バイク呉服屋の忙しい日々

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2025年 巳の年を送るにあたり

2025.12 28

今月12日、例年通り京都・清水寺で今年の世相を表す漢字が発表されたが、何とそれは「熊」であった。確かに秋以降、毎日のように熊による人的被害や出没情報が報道されていた。ヒグマ・ツキノワグマによる死傷者の数は、過去最悪のペース。出没件数は2万を越えて、駆除された個体も6千頭以上。特に酷いのが、北海道の道南と北東北の秋田、青森、岩手の各県で、市の繁華街や住宅密集地での出没が相次ぎ、まさに生活が脅かされる事態となった。

ここ数年、人々の生活圏での目撃が増えていたのは確かだが、ここまで酷くなるとは、誰も予想していなかっただろう。今年はエサの中心となる、ブナの実や団栗が凶作だったことを考慮しても、これほど人の居住地を闊歩するとは、まさに想定外。そして農作物や家畜の被害に止まらず、人を襲うというのだから、これは本当に危機である。

 

では、何故クマは人里に現れるようになったのか。それは単純に、エサ不足だけでは無い。一つは、地球温暖化の進行や林業の衰退により、森林環境が変化したこと。そしてもう一つは、山村の人口減少によって耕作放棄地が増えたこと。この二つの要因がリンクして、森から追い出された熊が、人前に姿を現すようになったのである。

また8月に北海道の知床・羅臼岳で登山者を襲った事故などは、無知な観光客がエサを与えたり、食べ残したゴミを放置したことで、クマが人を恐れないようになったことに大きな原因がある。ゴミに味を占めて人慣れした熊は、エサを探しに里へとやって来る。そして、簡単に人を襲う。恐ろしいのは、襲うだけでなく捕食の対象となることだ。クマは、一度人間の味を覚えると、何度もその行為を繰り返してしまう。

いずれにしても、今年起こったクマによる被害は、様々な要因が絡まり合い、長い時間を経た上で現在の環境が醸成され、起こったことである。その大部分は、人間との関りに基づくもので、結局は、人間の側に多くの責任があると言わざるを得ない。

 

クマの報道が顕著になった頃から、「ヒグマ、大丈夫ですか」とお客様やブログ読者の方から、度々メールを頂戴するようになった。皆さんは、私が毎年秋になると、ヒグマの巣窟である北海道の山野を彷徨い歩くことを承知しているので、それを心配してのことである。このブログの旅稿を読んで頂くと、その危うさは一目瞭然なので、危惧を持たれるのも無理はない。そのお心遣いには、ここで改めて感謝を申し上げたい。

言うまでも無くクマ被害は、クマに出会わなければ起こらない。元々クマは、人を恐れる臆病な動物。奥山に生息する正しいクマほど、やみくもに人は襲わない。鈴やホイッスル、あるいはラジオなどで音を鳴らして「人の存在」を知らせれば、それなりの行動をとるはず。私は、これほどクマの出没が相次いでも、山できちんと暮らすクマは、そのルールをきちんと理解していると信じている。長い間守られてきた、獣と人の境界。それは、クマも人も「除ける」ことを認識していたからこそ、出来たことである。

 

私にとって身近な存在であるクマの話なので、つい長くなってしまったが、早いもので今年最後のブログ稿になった。私としては、今年も一年間変わることなく、暖簾を下げ続けることが出来たので、もうそれだけで十分である。品物をお求め頂いた方、手直しの用事を言いつけて頂いた方、そしてこのブログを読んで頂いた大勢の皆様。その全ての方々に、感謝の他は無い。

毎年最後の稿は、その年の干支に関わる文様について、お話することにしているが、今年もその例に倣い、巳年と縁が深い図案を、品物と共にご覧頂くことにしよう。ご紹介する文様は、奇しくも厄災を「除ける」文様である。来る年には「除ける」ことで、互いの身を守れるように願いを込めたいと思う。

 

