バイク呉服屋の忙しい日々

その他

2026年 午年の始まりとして   人の手の未来は、どこへ

2026.01 10

あけまして、おめでとうございます。皆様は、どのように年の初めを迎えられたでしょうか。今年は、かなり長く年末年始のお休みを頂いていたので、昨日9日が仕事始めになりました。遅ればせながら、本年も相変わらずよろしくお願い致します。

年を追うごとに、正月休みを長く取るようになりましたが、これも私の仕事に対する向き合い方と関りがあるようで、それは自分の負担にならないよう、無理をせずゆったりと商いを続けたいという思いの表れでもありましょう。世間の多くの呉服屋さんは、意味の乏しい「二十歳の集い用衣裳」の準備に躍起になっているので、年明け早々とても休んではいられないのでしょうが、そんなことには全く無縁なバイク呉服屋は、自由に自分勝手な行動を取ってしまいます。

さて例年年明けの稿では、年頭雑感としてとりとめのないお話をさせて頂きますが、今年は、「人の手」の未来を呉服屋の現状から考え、これからの仕事のあるべき姿を探ってみたいと思います。いつものように、年明けの店先の姿も一緒にご覧頂きながら、少しの間お付き合い下さい。

 

店先のウインド。よろけ細竹縞模様小紋・貝合わせ模様染帯・宝尽し模様型絵染帯。何れもさりげなく装えるカジュアルモノ。竹縞小紋は、筋が細いので遠目からは無地にしか見えない。江戸小紋的だが、不規則なよろけ縞なのでその分模様に柔らかみがある。貝合わせと宝尽しの帯を合わせて、新春っぽい装いに。小物も、松竹梅模様の飛絞り帯揚げと、白を基調とした三本縫い合わせの鴨川組帯〆でお目出度い気分に。

 

最近は、すっかり商いの場で「人」を見かけなくなりました。大型スーパーやドラッグストアでは日に日にセルフレジが増え、外食店ではタッチパネルでの注文と自動会計がすっかり定着しました。店によっては、注文した料理を運んでくるのも配膳ロボットなので、客は最初から最後まで店の者と誰とも話をせずに、食事を済ませることになります。やはり経営者は、人件費が経営の重荷になるので、出来るだけ人の手を減らしたいと考えるのは当然のことですし、消費者も、買いたいモノが買えれば、食べたいモノが食べられればそれで良いので、人が介在しないことをほとんど問題にしません。

この「人を必要としないシステム」が、驚くような速さで社会を席捲しています。何をするにも、何を買うのも、簡単で便利に効率的にというのが最優先されます。そして逆に、どうしても人でなければ出来ない仕事は、年々ブラック化の度合いを深めています。育児や介護、さらに医療や教育の現場では、人そのものが対象になるため、臨機応変な対応が求められます。やはり、人のことは人でなければ分かるはずはありません。こうした現場の実情は年々厳しくなり、それに従って就業者も少なくなり、人不足がさらに状況を悪化させるという、負の循環に陥っています。

そして物流に関わる仕事も、別の意味で厳しい現場と言えましょうか。モノを買う消費者は、ポチっとボタンを押すだけで良いですが、手元まで運ぶのは人間。「今日買って、明日に届く」のが当たり前だと思っていたら、それは大きな間違い。夜通しトラックを走らせるのも人、玄関先まで運ぶのも人、留守の家に何度も足を運ぶのも人です。便利な社会の陰で、苦しんでいる人がいます。それは仕事だから当然、あるいは仕方がない、などと簡単に言ってのけるのであれば、私はこの国の今を、「傲慢社会」と呼ばなければなりません。

 

人は便利になれば、すぐにそれが出来て当たり前になり、もっと便利にもっと簡単にという欲求を出すようになります。この無限とも言える要求に答え続けられることが、未来まで生き残れる企業の条件と言えましょう。AIは人々の消費動向や指向を探り、企業は新しいシステムを開発し続けますが、同時に古いモノは次々に捨てられ、それは携わってきた人や繋いできた技も、簡単に捨ててしまうことになるはずです。

