おめでたい吉祥文様と言えば、真っ先に思い浮かぶのが松竹梅文。酷寒の中でも気高い姿を保つ三つの植物は、古来より中国では「歳寒の三友」として尊ばれていたが、日本では室町期あたりから、この三つを組合わせた文様を吉祥文・松竹梅文として、染織品や陶磁器、あるいは建築装飾等にあしらわれるようになった。
その中で、松と梅はモチーフとして分かりやすいのだが、竹の図案に関しては少し迷うところがある。それはそもそも、描かれている植物の名前が竹なのか、あるいは笹なのかということだ。竹=笹ではないような気がするが、文様的には同じに扱われている。私は図案を説明する時には、土に根ざして真っ直ぐ伸びている幹や茎は竹で、葉の部分を笹と仕訳けているのだが、これで正しいのかどうかは判らない。
そこで調べてみると、植物として竹と笹は別物ということが分った。同じイネ科に属する植物であるが、竹は、幹に当たるタケノコの皮の部分は成長とともに落ち、一つの節から伸びる枝は二本。一方の笹は皮は落ちずに残り、枝は三本以上伸びる。また竹は寒い場所で育たず、笹は寒さに負けない。考えてみれば、北海道の原野でよく見かける背の低い笹は「クマザサ」と呼ばれている。
ということで、植物としてこの二つを厳密に考えるのならば、描かれている姿で、文様の名前を松竹梅文と松笹梅文に分けなければならないが、現実にはそんな面倒なことになっていない。ただ松竹梅という文様を離れ、笹文・竹文と単独の文様で考えれば、葉だけを意匠化したものが笹文、上に伸びる幹の意匠を竹文と区別するのが一般的。但しそれでも、その区分はあまりはっきりしてはいない。
かように紛らわしい笹と竹は、似て非なる図案の代表格と言えそうだが、実はキモノのアイテムの中にも、用途や図案配置が同じながら、品物の形状が違うという「似て非なる品物」がある。それが皆様ご存じの通り、付下げと訪問着。どちらもフォーマルモノであり、装う場面もほぼ同じ。けれども付下げは丸巻(反物)で、訪問着は仮絵羽(キモノの形)になっている。
そしてこの二つ、模様あしらいにより、フォーマル度が強くなったり弱くなったりする。一般的にはその意匠の姿から、付下げより訪問着の方が格上とされているが、そうと決めつけることは出来ない。そこで今年最初のコーディネートとして、訪問着でも模様が少なく、あまり仰々しさを感じさせない「付下げ的な品物」を取り上げ、個性的な初春のフォーマル姿を演出してみる。キモノもさることながら、合わせる帯によってフォーマル性が高低することも、ご覧頂きたい。
(縹色地 市松取四季花模様・訪問着 白地 流水に宝尽し文様・袋帯)
付下げと訪問着の違いは何かと問われた時、まずは先述したように、商品としての形状の違いが挙げられる。付下げは反物で、訪問着は絵羽付けである。かなり以前のブログ稿で、この違いについて説明しているが、この形状が模様姿の違いに直結するので、改めて少し触れてみたい。
そもそもではあるが、訪問着はまず白生地を仮絵羽(キモノの形に仮縫いした形)にしてから、下絵を描いて模様とする。一方付下げでは、反物の状態で模様を描いていく。この違いは図案に何をもたらすかと言えば、まず訪問着の場合には、キモノの形状を見ながら模様付けするので、前身頃から後身頃へ、そして衿から胸、袖へと模様を繋げて描きやすくなり、従って全体を見渡した時に統一感のとれた意匠となる。故にそれが華やかで量感のある模様となって、フォーマル感あふれた姿を醸し出すことに繋がる。
それが反物のままで模様付けする付下げでは、全体に模様を繋ぐという意識が持ちにくくなり、各々の図案が分離しやすい傾向は否めない。つまり、あっさりとおとなしい意匠になるということ。これは、華やかな印象を持たせる訪問着とは対照的に、上品で慎ましやかな着姿を演出することになる。
けれども、これも先述したように、訪問着であれば何でも華麗で、付下げであればいずれも控えめということも無い。訪問着でもあっさりとした意匠があり、付下げでも模様が際立つものもある。嵩のある柄の付下げは、反物を裁って絵羽付けにすれば、訪問着と見間違うような品物になる。つまり付下げと訪問着の柄においては、はっきりとした境目が無いことになる。絵羽付けになっていても、付下げ的な品物があり、反物になっていても、訪問着的な品物があるのだ。
