バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

若いミセスが誂える、無地の色は何か  草萌黄色で清々しく、美しく

2025.12 06

江戸時代、庶民の間で最も流行した色は、茶と鼠。その数は、「四十八茶、百鼠」と言われたほど多く、各々の色には、その色に縁のある役者や歴史上の人物、あるいは花鳥風月に関わる名称などが冠せられていた。人々はその名前から、微妙に違う色の気配を感じ取り、色相の変化を楽しんだのである。

茶や鼠が色の主流となった訳は、ご承知の通り、庶民に贅沢を禁じた「奢侈禁止令」を幕府が出したからである。金銀糸や箔、鹿の子絞りなどの加飾を規制するばかりか、紅や紫の色を使用することまで制限した。そのため、庶民が大手を振って着用出来る色が、茶系・鼠系・納戸系などに限られてしまったのである。つまり、こんな地味な色が流行色となったのは、当時の庶民が置かれた状況下では、ある意味必然であった。

 

そんな江戸の流行色の中で、最も長く人気を博したのが、路考茶(ろこうちゃ)。色調は、黄色味のある茶の中に、僅かに黒の気配を感じるもの。これは、江戸の宝暦・明和年間(1751~71)に歌舞伎女形として随一の人気を誇った、二代目瀬川菊之丞が好んだ色。そして路考と名前が付いたのは、これが瀬川家代々の「俳名(役者の名跡)」だったからである。

江戸のエンターティナー・路考の人気ぶりは、色だけに止まらず、路考髷とか路考櫛など髪型や小間物にまで、その名前が被せられたことで判る。そして流行は時代を下がるごとに、江戸から京都や大坂へと伝わり、天保・弘化年間(1830~48)まで、およそ80年間続くことになる。江戸中期の浮世絵作家・鈴木春信や勝川春章が描く衣装の色には、路考茶がよくあしらわれており、化政時代の代表的な戯作家・式亭三馬の著書「式亭雑記」には、「夏冬ともに、女の衣装に路考茶流行」との記述がある。この時代、この色の流行は特筆すべきものであった。

こうして、一つの色をほんの少し掘り下げただけでも、日本の伝統色として根付いている名称には、各々の色が独自に持つ歴史的な背景や意味する色調が含まれ、その色が放つ深遠さを感じ取ることが出来る。無論当時は、植物染料によるところの「色の気配」であり、現代の化学染料による発色とは異なるだろう。けれども、現代の染織品にあしらわれる無数の色の原点は、古代から延々と繋がってきた人々の色彩感覚によるもの。それは、その時代ごとの生活信条や美意識を反映した色調と考えることが出来よう。

 

今日の和装の中で、最も色が前に出る品物と言えば、それは色無地に他ならない。これを誂える際には、どの色が自分に一番相応しい色なのかと、誰もが思い悩む。そんな時に決め手となるのが、各々の人が持つ「色の感覚」である。つまりそれは、自分が好きな色、そして似合うと認識している色になる。これは、その人の生きてきた過程で、最も心の中に印象付けられた色のはずだが、何故その色なのかという理由付けは難しい。強いて言えば、それは無意識の中にある「肌感覚」のようなものかとも思う。

ということで今日は、「人が持つ色の感覚が、モノ作りを左右する」色無地の誂え染を取り上げてみたい。丁度この秋、若いミセスの方から、初めての色無地誂えの依頼を受けた。そこでは、どのような色をどのような経緯で染めたのか、これから品物と共にご覧頂くことにしよう。

 

(草萌黄 くさもえぎ色 麒麟図案 紋織無地 白生地と誂え染・マルシバ)

キモノが嫁入り道具として、どうしても必要だったのは、遠い昭和の頃のお話。嫁いだ後の冠婚葬祭の装いで困らぬように、そして恥ずかしい思いをしないようにと、実家の母親が中心となって準備をするのが常であった。誂える品物は、喪服や色無地、訪問着、付下げなどで、嫁ぎ先に未婚の兄弟がいる場合には、将来に婚礼事があることを見越して、江戸褄(黒留袖)を用意することもあった。

