バイク呉服屋の忙しい日々

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バイク呉服屋女房の仕事着(13) 母の茶席付下げを、仕事着にする

2025.10 18

昨年の秋、家内の父が亡くなったことで、我々夫婦は両親の看取りを終えた。十年前までは四人とも割と元気だったのだが、気が付いた時には、もう誰もいない。家内は両親を介護するため、甲府と自分の実家を往復する日々が何年も続き、特にここ二年ほどは実家に留まる時間の方が長かった。義父は最後までしっかりした人で、いつも私に「迷惑をかけてすまないね」などと頭を下げてくれたが、家内は大変だったと思う。

そして、いつ終わるとも分からない介護の日々は、突然終わりを迎える。それは急に、ぽっかりと心に穴が開いたような感じなのだろう。家内は実家にいると、未だにどこかで父の声が聞こえるような気がすると言うが、一年近く経っても、まだ亡くなった実感が湧かないのだろう。

そんな訳なので、まだ遺品にほとんど手が付いておらず、月に数日はその整理のために家に帰る。家内には兄弟がいないので、相続関係のことを一人で処理しなければならず、これまではそれに掛かりきりで、とても品物にまで手が及ばなかったのだ。父の主な遺品は書籍類や洋服なのだが、十年前に亡くなった母の品物もまだ少し残っている。これまでは整理する時間も取れなかったので、それもやむを得まい。

 

故人の品物を、縁のある人に分ける「形見分け」は、四十九日法要を終えて、喪が明けた後に行う。日常に身に付けていた愛用品や、趣味として使った品物を、家族や知人で分けて亡き人を偲ぶ。そんな遺品の中で、大切に分けられてきたのがキモノや帯である。特に家族の節目で装われたフォーマルモノは、故人が生きた証として、次世代へと受け継がれるのが常であった。

しかし時代は移り、和装を必要としない家が増えた。その結果として、形見分けのキモノや帯は受け取る人も無く、箪笥の中に残り続けることも珍しくない。昨今ではそんな事情を見計らたように、買い取りサービスを行う会社が増えて、処分に困った人たちの手助けをしている。

たださすがに、呉服を生業としている我が家では、親が遺したキモノや帯は大切に受け継ぎ、毎日の仕事の中で使っている。そこで今日は、久しぶりに書く「女房の仕事着シリーズ」として、私の母が遺した品物を着用した家内の装い姿を、ご紹介しよう。介護を終えて、店に復帰した彼女は、久しぶりの仕事着キモノを楽しんでいる。

 

(水色地 小丸飛絞り模様・単衣付下げ 生成色地 横段更紗模様・名古屋帯)

家内が店の仕事着として使うのは、ほとんどが織物。袷や単衣の時期は、紬が中心になる。これまで、この女房の仕事着の稿でもご紹介してきたように、その多くは、私の母や自分の母が着ていた結城や大島を、自分の寸法に仕立直しをしたもの。新しく自分用として誂えたものは、夏場に使う浴衣や絹紅梅、アイスコットンなどの木綿類。

合わせる帯も、なるべく双方の母親が遺した品物で間に合わせているが、たまにどうしても欲しい品物がある時は、思い切って自腹で買い求めている。仕事で使う「ユニフォーム」なので、私としても、タダにしてやりたい気持ちは十分にあるのだが、経営的にそれほどの余裕がないので、これは致し方ない。彼女の言によれば、キモノは譲られた品物で十分だが、帯は無性に欲しくなる時があるらしい。

 

と言うことなので、家内が仕事着として使う店の装いでは、ほとんど「垂れモノ」を使わない。垂れモノとは聞きなれない名称かと思うが、これは、着用した時に垂れるような感じになる生地のことで、織物以外の絹モノを指す時に使う。具体的に言えば、羽二重や一越、あるいは綸子などの白生地を使った染キモノ全般になる。

垂れモノでも、フォーマル着の付下げや無地紋付は、着用の機会が限られる。となると自由に装うことが出来るのは小紋だが、これもたまに外出着として使うくらいで、あまり出番がない。私の母も、店に出る時の装いは紬やお召などの織物類だったが、茶道を嗜んでいたので、それなりに垂れモノも持っていた。ご承知の通り、茶席ではお稽古以外に織物は使えないから、茶会用の小紋や無地、付下げがどうしても必要だったのだ。

