バイク呉服屋の忙しい日々

ノスタルジア

山口伊太郎の織(5)  宮廷カルタ文  金引箔袋帯

2026.02 08

日本と外国との関わりは、紀元前1世紀頃、100余りの小国が分立していた倭国・日本から、当時の中国・漢の国王に対して、度々貢モノを持参していたことに端を発する。そして交流を示す具体的な記録は、紀元後57年に、後漢の光武帝が倭の奴国からやってきた朝貢使に、貢モノの返礼として「漢委奴国王印」を授けた、後漢書東夷伝の記述に始まる。その後邪馬台国の女王・卑弥呼が魏に、そしてヤマト王権の倭の五王が宋へと使いを送り、大陸間の交流は続くことになる。

古代の交流では、日本の皇帝が中国の支配者に対して、「遜る(相手を上位と認識すること)立場」であり、そこにはっきりとした上下関係が表れていたが、遣隋使や遣唐使を送り出した飛鳥・天平期には、幾分その関係は緩やかになっていた。そして中世・平安鎌倉期に入っても、元が襲来した一時期を除いて、宋や明との交易は盛んにおこなわれており、次第にそれは国家主導から民間へとシフトしていった。但しこうした日本の対外関係の歴史は、この時代になってもまだ、東アジアの狭い範囲に限られていた。

 

翻って日本と西洋の出会いは、1543(天文12年)に種子島に漂着した明船に乗り合わせていたポルトガル人がその最初である。その時島主・種子島時尭は、ポルトガル人が持っていた見慣れぬ火器に目を付け、大枚をはたき2挺を買い入れた。これが良く知られた「鉄砲伝来」で、後に始まるポルトガルとの関り・南蛮貿易の端緒でもある。

ポルトガルからの主な輸入品は鉄砲や火薬、そして中国・明から運んできた生糸など、また日本からの輸出品は、金銀や刀剣類であった。それまで東洋の国としか交流が無かった日本にとって、当時のポルトガル人がもたらした文物は、全く見知らぬものばかりであったが、それは西洋の文化に初めて触れた瞬間でもあった。

それを証明するように、この当時持ち込まれたポルトガル由来の品物は、その言葉のまま日本語となり、今ではすっかり日本人の生活の中に定着している。パン(pao)・ボタン(botao)・コップ(copo)・タバコ(tabaco)・シャボン(sabao)など、どれも身近にある品物ばかり。漢語以外で初めて入った外来語・ポルトガル語の存在の大きさが、これでよく判る。

 

ポルトガル由来の品物は、食料品や日用品、さらに合羽(kapa)や襦袢(gibao)のような服飾品など多岐にわたっているが、中には遊びの道具であるカルタ(carta)も入っている。このカルタはトランプの一種で、カードゲーム(博奕)の際に使われていた。

トランプは、ハート・ダイヤ・スベード・クラブの四柄に、各々1~9までの数札とジャック・クイーン・キング3絵札で構成された全48枚。これに対して、ポルトガルカルタのモチーフは棍棒・刀剣・金貨・聖杯の四種。数札は1~9、絵札は女王・騎馬・国王の3種で、札の枚数は同じ48枚である。この南蛮貿易で持ち込まれたカード・カルタのことを、当時の日本の年号に由来して「天正カルタ」と呼んだ。

また長々しい前置きになってしまったが、今日は久しぶりにノスタルジアの稿として、紫紘・山口伊太郎が手掛けた帯の逸品を取り上げてみる。図案のモチーフは、天正カルタから派生して生まれた江戸期のカルタ文。この図案の経緯と、これを織で表現した紫紘の精緻な技術を織り交ぜながら、話を進めてみたい。

 

(宮廷調度カルタ文様 金引箔 手織袋帯・紫紘 東京北区・S様所有)

日本のカードゲームの原点とも言える天正カルタだが、江戸期になると、日本独特の遊び方に即した様々なカルタ(歌留多)が作られるようになる。それは、天正カルタがトランプとするならば、日本生まれのカルタは、平安貴族が楽しんだ優雅な遊び・貝覆いに近い。

