初対面の時、相当怪しかったらしい。風貌奇怪にして、年齢不詳。何を生業にしている人物なのか、想像も付かない。今まで、出会ったこともないような人。どちらかと言えば、あまり関わりを持ちたくない類。
沢山の偶然の重なりの末、ある人を介して家内と出会った。バイク呉服屋23歳、家内は21歳。大学4年生と2年生の初夏のことだ。私への第一印象は、冒頭に書いた通りである。もちろん、将来の伴侶になるなどとは、想像も付かなかったようだ(想像したくもないこと、と言い換えたほうが良いかも)。
もちろん私も、大人しくて真面目そうな女性という印象しか持たず、この後、特にこの女性と関わることはないだろうと思っていた。しかし数年後、思いもかけない事が契機になり、距離が縮る。詳しい話は出来ないが、紆余曲折の末、最初の出会いから6年後にパートナーとなった。
私は、自分の経験から、人と人が出会うことには、何か不思議な力が左右しているように感じる。自分の力では、どうにもならないことが介在しているということ。縁(えにし)とは、運命(さだめ)なのだと。こう書けば、何かを信仰しているように思われるかもしれないが、私自身には全く宗教心というものがない。
家内にとって、この縁が吉だったのか、凶だったのかわからない。黙して語らず、「コメントはさし控えさせて頂きます」とのことである。
今日は縁あって、怪しいバイク呉服屋の女房になった家内の仕事着を、久しぶりに紹介してみよう。
(鬼シボちりめん栗山紅型長羽織・藍地椿模様大島紬・山吹色無地名古屋帯)
真冬になれば、キモノだけではいかにも寒々しい。もちろん家内がバイクに乗るようなことはないが(店までの通勤は、私がバイクで、家内は車)、外へ用事を足しに行くときには、どうしても上に羽織るものが欲しくなる。その上、甲府は寒い。結婚したばかりの頃、東京との温度差に驚いていたものだ。
羽織は、道行コートと違って、室内に入っても脱ぐ必要はない。店内に暖房は入ってるが、着脱の手間もなく、着たまま一日を過ごすことが出来る。また、家内の仕事着のほとんどが、紬を中心とした織物類。それも、どちらかと言えば地味めな地色のモノが多いので、羽織の模様で着姿にアクセントを付けようとする。
家内の身長は166cm。背の大きな人なので、短い丈の羽織では着姿がアンバランスになる。もちろん、戦前の羽織のような、長い丈へのあこがれもあった。丈の寸法は2尺6寸。丁度、膝の後ろ・ふくらはぎのやや上あたりに、羽織の下端がくるような感じで仕立ててある。
長羽織なので、小紋の着尺生地から作ったもの。丈の短い道行コートや羽織ならば、羽尺(はじゃく)地と呼ばれる尺の短い反物(2丈6尺程度)で作ることが出来るが、長い丈にするならば、最低でも3丈以上の反物の長さを必要とする。(背が高く、羽織丈が長い人ならば、長さがもう少し必要になる) この反物は3丈4尺以上あったので、十分の長さだ。
戦後から昭和40年代までは、羽織の丈が短いものが流行しており、ほとんどの羽織が、尺の短い羽尺地で作られていた。中には、一反の着尺地から二枚の羽織を作るようなこともあった(このような羽織を半反羽織と言う)が、この時の羽織丈は2尺前後と、大変短いものだった。
この小紋は、京都の栗山工房で作られた京紅型小紋。先月のコーディネート(1.21の稿)で、同じ栗山工房の紅型振袖をご紹介したが、模様の付け方や挿し色も違い、同じ紅型といっても全く雰囲気が違う。
生地は、ぽってりとした大きいシボのある縮緬。地色は薄墨色で大変地味な色だが、散りばめられている模様は大胆。梅・橘・鉄線・楓という四種の大小の花で表現されている。挿し色の基調は、藍や紺系なのだが、わずかに黄や茜が使われ、所々に施された型染め疋田がアクセントになっている。
この小紋は着尺分の長さがあるので、もちろんキモノとしても使うことが出来るが、家内が使うとすれば羽織にするしかない。キモノで使うには、すこし派手すぎるだろう。このように、キモノにするには派手だが、羽織なら使うことが出来るようなモノがある。羽織の場合、年齢的には大胆な柄でも、使い回すことが出来る。
家内が実家から持ってきた、藍地の大島紬。ということはすでに30年近く前の品物だ。7マルキほどの経緯絣で、錆朱色の椿の花模様。派手といえば派手だが、着ることを憚るような柄でもない。仕事着として使うのだから、あまり気にすることはないだろう。もともと、どちらかと言えば、地味なものは似合わず、大柄の方が映りが良い。やはり、身長が高いからだろうか。
この帯も若い頃のもの。山吹色一色という、あまりにクセのある帯だったので、長い間店の棚に残っていた品である。織ったのは紫紘。昭和50年代の品物だが、帯そのものは軽くしなやかで、とても締めやすいらしい。紫紘の帯としては、珍しい無地モノ。
羽織を着てしまえば、前に見える帯部分はほんの少しである。だから、このようにクセのある鮮やかな色の無地帯を使うことが出来る。キモノが日常着だった昔、羽織の下には、名古屋帯ではなく、半巾帯を使う方が大勢いた。
前から写した着姿。少し派手な椿模様の大島と大胆な色の無地帯も、見える範囲が狭ければ気にはならない。むしろ地味なものよりも映りは良いと思われる。帯〆と帯揚げは、キモノの椿の色と同じ系統の艶紅(つやべに)色が入ったもの。羽織紐はごく薄い鶸色。なお、羽織の裏地は胡桃地色に瓢箪の柄。
これは、数日前の合わせ。ごく薄い紫の紬小紋のキモノと、前回の合わせにも登場したエジプト模様の紬地の帯。この羽織の地色・薄墨色は、一緒に使うキモノの地色を選ばない。今日着ているような濃い色でも、上のような薄地色のものでも合わせることが出来、使い勝手の良い色と言えよう。
羽織を近接して写してみると、生地のシボ感がよく出ている。織りのキモノにゆったりと着る長羽織の風合いが、見て取れるのではないだろうか。
私も家内も血液型はB型。ついでに3人の娘達もみんなB型。一家5人全員がB型という家も珍しい。他人にこれを話すと大体笑われます。鉛筆でも「5B」というのは、普段ほとんど使うことのない濃さの代物。よって、かなり「キワモノの家」ということが言えましょう。
オールBの家庭は、良く言えば自由で、悪く言えばバラバラ。みんな干渉されることを嫌うので、自分の好き勝手に生きようとします。また、物事を楽観的に考えるのが特徴で、要するにノー天気ということになるでしょう。
家内は本当に真面目な性格ですが、思い詰めるということはなく、最後はどうにかなると思っているフシが見てとれます。私は、最初から何も考えず、常に「出たとこ勝負」状態。これでは、娘達が気ままになるはずです。
そんな家庭の現状を家内が顧みて一言。「掛け合わせたDNAが悪かった」。怪しいと感じた第一印象は、やはりその通りでしたね。ご生憎様、もうやり直しは効きません。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。