家内はこれまで、母の紬類は受け継いで着用しているが、垂れモノにはほとんど手が付けられておらず、箪笥の中に置き去りにされていた。けれども、この先装う機会が無いままというのは、何とも勿体ない。そこでこの度一念発起して、垂れモノでも仰々しくなく、店で着用出来そうな品物は、この際使ってしまおうと考えた。今回の仕事着は、そのような考えから出番を迎えた垂れモノ・単衣の付下げである。それではどんな品物なのか、見ていくことにする。

 

(ちりめん薄水色地 飛絞り小丸模様 単衣付下げ・菱一?)

茶席での装いとなると、無地紋付や江戸小紋、それに付下げや飛び柄小紋などが考えられるが、いずれにせよ、模様が前に出過ぎる華々しい品物は避けられ、控えめで楚々とした雰囲気を持つものが選ばれる。茶席の格や流派によって、またもてなす側ともてなされる側によって、その時々で相応しい品物は少し変わるが、それでも無難な品物を選ぶとなると、前述したアイテムになる。

この付下げは、私の母が晩年まで茶席用として使っていた単衣。ご覧の通り、付下げと名前が付いていても、模様の嵩は少なく、一見したら小紋に見間違うくらい。一応付下げの形式で模様が配置されているものの、中心となる上前衽・身頃には、小さい輪出し(りんだし)絞りが数個あり、あとは金彩で細い枝が引かれているだけ。どちらかと言えば、模様よりも無地場の水色が目立つキモノになっている。

模様中心となる上前身頃のあしらい。輪出し絞りで白く抜かれた部分には、細かい刺繍で模様が施されている。図案は春秋の小花。金線で描かれているのも、特定できない花の枝。ほとんど色の気配がないだけに、極めて控えめな印象を受ける。

よく見ると、絞りの中には、椿のようなピンクの花と楓のような白い葉の姿が見受けられる。この付下げには、全部で12個の輪出し絞りがあるが、その全てに小さな刺繍あしらいがある。模様に嵩は無いが、きちんと手は尽くされている。かなり以前に誂えた付下げでなので、今となってはどこから仕入れたものか判らない。雰囲気からすれば、菱一あたりの品物か。

左前と右後袖の模様姿も、身頃と同じ。ポツンと一つだけ輪出し絞りを置き、そこに申し訳程度に金の枝が並べてある。こうして畳の上に置いた状態でキモノを見ると、ある意味控えめすぎて、面白味の無い品物に思えるが、不思議なことに装った姿を見ると、その印象が変わる。

装った前姿を写してみると、白い輪出し絞りの位置が絶妙で、きちんと模様が主張している。そして横に伸びる小さな金の柄が流れを作り、しっかりと模様を繋ぐ役割を果たしている。家内は背が高い人だが、その身長に対しても寂しい図案にはなっていない。やはりこれは確かに付下げで、着用するとよく判る。

後身頃にも、きちんと模様が回っており、裾に近い背中心では、枝がきちん合うようになっている。そして、地色の水色と白抜きの輪出し絞りが、涼やかな姿を醸し出す。色は僅かに、刺繍の小花ピンクが覗くくらい。地色も意匠も、単衣での装いを、そして茶席での装いを前提にしたかのような付下げ。これは、「いつどこで、誰が装うのかを見越して作ったキモノ」と言えるのではないか。

 

(オフホワイト色 横段唐花模様 九寸織名古屋帯・織屋不明)

この単衣を着用したのが、今月初め。袷の季節・10月になっても、日中25℃以上の夏日では、やはり裏の付かない単衣の方が心地良い。単衣にするか袷にするか、その日の気候次第で変わるこの時期だからこそ、この付下げにも出番が回ってきた。帯はさすがに冬帯だが、この単衣のさりげなさや「仕事着」として使うことを考え、袋帯ではなく、名古屋帯を締めている。