未来社会において、大多数の人が不要となっても、ほんの僅かな人が有用とするならば、維持しなければならないモノがあります。民族衣装と位置付けられるキモノや帯は、その最たるモノ。しかしすでに、背景に潜む文化的価値を認める人が少なくなっており、この先正しき品物の需要も見込めないとなれば、社会はその存在を許すことはないと思います。おそらく残るのは、形だけの和装。つまりは、形骸化した姿です。そして品物は、人の手を経ない「工業製品ばかり」になるでしょう。

 

店内中央の飾り台には、落ち着いた桜地色の上に、絞りでうさぎと雪輪を描いた藤井絞の小紋を置き、紫紘の可愛い花模様の帯を合わせる。帯〆は、龍工房の若草色・冠組。

 

私は、「文化は人の手から生まれる」と信じています。江戸小紋の精緻な縞や模様には、僅かなブレや擦れがあり、その痕跡こそが型紙職人の技の証。そして型紙を繋いだ部分には、微かな筋が残り、それが型付職人の仕事の証でもあります。また、友禅の下絵描きに使われている青花は、露草の変種・大帽子花の色素を抽出し、それを和紙に塗り付けて乾燥させた「青花紙」を使っていますが、この花の色は、水で簡単に消すことが出来るため、描いては消す作業を繰り返す下絵描きには欠かせません。友禅の仕事は分業ですが、それ以前に一つ一つの仕事には欠かせない役割を持つ「道具」があり、それを作るのもまた、人の手です。友禅の下絵は消えてしまいますから、青花の存在など余程のキモノ通でなければ知る由も無いでしょう。

 

このように、染や織の中に包括されている無数の手仕事こそが、文化的な価値を持つものです。これが尊重されなくなり、現代社会から「無くなっても構わない、代用品は機械でいくらでも生産できる」と考えられてしまえば、もう未来への希望はありません。「終末時計」は、人類の絶滅時刻をその残り時間で表示したものですが、日本の染織品の終末は、すでに秒読み状態に入っており、時計の針を止めることも戻すことも、もはや不可能です。

呉服の仕事に関わる者は、各々の品物が持つ「文化的な価値」こそ、消費者に、そして社会に伝えて来なければなりませんでした。けれども、ある者は消費者の利便性だけを追求し、またある者は、モノを売りさばくことだけを考え、そしてある者は、職人の存在を無視しました。品物の質や、それに伴う人の手の価値を自ら捨ててしまったと言っても良いでしょう。これはもう、「業界の自爆行為」と呼んでも差し支えありません。しかし、こうして稿を書いている私も、自分の呉服屋人生を振り返れば、その仕事ぶりが足りていたとは到底思えず、忸怩たる思いを抱えています。

 

正面の衣桁に飾ったのは、鮮やかな緋色に連続した梅笹文だけの個性的な振袖。7年前の春、菱一が閉店する時に買い入れた良質な品物だが、未だに見初める方が現れない。振袖を売ることを、半ば諦めたような今のバイク呉服屋の商いぶりなので、仕方ないだろう。合わせた帯は、川島織物の白地に大きな七宝文。オーソドックスな図案こそが、第一礼装としての振袖には似つかわしい。

 

この先日本の染織品産地では、櫛の歯が一本ずつ抜けるように染屋や織屋が姿を消し、人の手を尽くした品物は、順次市場からその姿を消すことになります。完全に終わってしまうまでには、まだ少し時間が残されていると思いますが、いずれその時が来るでしょう。染織品の中に文化的な価値を認めて商いをすることが、難しくなる。その時、質にこだわって商いを続けてきた呉服屋は、否応なく業態を転換するか、あるいは仕事を諦めるかの選択を迫られるはずです。

但し、新しい品物は生まれなくなりますが、手を尽くした良品は、まだ手に入れることが出来るでしょう。今も、リサイクル市場やオークションサイトには、星の数ほど品物が出品されていますが、日本中の各家々の箪笥の中には、まだ数億点単位のキモノや帯が残されていると考えられています。この箪笥に眠る品物の中に、お宝が隠れているのです。品物の質をよく理解している「目利き」の消費者なら、箪笥から引き出されて出品された中古品の中から、宝を探し出せるはず。そしてそれが誂え済みの品物なら、きっと破格の値段で求めることが出来るでしょう。