模様の嵩が品物各々で違うことを考えれば、訪問着と付下げに垣根は無いように思われるが、その違いが僅かに表れる箇所が、キモノの中に残されている。もちろん、装い姿の中心となる上前から衽、そして後身頃へと繋がるのは、模様の嵩に関わらず同じ。けれども、衿と胸の模様の付け方では、訪問着と付下げの違いが見出せる。特に特徴的なのが、付下げには衿に模様は無く無地のままで、胸の図案だけがぽつんと置かれていること。それが訪問着になると、衿に模様があって、これが胸の図案と繋がっているケースが多く、中には袖の柄にまで続いていることもある。この衿模様の有無と胸への繋がりの有無が、付下げと訪問着を仕訳ける決定的なポイントと言えるかも知れない。
そこで今日取り上げる品物になるのだが、それは訪問着として模様の嵩が少なく、全体として柄が連動していない、いわゆる「付下げ的な訪問着」である。このさりげない訪問着を、帯によって少しフォーマル感を高めた姿にしてみたい。ではいつものように、各々の品物の説明をした後で、コーディネート姿をお目に掛けることにしよう。
(一越 縹色地 市松取四季花模様 型友禅訪問着・トキワ商事)
仮絵羽の状態で商品になっている振袖、黒・色留袖や訪問着、また反物で店の棚に並ぶ付下げと、このいずれのフォーマルモノも、その模様付けの原型を辿ると、江戸期の小袖に行き着く。小袖の源流は、平安期の上流階級が礼服の大袖の下に身に付けた下着であるが、鎌倉期になって公家や武家装束の表着として使われるようになる。そして桃山期には、人々の生活に密着した衣服のほとんどが小袖となり、江戸元禄期にかけて、生地や加飾技法、あるいはその意匠など時代ごとに変化しつつも、一定の形式に辿り着いた。そして明治期になるまで、折々の流行を織り込みばがら、人々の装いにおいて長く主役の座を務めてきたのだ。そのような歴史的経緯もあって、小袖は「着るモノ=きもの」という言葉に置き換えられたのである。
少し話が逸れたが、江戸時代初期の小袖意匠は、生地全体に模様が行き渡るような、いわゆる「総模様」の華麗な姿が目立ったが、中期以降は、帯幅が広がったことに伴って、模様を腰や裾の部分に限定して置くようになる。そして裾からの模様位置の高さにより、それぞれを八寸・五寸・三寸模様と呼び、模様が低い位置にあるものは年配向、逆に高い位置にあるものを若向とするようになった。これが江戸期を発祥とする「裾模様」の定義である。
この訪問着の裾模様は、裾から1尺6寸上がったところから始まっている。装う方が小柄だと、高い位置にあしらわれる模様が隠れてしまうこともあるので、誂える時には少し注意が必要になる。模様が入る四角と無地場の四角を交互に並べた、いわゆる市松文形式に模られて意匠化されており、上前衽から身頃、そして裾の低い位置で後身頃へと流れている。
かくかくした市松模様は、その名前が江戸の歌舞伎役者・佐野川市松が好んで舞台衣装に使ったことに由来するだけに、どことなく小粋な雰囲気が伺える。しかも、四角の大きさが一定ではなく、一部は横長の長方形になっている。こんな工夫が、単調になりがちな幾何学図案を面白くさせている。
四角い格子の中には、梅や牡丹、桜に菊など春秋の花々が描かれている。その描き方も、大きさや花姿の切り取り方を変えており、また画像で判るように、一部の四角は染疋田の施しがなされている。一見単純に見える何気ない意匠でも、細部を見れば行き届いた工夫の跡が見られる。
露芝と菊を描いた箇所を拡大してみた。輪郭の糸目に金線描きを使い、中に細かく金を蒔いた振り金砂子を使っている。
模様中心の上前身頃でも、一番目立つところに置かれた楓図案。白い地から、金加工で表現された楓葉と雲が浮き立っている。
衿から胸、袖にかけての模様配置。訪問着の特徴でもある、衿と胸の模様の繋がりが見られる。一つ一つの模様が小さく、全体には繋がりを欠く意匠であるものの、衿と胸の境に縫い目があり、菊の四角がそこをまたいでいる。そしてそれが、胸にあしらわれた四角の染疋田に繋がる。一見すれば、付下げのような意匠だが、衿は無地になっておらず、そこには「微かな訪問着らしさ」が覗いている。
しかし前を合わせてみると、意外に市松模様が着姿の前に出ている。もしかしたら、「付下げ的なキモノ」ではなく、訪問着本来の姿かも知れない。仮絵羽の場合には、こうして前姿を簡単に合わせることが出来るので、着姿が想像しやすい。これが反物になっている付下げだと、柄位置を合わせなければならず、少し厄介な作業になる。それでは、この個性的な市松取訪問着にどのような帯が相応しいのか、フォーマル度を高めることを意識しながら、帯選びをしてみよう。
(白地 流水に小袖宝尽し文様 袋帯・紫紘)
