バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

アトキンソン氏の提言について考える(1)供給者の理屈・生産現場編

2015.08 30

論調を見ていくと、それぞれの新聞社の立ち位置がわかる。現在議論になっている安保法制の問題などは、大変わかりやすい。

現在全国紙と呼ばれている新聞は、朝日・読売・毎日・産経・日経の五紙。現在の政権が推し進める、憲法解釈の変更を明らかに容認するのは、産経と読売で、逆に反対するのは朝日と毎日。日経は経済紙なので、あからさまな論評は避けているようにも思えるが、どちらかと言えば、容認的な感じを受ける。

リベラルと保守という観点からすれば、朝日>毎日>読売>産経となり、左へ行くほどリベラルで、もっとも右が保守・国家主義的。

最近は、ネットなどに押されて新聞を購読する人が減っているようだが、一昔前なら、取っている新聞から、ある程度その人の考え方がわかった。論調が、自分の考えに近いところのものを選ぶのは、至極当然なことで、リベラル派が産経など読まないし、保守派は朝日を手に取るはずもない。

 

バイク呉服屋が読んでいるのは、朝日である。だが、根っからのリベラル派という訳ではなく、家で取っていたのが朝日だったという単純な理由からだ。我が家が朝日の購読者だったのは、主義主張云々より、父親がアンチ巨人だったせいなのかも知れない。

だから最初は、何となく新聞というと朝日になってしまったのだ。だが、今は読むなら朝日か毎日に限られる。国の保守体制に阿るような読売と産経の論調は、自分の考えには馴染まない。もちろん野球もアンチ巨人、いやアンチセ・リーグである。

 

さて、その朝日新聞が「着物に明日はあるのか」という特集記事を、3月1日の日曜版で掲載した。これは、キモノを取り巻く様々な問題点を、多方面から取材して書かれたものであり、これまで中々お目にかかれなかったような内容だった。

その中で、デービット・アトキンソン氏のインタビュー記事が、一際目を惹いた。この方は、イギリス生まれの50歳。バブル全盛の1990年に来日し、ソロモン・ブラザーズ証券のアナリストとして活躍。バブル崩壊後には、銀行の不良債権額を正確に見積って暴露し、それまで隠されていたものが一挙に公にされた。

彼はそのことから、銀行や金融を司る行政そのものを批判し、この国の組織が持つ悪しき体質にも言及する。さらに興味深いのは、氏がその後、アナリストから文化財を修復する「小西美術工藝社」の社長に転進したこと。そして伝統的なこの仕事を、現在のビジネスに沿うように大きく変革し、成果を上げている。

 

アトキンソン氏は、インタビューの中で、「呉服は供給者の理屈ばかりで、消費者の視点がない」と、厳しく業界を批判している。その言葉には、伝統産業としての呉服を、未来へ残すことへのヒントがあるようにも思える。

氏の発言から見えてくるものは何か、そして考えなければならないことは何か、これから何回かに分けて考えて行きたい。まず最初は、「供給者の理屈」ということに目を向けて見よう。

(朝日新聞・日曜版 GLOBE  2015・3・1 着物に明日はあるか?)

 

アトキンソン氏は記事の中で、呉服というものが理に適わぬ価格で流通していることに対し、それを供給者の理屈であると批判している。

ご自身が50万円で揃えたキモノの原価など、内実は数万円に過ぎないものと、言い切ってしまっている。また呉服ばかりではなく、伝統産業に伴う製品は押しなべて、非合理な価格が設定されていて、それがまかり通っていると、憤っている。

氏が、反物の単価が、数万円にしかならないと断定してしまっている理由は何であろうか。モノ作りの工程をもっと簡略化し、効率の良い仕事をすれば、もっと価格は抑えられると考えているのか。それとも、呉服の複雑な流通の過程で、価格が上がっていくことを知り、それを不条理なこととし、「供給者の勝手な理屈」と考えているのだろうか。はたまた、伝統品というものに「あぐら」をかき、価格は高くなって当然と、業界の者が間違った理屈を付けて商いを進めていることに対してなのか。

 

氏の言われるところの「勝手な理屈」とは、何に対して向けられているものなのだろうか。供給者のはしくれである小売屋の視点で、私なりに少し考えてみよう。

呉服の価格というものは、そもそもどのように付けられて売り場に並べられているのか。消費者にとっては、素直で単純な疑問なのだが、これを具体的にわかりやすく説明するとなると、かなり難しくなる。バイク呉服屋も、読者の方々が納得されるように、筋道を立てて理路整然とお話出来る自信は全くないが、少しだけ触れてみよう。

 

呉服の価格を単純に見れば、二つの側面(供給者)から形成されている。一つは、製造の段階。素材や技術、さらには作り方や作られている場所(例えば、国内生産か海外生産か)などで、価格が決まる。もう一つは、流通段階。品物が流れる経路や売られ方、そして携わる業者・問屋や小売屋の価格に対するモラルなどまでもが、関わってくる。