真っ白ではなく、ほんの少しベージュが乗ったような、オフホワイト地色。模様は、二種類の唐花模様が、段違いに織り出されている。合わせた付下げ同様に、この帯にも目立つ挿し色がなく、かなりおとなしい印象を残す。この横段唐花を、お太鼓と垂れにうまく組み合わせて締めると、モダンな着姿が演出出来る。茶席ではなく仕事着として使うのだから、堅苦しい帯を使う必要は無い。

お太鼓には均等な間隔で模様が入り、垂れは可愛いピンクの小唐花模様になっている。規則的な模様が横に並ぶ帯姿は、すっきりと着姿をまとめる。そしてモチーフが唐花なので、遊び心もある。これは付下げというより、小紋感覚の帯合わせなのだが、このキモノの雰囲気からすれば、こうした名古屋帯でも十分に対応出来るように思う。

この帯は母親の品物ではなく、家内の持ち物。実はこれ、長い間店で売れずに残っていた品物。とりたてて「売ることが難しい柄行き」とも思えなかったが、あまりに買い手が付かなかったので、仕方なく家内用に誂えた。すでに20年以上経っているので、西陣のどこの織屋が作った帯かは判らない。もしかしたら、すでに廃業しているかも知れないが、価格は当時6、7万円だったはずで、それほど高い帯では無い。呉服屋の女房が仕事着で使う帯など、こうした訳アリの品物がほとんどだ。

単衣の軽やかさもあって、明るい黄色が基調の小物を使っている。帯〆は、山吹色の中に、小さなピンクと若草色が入る冠組。帯揚げは、クリーム地色の中に、少し大きめのピンク輪出し絞りをあしらたもの。こうした、優しく柔らかみのある着姿は、「垂れモノ」でなければ感じることは出来ず、織物ではなかなかこうはいかない。(小田巻冠帯〆・輪出し絞り帯揚げ 共に加藤萬)

 

今日は、これまで使われずに箪笥に残っていた私の母親の茶席付下げを、家内が仕事着仕様にした装いの姿を紹介した。母親と家内とではかなり身長差があり、身丈も裄も違うことから、一端キモノを解いて、前の縫いスジを消してから、仕立直しをした。幸いなことに、たっぷりと中に上げが施してあったので、家内の寸法に直しても、十分におはしょりを出すことが出来たが、付下げのように模様位置が決まっているアイテムでは、残り布として切り落とすことなく、中に入れ込むことが多い。折角着やすい寸法に誂え直したのに、装う機会が無い。そんなこともあって、今回の仕事着着用となった。

一般的なことを言えば、付下げはフォーマルモノに属すので、なかなか着用の機会は無い。けれども、今回の品物は茶席用であり、その模様姿からすれば、また違う性質を持っているように思える。母が亡くなって8年が経ち、ようやくこのキモノも陽の目を見ることが出来た。こうして仕事着として使うことが、故人への一番の供養になる。きっと店で家内が着ている姿を、母はどこかで、喜んでくれていることだろう。最後にもう一度、家内の着姿をご覧頂きながら、今日の稿を終えることにしたい。

 

果たして私には、遺す品物があるのだろうかと、ふと考えました。時計や貴金属類、ブランドモノのバッグなど、凡そ価値のありそうな品物は何一つ持っていません。そもそも私は若い頃から、「モノ」に興味が無かったので、どうにも仕方がありません。これではうちの家族は、形見分けの配分に困ることなど全く無いと思いましたが、たった一つだけ、受け継ぐべきモノを見つけました。それは、私にとって最も愛着のある生活の道具です。

何かといえば、このブログのタイトルにもなっている「バイク」です。私の愛車・本田のスーパーカブは、昔から多くのファンがあり、持ち主のことを「カブ主(ぬし)」と呼んだりもします。しかも、現在私が乗っている原付仕様の50ccは、すでに製造が中止されていて、この先世には出てきません。つまりマニアにとっては、とても価値のある品物なのです。

 

これこそが、名実ともに本当の形見であり、身内の誰かが引き継いで乗って欲しいモノです。けれども、家内はもちろん乗らないだろうし、三人の娘たちも難しいでしょう。とすれば可能性があるのは、昨年生まれた孫になるでしょうか。男の子なので、期待大です。乗れる年齢になるまで、あと17年。スーパーカブの行く末を見なければ、おいそれと永眠する訳には行きませんので、何としてもそれまでは頑張らねばと思います。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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