すっきりとした白い地の中で、ゆるやかに流れる水。この水の中で織り込まれているのが、縁起文の代表・宝尽し文様。富や福をもたらす小道具、七つの宝玉・七宝や仏教で吉祥を示す法具や荘厳具・八宝が散りばめられている。模様の織色はどれも優しく、清々しい白地帯の雰囲気に適っている。飛び切り目立つ帯姿ではないが、この古典的な流水文と宝尽文の組み合わせによって、格調の高さが印象付けられている。
小さなモチーフを一つ一つ、沢山の色糸を使って丁寧に織りなす。他ではみられない「模様のきめの細かさ」が、紫紘帯の特徴。一越一越、熟練した職人の手で織り込まれていることが、模様の織姿に滲み出ている。その図案には、丁子や分銅、腰蓑や宝珠の「宝尽し流水」だけではなく、亀甲花菱流水や松竹梅流水、そして鼓や琴を用いた雅楽器流水も見える。紫紘はこの帯の名前を「小袖宝尽し文」と名付けているが、いずれのモチーフも、江戸小袖の中でよく見受けられるものばかりということなのだろう。それにしても、地から浮き上がった小さな図案の織姿は美しい。
六通の帯なので、お太鼓に出す模様を少し変えることが出来る。つまり時々で、帯の水の流れが変わるということ。動きのある流水文を生かして、帯の雰囲気を変えてみる。即ち、それで装いの印象も変わる。こうしてお太鼓を作ってみると、やはり古典を感じさせる意匠。織色が控えめなので重々しくは無いものの、フォーマル度は高い。では、市松文訪問着と合わせるとどうなるか、試してみよう。
市松を基本とする訪問着は、四角が連なる形から、全体的に硬さが感じられる模様だが、帯の柔らかな水の流れが、それを宥めている。キモノと帯の模様あしらいが対照的なので、それ故にバランスが取れている。優しく格式のある帯姿が、少しカジュアルな感じを受ける市松訪問着の格を上げている。
地空き部分が目立つ訪問着なので、装いの印象は、帯の雰囲気に左右されやすい。とりわけ模様に嵩があり、フォーマル感が強く前に出る訪問着の場合は、影響を受けることはあまりないが、付下げ感覚の訪問着では往々にして帯で格調が変わる。
前を合わせてみると、帯の水の流れがお太鼓の時と違って、渦を巻いたように見える。お宝や松竹梅や楽器がぐるぐると廻って、立体的な帯姿になる。装いの前姿はモダンで、後姿はきっちりとした感じに映る。よどみなく動く水の流れ・流水文ならではの、面白い変化であろう。
すっきりと帯の前姿を見せるために、あえて小物の色を目立たせないようにしてみた。ここでインパクトのある帯〆を使うと、帯の優しさを壊してしまう気がしたので。帯〆は白とピンク、帯揚げは淡い三色暈しで上品さを前に出す試み。(冠組帯〆・龍工房 三色鱗暈し帯揚げ・加藤萬)
今年最初のコーディネートなので、市松文と宝尽し文を使って、個性が際立つフォーマル姿を演出してみた。キモノで表現される各々の意匠は、合わせる帯により、装いの表情が変わる。いや、それは変えられると言った方が良いだろう。キモノはキモノだけで成り立たず、帯は帯だけでは成り立たない。この二つを組合わせて装いの姿とするには、それぞれを選ぶ理由がある。そしてフォーマルにはフォーマルの、カジュアルにはカジュアルの、各々で違うコーディネートの視点がある。
「何を根拠として、このキモノと帯と小物を合わせたのか」。これを心掛けながら、今年もまたコーディネートの稿を書いていこうと思う。品物は季節に沿うモチーフを使い、そして出来るだけアイテムが偏らないように。どうぞ皆様も、変わらずお付き合いのほどを。では最後にもう一度、今日ご紹介した品物をご覧頂こう。
「似て、非なるモノ」とは、一見すれば同じように見えるが、中身は全然違うモノ。その意味するところは、「本来あるべき姿には、なっていないモノ」ということになるのでしょう。今そんな「非なるモノ」が市場を席巻しているのが、呉服の世界です。
人の手で描かれたり、型を起こしてきたキモノが、ほとんどインクジェット染を始めとする「工業品」に成り代わっています。多くの人は、装い姿を見ただけでは、その品物がどのように作られているのか判りません。非なるモノが増えすぎて、正しきモノを見たことも無いという方が沢山おられるというのが、現状かと思います。
その場限りの装いでは、どうしても「形になっていれば、それで良し」となりがちで、品物の本質を見極めるところには、なかなか至りません。今の商いの姿では、それは無理からぬことであり、咎めることは出来ないでしょう。けれども、「非なるモノ」しか残らないというのは、染織の本質を捨てたことになります。大げさかも知れませんが、それは、これまで日本人が育んできた「魂の喪失」とも言えるのではないでしょうか。
今日も、長い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。