(鱗地紋 鱗暈し文様 帯揚げ・加藤萬)

今年の干支は巳だが、リアルな蛇の姿を意匠化したキモノや帯は、ほとんど見受けられない。一つ前の年の龍は、古代中国で「神獣」と崇められた空想動物で、万能の力を持つ皇帝を象徴する獣。吉祥文様として位置づけられていたので、日本でも古くから染織品の文様として根付いた。けれども蛇は、そのリアルな姿が一般受けしないこともあって、写実的に描かれることはまず無い。

だが蛇を意味する文様は、きちんと存在しており、現代の家紋や会社のロゴマークにもその姿を見ることが出来る。図案は三角形を積み重ねて、地と文を交互に繋げたもの。上の帯揚げを拡大した画像を見ると、三角に織り出された文様部分と、地空き部分の逆三角形が連続しているのが見て取れる。この三角形が、魚や蛇の鱗に良く似ていることから、鱗文と名前が付いた。

 

鱗文はすでに、古墳時代の埴輪や祭器である銅鐸の表面に描かれており、最も古い神社の一つ・大神神社(おおみわじんじゃ)の神紋にもなっている。この神社は、奈良桜井市にある大和三山の一つ・三輪山がご神体で、この山が蛇がとぐろを巻く形=巳輪山であることから、神社の紋所に鱗文を使うようになった。そして鱗文は、次第に「魔除け」を意味する文様として認識され、武具の文様となり、家の紋にも採用されることになる。鎌倉期の執権・北条氏の紋所は、この鱗文であった。

また、室町期の名物裂にも、小さな鱗文を集めて二種類の三角形を作り、これを交互に配した「針屋金襴(はりやきんらん)」や、単一の大きさの三角形を並べた「住吉緞子(すみよしどんす)」などが見受けられる。現在、この文様をそのまま社名にした燃料会社・ミツウロコ(最近では不動産業がメインらしい)や、食品輸入会社の草分け・明治屋が、この三角の鱗文を会社のロゴとして使っている。

さてそれでは、鱗文様は染織品の中でどのように意匠化されているのか、見ていくことにしよう。三角形をアレンジした幾何学図案だけに、重ねたり並べたり飛ばしたりと、様々に面白いあしらいが見られる。

 

(鱗文様 絹紅梅・新粋染)

こうして、反幅いっぱいに細かい三角形が規則的に並ぶ姿を見ると、まさに蛇か魚の鱗そのものに見えてくる。これは反物を平面に置いて写しているが、図案がまるで鱗の様に浮き上がり、立体的に見えている。ここまでリアルに鱗を感じさせる品物も珍しい。

絹紅梅ならではの透け感が、軽やかで涼し気な夏の装いを演出する。反物を拡大すると、生地表面に織りなされる格子=紅梅(勾配)の畝の姿が良く判る。この型紙の鱗模様は、三角の刃を持つ道具によって彫り抜かれたもので、江戸小紋型の道具彫りと同じ要領で製作されている。鱗文の場合、三角の羅列が細かくなればなるほど、鱗姿がリアルなものになる。型紙の精緻さが生み出したこんな鱗文こそ、古来から尊ばれた「魔除け文」の姿なのだろう。

 

(経錦 鱗型吉祥寅文 京袋帯・龍村美術織物)

龍村の個性が光る京袋帯・光波帯シリーズの中にも、鱗を使った意匠がある。この図案は、菱を半分に割った三角の中に、宝尽し文を構成する打出の小槌や丁子や分銅等と、虎の姿を交互に入れ込んだもの。虎(寅)は中国・明王朝の時代に、子孫の長寿と健康を願って、盛んに裂地のモチーフとして使われていた。魔除けの鱗文と縁起物の宝尽し文、さらに虎が共演することで、吉祥極まる帯姿になっている。