日本のカルタは、各々が対になる46枚の文字札と絵札で構成され、読み手が文字札を読み、取り手が絵札を取るという形式でゲームが進められていく。これが「絵合わせ歌留多」で、「犬も歩けば棒に当たる」などと諺を題材にした「いろは歌留多」に代表される。さらに、札を和歌の上の句と下の句を分け、読み手が上の句札を読み、取り手が続く下の句札を探して取るという、「歌合わせ歌留多」も作られるようになる。それが「小倉百人一首」で、現代でも競技カルタとして盛んに行われている。

 

考えてみれば、平安期の貝遊びでは、同じ貝の形を見つける遊び方・貝覆いだけでなく、貝殻の色や模様を見ながら和歌を詠み合う・貝合わせがあり、さらにそれは、二つの貝の中に歌や絵を描き、それを探し合うという「歌貝」と称する遊び方に発展した。つまり江戸期になって、使う道具が貝からカルタに変わっただけとも言える。この経緯を振り返れば、和歌集・百人一首がカルタのモチーフとなったのは、半ば必然のことであった。

江戸時代には、カルタが娯楽として広く普及し、様々な題材のカルタ札が次々と生まれた。その一つに、宮廷の調度品を題材にした「宮廷調度絵合カルタ」がある。その品々は、当時の優れた絵師の手により、美しく描かれている。今日ご紹介する紫紘の帯は、その宮廷カルタに描かれた器物の姿をモチーフとして、精緻に図案を織り上げたもの。平安古典文様を織らせたら、右に出る織屋はいないとされる紫紘は、このカルタ文をどのように帯地で表現したのか。これから見ていくことにしよう。

 

現代の染織品で表現されている意匠や図案には、各々に出自・原点となる文様があり、中にはそれをアレンジすることなく、そのまま使用することも珍しくはない。例えば龍村の帯には、大正末期に龍村平蔵が、当時の帝室博物館から正倉院裂の研究と復元を命ぜられたこともあって、法隆寺裂や正倉院裂など、いわゆる上代裂に表現されている図案を、そのまま織文様として踏襲したものが沢山ある。また、京袋帯の光波帯や元妙帯の中では、中世になって宋や明から伝来した、金襴や銀襴あるいは緞子や間島に織り込まれた「名物裂の図案」も数多く再現されている。

龍村が外来系の文様を得意とするならば、紫紘はそれとは対照的な、日本固有の和文様を基礎とする品物が多い。例えば「平家納経文袋帯」は、1164(長寛2)年・平清盛が一門の繁栄を祈願して厳島神社の納めた三十二巻の装飾経・平家納経をモチーフとし、その料紙に描かれた草花や鳥、あるいは雅楽器を文様の中に散りばめている。また山口伊太郎翁が生涯をかけて復元した「源氏物語絵巻」に因む意匠も多く見受けられ、「竹河」の一場面・春の玉鬘庭の姿を麗しく細やかに織りなした帯には、「春艶」とタイトルを付けている。

 

今回ご紹介するカルタ文の意匠にも、そのオリジナルとも言うべき「見本」が存在している。それが、鶴澤探真(つるさわたんしん)が描いた「宮廷調度絵合カルタ」である。先述したように、江戸期のカルタでは様々な題材が描かれていたが、この「宮廷調度」とは宮中の日常生活で使う道具のことを指す。但し生活用具と言っても、一般家庭にある鍋や釜、ヤカンの類とは全く違うことは言うまでもない。

江戸期の宮廷内では、平安貴族的な生活様式の名残があり、様々な行事や儀礼に伴って、数々の調度品や装飾品が使われていた。鶴澤が描いた絵合カルタのモチーフは、まさにこの道具であり、それが帯文様の中に見える、貝桶や檜扇、あるいは小鼓や箙(えびら・矢を入れる道具)である。

