バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

形骸化を容認できるか(1) 和裁職人存亡の危機(前編)

2015.03 22

日本の食糧自給率は、39%。1965(昭和40)年には、約73%だったことを考えれば、この50年間でおよそ半減したことになる。

日本人の食生活の変化や、農産物の輸入自由化の流れ、また国内農業従事者の減少など、様々な要因はあるだろう。豆類・油・小麦などは、ほぼ外国産に頼り、肉や魚も半数は輸入品である。

現在、批准にむけて交渉が進められているTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)において、日本の農業分野における例外品(米を始めとして)がどれくらい認められるのか、極めて不透明だが、ほとんどの品目で関税が撤廃されることは間違いない。とすれば、自給率も今より下がることは避けられまい。

 

輸入に頼るのは、食糧ばかりではない。呉服業界たりとて、外国頼みのところに変わりはない。現在、キモノや帯の原料となる生糸や絹糸そのものも、ほぼ全てといっていいほど、中国をはじめとする海外からの輸入である。

明治後期から大正にかけて、日本は世界における最大の生糸供給国であった。特にアメリカに対する輸出量は桁外れに多く、当時の生糸輸出は、最も多い時で75%が対米向け。それは、蚕糸業を始めとする繊維産業が、外貨を稼ぐための花形産業であり、当時日本経済の牽引役を務めていたことに他ならない。今で言えば自動車産業にあたるだろうか。

2008(平成18)年に農林水産省でまとめられた、「蚕糸業をめぐる現状」を読むと、その推移の激しさに驚かされる。繭を生産する養蚕農家の数は、最盛期が1929(昭和4)年の221万戸、2007(平成17)年で1591戸。ピーク時のわずか0,0007%である。繭の生産量は、40万tに対し、626tで0,0015%、生糸生産量は73万俵(1俵=60kg)に対し2500俵あまりで0,0034%。

国内での原糸(生糸と絹糸)需給を見てみると、総供給量55000俵に対して、輸入が51000俵(生糸23000・絹糸28000)で、国内生産が4000俵(平成17年調査)。おそらく、国内産の比率は、現在もっと下がっていると思われる。

養蚕農家が激減した理由の一つが、安い海外産の繭が輸入されたから、いわゆる価格競争の激化であったのだが、現在の生糸の価格を見てみると、これが全く当てはまらない。1997(平成7)年、生糸価格は1kgに付き、国内産は6938円、輸入物は2976円であったものが、10年後の2007(平成17)年になると、国内産が3281円、輸入物が3122円と、拮抗している。つまり、国内産も輸入品も生糸価格はほぼ同じなのだ。

なぜこうなってしまったのか、もちろん外国生糸の質が上がったのも一因だが、最も大きな理由は、あまりにも国産生糸が少なくなったために、独自に価格を形成する力そのものが、消失してしまったからである。

 

呉服業にとって、外国頼みの話をすればキリがない。原材料の糸の現状一つをとっても、このように長々と話さなければならなくなる(まだ全然足らないが)。現代呉服屋事情のカテゴリーで、これから何回かに分けてお話させて頂くのは、「形骸化」についてである。

国内から海外へと生産や加工の現場が離れていくことで、呉服屋を取り巻く環境はどのように変わるのか。また、消費者の意識の変化により、品物の質はどう変わるのか。もしかしたら、形は同じでも、本質はまったく違うようなことになりはしないか。

呉服を扱う者が、時代と共に変わり行くことをどのように受け入れ、何を守っていくのか、それを少し考えてみたい。

 

呉服屋の外国頼みで、ここ数年もっとも顕著になっているのが、製品の加工。つまり仕立てだ。すでに20年ほど前から、海外に現地の仕立工場を作り、日本から品物を持ち出しては加工し、また戻すという「海外仕立」の方式が始まっていた。

日本の民族衣装たるキモノを、外国人が仕立てる。考えてみれば、何とも不可思議な現象である。なぜ、このようになったのだろうか。まず最初にその原因を探り、後から海外加工における問題点や、日本の職人達へ及ぼす影響など、様々なことを考えてみることにしよう。

