新橋・神楽坂・赤坂・浅草・芳町・向島。この街々は、東京でお座敷遊びができる、「花街」として知られている。料亭へ芸妓さんを呼び、歌と踊り、そして軽妙な会話を楽しみながら、もてなしを受ける。現代離れした、優雅で贅沢な遊び方であろう。
芸妓さんを呼べる店が、特定の街に偏ることには理由がある。これは、1872(明治4)年に制定された、芸娼妓解放令に基づき、一定の区域だけにしか、芸妓置屋(それぞれの芸妓さんの所属事務所)や、待合(お座敷遊びが出来る場所を貸す・貸席屋)・料亭の営業を、認可しなかったためである。なお、待合と料亭の違いは、料理場があるか無いか(待合での酒食は、外部から調達される)による。
1957(昭和32)年の売春防止法の制定以前、花街の中には遊郭があり、性的なサービスを提供する娼妓が存在していたため、街に男の遊び場的な雰囲気があったが、現在は、一見さんお断りのような、格式の高い料亭が軒を並べている。
花街は、その場所により客層が変わる。新橋や赤坂・神楽坂あたりの料亭は、政治家や官僚たちが密談の場所として使い、芳町や向島、柳橋(今は、廃れてしまっている)などは、江戸情緒を楽しむ粋人達の遊び場であった。
芸妓さんは、宴席の客と枕を共にするようなことはないが、昔は、客の愛人になるケースが、よくあった。贔屓として店に通ううちに、お互いに自然と情が湧いてくる。大物政治家や財界人との関係を噂されることも、めずらしくない。遠くは伊藤博文、近くは田中角栄など、枚挙に暇がない。但し、昔の政治家は隠し事にせず、きちんと経済的な援助もしていて、正々堂々と世間に「妾」の存在を知らせていた。この辺りが、昨今不倫で騒動になっている若い連中とは、胆の据わり方が違う。
裕福な粋人と言えば、呉服問屋の社長などは、それにあたるだろうか。この業界が隆盛を極めている頃は、問屋街に近い芳町(現在の人形町)あたりに繰り出して、宴席を楽しんでいたに違いない。実際、一昔前の呉服屋の経営者には、お座敷遊びに心得があるような方々が、沢山おられたように思う。
三味線やお囃子をバックに、小唄や長唄、清元を吟ずることが出来たり、芸妓さんの踊りを愛でながら、自分で踊ることも出来る。実際にそういう嗜みを持っていないと、本格的なお座敷を楽しむことは出来ないだろう。
料亭へ通う旦那衆には、洒落たキモノと羽織姿が良く似合う。やはり背広とネクタイでは、座敷の中で格好が付かない。
だが、男モノは、女モノと違い、色や模様に変化が少ないため、個性が出し難い。そんな時はどこに凝るか、それは、「裏に凝る」のだ。特に江戸っ子には、その傾向が強いとされる。理由は、江戸時代の奢侈禁止令によって、表の色や模様を極端に規制されてしまい、庶民の自由な楽しみは、裏地にしか持てなかったためである。
凝ったモノの代表は、羽織の裏と長襦袢。特に、脱いだ時に簡単に周りの目に触れる羽裏には、地味な表の色や文様を補うかのように、個性的なものが選ばれた。風景が墨描きされたものや、手で色挿しされた鮮やかな友禅など、一点ものとして作られた、贅沢な裏が使われた。
バイク呉服屋も若い頃、ある建設会社の社長に依頼されて、手描き友禅の羽裏を探したことがあったが、表地のキモノの値段よりも、裏の方が高くついてしまった。
そんな訳で、今日は、普段あまり目に留めることの少ない、羽織の裏に注目してみよう。女性の間でも、一時期よりも羽織が見直され、中でもカジュアルに使えるものを求められる方が増えてきた気がする。
最近は、長い丈を希望されることが多いので、羽織に使用するのは、小紋である。小紋は、模様取りが総柄のモノ、飛び柄のモノ、無地の雰囲気に近いモノなど、様々である。実際の品物に、羽裏を組み合わせたところを御紹介しながら、どのように「裏に凝る」かを、考えたい。なお、今回は、女モノの羽織に限定してお話させて頂く。
模様も色も様々な、羽織の裏地。表地の小紋に合わせて、組み合わせてみる。
羽裏は、羽織だけでなく、道行コートや道中着にも使う。単衣用の時も、肩の部分だけは裏を付ける。それぞれの寸法によって、使う裏の長さが違うが、2尺5寸前後の丈だと、裏地は1丈2~3尺程度必要で、単衣用に付ける肩すべりだと5尺ほどで済む。