フォーマルな席の装いでは、キモノを着用すると意識されていたからこそ、結婚する時の需要が生まれた訳だが、平成以後は、生活様式や冠婚葬祭に対する考え方が大きく変化したことから、人々の視野から和装がほとんど消えてしまった。そして、どうしても着用する必要に迫られた時には、買わずに借りて済ますことも常態化する。その結果として、結婚時のキモノ需要は「ほぼ壊滅状態」となり、それが呉服屋商いを苦境に陥らす要因の一つにもなったのである。

 

一時はほとんど声が掛からなかった、若いミセスのための誂え仕事だが、最近少し見直されているような気がする。それはおそらく、若い方が「和装の特別感」を認識されたからと思う。私はそんなお客様方から、「どんな煌びやかなドレスを着ても、また高価なジュエリーを身に付けても、キモノ姿にはとても敵うものではない」との話を伺う。これは、伝統に培われた民族衣装が持つ特別な力で、装う人には言い知れぬ高揚感をもたらすのだろう。

そして誂えるタイミングは、結婚前ではなく、少し時間が経ってから。ミセスとして初めてフォーマルな場へ招待された時、あるいは子どもを授かった時、また七五三の祝いや小学校入学時を契機に、呉服屋の暖簾をくぐる。その時は一人ではなく、実家の母親が同伴することが多い。キモノが欲しくても、何をどのように選べば良いのかわからない。そもそも呉服屋に入ったことが無い方がほとんどで、一人ではどうしても不安になる。こんな時こそ、頼りになるのが母親である。

 

では、初めて誂えるフォーマルな装いとして、若いミセスはどんな品物を選ぶのか。昨今のバイク呉服屋への依頼を考えると、色無地や少し控えめな付下げを選択される方が多い。品物は先を見越して、長く使えそうな色や意匠を希望するが、それは上品さや控えめな姿を想定してのこと。若い方が持つ和装のイメージは、やはり優美でさりげない着姿である。では、こうしたコンセプトに従って、実際にはどのような品物を誂えたのか。今日は色無地に絞って話を進めることにする。ここで選択の中心になるのは、やはり「染める色」になるだろう。

 

(誂えに使用した白生地 紋意匠ちりめん 麒麟文様・マルシバ)

色無地を誂えるにあたって、まず決めなければならないのは、染める生地のこと。この時に大まかな選択として、地紋がある生地か、あるいはフラットな生地かをお客様に提示する。紋生地の場合には、装った時に光の加減によって文様が浮き上がり、少し華やいだ雰囲気になる。一方でフラットな一越系生地では、どちらかといえば控えめで優しい印象をもたらす。ただこれも、細かな地紋ならば控えめになり、シボの大きいちりめん地なら、それが目立つ表情になるので、単純に地紋の有無だけでは決められない。

ただ誂えるお客様には、事前に生地の違いを説明して、地紋のある生地にするか、それとも無い生地にするか、その希望をお聞きする。もちろん、両方を比較して選びたいという方には、どちらも用意する。今回、この麒麟文・紋意匠生地を選ばれたお客様は、事前に地紋のある生地で、文様が細かいものと依頼されたので、それにそって数点の白生地をご用意した。

白生地の地紋に織り出されているのは、麒麟(きりん)と唐花。紋ちりめんは、平織の生地に、経糸を表に浮かせて文様を織り出したもの。そして紋意匠とは、表裏に異なる糸(表に駒撚糸・糸撚りの際に端に駒を吊り下げて撚った糸、裏に諸撚糸・下撚りと反対方向に撚り合わせた糸)を用いて二重組織とし、文様部分で表裏の糸が反対になる織・風通織により、織り出された艶のある紋柄を持つ生地のことである。

上の画像は、地に浮き上がった文様を拡大したところだが、真ん中に、鳥と恐竜に似せた始祖鳥のような図案が見える。これが麒麟で、中国では古来より霊獣として敬われ、この空想の動物が現れるのは、国を統治する天子出現の前触れ・仁獣と受け止められていた。そんなことから、日本でもこの図案は、天皇の御袍の文様として、桐・竹・鳳凰と共に恭しく用いられている。

