一昨日、東京・代々木第一体育館で開催されていたファッションとデザインの合同展示会・rooms32へ出掛けてきた。以前から、少し懇意にさせて頂いている加賀友禅作家・上坂幸栄さんから、丁重な案内状が送られてきたからだ。
この催しには、12のブース別に500ほどのブランドが出品しているが、それぞれの商品は、日本文化に根付いたモノ作りがなされており、それが、世界標準として受け入れられるものとすることが、主なコンセプトになっている。つまりそれは、文化の異なる国でも受け入れられ、楽しんで使えるような品物ということになろうか。
そんな品物であるからには、誰がどのような技術を駆使して作っているか、またモノ作りの背景には、どんな歴史や地域に根付いたものがあるのかを、語る必要が出てくる。
上坂さんが出品していたものは、ネクタイ。加賀友禅の繊細な糸目が、見事にプリントで再現されている。図案も日本の伝統模様である、千代紙に折鶴や鴛鴦、弓矢重ねなどがあり、さらには金魚や猫などもモチーフになっている。いずれも、織ではなく染でなければ表現できない模様ばかりである。
加賀友禅の美と、現代のプリント技術を融合することは、伝統に裏づけされた感性と最先端な道具をコラボするということ。自分の思いのままに作品を作り続けてきた上坂さんらしい自由な発想がなければ、生み出せなかったものと言えよう。
日常的に使うことの出来るネクタイなので、そこには、伝統工芸品として大切な「用の美」もしっかりと意識されている。このモノ作りの挑戦が、世界の人達にどのように評価されていくのか、楽しみである。
さて、今日の稿でも、そんな伝統技術に深く根付いた加賀友禅の品を取り上げてみたい。とりわけ、加賀の絵画性が見事に表現されている、昭和の逸品である。
(四季花重ね道長取り模様 色留袖・押田正義 1986年 東京北区・S様所有)
この色留袖に見覚えのある方も多いだろう。以前このブログの「加賀友禅を見分ける」の稿で、型モノと手描きモノの違いを御紹介したときに、手描きモノの見本として使った品物である。三十年もの間、店の中に残り続けてきたものであったが、とうとう昨年秋に、東京のお客様に見初められて、お嫁に行ってしまった。
現在、この色留袖の作者・押田正義の未仕立て品は、ほとんど残っておらず、稀少なものと思われるが、何はともあれ、望まれて使われる方が現われたことには、素直に感謝したい。本当のことを言えば、もう売ることを止めてしまおうとも考え始めていた矢先であった。
加賀友禅の作家達には、それぞれの系譜がある。それは全て、師弟関係により構成されていると言っても良いだろう。加賀友禅の技術者として身を立てようとするものは、まず一人の作家の下に弟子入りする。そして修行を終えて独立した者が、さらに弟子を取ることも多く見られる。現在の作家には、最初の作家から数えれば、孫弟子や曾孫弟子にあたる人も数多く存在している。
加賀友禅を世に知らしめた第一人者といえば、1955(昭和30)年に、無形文化財保持者(人間国宝)として認定された、木村雨山をおいて他にはいない。その雨山には、直系とも言うべき弟子が6人いた。毎田仁郎・金丸充夫・押田正義・松本節子(雨佳)・奥野義一・嶋達男。
この中で、独立後に数多くの弟子を育てたのは、毎田仁郎・金丸充夫・押田正義。毎田の弟子では、百貫華峰や白坂幸蔵が、金丸充夫の弟子では、柿本市郎が、そして押田正義の弟子には、大村洋子、杉村典重、村田幸司などがいる。これらの作家達は皆、木村雨山の孫弟子に当たる。
師弟関係が、それぞれの作品に影響するのは、自然の成り行きであろう。まずは、範として師の仕事を真似ることから、始まる。当然、図案や配色などの基礎は、全て師匠の仕事を横に見ながら学んでいく。それぞれの作家が、独自の個性を表現出来るようになるまでには、かなりの時間を要するだろう。
加賀友禅が絵画的な写実性を持つのは、一人一人の作家自身が、自分の目に止まった花鳥風月を写生し、それを模様の草稿とするからである。日本画を学んだ木村雨山は、この写し取るということを最も重要視していた。
今まで、このブログの中で御紹介した雨山の門下生、毎田仁郎・柿本市郎・百貫華峰、そして今日の押田正義の作品には、この豊かな写実性というものが見事に反映されているように思える。
改めて、模様付けをよく見てみよう。上の画像は、模様の中心になる上前おくみと身頃部分を写したものだが、三種類の花を山形に重ねて付けてある。最上部は梅で、中段は図案化してあるので判別し難いが桔梗に似た花、裾に近い最下部は、牡丹。裾に向かって花は大きくなっている。花と花の間に、つゆ芝のような草を入れることで、模様を繋いでいる。
そして、模様全体を見渡すと判ると思うが、それぞれの花模様を継ぎ合わすようにして付けられている。これは、「道長取り」と呼ばれる模様のかたどりである。
そもそも、このような模様の表し方は、平安時代の優美な和紙工芸・料紙(りょうし)装飾に見られる技法・継ぎ紙の中に見られる。料紙というのは、色や材質の異なる紙を継ぎ合わせて、一枚の紙にしたもので、和歌などをしたためる時に使われていた。