本当に良い品物は、現実には無く過去に還る。何れ、そんな時代が訪れるでしょうが、その時まで染織品に文化的価値を認めた消費者がどれくらい残っているかは、判りません。質を理解し、良品を求める方がいなくなれば、たとえ中古市場に質の良いモノがあっても、見向きもされなくなります。つまりそこが、民族衣装として価値を認められるキモノや帯の終焉になりましょう。

 

壁際の五本の撞木に掛けた品物は、キモノが置賜・長井で製織された米琉絣、一元絣白大島、薄グレー地十日町絣の三点。帯二本は、藤井絞の辻が花模様絞りと型絵染作家・澤田麻衣子の染帯。何れも茶色を基調とする品物で、どことなく冬の温もりを感じる。

 

工程ごとに職人がおり、その技の積み重ねによって一枚のキモノ、一本の帯が生まれます。こうした分業システムは、染織の長い歴史の中で、その時代ごとに創意工夫を凝らして生まれたもの。なのでそう簡単に変わることでは無く、また変えられないことも沢山あります。ただそれ故に、需要の急速な減少に対応できず、時代の趨勢から完全に取り残されてしまいました。昭和末期から平成以降の生活様式の変化や、和装に対する日本人の意識の変貌を考えた時、こうなることは、ある意味で必然だったと思います。

もう事ここに至っては、ほとんど打つ手はありません。そんな中で、質を重視する専門店が出来ることは、今苦しい状況の中で、必死にモノ作りを続けている人たちの品物を、一点でも多く扱うこと。そしてその仕事のことを、自分が接するお客様に丁寧に伝えていくこと。手遅れではありますが、「良きモノとは何か」を知って頂き、その背景に潜む歴史と文化のことを、お客様の手で、少しでも未来へと繋げて頂きたい。それが、この仕事の終焉に向かう者の「最後の願い」になるのでしょう。

 

年始めの稿として、染織品の手仕事の行く末について、私感を述べさせて頂きました。もちろん、明日にも扱う品物が無くなり、店を開けられなくなるようなことはありません。けれども、昨今のモノ作りの現状を考えると、その波はひたひたと確実に押し寄せています。そしてそれは、モノ作りの現場に止まらず、モノを加工する現場=和裁や悉皆の職人仕事でも、同様の現象が起こっています。仕立て手も直し手も多くが仕事場を去り、それを補充する若い人の手はどこにも見当たりません。今僅かに残る人の手が無くなれば、それで終いになります。もしかしたら将来、「品物はあっても、誂える人がいない」という状況に陥るかもしれません。

長い時間の努力を重ねることによって、熟練した技を身に付けた職人。「この道一本で、人生を走り抜く」という決意が無ければ、とても踏み込める世界ではありません。そんな筋の通った、気骨ある生き方が出来なくなった国が、果たして豊かな国なのでしょうか。私は、暗澹たる思いで、この国の未来を見つめています。

 

お正月の稿なので、おめでたい話題をバーンと書きたいといつも思うのですが、毎年ネガティブな内容になってしまいます。それだけ染織の行く末が厳しいと認識している証左ですが、今年は特に危機意識を強く感じさせる話になってしまいました。

染織品の週末時計は、残り数秒と思われますが、世界人類の破滅までは、残り89秒。世界情勢を見れば、今年さらに短縮されるのは必至かと思われます。まさか、染織品が破滅する前に世界が破滅することは無いでしょうが、自国第一主義を掲げる指導者ばかりとなった今、何が起こるか分かりません。本当に恐ろしいことです。

ともあれ、バイク呉服屋は「健康第一主義」をもって、今年もゆったりと仕事に臨みたいと思います。今日も、最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日付から

  • 総訪問者数:2089350
  • 本日の訪問者数:564
  • 昨日の訪問者数:998

このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

ご感想・ご要望はこちらから e-mail : matsuki-gofuku@mx6.nns.ne.jp

©2026 松木呉服店 819529.com