 

まず、モノの作り方という面で考えてみよう。

染物であれ、織物であれ、帯であれ、まず素材にどのようなものを使うかで、価格は変わる。原料の繭や綿、麻はその質により価格の違いがあり、さらに糸の加工方法などでも違いが出る。作り手がどのような品物を作るか考える時、やはり原材料の質は考慮される。

次に、加工による価格の違いだが、染でも織でも、当然一つの品物の中でかけられた手間により変わる。また、一つの品物の仕事に携わる職人の数や、技術力にも関わりがある。わかりやすい例を挙げれば、下絵から糊置き、色挿、さらに箔置きや刺繍など全てが分業として、それぞれの職人の手が入れられている手描き友禅と、機械を使い、インクジェットで一気に染めてしまったモノとの違いである。

手描きとインクジェットの差などは、もっとも極端な例にすぎず、染・織ごとに仕事の進め方(省略の方法)は、多様である。織物などでは、糸染めに植物染料を使っているか、化学染料で間に合わせているかでも違い、模様の出し方が、経緯絣か緯絣かという織手間によっても異なる。呉服における製造方法というものが、あまりに多岐にわたり過ぎていて、全てを理解することなど出来ない。私が覚えている知識など、ほんの一部のものだけである。

 

さらに、良い腕を持つ職人が少なくなった現在、製造を海外へ持ち出すことにより、モノ作りを維持しようとしたり、価格を抑えようともされている。高度な技術を要する刺繍や絞りの技術を、中国や東南アジア諸国に委託して、生産させる。また、日本の職人では、高い工賃が必要になる手織帯などではその傾向が強く、多くの織屋が海外生産にシフトしている。

この海外生産された品物にも、極端な質の違いがある。日本の技術者が、商品の質を管理し、きちんと技術指導がなされた上に生産されているモノと、単純に人件費の安さだけに目を向け、品物の質が疎かにされているような、いわゆる「安かろう、悪かろう」と言うモノとが、混在している状態である。

 

品物における質・価格の違いということを、消費者に知らせ、納得して頂くというのは、何と難しいことかと思う。商いの現場で、その全てを語りつくし、お客様に品物と価格の双方を、完璧に満足させられるような小売屋など、ほぼ無いかもしれない。

だが、完璧に説明出来なくとも、少なくとも納得して頂くように努力すべきことは、言うまでもない。それは、我々が扱う品物はどのように作られ、どのような質のモノなのか、自ら理解を深める努力がなければ、消費者に向き合えないということになる。消費者に対して、品物の価値が価格に見合うものであるかどうか、説明が付くものでなければ、それは不信感に繋がってしまう。

 

アトキンソン氏に品物を提供した人が、どこまで品物の質についてお話されたのかは、不明である。だが、自分が購入した品物が、50万円という価格にはそぐわないと不信感を持たれたのは事実だ。しかも原価数万円などと決め付けていることを考えれば、納得されるだけの説明がなされていないと、推測される。

けれども、たとえ売り手が真摯に品物の説明をしていたとしても、氏は価格に納得はしないだろう。これは、生産段階、つまりモノ作りの過程における不合理性を問題にしているだけではないということだ。むしろ品物の流通過程が不透明なことや、消費者の意を汲むモノ作りがされていない点に、不信感が強い。それは、呉服業界、呉服に関わる者たちが持つ、「構造的な問題」や「視点のズレ」を指摘していることに他ならない。

 

次回は、複雑な流通経路に伴う価格の高騰に対して、話を進めてみる。お話したように、生産現場では製造方法により価格の差異は生まれるが、もう一方の流通現場では、どのような理屈で価格が形成されているのだろうか。

生産者と流通者の間にある、ある種の主従的な関係がもたらす弊害などを中心に、書いて見ようと思う。アトキンソン氏が言われる「供給者の理屈ばかり」という言葉を深く考えるには、まずそれぞれの立場の「供給者たち」の現状を、検証していく必要があるだろう。

 

「供給者の理屈」と「消費者の視点」を考えてみると、数え切れないほど問題点が浮かんできて、それを一つ一つとりあげていくと、何ともまとまりのないものにしかなりません。それほど、業界に渦巻く課題が大きいということになるでしょうか。

「価格」というものから見えてくる呉服の現状をどう考えるか。我々は、アトキンソン氏の批判に対して、真摯に向き合うことが何より大切なのではないでしょうか。これは、氏が外国人で、文化財修復を業とするような仕事の牽引者だからこそ、見えてきたことであり、だからこそ稀有で貴重な提言と言えましょう。

「伝統品だから許される価格」として、呉服を見ていないか。小さな小売屋として、もう一度そこをよく考えてみたいと思います。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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