バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

12月のコーディネート  鮫小紋を、カジュアルに楽しく着こなす

2025.12 15

ユーティリティプレイヤーとは、サッカーや野球などのチームスポーツで、様々なポジションをこなすことが出来る器用な選手を指す。例えばサッカーでは、攻撃の中心であるセンターフォワードも出来れば、守備の要であるディフェンダーとして役割を果たすことも出来る。野球ならば、内野でも外野でもうまくこなすことが出来る、守備の達人がそれに当たるだろうか。

いずれにしても、こうした選手がベンチに入っていると、試合途中でけが人が出てしまった時など、いわば突発的な事態にも、慌てずに対応出来る。いわば「スーパーサブ」的な便利な役割を果たすのだが、器用さのあまり、なかなかレギュラーとして活躍する存在にはならない。チームとしては有意だが、本人にすれば当然、もっと出場機会が欲しく、その微妙な立場には忸怩たる思いがあるだろう。

 

さて、我々呉服屋が日頃世話になっている職人さんの中にも、複数の仕事を器用にこなす「ユーティリティプレイヤー」がいる。その一人が、東京・日本橋浜町に居を構える紋章上絵師の福田昭三さんだ。昨年の6月、長年うちの紋仕事を請け負っていた、地元の紋章上絵師・西さんが急逝してしまったので、紋仕事をお願いする職人さんを探す必要に迫られた。福田さんはそんな折に、人形町の洗張職人・太田屋の加藤君の紹介で、新たに仕事を引き受けて頂いた方である。

今のご時世、紋章師だけでなく、しみぬき補正や洗張に携わる職人は減り続けており、おいそれと腕の良い職人さんを見つけることは難しい。こんな時に頼りになるのは、やはり職人である。特に加工職人の場合、洗張り職人と補正職人、紋職人、和裁士などは、仕事の関りから職人同士の横の繋がりがある。例えば、洗張りで落ちないシミは、補正職人に回して落とすとか、ヤケ直しをした後で、入っている紋を入れ替えるとか。呉服屋の悉皆仕事は、複数の職人の手を経て完結させることが多く、職人は他の職人の腕をよく承知している。だから困ったときには、「紹介役」を担ってくれる。

福田さんは、16歳で職人の道に入った筋金入りの紋章上絵師。皇室や歌舞伎役者の紋仕事を請け負ったこともある、いわば第一人者である。だが特筆すべきは、伝統的な紋誂えに止まらず、革新的な仕事を試みるバイタリティがあること。その一つが、カラー紋。白黒だけの紋に捉われず、色を付け、しかも暈しを入れる。そして仕事の範囲は、紋入れだけでなく、しみ抜き補正へと広がる。もともと紋章上絵師は、元の紋を消して新たな紋を入れ直す仕事を請け負うことが多かったので、「消す技術」を求められた。それが発展して、シミ汚れを直す技が身に付いたのだ。ということで福田さんは、紋章上絵師としみ抜き補正士の二役を自在にこなす、「ユーティリティ職人」なのである。

 

さてまた前置きが長くなってしまったが、今日は今年最後のコーディネートとして、江戸小紋を取り上げる。この伝統的な型紙使いの小紋は、カジュアルにもフォーマルにも使える便利な品物で、これはいわば、汎用性の高い・ユーティリティアイテムである。今回はその中でも、一番オーソドックスな「鮫柄」を使って、カジュアルな場所でも気軽に楽しめそうな着姿にしてみたい。

 

(雀茶色 鮫柄・江戸小紋  オフホワイト色 花兎文様・袋帯)

キモノの中で、フォーマルとカジュアル双方の場で装えるアイテムはほとんどない。そんな中で唯一使える存在が、江戸小紋である。小紋という名称は、その名前の通り「小さい文様」をあしらった品物のことを指すが、江戸時代の武家の礼服で、大きな家紋を染め出した「大紋」や、浴衣にあしらわれる中くらいの大きさの図案「中形」と区別するために、その名前が付いた。

ご存じの通り江戸小紋は、藍や茶の地色に白一色で、微細な模様を型付けして染めたもの。江戸初期から武家の裃や小袖用として大量に使用され、後にはそれが庶民にも普及し、男女問わずに広く着用されるようになった。小紋は明治以降になると、多彩な挿し色が入る品物を数多く染めるようになり、従来の江戸小紋は小紋染の一つとして捉えられていた。それが1955(昭和30)年、小紋型付職人の小宮康助氏を無形文化財保持者(人間国宝)に認定するにあたり、この伝統技法に則って染めた小紋を他の小紋と差別化するため、特に「江戸小紋」という名称を与えたのである。