カルタの作者・鶴澤探真の鶴澤家は、代々宮中に出仕する御所絵師を務め、探真はその7代目に当たる。狩野派に学んだ後に、土佐派の大和絵絵師となり、江戸末期の天保年間から明治中期にかけて活躍した。この調度絵合カルタは、徳川14代将軍・家茂の下に嫁いだ仁孝天皇の第8皇女・和宮が嫁入りの際に持参した道具。当時の宮中では、類似した「調度カルタ」が使われていたことから、降嫁の際の道具として、絵師・鶴澤の手によって新調されたものである。なおこのカルタは、芦屋市の滴翠美術館(美術蒐集家として知られた大阪・山口財閥の当主・山口吉郎兵衛の邸宅跡)に所蔵されている。

さてこの紫紘帯は、ほぼ忠実にこの絵合カルタの図案を再現するが、それは織としてどのような表情となっているのか。これからは、模様の詳細を見ていくことにしよう。

 

地はいわば友禅の箔加工・金砂子のように、白地の所々に金が浮かびあがっている。その地色は、光の当たり方によって表情を変わり、それが美しいシルエットとなって着姿を彩る。お太鼓と前模様は、菱文で区切られた囲いの中で、調度品と小桜を交互に配置している。その際の器物図案の地には金引箔を用い、桜図案のところは全体の地と同じ白金斑になっている。では、帯に織りなされている調度品を見てみよう。

 

貝桶(かいおけ)模様。貝合わせに使う貝を入れる道具・貝桶は、宮中へ嫁ぐ際の重要な調度品の一つ。特に江戸時代には、嫁ぎ先に着いた時、貝桶を取り出して引き渡す「貝桶渡し」の儀式が恭しく執り行われていた。そんな意味からも、調度絵合カルタの中では無くてはならないメイン図柄。トランプに例えれば、キングかハートのエース札になるだろうか。

貝桶の形はこの図案の様に多くが六角形で、表面には金蒔絵で模様が施され、華麗な姿が映し出されている。この帯の貝桶では、桶模様と細い朱色の紐を結び合わせた姿が、立体的に織り出されている。絵緯糸を使い、模様に強弱をつけて地から浮かせる。小さな模様にも、細やかな配慮が伺える。

檜扇(ひおうぎ)模様。宮中の装いには欠かせない檜扇は、桧の薄板を繋いで扇状にしたもの。特に女子用の扇には、金銀や胡粉を使って模様が描かれ、手にする者の姿を雅やかに映し出した。平安貴族の麗しい姿を写す代表的な道具で、その吉祥性故に、現在も多くのキモノや帯にそのあしらいを見ることが出来る。

織り図案を拡大すると、この檜扇の細かい織文と多色さがよく判る。紐の色だけ見ても、朱・緑・紫・グレー・ピンクの五色。模様の松の緑色も、細かい濃淡が施される。詳細に見れば見るほど、織り手間の掛かり方が見えてくる。

 

火取香炉(ひとりこうろ)模様。お香などの「焚きモノ」をくゆらすための道具。当時香木の薫りを見極める香道は、上流階級の嗜みとして欠かせないものだった。そのため宮中では、美しく装飾された香炉が使われていた。この香炉は、木製の火取母(ひとりも)という道具の内側に、銅や陶器で作った香炉を置き、その上に籠を被せて使っていた。この帯図案でも、籠を載せた香炉の姿が忠実に再現されている。

打乱筥(うちみだりのはこ)模様。これは、浅い長方形の木製箱の中に、理髪用の道具を納めたもの。蓋の内側には錦織の布を張り、裏には蒔絵で模様を施す。通常の場合は、蓋を裏返しにして、本体と重ねて置かれていたようだ。源氏物語ではこの道具を、妃が皇居に入る際の調度品として描いている。帯では、裏張りの布や蒔絵模様、さらに中に収めてある細かい道具の一つ一つまで、丁寧に織り出されている。

 

箙(えびら)模様。矢を入れて持ち歩く道具だが、宮中に嫁ぐ女性の調度品として相応しくない気がする。もしかしたら、何か違うモノかも。けれども、扇状に広がった模様は矢が刺さったようにしか見えない。