また最初の白生地画像では、その反物の端に「名物裂」の文字が織り込まれているが、この麒麟図案の織裂は、室町期に名物裂としてもたらされたものでもある。麒麟柄の伝来は古く、すでに正倉院の収蔵品のあしらい(北倉収蔵・紅牙撥婁尺)にも見られるが、明からの渡来した金襴(金糸を織り込んだ織物)にもその姿がある。この白生地のような花文と麒麟の組み合わせは、東京国立博物館収蔵の花麒麟金襴や、戦国大名の筒井順慶が使用した茶入れ袋・雲麒麟金襴に見ることが出来る。このように名物裂とわざわざ表示しているのは、麒麟文がこうした歴史的な経緯を含んでいるからなのだ。

 

(染める色は、若草色と萌黄色の中間色・草萌黄と決める)

さて白生地が決まったところで、誂えで最も重要な染める色選びに移る。今回依頼を受けたお客様には、結婚される以前に付下げをお見立て頂いている。この品物は柔らかい水色地に唐花の丸をあしらった友禅で、色も模様も仰々しくなく、優しい印象を残す付下げであった。なのでおそらく、今回の色無地もこの付下げと同様に、控えめで上品な印象を残すことが主眼になりそう。

そこで改めて、どのような色を考えられているかお聞きすると、淡くふわりと優しく着こなせて、明るい雰囲気を持つ色とのこと。やはりこれは、私の想定と合致するものだった。そこで具体的な色だが、付下げが青系だったこともあり、緑か黄色系の中から探すことを提案する。ピンクや橙色系では、長く使える色となると、選択肢の幅が狭くなりそうだからである。

どちらかと言えば、黄色系は暖色、緑系は寒色に分類されそうだが、爽やかですっきりと見えるとなれば、やはり緑系に軍配が上がる。そして合わせる帯を考える時に、緑の方がコントラストが付きやすい。そんなこともあって、まず緑系で優しくはんなりとした色を探すことにする。

そこでまず、何冊か色見本帳をひっくり返しながら、誂えるご本人とお母さま、そして私の三人で「理想の緑色」を見つけることにする。ただ小さな見本帳の布切れでは、なかなか色の全体像を掴むことが出来ないので、決めきれないことも多い。そんなことから、最近では在庫の品物の中から、色探しをすることも良くある。地色でも模様の中のひと色でも、そこに「これだ」と思える色があれば、それを見本として染屋に依頼をする。色を見極めると言う点では、見本帳で選ぶより、確信できる。

そして今回、色の見本として探し当てた品物が、帯揚げであった。上の画像で判るように、この帯揚げは淡い若草色が横段グラデーション、いわゆる「段暈し」になってあしらわれている。場所によって、ほんの少しずつ色が変化していることから、この帯揚げ一枚で、様々な若草色を比較検討できる、いわば見本帳のようになっている。これだと、各々の色の差がとてもわかりやすい。

結論として染め色に選んだのは、帯揚げの若草暈し色の中で一番濃い部分。この色でもかなり淡さを感じるが、他の部分では、白っぽくなりすぎて、反物に染めるとかなりぼやけた印象になってしまう。染職人には、帯揚げに糸印を付け、伝票に「この部分の色で」と念押しをした上で、白生地に添付して染め依頼をする。染める側にしても、見本は大きい方が作業がしやすく、色もしっかりと判別できるはず。見本帳による色決めは八掛けなら良いが、色無地のような反物染に使うとなると、何となく心もとない。

 

色見本の帯揚げと共に、染め上がった白生地と別染のチェニー生地・暈し八掛が送られてきた。画像から見ても、反物の染色、八掛けの暈し色と見本の帯揚げの色は、ほぼ同じで、全く違和感がない。実際に並べたところを見ても、満足出来る染め上がりであった。誂え染の仕事は、こうして仕上がって、色の齟齬が無いと確信できるまで、どうしても不安がつきまとう。だから余計、納得の行く品物の色姿を見ると嬉しくなる。

選ばれた淡い若草色は、春の息吹を感じさせる明るい黄緑色に、より澄みきった色の気配を含ませた、明るく爽やかな色。草色の中に冴えた萌黄の色を感じたので、私は特にこの色を「草萌黄」と名付けることにした。もちろんこの名前は、日本の伝統色には掲載されておらず、バイク呉服屋の独自色である。優しく、品よく、清々しく。お客様の希望に答える色になった。