こうして図案を眺めていると、鱗文と四菱文が輻輳して、なかなか視点が定まらない。そして三角文の中に様々な図案が入ったことで、複雑化に一層輪をかけている。さらに配色が、橙色の濃淡と白だけというのも、この個性的な意匠をより増幅させている。経錦は、経糸で地と文様を織り出した紋織物だが、この龍村の光波帯は滑るような地の風合いを持ち、しなやかで大変締めやすい。以前と比べれば少し高くなったが、それでもリーズナブルに、龍村が考案する独特の文様を楽しめる品物かと思う。

 

(一越空色地 菊菱鱗文様 小紋・松寿苑)

こちらも菱文を分割した三角を交互に繋ぎ、鱗文とした意匠。ただ先ほどの龍村帯とは違い、図案が同じ菊菱で統一されていることから、鱗文と判りやすい。三角の放射状に菊花弁を描くデザインが何ともオシャレ。松寿苑が創る小紋には、このように古典図案をモダンな姿に変身させるものが多い。地の空色と菊の中心に挿してある黄色が、優しい着姿を演出する。この小紋には、魔除けの鱗柄という印象がほとんど感じられない。

拡大すれば、確かに鱗文。文様をアレンジする力が、センスあふれる品物を生み出す原動力となる。基本となる文様の原型を、如何に切り取り、そこにどんなモチーフを用いるか。この小紋の場合には、菊を鱗柄に図案化したところがポイントだった。

 

古くから厄災を除ける動物とされてきた巳(蛇)だが、鱗文もその意味にそって、魔除けとしてあしらわれてきた歴史がある。だが現代の染織品では、文様の意味そのものよりも、その幾何学図案の面白さを生かしつつ、様々な意匠をデザインしている。モダンな図案の中に隠された鱗は、密かに装う人を魔の手から守っているのかも知れない。

今年の世相は、想定外のクマ出没の他に、米やガソリンの高値が続いて物価高が解消されず、庶民の懐事情は厳しいまま。また世界に目を転じれば、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナの戦いは未だ終わらず、調停役のアメリカも全く手を焼いている。日本でも、台湾有事を日本の存立危機事態と認識する首相の発言が、物議を醸しているが、キナ臭い世界情勢から、来年はより以上に目が離せない年になる。巳年は終わってしまうが、来る年も自らを守るために、魔除けの鱗文は手放せない。恐ろしいのはクマだけではない、世の中には平和を閉ざそうとする、もっと恐ろしい人間がいる。

 

今年も月3回・合計39回の稿を書き上げることが出来ました。ほぼ10日に一度の更新ですが、予定通りに一年間継続出来たことに満足しております。今日の稿は796回目ですが、10月の初旬に訪問者数が200万人を越えました。ブログ公開から丸12年が経ちますが、これまで本当に多くの方に訪れて頂き、ありがとうございます。

どれほど皆様のお役に立っているのか、そしてどれほど楽しめる読みモノとなっているのでしょうか。一回の稿がとてつもなく長いので、途中で飽きて帰ってしまう方も多いのではと思っています。それでも毎回、自分の言葉で一生懸命書いていることだけは、確かです。呉服屋の暖簾の奥で営まれている毎日の仕事のこと、そして奥深い染織品の魅力について、少しでも触れる機会を持って頂けるなら、それで私は十分なのです。

 

来る年も、自分のペースを守りながら、皆様からの仕事の依頼を受けつつ、ブログ稿にも向き合いたいと思います。そして、正しくクマを恐れながら、北海道の一人歩きも続けていきます。今年仕事を通してお会いした方、そしてつたないブログをお読み頂いた方、全ての方に感謝しながら、今年の仕事を納めさせて頂きます。皆様、良い年をお迎えください。

来る年は少し長くお休みを頂き、1月9日・金曜日より店を開ける予定です。年明け最初のブログも、同じ頃に更新致します。なおこの間、頂いたメールのお返事が少し遅れてしまいますが、何卒お許しください。

今年も、最後までお読み頂き、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

ご感想・ご要望はこちらから e-mail : matsuki-gofuku@mx6.nns.ne.jp

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