継ぎ紙は、色に染めたものや、ぼかしを施したもの、さらには金や銀の箔を使ったものなど、様々な技法を加えた紙を、切り継いだり、重ね継いだりして、一枚の料紙として仕上げたものである。国宝に指定されている「本願寺三十六人歌集(西本願寺所蔵)」は、平安時代に和歌の達人として認められていた36人(柿本人麻呂・大伴家持・在原業平・小野小町など)の作品を集大成したものだが、ここに使われていたものが、継ぎ紙であった。
キモノの絵羽モノ・留袖や訪問着などの模様取りには、この継ぎ紙技法がよく見られる。道長取りと呼ばれているのは、摂関政治華やかなりし頃、権勢を誇った藤原道長が好んだ模様だからとされているが、それを確証する資料はない。おそらく、きらびやかな平安和紙工芸=貴族が好んだもの=藤原道長と連想され名付けられたものであろう。
梅模様の配色。梅の花は、ピンク色の濃淡の花と山吹色に茜色の縁どりがされている花が見える。葉の色も鶸と緑の二色。柔らかな春の色で彩られている。
中段の花は、形だけみれば桔梗に見える。ここに寒色系の水色と藍色ぼかしを使うことにより、模様の中にメリハリが出来ている。まさしく配色の妙である。また一枚一枚の花それぞれに、違うぼかし方で挿されている姿は、「加賀友禅なればこそ」の模様映りである。
裾に近い部分の牡丹。他の花に比べて、一回り大きく付けられているため、模様の中で存在感が出ている。蘂が寒色で、花びらは暖色。複数の葉には、加賀独特の虫喰い技法が見られている。
後身頃は、主に小菊と小桜で構成されている。違う花を繋ぎ合わせ、一つの模様表現がなされている。継ぎ紙ならぬ、継ぎ花による道長取りと言えようか。
(百貫華峰の配色)
(押田正義の配色)
(毎田仁郎の配色)
ここで見て頂きたいのは、三人の作家の配色とぼかしの使い方。特に寒色・藍色系を使った部分に絞って取り出してみた。それぞれの藍の色に、濃淡の差こそあれ、挿し方とぼかしの入り方に共通性が見受けられる。百貫華峰は毎田の直系弟子であるが、押田作品と並べてみると、その配色や全体の雰囲気が実によく似ている。
加賀友禅の根幹ともいえる、配色や濃淡の使い方、ぼかし技法などは、どの作家にも共通したものであり、それは、師匠から弟子へと脈々と受け継がれてきたことがお判り頂けたと思う。
昭和の加賀友禅作品は、「加賀友禅はかくあるべき」と、ある意味で非常に保守的な考えの下に作られてきたように感じられる。写生を基本として描かれているために、きめ細かく一つ一つの模様が切り取られ、それが絵画的と印象付けられる。模様を図案化(デザイン化)しようと、写実的に描こうと構わない京友禅の自由さと比べれば、かなり堅苦しいものである。
その上、基本的に使う色(加賀五彩といわれる色)が決められており、技法にも縛りがある。当時、羽田登喜男や由水煌人(ゆうすいあきと・由水十久の長男)のように、加賀技法に京友禅の技法を併用した作品を産み出した作家もいたが、かなり限定的であった。
六年前に、加賀友禅作家として二人目の人間国王の認定を受けた二塚長生(ふたつかおさお)の作品は、糸目をそのまま模様として生かす「白あげ」という技法を駆使し、模様を大胆に図案化したものが多い。木村雨山の写実的な作風とはかなり趣を異にしている。平成になり、「加賀友禅らしからぬ加賀友禅」を描く作家が認定を受けたということは、これも時代の流れなのかも知れない。
最後に、この押田正義の色留袖とコーディネートされた帯を御紹介しておこう。
織雲繝(魚々子縞・ななこじま)袋帯・北村武資
経錦と羅、二つの技術で無形文化財保持者に認定されている北村武資の帯。グレーと薄ピンクの配色で、魚の鱗のように織り込まれている独特でモダンな織り模様。この色留袖が持つ雰囲気をなお生かすような、あくまでも上品さを求めたコーディネート。
北村武資氏の詳しい仕事の内容については、何れ稿を変えてゆっくりお話したい。
上坂幸栄さんと実際にお会いしたのは、今回が初めて。今まで、電話やメールでお話させて頂いていたので、初対面のような気がしませんでした。
頂いた名刺は、「模様師・上坂幸栄」。思っていた通り、行動的なクリエイターそのものという方でありました。上坂さん本人は、「自分の持っている性格と描く作品が全く一致しない」と話しますが、それもまた彼女の魅力の一つでしょう。
何せ、あの加賀染振興会を向こうに廻し、自分の腕一本で生きてきた方です。誰にも邪魔されずに、自分の思うがままの作品を作ることだけを考えて生きる。組織に頼らないことは、格好良いですが、社会の中で自分の意思を貫くことは大変難しいことです。伝統に裏付けられた閉鎖的な世界では、なおのことでしょう。
加賀友禅の美と、現代の技術をコラボさせて、世界に向けて発信する。それは、自由な立場でモノ作りを続けていなければ、ままならない発想でありましょう。彼女は、現代に生きる加賀友禅の作家として、これから向かうべき伝統産業の一つのあり方を示しているような気がします。将来どのように発展していくのか、その仕事ぶりを見守りたいと思います。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。