誂えを終えた草萌黄色の無地キモノ。背中に一つ染め抜き紋を入れて、仕上げている。この色紋付無地は、親戚の婚礼の席で初おろしされる。合わせる予定の帯は、龍村の黒地・桐竹鳳凰文。麒麟の文様が優しい草色地から浮き上がり、帯の高貴な図案と合わせれば、否応なくフォーマル度が高まる。けれども、キモノの清々しさが堅苦しさを消す。若いミセスが装うに相応しい、明るく、美しく、そしてどことなく落ち着きのある姿が映し出されるように思う。

 

話が長くなっているが、最後に、店の棚に置く小紋の地色を見本にして誂えた無地を簡単にご紹介して、今日の稿を終わることにしよう。画像で一番左に置いてあるのが、葵模様の飛び柄小紋。この地の色に使っている水浅葱色を、染め色として採った。この誂えを依頼された方も、草萌黄を誂えた方と年齢がほぼ同じ若いミセス。

浅葱はやや緑を帯びた水色だが、この小紋の地色は、それより一回り淡く薄い。いわゆる水浅葱(みずあさぎ)と呼ぶ色だ。こちらも、寒色が持つ清々しさを明るく印象付けている。色の気配は違うが、草萌黄とこの色の雰囲気はよく似ている。こちらは生地がフラットな一越なので、色が生地全体に滑るように染め付く。八掛は同じ系統の色ながら、少しだけ濃く染めて、着姿のアクセントになるよう試みた。

この水浅葱に合わせた帯は、川島の白地七宝文。誂え終えた姿を見ると、草萌黄よりも色が前に出ている。白地の帯を使うと、水色の清らかさがより印象付けられるだろう。

 

今日は「若いミセス、初めての無地誂え」をテーマに、どんな過程を経て、納得の行く品物を完成させたのかをお話した。色だけで装う無地キモノは、単純なだけに難しい。相応しい生地と色をどのように探すか。そこでは、誂えを依頼された店の者とお客様の意思疎通が、最も大切になるのは間違いない。

色の質はもちろん、明度、濃淡、そして帯合わせや小物合わせまで見越した上で、たった一つの色を決める。悩ましく、難しいことだが、基本となるのはやはり、「装う方の各々の色に対する感じ方」になるのだろう。こうして何度も誂えのお手伝いをしていると、自分が好きな色は、やはり似合う色になる。皆様もぜひ、色にこだわった誂えを、一度は体験して頂きたい。今日の稿が、そんな時の参考に少しでもなれば嬉しい。

 

弁柄と柿渋を使って染めた「柿茶色・団十郎茶」は、初代市川團十郎が舞台衣装で使った色。また、萌黄の緑をかけて染めた「梅幸茶(ばいこうちゃ)」は、初代尾上菊五郎(俳名梅幸)のキモノの色。さらに、上方(大坂)で流行したややくすみのある赤をかけた茶色は、「芝翫(しかんちゃ)」と呼んで、三代目中村歌右衛門(俳名芝翫)好みの色。そして、深緑を帯びた渋く暗い茶は「璃寛茶(りかんちゃ)」で、大坂歌舞伎の人気男役・初代嵐璃寛がお気に入りの色をその名前に因んで、そのまま付けています。

江戸の昔には、こうして歌舞伎役者から発信される「茶色」が幾つもあり、それは衣装に止まらず、髪型から帯の結び方まで多岐にわたっていました。役者たちは、庶民から絶大な人気を誇り、まさに当時のファッションリーダーと呼べる存在になっていたのです。そしてその流行を担ったのが、役者絵や浮世絵を書いた江戸の絵師や流通を担う呉服屋で、彼らが宣伝媒体となり、流行は庶民へと広がっていきました。

 

ところで、現代のファッションリーダーは誰なのでしょうか。洋服に限れば、好みが多様化していて、昔のようにはっきりとした「流行り」は見受けられません。またファストファッションが世間を席捲する今では、個性を発揮する場も、そして装いに個性を求める人も、減っているように思います。なるべく目立たず、集団から浮き上がらない。何だか、つまらない社会になってしまいましたね。

せめて和装ファンの皆様には、自分らしい個性を着姿で存分に発揮して頂きたいと思います。今日も、長い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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