これは、傍から見れば、キモノの形として同じように見えても、その中身はどうなのか、まさに「形骸化」を容認できるか、という所に行き着くはずだ。

 

海外で仕立をするということは、国内にいる職人に仕事が回らなくなる。誰が考えてもわかる話である。長い間、呉服店や百貨店では、自分の抱えている和裁士(デパートやNCなど大量に仕事を受けるところは、和裁会社)に仕事を依頼し続けてきた。

それがどうして海外へ持ち出すようになったのだろうか。第一の要因は、何といってもコストの削減にあるのだろう。良心的な店で考えれば、職人達へ支払う工賃を少しでも抑えることで、消費者の負担も少なくする。つまりは仕立て代を安く提示出来ると考えてのことだろう。

だがそういう店ばかりではない。消費者から頂く仕立て代と職人に払う工賃の差額(口銭)割合を増やすため(つまりは儲け分を増やすため)に、安い海外仕立を受け入れるようなところも見受けられる。

特に仕立て代も何も込みで価格設定されているセット販売の「振袖屋」などは、消費者に品物別の仕立て代金など提示していないのだから、仕立や加工に関わるコストを下げようとする。安ければ安いほど利益が上がる仕組みになっている。

 

もう一つは、職人とのやり取りの煩雑さを無くして、仕事を効率化することだろう。海外へ仕立てを出すといっても、それぞれの店から直接現地へ品物を送る訳ではない。そもそも現地工場を経営しているのは、日本の縫製(仕立)会社である。店で売った商品に客の寸法表を添付し、国内にあるこの会社へ送られ、そこから一括して現地へと運ばれる。

海外で仕立てられた品物の検品や検針等も、この会社が請け負ってくれ、品物を出しさえすれば、後は仕上がるのを待つばかりとなり、その間の仕事は全てお任せとなる。言い方は悪いが「丸投げ」だ。

また、海外へ出さずとも、国内でも職人の手を通さずに仕立がなされている。いわゆる「ハイテクミシン」による仕立である。和裁専用に開発されたもので、「ぐし縫い」までも施すことの出来るような代物である。このミシンを使って大量に仕立物を請け負っている会社が、国内に幾つも存在する。

 

では、価格にどれほどの差があるのか、少し調べてみた。小紋の仕立て代を例にとって比較してみよう。店によって価格に多少のバラツキはあるものの、海外仕立、ハイテクミシンともに15000円前後が多い。これが和裁職人の手縫いになると20000~25000円以上で、3割~5割ほど高い。振袖や黒留袖など、フォーマルの柄合わせモノだと、価格差はもう少し広がる。

この価格は消費者に提示されているもので、依頼する店がどのくらいの工賃を払っているのかわからない。お客様から頂いた仕立て代15000円のうち、店が縫製会社へ払う実際の工賃はどれほどなのか。

コスト削減ということで考えれば、この差額が職人に払う賃金と比べて大きいのではないだろうか。仕立て代15000円の小紋を、和裁職人に13000円の工賃で依頼したら、差額は2000円。これが海外に出すことで10000円となり、差額は5000円。職人へ出すより3000円、店の口銭が増えることになる。例えて言えば、こういうことだ。

今まで密接に繋がって来た職人の仕事を取り上げてまで、海外やミシン仕立に移行するのは、このような金銭的なことに大きな要因があると思われる。もちろん、消費者が少しでもキモノを求めやすくするために、単純に仕立て代が下げられるという理由で、海外仕立に移行する店もあるだろうが、それに伴うリスクを考えれば、首をかしげたくなることが多い。

 

(品物には、寸法と職人先を記した「仕立伝票」が付けられ、和裁職人に渡される)

私は、仕立モノを出す時には、かならず職人に手渡しして、注意事項を伝える。もちろん寸法は伝票に記載してあるが、お客様の体型や着方などを詳しく話しておく。そうしておくと、職人自身が仕立に注意を払うことが出来る。職人は実際にお客様の姿を見ていないので、呉服屋が伝える他はない。