 

小紋は本来、カジュアルモノの中に入る品物であるが、こと江戸小紋については、あしらわれる模様が極めて精緻なために、遠目から見ると無地に見えてしまう。挿し色は無く、白く抜けた型紙の模様が地色から浮かんだ姿が、品物の全て。遠くからはわからないが、近づいてよくよく見れば、染め抜いた微細な模様の美しさには目を奪われる。

こうした模様姿から、江戸小紋に紋あしらいをすると、無地紋付に準ずるキモノとなって、準礼装の役割を果たすことになる。そのため、茶席の装いとして使用されることも多い。その一方で、小紋本来の役割・カジュアルな場面で装うことも可能だ。色が前に出る無地に近い江戸小紋は、合わせる帯でかなり雰囲気が変わる。これを街着に使うとすれば、旬の名古屋帯で季節感を表すことも出来て、多彩な着姿が楽しめる。

フォーマルにもカジュアルにも、装いの場を広げる江戸小紋。今日はその中で、特に格上とされている三役柄の一つで、このアイテムの代名詞にもなっている「鮫小紋」を取り上げる。誰にも馴染みのあるポピュラーなこの図案を、どのような帯で個性溢れるお洒落な姿にしたのか、見て頂くことにしよう。

 

(別誂 雀茶色 鮫模様 江戸小紋・竺仙)

バイク呉服屋では、前回のブログ稿でご紹介した色紋付無地もそうだが、江戸小紋の誂えを依頼された際にも、オリジナル品(別誂品)をお勧めすることが多い。無地の場合は生地と染め色を考えて頂くのだが、江戸小紋の場合は模様と染め色になる。この鮫柄江戸小紋も、既存の染上り品ではなく、お客様の希望にそって別染した品物。誂えを請け負ったのは竺仙だが、これまで何回かこうした別誂小紋を依頼しているので、スムーズに仕事を進めることが出来る。

今回誂えを依頼されたのは、県外在住のお客様で、これまでにも様々な品物をお求め頂いてきた方。普段選んで頂くのは、茶席での装いやカジュアルの場で気軽に着用出来る品物が中心で、小紋や名古屋帯を求められる機会が多い。色目は上品で優しい薄色を、そして模様には季節感が溢れる図案や、オーソドックスな古典柄を好む。奇をてらうことなく、それでいて小洒落た意匠というのが、彼女のコンセプトなのである。

これまで小紋は幾度もお求め頂いたが、江戸小紋は初めて。数年前から誂えを希望されていたが、コロナ禍に見舞われたこともあり、今年ようやく実現した。江戸小紋誂えの時は、お客様を竺仙へお連れして、私と竺仙の担当者が相談役となり、お客様の希望を聞きながら、染める色や模様を決めていくのだが、今回もその例に倣った。

当初、お客様には希望する色と模様があった。それは色は茶系で、図案は「紗綾型に千鳥」だった。けれども実際に竺仙へ行って、様々な品物を見て、商品を良く知る担当者から説明を受けるうちに、「折角別誂をするなら、最も江戸小紋らしい『鮫模様』で」との思いが強くなった。そして結局、従前の希望だった茶系色で染めた鮫小紋を誂えることに決めたのだった。

 

鮫小紋は、江戸小紋図案の中でも、格式が高いとされる「江戸小紋三役(後二つは、行儀と通し)の一つで、その中でも最上位を占める図案。この三役図案は、いずれも錐(きり)彫りによって型紙製作されるもので、武士の裃染柄に多く用いられてきた。特に鮫柄に関しては、紀州徳川家が極鮫を、薩摩島津家が鮫柄を、他家が使用できない「お留め柄・定め小紋」に指定している。

錐彫は、半円形の刃先を持つ錐を指で回しながら、小さな丸い孔(あな)を開けていく方法で、極めて小さな円を集めて、模様を形作る。錐彫は数々の型紙彫技法の中で、最も古いものだが、凡そ2cm四方に7~800、最も細かい極鮫では1000以上もの穴があけられている。

錐彫で最も大切なことは、目を揃えること。こうして鮫柄を拡大してみると、各々の丸い粒に僅かな違いがあることを見て取れる。錐彫では、彫刻刀の刃先の状態一つで、丸い粒の姿が変わってしまうために、職人は己の技術だけでなく、道具のありようにも常に注意を払う必要がある。