羽裏の色は、濃淡様々であり、模様も大胆なモノから、細かい小紋柄、さらには飛び模様や、縞、無地に近いモノとそれこそ千差万別。これを、表地の色や模様を見ながら、合わせていく。
では、具体的に品物で見てみよう。画像で判り易くするために、反物で衿を作り、裏を合わせてみた。
羽織:格子にクリームと薄茶色・まだらぼかし小紋
羽裏:極薄藤色・型疋田大橘模様
この小紋は、薄地二色のぼかしの総模様なので、ふんわりとした羽織姿になる。このように模様にインパクトの少ないものは、下に使うキモノの雰囲気を壊さないので、使い勝手がよい。小紋でも紬でも良く、濃い地の上に羽織ると、着姿全体が優しくなる。
裏の地色は、表のおとなしい色に合わせて、薄く地味なものだが、模様は大きな橘の花散し。表に模様が無いので、せめて裏の柄は大胆にしてみたい。
羽裏:極薄茶色・猫模様
最初の羽裏よりも、わずかに濃い地色。小猫の姿が影絵のように、白抜きされている。遊び心を出す時に、こんな模様の裏を使ってみる。
羽織:葡萄色・葡萄模様小紋
羽裏:クリームと藤紫色市松・花の丸模様
葡萄地色に葡萄柄という、秋をイメージさせる濃地小紋。葡萄の蔓が全体に伸びる、流れのある小紋。かなり目立つ色と模様なので、羽織姿が強調された着姿となる。下に使うキモノは、柄が密になっていないものの方が、合わせやすいかも知れない。
裏は、大胆な市松の模様取りの中に四季の花と、真ん中には花の丸が付けてある。脱いだ時に、表よりも思わず羽裏に目がいくようなもの。
裏全体を写してみた。区切られた市松の中の模様は、小桜散しとつゆ芝に楓。真ん中は梅花の丸。
羽裏は、小紋と同じように型を起こして染められている。以前は、疋単位で染めたものを仕入れ、それをお客様の寸法に合わせ、必要なだけ自分で切って使っていた。しかし、昔ほど羽織の需要が無いために、疋単位で羽裏を仕入れる呉服屋も少なくなった。最近では、羽織やコート一枚分として使う長さに、予めカットしたものを、問屋が売るようになっている。
羽裏:薄グレー地・変わり鶴の丸模様
最初の裏に比べれば、かなりおとなしい。ペイズリーのような輪郭の中には、鶴に似た鳥の立ち姿が見える。変則的な鶴の丸が、縦一列の連続模様になっている。柄の大胆さはないが、洒落た模様。
羽織:桜鼠地・角倉(花兎)飛び模様小紋
羽裏:白緑地・雪輪に宝袋模様
薄墨桜のような地色に、花兎を飛ばせた優しい小紋。無地場が多いため、羽織の模様が前に出ることがなく、上品で優しい着姿となる。どちらかと言えば春向きの品物。
裏地も、ペパーミントグリーンのような明るい色で春らしくしてみる。雪輪型の染疋田の中は、宝尽し模様の中に見られる「宝袋」が付けられている。表の墨桜と、裏の白緑の色映りがさわやか。
羽裏:ベージュピンク地・クローバー小花散し
こちらも春らしい裏地。表の墨桜よりさらに淡いベージュピンク地。模様のクローバーも、優しくかわいい配色。若い方向きの合わせ方。
三点の小紋を使って、羽裏合わせを試してみた。如何だっただろうか。合わせる裏によって、羽織の雰囲気が変わるように思われたかもしれない。けれども、あくまで裏地なので、着ている時には何も見えない。つまりどんな裏を付けたとしても、着姿には何も影響しない。
羽織は、道行コートのように建物に入る前に脱ぐ必要はなく、着たまま部屋の中で過ごせる。部屋や建物の中で脱ぐため、裏地が人の目に触れる機会も多い。そんな時、チラリと見える模様が、周りを楽しませる。
自己満足の範疇に入る嗜みかもしれないが、裏に凝るとは、そういうものだろう。
お客様が羽織を誂えた際、羽裏などは我々に任されることが多いが、ご覧頂いたように、美しく洒落たものが沢山ある。ぜひ皆様にも、羽裏選びの楽しさを感じて頂きたい。
最後に、御紹介した羽織用の小紋と、羽裏をもう一度どうぞ。
「裏に凝る」というのは、お客様だけではなく、誂えに責任を持つ我々呉服屋も、強く意識しなければなりません。いくら上質な表生地を売ったとしても、裏地に手を抜けば、仕事としては落第でしょう。
これは、羽裏に限らず、キモノの八掛や、胴裏、比翼地なども同じことです。見えないところに心を配ることが、お客様に対する責任の表れであり、ひいては信頼に繋がるのではないでしょうか。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。