また、仕立てをしている最中の、職人から連絡が入ることもよくある。お客様の身巾の寸法に柄が合わなかったり、反物そのものにしみやキズを見つけた時などである。洗張りした古いモノを仕立て直すときなど、裏地が足りないなどと言ってくることもしょっちゅうだ。

だから、職人と密接な関係になっていなければ、大変困る。品物そのものが、連絡を取るのに苦労するような場所に行ってしまったり、自分の知らない人間が扱っていたりすることは、どうしても考えられないのだ。もし、そんな事態が起こったら、不安で仕方がない。

安心して仕事を任すことができる職人が傍にいるからこそ、お客様の大切なキモノの仕立を請け負うことが出来る。品物や消費者に対する責任ということを考えれば、自分の目の届かないところで仕事がなされることは、どうしてもリスクが付きまとうように思える。

 

しかし、これだけ海外仕立やミシン縫製会社へ仕立を依頼する店が増えたということは、任せて安心できるだけの技術が伴ったということなのだろうか。それとも仕立のわかるお客様が少なくなったということなのだろうか。

キモノが日常着として使われなくなってから、自分でキモノを着ることが出来る方は激減した。それに伴い、自分の寸法や、着やすい仕立にこだわる方も減った。つまりは、大多数の人が仕立の技術というものが、わからないものになってしまった。微細な寸法の狂いや、柄合わせ、表と裏の馴染みなども、問題化しなくなってしまう。

昔ならば、お客様の目というものに、もっと畏怖があったはずだ。だからこそ、自分の目の行き届く、信頼できる職人でなければ、とても安心して仕立を任せることは出来なかった。このリスクが無くなったことも、職人から仕事を取り上げた一つの要因ではないだろうか。

 

つまりは、お客様目線からみた仕立技術のハードルが、下がったということになる。着る人が、とりあえず着ることに問題のないような仕立=形さえ整っていれば、それでよくなってしまったのだ。特に、キモノにほとんど馴染みのない若い方が使う振袖などでは、なおこの傾向が強い。振袖屋にしてみれば、願ったりかなったりで、安い工賃で仕上がる方へ流れていくのは、当然のことであろう。

こうした仕立の形骸化により、和裁職人の仕事は激減した。さらに、職人の高齢化と若い担い手が見つからないことが追い討ちをかける。日本和裁士会の会員数は、昨年度で全国に1351人しかいない。すでに土俵際に追い詰められていて、10年後には、手縫いでのキモノ仕立を頼みたくても、職人を見つけることがかなり難しくなることは、容易に想像出来る。

では近い将来、キモノの仕立が海外仕立やミシン仕立だけになっても良いのか、もし職人が枯渇したら、どんな問題が出てくるのか、そのあたりのことを後編で考えたい。

 

海外の仕立工場は、最初中国、次にベトナム、最近はカンボジアだそうです。それぞれ現地の人に縫製技術を教え、袖、身頃、衿など部分別に切り分け、分業で仕事がされています。

仕事に関しては大変熱心であり、技術を身につけるのも早いようです。カンボジア職人の工賃は、月給で15000円ほど。これでも国内では恵まれた賃金になっています。人件費がこれほど安いのですから、現地工場の建設費や品物の輸送費などを考慮しても、縫製会社に十分利益は残るはずです。

とても、日本の工賃と比較出来るものではなく、単純に安さを考えれば海外仕立への流れを止められるものではありません。

しかし、親方の下で修行し、苦労して技術を磨き上げた日本の職人でなければ、仕立てを任せることは出来ないような仕事は、多く残っています。もとより、キモノは日本の民族衣装として長い歴史があり、その良さを知る日本人だからこそ出来る仕立の手仕事があるように思います。

職人存亡の瀬戸際に立つ今、呉服屋はもう一度原点に戻り、考えなければならないはずです。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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