また画像からは、粒と粒の間隔に微かな差があることが判る。江戸小紋では、粒の目を揃えると同時に、粒の間隔を揃えることも、整った模様姿になる重要な条件。「錐小紋の美しさは、三粒で始まり、七粒で完成する」と言われているが、特に鮫小紋では、最初の三粒が的確に配置されると、次の三粒が最初の粒を核に配置され、それが七粒になって初めて、美しい模様に仕上がるそうだ。こうした青海波のような連続した鮫文では、一粒の失敗でも全体の文様姿を損なうので、全く気が抜けない。彫刻は単調だがそれだけに難しく、職人は仕事の際、常に緊張状態に置かれる。こうして今もなお、江戸小紋染に使い続けている型紙は、そうした職人たちの弛まぬ修練の結晶とも言えよう。

 

当然、八掛けには地の雀茶色と共色を使っている。この八掛の茶色が、今回の誂えで指定した染め色になる。こうして画像でも判るように、江戸小紋の色は、模様が白く抜けるために、見本色よりもぼやけた感じになる。だから予め、このような表情になることを想定して色を決める。同じ色に染めても、無地の八掛けと型紙置いた色では、これだけの違いが出てくる。

染める色が薄すぎれば、白っぽくなって、色の気配が判らなくなる。また濃すぎると、考えているより渋い仕上がりになってしまい、地味になる。たとえこの色と決めても、思う通りの染め上がりにするには、その明度や色の傾向を慎重に検討しなければならない。やはりこうしたことは、品物に深い理解があるメーカーの者にアドバイスを求める方が確かだ。お客様と共に竺仙へ赴き、誂えを依頼するのはこんな理由からである。

鮫柄の型付けを担当したのは、現代の名工に選ばれている手付職人・根橋秀治さん。通常江戸小紋では、染料を混ぜた色糊を、しごき箆(へら)で塗り付けて地を染める「しごき染」を使うことが多いが、根橋さんの型付は、刷毛に染料を含ませて、生地の上で引きながら染める「引き染」を使う。こちらの方が手間が掛かるが、しごき染と比較すると深みのある模様姿に仕上がる。

 

雀の頭、あるいは羽の色に付いた、僅かに灰色の気配を持つ茶の色は、江戸の頃より「雀茶色」と呼ばれて、愛用された。無地染だと渋くなるが、型付けをすると色の表情が柔らかくなり、優しい気配に仕上がる。この色を染めに出す時、一番危惧したのは地味になること、あるいは沈んだ色になることだったが、何とか上手く回避できた。

染め上がったところで、お客様に反物の画像を送り、その出来栄えを確認して頂く。そこで納得が得られたところで、初めて仕立に回すことが出来る。竺仙の担当者と私とお客様で、慎重の上にも慎重を重ねて選んだ色と模様なので、間違いはないと信じてはいたものの、こうしてOKを頂くまでは、やはり不安が付きまとう。何年この仕事に携わっても、「モノを作る」ことは難しい。さて、鮫小紋が上手く誂え終わったので、今度はこのキモノを楽しく装うにはどのような帯を合わせるべきか、考えてみよう。

 

(白地 花兎文様 袋帯・大西勇織物)

この帯を製織した大西勇織物は、規模は小さいながらも、捨松や洛風林などと並んで、モチーフや構図に斬新な品物が多く、キモノ通の中で高い評価を受けている「知る人ぞ知る機屋」である。図案は、名物裂の中で最も愛らしい図案の花兎文だが、これは前稿の白生地図案でご紹介した「麒麟文」と同じく、平金や撚金を織り込んだ金の織物・金襴にあしらわれていた文様。

元の金襴では、斜文組織の綾織地に金糸で織り出された文様を、色糸を使って変化させていた。この図案は定型化しており、作り土と呼ぶ盛り土の上に、前足を浮かせぎみに後ろを振り返る兎と、椿に似た花樹を組合わせ、文様として連続させている。

ちょっと後ろを振り返る兎の姿が、とても愛らしく感じられ、この図案の品物を見ると、つい買い入れたくなる。この帯もこの秋、某問屋で衝動的に仕入れたもの。この文様は、桃山から江戸初期にかけて財をなした、京都の豪商・角倉了以が愛用したことで知られ、別に「角倉文」の名前で呼ばれることもある。

大きな花兎模様が二つずつ、段違いに並ぶ。図案が大きく、帯幅一杯に広がっているので、かなりインパクトがある。この文様の出自は名物裂なので、古典の範疇に入るが、こと花兎に関してはその模様姿から、堅苦しさが消えている。袋帯ではあるが、どことなく遊び心を感じさせてくれる帯姿である。それではこれを、手堅い江戸小紋柄・鮫小紋と合わせるとどうなるのか、試してみよう。