火鉢(ひばち)模様。手をあぶって温める「手あぶり火鉢」は、宮中でも使われていた。模様には灰や炭、火箸を織り込んで、リアルな姿を描き出している。

宝袋あるいは匂袋模様。何を入れるか良く判らない小さな袋だが、ヒントは表面に織り出された卍文か。もしかしたら、数珠か経典を入れる袋なのかも知れない。

 

横笛と笙(しょう)模様。調度カルタの中では、平安貴族の雅やかさを象徴する舞楽の道具が、散りばめられている。笛と笙に使われている竹の小さな節も、丁寧に織りで表現される。笙の吸い口に当たる丸い匏(ほう)の部分には、金糸を使って豪華さを演出している。

鼓模様。古くから鳴り物として、雅楽には欠かせない道具。鼓の胴を引っ張って繋ぐ紐も、自然な曲がり姿で織られている。打つ皮の部分には、亀甲花菱のような模様があしらわれている。

琵琶模様。弦楽器の代表で、平家物語を語る時には欠かせない道具。どの楽器文も、地の渋い箔色に馴染むよう、落ち着きのある色合いで表現されている。弦一本、紐一本に対しても手を抜かない高い意識が感じられ、それが織姿からも如実に表れている。

小桜模様。カルタ文のモチーフの間に入っている小桜模様が、図案全体のアクセントとなり、その優美さを高めているように思われる。紫紘の桜文は、どの帯の図案を見ても優美で趣きがある。花弁や葉姿は、織りとは思えないリアルさを感じる。優雅な宮廷調度品を引き立てる花は、やはりにっぽんの花・桜以外にはあるまい。

 

密度の高い図案と多種多様な箔糸や色糸。そして複雑にして巧妙な織組織。美意識の高い精緻な帯は、図案、素材、織り技術が三位一体とならなければ生まれてこない。一つ一つのモチーフに対して、きめ細かな視点を持たなければ、とてもこんな帯姿にはならないのである。

そしてそもそも、「図案を構成する力」が無ければ、人の目を引きつける帯は生まれない。作り手に文様に対する深い知識・認識が無ければ、今回のようなテーマを掘り起こして、それを帯意匠として使うことは無かっただろう。いくら高い技術があっても、それを生かす図案を描くことが出来なければ、それは絵にかいた餅になってしまう。今回の帯では、改めて紫紘という織屋の技の深みを思い知らされた気がする。やはりそれは、創業者・山口伊太郎の創作に対するあくなき姿勢が、今もこの織屋の仕事を後押しているからだと思う。またいつか機会があれば、紫紘の逸品をご紹介したい。最後に、この帯に合わせた金彩友禅・黒留袖の姿をご覧頂き、今回の稿を終えることにする。

 

日本も含めて、このところの世界の潮流は、排外的ポピュリズムに席捲されているように思います。第二次大戦後、長い時間をかけて培われてきた国際的な秩序は、各国で生まれた権威主義的なポピュリスト指導者によって、崩されかかっています。この国際法を無視する横暴な指導者に対して、すでに国連は止める役割を果たせず、機能不全に陥っていると言えましょう。

「歴史の理解や解釈は自由ですが、一部の人は事実そのものを変えようとする。それは多くの人が、自国の歴史についての記憶を、恥じるより誇りたいということだと思うが、恥の要素を含む事柄について考えることこそが、真の成長に繋がる。政治的なポピュリストは、誇りだけを求める。これは幼稚であり、大人のとるべき対応ではない。まさにそれが、デマとポピュリズムが及ぼす影響なのである。」

これはドイツに台頭する極右政党・ドイツのための選択肢(AfD)の一部に、ナチス時代の自国の歴史を良く見せようとする動きがあることを憂慮した、アウシュビッツ・ビルケナウ博物館の館長ピョトル・ツィビンスキさんの言葉。排外主義、自国第一主義が渦巻く今の世界には、第二次大戦前のデジャブ・既視感があるとも述べています。

日本がこの先どのような外交政策を取り、世界と向き合っていくのか。今日の投票は、この国の未来に重要な影響を与える、いわば分岐点になるような気がします。今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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