バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

成人の日を問う(後編) 式典は変わるのか? 本当に必要なのか? 

2015.02 08

先週の金曜日、公職選挙法改正に関する法案を今の国会に提出することが、与野党6党で合意された。これは、選挙権を18歳以上に引き下げること、いわば参政権を下げることを目途にしている。

成立することは確実で、次の参議院選挙(来年)から実施されるであろう。終戦直後の1945(昭和20)年、男子が25歳から20歳に引き下げられ、同時に女子に選挙権が与えられて以来、70年ぶりとなる改正である。

ほとんどの国では、18歳以上に選挙権があり、遅すぎた改革と言えよう。これにより、憲法改正の是非を問う国民投票法の投票権も、18歳以上となる(法律では、18歳以上となっているが、選挙権が与えられるまでは、20歳以上とすることになっていた)

この改正で、どれほどの若者が投票所へ足を運ぶかはわからない。しかし、国の浮沈を担っているのは若い人たちである。少子高齢化が進む日本の未来像をどのように描くのか、それには若者の意見を聞く必要がある。世代間格差が叫ばれる今、その差をどのようにして埋めるか考えるには、我々年配者と若者が相互に意見を交わす必要があるだろう。

この国はこの先、「何とかなるだろう」と他人事のように済ませていられない。年金・医療・介護などの社会保障制度しかり、国が抱える莫大な借金しかり、である。また国家が主導する国にするのか、それとも国民が主導する国になるのか、という国の根幹をなすところを考えていかなければならない。いずれも、数十年後には、今の若者達に否応なくふりかかる問題ばかりだ。

 

選挙権は引き下げられるが、大人として扱われる年齢は変わるのだろうか。新成人年齢が、今の20歳から18歳に下がれば、それにより成人の日の式典そのものも、変わるかも知れない。前回、このテーマでは式典の現状をお話したが、今日は、その未来像を探ってみたい。

 

一ヶ月前に、主催自治体から新成人に発送される案内状。

成人の日の式典を主催する自治体(主に市町村の教育委員会等)でも、形骸化する式とその問題点については、ある程度把握している。式典の意義は、この日を境に、新成人が社会的な責任を自覚して、大人として行動する契機になるような儀式にするということだ。しかし現状は、ほとんどその意義を自覚させるものにはなっていない。目的と現実がかなり乖離している。

主催者側でも、何とかこの現状を変えようとして、様々な試みをする。中には式典の存続そのものを考え直すようなところもある。

 

2004(平成16)年、成人の日のあり方を検討し直そうと、市民の意識調査を実施した自治体がある。調査を行ったのは、横浜市である。この結果からは、様々な課題や問題点、さらに世代間で意識の差があることなども見えてくる。これをご紹介しながら、話を進めていくことにしよう。

 

この調査は、高校生から60代までの2400人余りを対象にして行われた。まず、成人式にどんなイメージを持っているかを聞いている。「大人になったことを自覚する日」が37.1%、「新成人を励ます行事」が20.2%。この二つを挙げた世代は30代以上が多い。さらに、「スーツや晴れ着を着て一堂に会する行事」が15.9%、「友人と再会出来る同窓会のようなもの」が15.6%。新成人や未成年の3割ほどが、この二つ。「新成人が集まって騒ぐだけのもの」も7.2%。これは式の現状に否定的な人である。

この調査を行った年、横浜市の成人式への参加率は約60%だった。参加した新成人に参加理由を問うている。「一生に一度なのでとりあえず参加した」というのがもっとも多く48.3%。「新成人の節目なので参加が当然」は23%。「友人に会いたかった」が18.9%。

この二つの結果からわかることは、年配者は、式典を新成人の自覚を促すもの=「建前」で考えているが、若者は、衣装に身を包んで参加する同窓会のようなもの=「本音」が表れている。

つまりは、大人側と若者側で、式典そのものの捉え方が違う。これでは、主催者の思うような式にはならないだろう。

2008(平成20)年に倉敷市教育委員会が行った調査では、このことがもっと顕著に表れていて、式の参加理由が、「友人に会えるから」が、「人生の節目として参加」に対して二倍以上であった。

 

では、成人式を終えた大人たちは、式典をどう考えているか。横浜市の調査では、現状の式に参加する必要の有無を聞いている。必要は44%、不必要は55%。さらに式そのものの実施の有無に対しては、実施するが44%、廃止しても良いが46.7%。

また、今年の1月6日にYAHOOニュースで実施した意識調査(43362人)で見ても、成人式が必要と答えた人は44.9%、不必要は47.1%という結果が出ている。

双方の調査とも、式典の有無については、拮抗していて、わずかに不必要が上回っている。式への参加が不要、と考えている人の理由を横浜市の調査で見ると、「成人として自覚がなく、ただ騒いでいるだけで無意味」が59%、「成人式を節目と感じない」が14.4%、「家族や友人と祝うだけで十分」が13.7%。式典は、自分が成人になったことを意識させてくれる場ではない、と考えている人が多数存在していることが伺える。

 

横浜市では、式の現状が、「式典中の携帯電話使用、私語・雑談が多く、単なる同窓会になっていること」と認めており、これをいかに、「新成人としての自覚を促す式典」にするかが課題となっている。

他の自治体でも、主催者と新成人(公募などで採用する)が共催すること、中学校の学区ごとに小規模化して実施すること、講演会やアトラクションなどの式典以外の要素を多く取り入れることなど、試行錯誤されて挙行されてはいるが、根本的な解決には至っていない。中には、式典中の携帯使用や私語禁止をルールとして定義し、違反した者には断固たる態度を取るなどと勇ましく決めた自治体があるが、現実の場で毅然と対応することはかなり難しいようだ。