 

落ち着きの中に柔らかみのある雀茶色に、可愛い花兎が彩を添える。江戸小紋の表情は、無地と同様に色の気配だけが前に出るので、合わせる帯次第で雰囲気は変えられる。一見カジュアルっぽい花兎も、元を正せば歴史のある文様。この図案の出自を知る方なら、この装いを「古典的なコーディネート」と受け止めるだろう。

白っぽく映る鮫柄だけに、あわせる帯地が白になるとより優しくなる。また、花兎文を形作る盛り土や樹木の色と小紋の茶色がリンクしており、よく馴染んでいる。そして帯図案が花兎だけのあしらいなので、すっきりと潔い着姿になりそうだ。

前姿を写すと、上下左右に微妙にずらした文様によって、動きのある面白い模様姿になっている。この図案なら、前模様の位置を特定することなく、その時々で少し動かして、着姿に変化を付けるのも良いだろう。袋帯だが、見る人には軽やかな印象が残る。

少し遊び心を出して、帯〆の色を、兎の目と花に付いた赤を使ってみた。赤い帯〆は便利なもので、こうした時に使うと全体が引き締まり、カジュアル感が増す。帯〆一本で、装いの表情が変わる典型的な例かと思う。ただ赤と一口に言っても様々あり、この合わせの場合は「深紅」が相応しい。帯揚げは、淡いミモザ色で優しい合わせ。   (冠帯〆・今河織物 ふくれ織帯揚げ・渡敬)

今日は、カジュアルにもフォーマルにも使うことが出来る、キモノのユーティリティアイテム・江戸小紋を使って、思わず微笑ましくなるような装い姿を考えてみた。帯次第で、着る場面も着こなしも変わる江戸小紋は、かなり使いどころの多い品物で、それだけに、工夫の余地があるアイテムと言えるだろう。どうか皆様も、江戸小紋で自在な着回しを楽しんで頂きたい。では最後にもう一度、今日の品物をご覧頂こう。

 

さて今年も、毎月一度のコーディネートをご覧頂いてきた。取り上げたキモノは、1月の七宝飛柄小紋に始まり、2月・横段米沢紬、3月・正倉院花喰鳥付下げ、4月・紋織ミモザ色別誂無地、5月・ヘチマ飛柄小紋単衣、6月・各種浴衣と綿絣、7月・アザミ模様絽訪問着、8月・市松模様明石縮、9月・大羊居江戸友禅単衣付下げ、10月・泥大島と久米島絣帯、11月・羽織向き小紋二点、そして今日の別誂鮫小紋まで。

こうして改めて並べてみると、とりあえず季節に則った品物を、タイムリーにご紹介出来たのではと思う。昨今では、自分のツボに入る品物と出会うことが少なくなり、思うような仕入れが出来なくなっているが、来年も出来得る限り、様々なジャンルの品物をブログ稿で楽しんで頂けるよう、努力を続けていきたい。

 

経験豊富な職人さんを、どのように確保していくか。これはこの先、呉服屋を続けるに当たり、最大の課題ではないかと思います。福田さんのような、複数の加工仕事をこなす方は稀で、ほとんどの職人さんは、一つの仕事だけを突き詰めて、生きて来られました。そもそも分業が前提の染織の世界では、作り手も加工先も細分化されています。ですので、工程内で一人職人が欠けただけで品物を作れなくなり、加工仕事は滞ってしまいます。

竺仙では、江戸小紋のことを「手付小紋」と呼んでいますが、これは人の手で起こした型紙を、人の手で生地に染め付けて小紋にする。つまり「人の手による仕事」という意味での「手付」です。しかし江戸小紋には、スクリーン捺染やインクジェット加工など、人の手を経ないで染めた品物もよく見受けられ、仕立上がってしまうと、手付なのか印刷なのか判らなくなってしまいます。

 

手付小紋は高価で、機械染小紋は廉価。手仕事の素晴らしさは理解していても、いざ求める段になると二の足を踏んでしまうのは、とても理解できます。けれども、求めて下さる方がいなくなれば、モノ作りは終わり、職人の技を発揮する場は永遠に失われてしまいます。こんな厳しい時代の流れの中で、我々呉服屋に出来ることは、一つ。手付の価値を、世に知らしめることです。一人でも、目を向けて下さる方がいると信じて、これからも職人の手仕事を紹介し続けたいと思います。

今日も、長い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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