陣の買継問屋・やまくまを通して、入っている。つまり梅垣とは、紫紘のような直接取引ではないということ。ただ、買継問屋・やまくまの取引先は、ほとんど問屋ばかりで、小売屋は少ない。本来ならば、もう一軒間に問屋が入って、小売に流れるはずだ。流通の段階が一つ抜けるだけでも、価格は大きく異なる。
紫紘より梅垣の方が、ネット内で見つけやすいが、それでも数は知れている。ネット専業の販売サイトでも、少しは扱ってるが、限られた価格帯のものばかりである。やはり、この織屋の本格的な帯を扱っているのは、質を重視した一部の専門店であろう。
(菱一・手挿し小紋 左から 春秋吹き寄せ・よろけ縞・桐唐草)
(千切屋治兵衛・小紋 左から 飛び柄七宝・雪輪・大市松)
小紋こそ、型紙さえ作っておけば、いつでも品物を染め出すことが出来るので、「量」が確保しやすいアイテムである。けれども、菱一や千切屋治兵衛の小紋をネット販売するような業者は、ほとんど見当たらない。つまりは、この二つの染メーカーが、数を売ることに重きを置いていない証である。
そして、この両社の品物は、小紋に限らず、付下げや訪問着、黒・色留袖、振袖に至るまで、ネット内での情報そのものが少ない。双方共に、良質な江戸友禅・京友禅を作るメーカーだが、扱い店は極めて限られている。だから、同じ老舗染メーカーでも、デパートの定番として扱われている千總の品とは、比較にならない程、世間の認知度が低い。
菱一などは、デパートにさえ取引がなく、無論、問屋仲間にも品物は卸していない。千切屋治兵衛も、ほぼ同様である。販売先は、限られた専門店だけ。先の一番大きいネットの販売サイトで、両メーカーの品物を検索したところ、一点も出てこなかった。それほど、扱う店が徹底的に狭められているのだ。
この両メーカーは、先の紫紘と同じように、良品を少量生産し、質を理解してくれる小売店のみを取引相手と考えて、仕事を続けている。沢山売って、沢山儲けるという積極的な商いとは対極にあり、極めて「守り」を重視した考え方に見受けられる。
無論、作った品物が一点でも多く、捌けていくことを望んではいるだろうが、今まで守り続けてきたスタイルを変えてまで、商いをしていない。年々呉服の市場が狭まっていく中で、これも、生き残る方策の一つのように思える。
最後は駆け足になってしまったが、今日は、ネットでの扱いが少ない品物について、お話してきた。
いかにネットが商いの中心になっているとしても、呉服に関しては、まだまだリアル店舗でなければ、出会うことが難しい品物がある。ここにこそ、小売専門店の生き残る道が残されているように思う。
呉服を取り巻く複雑な流通については、また折に触れて、お話して行きたい。
「扱う店が限られる品物」は、他の店と差別化することにおいて、最大のアドバンテージになります。そして、この優位性を生かすためには、定期的な買取仕入れが欠かせません。
いつも店の棚の中に置いてなければ、とても「扱っている」と胸を張っては言えません。けれども、良品であればあるほど、仕入価格は高く、何をどのように買い入れるか、いつも思い悩みます。
特に、紫紘の上質な帯を仕入れる時などは、勇気がかなり必要です。何せ、帯一本買うだけで、自分の給料分など簡単に吹き飛んでしまいますので。
都知事選の候補者達は、「崖やスカーツリーから飛び降りるほどの勇気」が必要だったそうですが、バイク呉服屋は仕入れのたびに、「富士山から裸で駆け下りるほどの勇気」が必要なのです。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。