手を変え、品を変え、式典の正常化に努めても、参加する新成人は毎年変わる。自治体の方でも、とりあえず大きな混乱がなく終わってくれればそれで十分というような空気も生まれており、形骸化に歯止めをかけることは困難である。

 

さて、今まで述べてきた式典の問題は、中規模以上の都市でのこと。つまり一定以上の人数を集めて実施することで、起こってくること。先ほども中学校の学区ごとに実施することを模索していると述べたように、小規模化することで解決出来る問題が多い。

さらに、成人式の式典の日そのものを変えることも効果があると思われる。青森、秋田、新潟などの山間部の豪雪地帯などでは、お盆やゴールデンウィークに式を行うところが少なくない。これは、正月明けの第二週日曜日では、故郷へ帰省しにくいことからで、新成人がまとまった休みのとれる時に実施するという現実に即したものになっている。

 

さて式典の問題から離れて、呉服屋としての成人式の位置づけの話をしてみよう。

山形県新庄市は、お盆に成人式を実施している。新成人の女の子がどんな衣装で式に参加しているのか、注目して調べてみた。それは、真夏に振袖を着ているか否かという点である。

着ているものは、サマードレスか浴衣が大半である。振袖姿はほどんどないのは当然で、30℃を越えるような真夏の式に着れるはずもない。また、わざわざ絽の振袖をその時のためにだけ作るような人は見られない。

つまりは、この地域で振袖を作る人は、式典のためだけに作るのではないということがわかる。これは、振袖を用意する動機付けとしては、健全なものと言えよう。夏の成人式なので、振袖を購入したり、レンタルする必要がなく、親の経済的負担が少なくて済むことも、好意的に受け止められているようだ。式に参加する新成人も、衣装を気にすることなく参加できる。

成人式のコスプレ化を防ぐ手段として、夏の式は効果的だ。このような地域では、「振袖屋」的な商いの方法は通用しないだろう。都市の中には、成人式典の存続を協議している時、その地域の呉服業界や振袖を着せたいと考えている親達が、何とか続けて欲しいとこぞって要請した所もあるらしい。

親が着せたいと思えば、式典以外の場を考えるも良し、写真だけ写して残すことを考えても良し、何も式典だけを「お披露目」の場にする必要はないと思われる。

呉服業界が式の存続を望むのは、一見当然の如く思われるが、式典のためにだけキモノを用意しなければならないと考えている親たちの負担など、どこ吹く風である。どんな理由であれ、着て貰えさえすればそれで良いと思っている。これは、志の低い呉服業界の実態が透けて見えていると言わざるを得ない。本来は、式典の実施に関係なく、振袖を用意したいという親や娘さんに、どれだけのことが出来るのかを考える方が先である。

 

参政権が引き下げることで、成人年齢も18歳になり得るか。長い間、20歳という年齢で一線が引かれてきたために、簡単には行かないだろうが、いずれ変わるだろう。大人としての権利の中でもっとも重要な選挙権を与えるのだから、後の問題(刑法上のことや、酒・喫煙などのこと)も変わらざるを得ないと思われる。

そうなれば、高校3年生が大人への入り口になる。18歳で成人式となれば、現状のような日程で成人式典を行うのは、ほぼ不可能であろう。18の春は進路を決める春だ。特に1月は大学入試の直前にあたる。式典に参加したくても出来ない者が続出するだろう。成人の日そのものは、今のままでも、式典は変わるはずだ。

 

こうなれば、形式的なことなどまったく必要ない。私は、在籍する高校ごとに、18歳になった3年生を対象に、大人への自覚を促す教育をすれば良いと思う。それは、政治へ参加する選挙権のこと、大人として処罰される刑法のこと、納税者として意識すること等々。それこそ「大人として自覚しなければならないこと」をそこで教えればよい。

国の現状、例えば少子高齢化で行き詰っている社会保障制度のことや、雇用のこと、もっと大きく言えば国の考えなどを、話すべきだ。いずれは、若者の未来に関わってくることである。

現代社会や政治経済等のように、社会科の教科として知識を埋め込むのではなく、新成人ひとりひとりが、自分に降りかかってくる問題として意識されることが重要であろう。高校での話なら、今の成人式典のようにはならないはず。騒いだり、雑談をして話を聞いていない者に対して、教師ならたしなめることも出来るだろう。

小学生に道徳教育をするよりも、こちらの方が先である。そうすれば、若者の投票率も上がるだろうし、社会や自分の将来への意識も強くなると思う。

 

 

成人の日を、大人として意識させる場と考えるというような建前を貫こうとするのであれば、式典の内容や存続の有無などを考えても仕方ないと思います。それよりも、効果的に意識させるには、どのような場が相応しいのか、そのこと自体を考えるべきでしょう。

少子高齢化が進むこの国で、若者達の歩む道は決して楽ではありません。一刻も早く、現状を自覚してもらい、新しい智恵を出してもらわなければなりません。形骸化する式典の問題などで、立ち止まっているような猶予はもうあまりない気がします。

そして、成人になったら振袖云々というのは取るに足らないこと。それぞれの家庭で考えれば良い事であり、何もそれを着るための場を作る必要は全くないと思います。もともと振袖は、20歳にならなければ着ることの出来ないものではなく、16歳でも17歳でも着て良いものです。私は、一刻も早く成人年齢が18歳に下がることを願っています。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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